ある夜、いつものように「楓庵」を訪れた美咲美は、ふと違和感を覚えた。
店内は変わらず静かで、悠慎はいつも通り料理をしている。
だが、どこか様子がおかしい。
彼の動きが、微かにぎこちない。普段なら一切無駄のない手さばきが、ほんのわずかに乱れている。
「…悠慎、どうしたの？」
彼女が問いかけると、悠慎は少しだけ視線を逸らした。
「…なんでもない。」
「嘘。」
美咲美は即座に言い切る。
彼は、不器用なほどに誤魔化すのが下手だ。
「言いたくないなら無理に聞かない。でも、あなたの料理を食べればわかるわよ。」
悠慎は僅かに眉を寄せ、溜息をついた。
「…少し、疲れてるだけだ。」
「そう。」
美咲美はそれ以上何も言わず、悠慎が出した焼き魚を口に運んだ。
味は変わらず美味しい。だが、彼の気持ちが揺れているのが伝わる気がした。
「ねえ、悠慎。」
「…なんだ。」
「あなた、料理を作るのは好き？」
「…ああ。」
「だったら、それでいいわ。」
彼女はふっと微笑み、箸を置いた。
「たまには、誰かに甘えてもいいのよ。」
悠慎は何も言わなかった。ただ、静かに皿を片付けるだけだった。
――だが、彼の中で何かが揺らいでいた。