「楓庵」には、変わらぬ時間が流れていた。
カウンターの向こう側には、悠慎が黙々と料理を作る姿がある。彼の動きは無駄がなく、火の加減、包丁の角度、盛り付けの順番まで計算されたように正確だった。しかし、その一つひとつの所作には、どこか温もりがあった。
その温もりを、いつものように美咲美は静かに見つめていた。
「ねえ、悠慎。」
彼女は、手元の湯飲みをくるりと回しながら話しかけた。
「なんだ。」
「あなた、誰かのために料理を作っていたことがあるんじゃない?」
悠慎の手が、一瞬だけ止まる。
だが、彼はすぐに包丁を動かし、何事もなかったかのように答えた。
「…昔のことだ。」
「昔ね。」
美咲美はそれ以上は追及せず、少しだけ微笑んだ。
彼の過去を知りたいと思う気持ちはあった。けれど、今はまだその時ではない。彼が語りたくなる時がくれば、その時に聞けばいい。
そう思えるほどには、彼のことが気になっていた。