美術室の窓に、小雨が打ちつける。ステンドグラスを通り抜けた雫が、虹色の光を放ちながら流れ落ちていく。二人の間に流れる沈黙は、まるで時が止まったかのような、確かな想いで満ちていた。

 大和は目を繊細に伏せ、ゆっくりと言葉を紡ぎ出す。

「俺さ…お前と初めて図書館で会った時、もっと普通に知り合いになれば良かったのかもなって思う。でも、それじゃ、今のお前を知らないままだったんだなって…」

「お前の事、最初から気になってたんだ。あの時教えてくれた、詩みたいに、何かが引っかかってて…それが今、分かった気がする」

 大和が蓮の詩を口ずさむ。

「『私は美しい顔の中に全てを閉じ込めることができる』」

「今なら分かる。お前の狂おしいほどの想いが」

 蓮の目に涙が溢れる。その一滴が頬を伝い落ち、美しく輝いていた。

「この詩には続きがあるんです」

 蓮は本を開き、詩を読み始めた。その声は、まるで祈りのように響く。

「『しかし、愛は計算を超えて。私の心は、予定外の狂気に溺れていく』」

 大和の瞳が揺れる。蓮の言葉が、彼の心を奥底まで揺さぶった。

「僕は先輩を騙しました。でも――」

 蓮の声が揺れる。

「でも騙している間に、僕自身がこの想いに溺れていました」

 蓮が一歩近づくたび、大和の心臓は高鳴る。

「最初は美しい鑑賞物としての興味でした。でも、いつの間にか...
先輩の優しさに、強さに、全てに魅了されたんです」

「でも、それだけじゃないんです」

 蓮が別のキャンバスを指す。

「これは...」

 そこには、まだ描かれていない大和の姿があった。優しく微笑む表情。蓮の手を取る仕草。抱き締める瞬間。全て、現実には存在しない情景。

「僕の夢です。いつか先輩と、こんな時間を過ごせることを...ずっと描き続けています」

 その瞳に映る想いは、狂気なのか、純愛なのか。もはや区別がつかない。

「計算外の恋か」

 大和は苦笑する。

「はい。完璧な計画の中で、唯一予測できなかったもの」

「大好きです、先輩」

 その言葉に、大和の中で最後の壁が崩れた。自分が蓮に感じる想いを、完全に認める時が来ていた。

「お前は...本当に危険な奴だな」

 大和は溜息をつきながら、蓮を見つめる。

「計算づくで近づいて、俺の心を完璧に掴んで...」

「先輩...」

「そして最後に、この想いまで盗んで…
もう逃げられない。お前の罠に、完全に嵌められたよ」

「愛しています」

「呼吸をするように、先輩を想い続けます」

 大和はため息をつく。その表情は、どこか諦めたような、でも幸せそうな微笑みを浮かべていた。

「もう、完敗だ」

 大和の声が低く響く。

「降参する...」

「本当に...?僕を受け入れてくれるんですか?」

「ああ」

 大和は頷く。

「こんなにも俺のことを想ってくれるやつ、他にいるはずがない」

 蓮がさらに一歩近づき大和の手に触れる。夜の帳に浮かぶ瞳が、切なく、そして深い愛情を湛えて揺らめく。

「先輩は...僕のものになってくれますか?」

「ああ。もうお前のものだ」

「息をするかぎり離れませんよ?」

 蓮の声には、まだどこか不安が残っていた。

「うん」

 大和の答えは簡潔だが、その目には迷いがなかった。

「愛してる」

 その言葉に、蓮の体が震える。

「本当に...いいんですか?」

「ああ」

「僕の想いは、これからも変わらない。むしろ、もっと強くなるかもしれないですよ?」

「覚悟はしてる」

 大和は優しく微笑む。

「お前の愛の深さを、全て受け止めてやる」

 夜の静寂が二人を包み込む。まるで2人を祝福するかのように。

 蓮は少しずつ大和に近づく。

「愛しています」

 蓮の囁きが、美術室に響く。

 蓮の指が大和の頬を撫でる。その仕草には、芸術を愛でるような繊細さがあった。その指先が、そっと大和の唇をなぞる。

「本当に…」

 蓮が囁く。その声は、甘く、切なく、決意に満ちている。

 蓮の瞳が潤む。その中に映る狂気と純愛が、不思議な調和を見せていた。

「先輩が僕を受け入れてくれても、この狂気は消えません」

 蓮が警告するように言う。

「むしろ、もっと強い想いに変化するかもしれない」

「分かってる」

 大和は微笑む。

「その覚悟で、ここに来たんだ」

「先輩への想いは、呼吸より大切だから」

 蓮の瞳が危うく揺らめく。その中に映る想いは、もはや理性では測れないほどの深さを湛えていた。

「お前の愛は、時々怖いよ」

 蓮の声が囁くように降り注ぐ。大和は震える息を漏らす。蓮の深い執着に飲み込まれていく感覚に、戦慄と甘い期待が混じる。

「芸術と愛は、似ているんです」

 蓮が大和の頬に触れる。

「対象を理解しようとすればするほど、もっと深く知りたくなる」

「...お前に出会えて良かったよ」

 素直な言葉が、大和の唇からこぼれる。

「本当ですか?」

 薄闇に浮かぶ蓮の横顔が、まるで水無月の夜空のように美しく輝いていた。

「お前の愛の深さも、その狂気も、全部受け止めるよ」

 梅雨の湿気を含んだ空気が、二人の吐息でさらに濃密になる中、蓮の指が大和の頬を再び愛でるように撫でた。

「もう逃がしてあげませんから」

 外では梅雨の夜風が薔薇の花を揺らし、その香りが室内に漂っていた。

「ああ、もう分かってる」

 大和は蓮の手を取ろうとするが、逆に手首を掴まれる。蓮の眼差しが、獲物を捉えた捕食者のように鋭く輝いていた。

「絶対、離してあげない」

 蓮の声は甘く、それでいて強い支配欲に満ちていた。大和の耳元で囁く息遣いが、心臓の鼓動を加速させる。

「お前の愛の深さも、その狂気も、全部...」

 言葉の途中で、蓮が大和の唇を指で押さえる。

「先輩、もう何も言わなくていいよ」

 その指が大和の唇をそっと撫で、首筋を辿っていく。まるでキャンバスに最後の一筆を入れるような、繊細さと強さを併せ持つ仕草。

 蓮の瞳が危うく揺らめく。その中に映る想いは、もはや狂気とも純愛とも区別がつかないほど、美しかった。

「もう、先輩から目を離しません」

 その言葉には、甘い脅しと絶対的な所有欲が滲んでいる。大和はその深さに戦慄を覚えながらも、覚悟を決めた。

「ああ。お前の檻の中なら、俺は自由だ」

 大和がそう告げた瞬間、蓮の瞳が歓喜に満ちる。それは喜びと狂気が混ざり合ったような、儚くも危うい笑みだった。

「これから先の時間も、先輩の全ての表情は僕のものです」

 蓮の囁きが、梅雨の夜気に溶けていく。

「ああ」

「全てを差し出してくれるんですね?」

 その言葉と共に、蓮は大和に顔を近づける。その時、大和の心は奇妙な解放感に満たされた。

「全て、預けるよ」

 大和のその言葉に、蓮の瞳が深い満足感で潤む。

「美しい顔」

 その囁きと共に、蓮が大和の唇を優しく塞いだ。それは純愛の誓いであり、同時に狂気の契約でもあった。その瞬間、心臓の鼓動が一つに溶け合うかのような、柔らかく、深く、永遠を誓うような口づけをした。大和は目を閉じ、蓮の髪に指を絡ませ、抱き寄せる。

 満月が二人を見守る中、キスは続いている。美術室の窓から漏れる月明かりが、二人の愛を祝福するように輝いている。まるで2人が歩んできた全ての時間を肯定するかのような、甘くて切ない時間だった。

 何時までも続くかのようなキスを終え、二人の視線が交差する。未来への不安と期待が混じった静寂が流れる。

「これからも、僕は先輩の鏡でありたい」

 大和は頷く。

「俺も、お前の全てを見つめ続けるよ」

「僕の中で先輩は、一番大切な存在です。先輩も、僕の中で生き続けてくださいね」

 蓮が描いた840枚の絵が、静かな証人となって見守る中、二人は、月明かりの下で、新たな始まりを感じながら、ただ強く抱き合った。お互いの胸の鼓動は、未来への不安よりも強い愛を感じていた。

 それは、理性と感情の境界を超えた、誓いであり、契約であり、そして永遠の(うた)だった。

 窓辺に咲く薔薇が、夜風に揺れる。その棘のように甘くて痛い愛を、満月だけが見守っている。二人の影は一つに溶け合い、まるで新しい絵画のように美しく、そこに描かれる物語は、まだ始まったばかりだった。

「これからも、ずっと...」

「先輩の全ての表情、全ての瞬間を、この手の中に閉じ込めていきます」

 蓮の言葉が、大和の唇に消えていく。それは終わりではなく、終わる事がない愛の序章だった。

 月明かりに照らされた美術室で、狂気と純愛が溶け合うように、二人の影が重なっていく。それは、芸術と愛が一つになった瞬間だった。

 梅雨の晴れ間に輝く月が、二人の新しい物語を静かに照らし続けている。
 

       Fin.   Tommynya


【引用出典】
• アルチュール・ランボー『地獄の季節』
• アルチュール・ランボー『イリュミナシオン』等からインスパイアされた創作です。以下の詩。

『私は美しい顔の中に全てを閉じ込めることができる――あなたの欲望も、絶望も、愛も』

『しかし、愛は計算を超えて。私の心は、予定外の狂気に溺れていく』