あの出会いから、半月が経っていた。大和は、毎晩届く蓮からのメッセージを読み続けている。その日の朝、特別なメッセージが届く。
『今夜、美術室で先輩をお待ちしています。
僕の愛の形を、全てお見せしたいんです。これが最後のお願いです。』
(最後の、か)
大和は言葉の重みを感じていた。このメッセージには、いつもの切なさとは違う、何か決意のようなものが感じられた。
美術室に向かう廊下で、ふと立ち止まる。窓から見える中庭では、薔薇が咲き誇っていた。その棘のように、蓮の愛もまた、痛みを伴うものなのかもしれない。
満月のステンドグラスを通して射す光が、幻想的な世界を作り出している。
ドアを開けると、そこにはイーゼルの前に立つ蓮の姿があった。漏れる光に照らされた横顔が水無月の空のように儚げで、いつになく神々しい。
「来てくれたんですね、先輩」
振り向いた蓮の表情には、不安と期待が交錯していた。純白のシャツが月明かりに透けて、その姿はまるで幽玄な美の現具のようだ。だが、その瞳の奥には、いつもの狂気が潜んでいるのが見て取れた。
「見せたいものがあるんだろう?」
大和の声は、いつになく優しい。その声に、蓮の肩が僅かに震えた。
「はい。描き終わったんです」
蓮がキャンバスの布を外す。その仕草には、祈りを捧げるような丁寧さがあった。白い布が滑り落ちる。
そこには、一枚の大きな肖像画があった。いや、それは無数の小さな絵で構成された巨大なモザイク画だった。一枚一枚が、大和の異なる瞬間を切り取っている。
本を読む横顔。友人と話す時の笑顔。物思いに沈む表情。雨の日の憂いを帯びた眼差し。全てが丁寧に、深い愛情を込めて描かれている。
「840枚の絵で構成されています」
蓮の声が震える。その瞳には、深い執着と狂気の愛が渦巻いていた。
「先輩の全ての瞬間です」
蓮は儚げに微笑んだ。窓の外では、夜霧が薔薇園を包み込み、花びらに宿った露が輝いていた。
「これは...いつから?」
「約7ヶ月間、先輩の一日を4つの時間帯に分けて描き続けました。朝の光、昼の穏やかさ、夕暮れの孤独、夜の切なさ...全部で840枚になります」
大和は息を呑む。一枚一枚を見るたび、新しい発見がある。それは単なる記録ではなく、蓮の眼を通して切り取られた、愛の形だった。
「一番最初に描いた絵は...」
蓮が一枚の絵を指さす。その指先が、かすかに震えている。
「図書室で『イリュミナシオン』を読んでいた先輩です。あの時、先輩の横顔に心を奪われて...」
それは全てのきっかけとなった日の絵。大和は、その時の自分が蓮の心をどれほど揺さぶったのか、今になって理解できた。これは狂気なのか、純粋な愛なのか。もはやその境界さえも曖昧になっていく。
「そこまで、俺のことを...」
「芸術家は、美しいものに執着する」
蓮の声が甘く響く。
「でも僕の場合、それは狂気じみた愛に変わってしまった」
蓮がゆっくりと大和に近づく。その足取りには、獲物に忍び寄るような優美さがあった。蓮の声が震える。それは狂気であり、純愛の証だった。
「先輩の全てを見つめ、記録し、全ての時を留めておきたかった。でも...」
蓮の表情が歪む。その笑みには、甘い執着が滲んでいた。
「描けば描くほど、先輩への想いが大きくなってしまって…」
大和は冷静さを保ちながらも、その心は確実に揺れている。
「お前にとって、俺は何なんだ?」
「最初は美しい鑑賞物としての興味でした。でも気づいたんです。先輩を描けば描くほど、その本質に近づけば近づくほど、僕は深く溺れていった」
大和は後退りしない。むしろ、蓮の狂気に惹かれていく自分を感じていた。
「なぜ、俺を描き続けるんだ?」
「芸術とは、対象の本質を捉えること。愛とは、相手の本質を理解しようとする試みです。僕は先輩を描き続けることで、この二つが同じものだと気づいたんです」
その言葉に、大和の心が大きく揺れる。
大和に手を伸ばす蓮の指先が、月光に照らされ透けて見える。その手には、芸術家としての繊細さと、支配者としての強さが同居していた。
「先輩は...僕の想いを、気持ち悪いと思いますか?」
その言葉に、戦慄が走る。だが同時に、胸の奥が熱くなる。これほどまでに、誰かに愛されたことがあっただろうか、と。
大和は黙ってモザイク画を見つめる。そこには自分の知らない表情も含まれていた。梅雨空の下で読書する姿、五月晴れのグラウンドで友人と話す時の表情、一人で考え事をしている時の横顔。全てが丁寧に、愛情を込めて描かれている。
蓮の声が震える。涙が溢れそうな瞳が、不安げに揺れていた。
「こんなふうに、ずっと見つめ続けて...」
「違う」
大和はゆっくりと蓮の方を向く。遠雷が轟き、その振動が二人の間に漂う湿気を震わせる。
「感動した...」
蓮の目が大きく開く。
「今まで、こんなにも、誰かに想われたことがなかったから...」
その言葉に、蓮の目から一筋の涙が零れる。街灯に照らされ、その雫が宝石のように輝く。
大和は一歩、蓮に近づく。床に落ちる二人の影が、月明かりに揺れる。
「最初は怖かった。お前の狂気じみた執着が」
もう一歩。窓ガラスに、二人の姿が幻のように映る。
「でも今は分かる。これが愛なんだって」
「先輩への想いは、もう止められません」
蓮の声が囁くように降り注ぐ。普段の優しい表情が、薄く歪む。
「先輩の全てを、この手の中に...」
「蓮」
大和は震える息を漏らし、蓮の頬に触れ、指で涙をぬぐう。そして、蓮の言葉の奥深さに息を呑む。それは芸術であり、愛の告白であり、人間の本質への探求でもあった。
「怖いか?」
大和は問う。
「はい」
蓮は素直に答える。
「先輩に嫌われることが、怖いんです。でも、この想いを隠すことの方が、もっと怖い」
その正直さに、胸が締め付けられる。
「俺も怖いよ」
告白する。月光に照らされた美術室で、二人の影が重なる。
「お前の狂気のような純愛に、飲み込まれることが」
その言葉が、雨上がりの夜気に溶けていく。
『今夜、美術室で先輩をお待ちしています。
僕の愛の形を、全てお見せしたいんです。これが最後のお願いです。』
(最後の、か)
大和は言葉の重みを感じていた。このメッセージには、いつもの切なさとは違う、何か決意のようなものが感じられた。
美術室に向かう廊下で、ふと立ち止まる。窓から見える中庭では、薔薇が咲き誇っていた。その棘のように、蓮の愛もまた、痛みを伴うものなのかもしれない。
満月のステンドグラスを通して射す光が、幻想的な世界を作り出している。
ドアを開けると、そこにはイーゼルの前に立つ蓮の姿があった。漏れる光に照らされた横顔が水無月の空のように儚げで、いつになく神々しい。
「来てくれたんですね、先輩」
振り向いた蓮の表情には、不安と期待が交錯していた。純白のシャツが月明かりに透けて、その姿はまるで幽玄な美の現具のようだ。だが、その瞳の奥には、いつもの狂気が潜んでいるのが見て取れた。
「見せたいものがあるんだろう?」
大和の声は、いつになく優しい。その声に、蓮の肩が僅かに震えた。
「はい。描き終わったんです」
蓮がキャンバスの布を外す。その仕草には、祈りを捧げるような丁寧さがあった。白い布が滑り落ちる。
そこには、一枚の大きな肖像画があった。いや、それは無数の小さな絵で構成された巨大なモザイク画だった。一枚一枚が、大和の異なる瞬間を切り取っている。
本を読む横顔。友人と話す時の笑顔。物思いに沈む表情。雨の日の憂いを帯びた眼差し。全てが丁寧に、深い愛情を込めて描かれている。
「840枚の絵で構成されています」
蓮の声が震える。その瞳には、深い執着と狂気の愛が渦巻いていた。
「先輩の全ての瞬間です」
蓮は儚げに微笑んだ。窓の外では、夜霧が薔薇園を包み込み、花びらに宿った露が輝いていた。
「これは...いつから?」
「約7ヶ月間、先輩の一日を4つの時間帯に分けて描き続けました。朝の光、昼の穏やかさ、夕暮れの孤独、夜の切なさ...全部で840枚になります」
大和は息を呑む。一枚一枚を見るたび、新しい発見がある。それは単なる記録ではなく、蓮の眼を通して切り取られた、愛の形だった。
「一番最初に描いた絵は...」
蓮が一枚の絵を指さす。その指先が、かすかに震えている。
「図書室で『イリュミナシオン』を読んでいた先輩です。あの時、先輩の横顔に心を奪われて...」
それは全てのきっかけとなった日の絵。大和は、その時の自分が蓮の心をどれほど揺さぶったのか、今になって理解できた。これは狂気なのか、純粋な愛なのか。もはやその境界さえも曖昧になっていく。
「そこまで、俺のことを...」
「芸術家は、美しいものに執着する」
蓮の声が甘く響く。
「でも僕の場合、それは狂気じみた愛に変わってしまった」
蓮がゆっくりと大和に近づく。その足取りには、獲物に忍び寄るような優美さがあった。蓮の声が震える。それは狂気であり、純愛の証だった。
「先輩の全てを見つめ、記録し、全ての時を留めておきたかった。でも...」
蓮の表情が歪む。その笑みには、甘い執着が滲んでいた。
「描けば描くほど、先輩への想いが大きくなってしまって…」
大和は冷静さを保ちながらも、その心は確実に揺れている。
「お前にとって、俺は何なんだ?」
「最初は美しい鑑賞物としての興味でした。でも気づいたんです。先輩を描けば描くほど、その本質に近づけば近づくほど、僕は深く溺れていった」
大和は後退りしない。むしろ、蓮の狂気に惹かれていく自分を感じていた。
「なぜ、俺を描き続けるんだ?」
「芸術とは、対象の本質を捉えること。愛とは、相手の本質を理解しようとする試みです。僕は先輩を描き続けることで、この二つが同じものだと気づいたんです」
その言葉に、大和の心が大きく揺れる。
大和に手を伸ばす蓮の指先が、月光に照らされ透けて見える。その手には、芸術家としての繊細さと、支配者としての強さが同居していた。
「先輩は...僕の想いを、気持ち悪いと思いますか?」
その言葉に、戦慄が走る。だが同時に、胸の奥が熱くなる。これほどまでに、誰かに愛されたことがあっただろうか、と。
大和は黙ってモザイク画を見つめる。そこには自分の知らない表情も含まれていた。梅雨空の下で読書する姿、五月晴れのグラウンドで友人と話す時の表情、一人で考え事をしている時の横顔。全てが丁寧に、愛情を込めて描かれている。
蓮の声が震える。涙が溢れそうな瞳が、不安げに揺れていた。
「こんなふうに、ずっと見つめ続けて...」
「違う」
大和はゆっくりと蓮の方を向く。遠雷が轟き、その振動が二人の間に漂う湿気を震わせる。
「感動した...」
蓮の目が大きく開く。
「今まで、こんなにも、誰かに想われたことがなかったから...」
その言葉に、蓮の目から一筋の涙が零れる。街灯に照らされ、その雫が宝石のように輝く。
大和は一歩、蓮に近づく。床に落ちる二人の影が、月明かりに揺れる。
「最初は怖かった。お前の狂気じみた執着が」
もう一歩。窓ガラスに、二人の姿が幻のように映る。
「でも今は分かる。これが愛なんだって」
「先輩への想いは、もう止められません」
蓮の声が囁くように降り注ぐ。普段の優しい表情が、薄く歪む。
「先輩の全てを、この手の中に...」
「蓮」
大和は震える息を漏らし、蓮の頬に触れ、指で涙をぬぐう。そして、蓮の言葉の奥深さに息を呑む。それは芸術であり、愛の告白であり、人間の本質への探求でもあった。
「怖いか?」
大和は問う。
「はい」
蓮は素直に答える。
「先輩に嫌われることが、怖いんです。でも、この想いを隠すことの方が、もっと怖い」
その正直さに、胸が締め付けられる。
「俺も怖いよ」
告白する。月光に照らされた美術室で、二人の影が重なる。
「お前の狂気のような純愛に、飲み込まれることが」
その言葉が、雨上がりの夜気に溶けていく。



