カシャーン!
朱音(あかね)が落とした杯が、床に落ちて砕け散る。その横にどさりと朱音は倒れ伏した。
ごほっ。
朱音が咳込むと、口から血があふれ出た。鮮血が美しい木肌の床を汚す。

「朱音! 朱音! しっかりしろ! 誰か、医者を!」

朱音の肩を揺さぶる天羽(あまのは)の声には動揺と焦りがにじむ。
急にバタバタと周囲が騒がしくなる音を、朱音は遠のく意識の中、吸い込まれるように聞いていた。胸に去来する無念さに、この地へ朱音を送り出した父の言葉が蘇る。

――――『能無しだったお前を養ってきてやった恩を、必ず返せ。この婚姻で、絶対に天羽殿の子を成し、我が高槻家に繁栄をもたらすのだ』

ああ、そう出来たら、どんなに良かったか。いとおしい人と結ばれ、子を授かることが出来れば、自分はこの地で幸せになれると思ったのに。
天は無能に慈悲をくれなかったらしい。因果応報とはまさにこのことだ。

「朱音! 私を置いて逝かないでくれ! やっとお前という最愛に出会えたと思ったのに……!」

水の中に潜ったように不明確な悲痛感漂う天羽の声が、胸に痛い。抜けていく体の力を振り絞って、もやがかかったような視界の中、天羽に向かって手を伸ばす。パッとその手を取ってくれた天羽の手の温かさに比べて、朱音の手はなんと冷たいことか。

「天羽、……さま……。わたしは、永久(とわ)に……、天羽、さま、を、……お慕い、……申し上げ、ております……」

死して、なお……。
口元に浮かべた笑みは、しかし天羽を安心させない。急速に命の灯が消えようとする朱音の体を抱き起し、瞳から溢れた大粒の涙を朱音の頬に落とす。

ああ、わたしは。この方に、こんな顔をさせるために、幽世へ来たわけではないのに。
出来ることなら。生まれ変わっても、あなたのお傍に居られますよう。


輪廻の先に希望を託し、朱音は息を引き取った。





「……! …!!」

真っ暗闇の中、なにか、怒鳴り声が聞こえる。次の瞬間、腹に痛烈な痛みが走った。

「……っ!」

朱音は咳込み、瞼を空けた。視界には男性のものと思しき着物の裾と、真っ白な足袋を履いた足元が見える。

「朱音! いつまで寝てるつもりだ! さっさと仕事をしないか!」

鬼の形相をした男性はもう一度足を上げ、朱音の腹を蹴った。圧迫感にごほっともう一度咳込む。しかし。

(えっ……? ここは……。というか、私、生きているの……?)

男性に睨まれながら、朱音は起き上がって辺りを見渡す。そこはかつて朱音が生活していた屋敷の使用人部屋だった。朱音はおもむろに自分の顔を両の掌でぺたぺたと触る。触れた頬はあたたかく、とても自分が死人だとは思えない。それに。

「なにをやっている、朱音! 食事の支度がまだだ! 一華も学校に行かなければならん! お前の身分で自分の身支度をする暇があると思うな!」

怒鳴って、もうひと蹴りするのは、確かに父だ。蹴られているのだから、父には朱音が見えているし、触れるのだ。この状態で自分が魂だとは思えない。

「お……、お父さま、あの、私は……」

私は生きているのですか。
そう問おうとした時、もう一度蹴られる。

「父などと呼ぶなと言っただろう! 能無しのくせにぐずぐずするな! お前は言われたことだけ黙ってやっておればいい!」

最後に一喝して、父は薄暗い部屋を出て行った。ぽかんと見送る視線の先の開け放しの襖の向こうには、一華の楽しそうな声やそれに相槌を打つ母の声など、高槻家の日常の音が溢れていて、そこで朱音は漸く我に返った。

(よ……、よく分からないけど、兎に角私は生きているんだわ……。でも、確かに幽世で死んだと思っていたのに、高槻家に戻って来ている……?)

疑問は尽きないが、兎に角いま、高槻に居るのだったら、やることは決められている。朱音は急いで部屋を飛び出た。






食堂では父や母、一華が楽しそうにおしゃべりをしながらテーブルに着いていた。使用人に混じって、朱音も家族に食事を配膳していく。一華がおしゃべりに興じながら腕を引こうとしたため、みそ汁を配膳しようとした朱音は手を引っ込めると、みそ汁が朱音の手に被った。すごい剣幕で怒ったのは、一華だ。

「なにをするの! やけどするじゃない!」
「も、申し訳ありません」

一華の手にはみそ汁のひとしずくも掛かっていない。椀を持った手を引いた時に椀の口がやや朱音に向いたため、朱音の右手と袖、着物はみそ汁でべったり濡れたが、一華はそれには頓着しない。

「今夜は大事な夜会だというのに、朝から気分が台無しだわ」
「も……、申し訳ありません」

夜会、という言葉が一華から出て、朱音は己の記憶を手繰り寄せた。一華が夜会好きなので、よく両親に連れられて華族の集まりに参加していた。朱音は連れて行ってもらったことはないが、一華から、それはもう楽しい時なのだと何度となく聞かされていた。

「本当にお姉さまは何をやらせても駄目なんだから」

え、と思う。一華は朱音の姉ではなかったか。姉の一華の才があったため、妹の朱音はいつも無能の厄介者として扱われていたのだと思ったのだが……。

「仕方ないよ、一華。双子とはいえ、これとお前では出来が違うのだからね」
「そうよ、一華。それにあなたは代々の高槻家の中で一番魅了の才が強いから、今夜の夜会ではきっと良いご縁がある筈。宮さまに見初められて頂ければ、お母さまはとても嬉しいけど……」

母の言葉に一華も微笑んで、そうですね、と返す。

「今日の夜会は、國を治める神々も降臨されるとか。宮さまは帝のお許しがなければご縁は繋がりませんけど、私のこの魅了の力なら、神さまだって魅了できますわ」
「まあ、そうなったとしたら、帝も高槻を重んじてくれるようになるでしょうね。一華は本当に良い娘だわ。それに比べてお前は、本当に役に立たない愚図ね」

じろりと母に睨まれて、朱音は部屋の隅に控え直した。しかし、父が口を継ぐ。

「しかし今日は、朱音にも参加してもらおうと思っている」

父の発現に、母も一華も目を向いた。

「お父さま!? 何故こんなみすぼらしいお姉さまをお連れになるの!? お姉さまなんてお連れになったら、お父さまが笑いものになってしまうわ!」
「そうよ、あなた。今日は帝が主催の、年に一度の夜会ですもの。宮さま方や、華族のみならず、神々のみなさまのお目汚しになりましてよ。もしそうなったら、一華の足を引っ張ることにもなります。今夜は一華に全てを掛けるべきですわ」

この流れは知っている。朱音が天羽の許へ行くきっかけとなった夜会のことだ。高槻男爵家の命運をかけたこの夜会に参加することになった朱音は無能ではあったが、夜会の最中に天羽が庭で探していたアクセサリーを探し当て、それが理由で彼に見初められた。

「朱音を、とある資産家が見初めたらしくてな。引き合わせようと思っている」
「まあ!」

父の言葉に上ずった声を出したのは母だ。

「好色家で知られる老人だからな。高額の金を積んでくれたし、丁度いいと思ったんだ」

この流れも知っている。死ぬ前の人生で、天羽との会話の最中に、父から婚姻の許可を得たと言って、その御仁が割って入ってきたのだ。しかし、結果的に天羽がその老人からも救ってくれた。
朱音は自分の生前の記憶をなぞるように進んでいく事柄に、感心していた。つまり、もう一度得た生で、今度こそ天羽を幸せに出来る可能性があるのだ。

(天羽さま……。私も早く、天羽さまにお会いしたい……)

胸をときめかせる朱音に、父親は今日の仕事を言いつけた。

「そう言うことだから、朱音。お前には分不相応だが、一華のドレスを一枚貸してもらいなさい。それから、風呂に入って、髪もきれいに洗うんだ。一華の支度を終えた後、お前は自分で支度を整えるように。一華の支度を手伝っているから、手順は分かるな?」
「はい」

朱音の返答に父は、よろしい、と頷いた。




夜のとばりが降りた頃、闇夜に輝く明かりを灯した会場には多くの紳士淑女が集まってきていた。みな美しく着飾って、馬車や車から降りてくる。朱音も馬車に揺られながら、会場である建物の前まで来た。……ひとりで。
一華たちは別の馬車で先に会場に到着している。件の老人と引き合わせるときは家族として共に居てくれるようだが、そのほかの時間を朱音と一緒に過ごすのは嫌だというのが、一華と母の意見だった。それは前世でも同じ理由だったので、朱音には全く反対の意などなかった。それに。

(気にしないわ……、もともとそうやって扱われてきたんだもの……。それに、今となってはここまで馬車に載せてもらえただけでも感謝したいくらい……)

前世ではこれから件の老人に会いに行くのだと思っていたから、馬車の中でも希望はなかったが、今は天羽に会いたいという願望がある。だからと言って、家から歩いて行け、と言われたら、すこし途方に暮れてしまっただろう。
という訳で、前回も今回も、求婚者の老人に会わせたいという理由があったからこそ、朱音は馬車という便利な乗り物を借りられたことを、感謝している。

朱音は会場である建物の中には入らなかった。父から入るなと言われていたし、建物に入ったとしても、身分の高い人たちの中で学のない自分がどのように振舞えばいいか分からなかった。それを助かったと思った記憶も、朱音の中に鮮明にあったので、まるで最初の人生をもう一度なぞって生きているような感覚で、父からの言葉を聞いていた。

建物の前で馬車を下ろしてもらうと、正面玄関から逸れて、庭の方へと向かった。庭には西洋風の彫刻と、池には噴水、そして開け放たれた窓から聞こえる音楽と人々のざわめきがあった。
闇に浮かび上がる煌々とした明かりのように、朱音の心もまた、明るく照らされていた。

(もうすぐ、天羽さまが現れるんだわ……。そして私は言うの。『どうされたんですか?』って……)

そうして天羽の探しているアクセサリーを探し当て、会場で天羽に求婚される。あとは天羽のもとで、あの毒杯を手に取らなければ良い。
朱音の心の光は、しかしなかなか天羽を庭に連れて来てくれない。池の周りをぐるりと一周しても、天羽は現れなかった。

(……おかしいわ……。生まれ変わる前にお会いした時は、確か池の周りを散策していて、お会いしたはず……)

そわり、と朱音の心が揺れた。ゆらゆらと、朱音の心にうごめく闇がしのびよる。その時。

「おい、お前!」

大きな声が、夜の漆黒を切り裂く。はっとして振り向けば、そこにはひとりの老人がいた。
……老人は大きなぎょろりとした目でやけにじっとりと朱音を見てきている。視線は朱音の顔をなめ、首筋をなめた。ぞわり、と全身が総毛立つ。
……知っている。この視線を、私は知っている……。
己の感覚に、記憶が呼び起こされる。この老人こそが、朱音が父によって売られる相手なのである。そして思い出す。天羽は、この老人とのやり取りから朱音を助けてくれたのだ。しかし、天羽との再会への期待で浮足立っていた心は、今、完全に恐怖に支配されていた。

「あ……、あの……」

手を握られ、そこからぞわりと恐怖が這い上がった。
恐ろしさに、声が震える。体もふるふると小刻みに揺れた。足はその場に立っているのがやっとだ。そんな状態の朱音に対し、老人はしわだらけな手をにゅっと伸ばすと、細い朱音の手首と掴んだ。ひっ、と声にならない悲鳴が漏れる。

「高槻殿の所の娘だな! お前を愛妾とする旨、父上殿に承諾いただいたぞ! さあ、来い! 今日からお前は、俺のものだ!」

喜色満面の気持ちの悪い笑みを浮かべて男が叫ぶ一方、朱音は混乱の中に居た。

(どうして!? どうして天羽さまとお会いできないの!? 確かに最初の人生では、突然現れたこの人から私を救ってくださったのに……!)

男は老年とは思えない馬鹿力で朱音を引きずって歩き始めた。泣きそうになりながら必死で抵抗するが、老人の怪力になすすべもない。その時、建物からわあっ、と大きな歓声が聞こえた。

「高槻伯爵のご令嬢が守護の神に認められたぞ!」
「百年ぶりの花嫁か!」

朱音はその歓声を、目を大きく見開いて聞いた。
守護の神が、高槻の令嬢……、つまり一華を認めた、と。

「……、…………っ」

歓声はまだ続く。高槻はこれで宮家とつながりを持つらしいとか、花嫁は直ぐにでも幽世へ行きたいらしいとか。
うわんうわんと騒ぎの言葉が頭の中を駆け巡る。何故、どうして、という問いばかりがその言葉たちを追いかける。

(どうして……。どうして天羽さまは私じゃなく、一華を……)

高まっていた期待が一気に打ち砕かれる。この、天からもらったやり直しの人生は、天羽と添い遂げるためのものではないのか?

その瞬間に思い出したのは、天羽から聞いた最後の言葉だ。

『やっとお前という最愛に出会えたと思ったのに』

もしこのまま一華が天羽と夫婦になったとして。
前世の朱音と愛し合ったように、今世では一華と愛し合った末に、天羽にまたあの悲しい出来事が起こらないだろうか。

(……そんなこと、あってはならないわ……)

自分が天羽に見いだされなかったことはこの際、どうでもいい。それよりあんなに悲痛な天羽の叫びを、朱音は二度と繰り返してはいけないと思った。

思えば生まれ変わる前に天羽にこの夜会の会場で求婚されたとき、急なことに驚いて天羽の前で何も言えなかった朱音に、姉の一華が殿方から求婚されたらどうしたらいいかだとか、嫁ぐことが不安なら、暫くの間自分が一緒に行ってだとかの助言をくれた。心底安心した朱音は天羽に願い出て、不調法ものなので、しばらくの間、女学院で学んだ経験のある一華も一緒に居てはいけないだろうかとお願いした。天羽は寛大に受け入れてくれて、だから神の花嫁としての礼儀作法を、朱音は幽世に行ってから一華に教わった。

もしかして。
今世で天羽の悲嘆を防げるのが、未来を知っている朱音だけなのだとしたら、朱音は生まれ変わる前に一華が朱音に寄り添ってくれたように、一華の幽世行きに同行し、せめてあの悲惨な出来事を二人から遠ざけるべきなのではないかと考えた。

「どうした! 高槻の! さては会場で俺と踊りたいのか!」

まだ朱音の手首を握っていた男がそう叫び、ならばと朱音を引っ張って建物の方へと歩を進めた。
それを。
渾身の力で払いのけ、履きなれない洋靴で庭を駆けた。ドレスを摘まむが、裾は庭木に引っ掛かる。それでも、一華が幽世行きに頷く前にと、それだけを頭に建物に入る。
闇夜に慣れた目はシャンデリアの明かりにくらみ、しかしそこに踏ん張り立つと、天羽を渾身の力で呼んだ。

「天羽さま!」

女の大声に、歓談していた人々が振り向く。多くの視線を注がれて、朱音は一瞬たじろいだ。人々の一驚は、すぐに蔑視の視線に変わる。それもそのはず。庭を駆けた際に裾が引っ掛かったドレスはところどころで破れたり葉が付いたりしており、髪もすこし乱れている。

「まあ、どなたですの? あんなみすぼらしい格好で」
「それも、女が大声で。慎みが足りませんわ」

冷ややかな目を一身に浴び、朱音はひるんだ。朱音への悪評はそのまま高槻への悪評となる。しかし人の集まりのその向こう。長身に水色の長い髪を束ねた天羽がいたから、朱音は彼に、一華に歩み寄ることが出来た。

「天羽さま」
「お姉さま、そんなみっともない姿で天羽さまにお近づきにならないで」

天羽に寄り添い朱音の言葉を遮ったのは、一華である。しかしこのまま一華が天羽と結ばれると、朱音に起こったことが、一華に起こってしまう。一華はこのあと、父と母の期待を一身に背負って幽世に赴くはずであるし、あの出来事が本当に再現されてしまったら、悲しむ人しか居ない。朱音はこくり、と喉を鳴らすと、深呼吸を一度してから、再び言葉を発した。

「不調法もので申し訳ございません、天羽さま。私は一華の姉でございます。お願いがあって拝顔いたします。一華の幽世行きに、私も付き添うことは出来ませんでしょうか」

ホールがどよめき、一華が目を吊り上げる。懇願に、天羽が朱音を見た。

「なにを仰っているの、お姉さま。まさか幽世までついてきて、私にとって代わろうというんですの?」
「違います、一華さん。あなたを、救いたいの」
「救うって、なにから? 私から見たら、お姉さまが幽世まで付いてきて、天羽さまに媚びを売る方が、お姉さまに救われるよりよっぽど嫌だわ」

どうしよう。一華にとっては朱音が幽世へついていくことは、目の上のたん瘤より鬱陶しいことらしい。一華の未来が危険かもしれないと言っても、戯言だと思われるだろうし、なにか一華にとって有益なことでないと、彼女は頷かない。
朱音は意を決すると、一華の手を引いてホールの端へ連れてきた。手で口を覆い、一華の耳にそっと語り掛ける。

「一華さん。私、ちょっとだけ先のことが、時々分かるんです……。今朝お味噌汁を一華さんに掛けないようにお椀を引けたのも、一華さんが腕を引くのが分かったからなんです……」

そう。父に腹を蹴られて起きた時から、朱音は生まれ変わる前の記憶を持っている。だから今朝は一華が腕を引くのが分かったし、さっきは老人のことを知っていた。……だからと言って、全てに上手く対応できるわけではない。さっきは結局、老人に手を握られたわけで、そう言う風に、上手くいかない時もあるだろう。
しかし、今後朱音は、なにがなんでも天羽と一華の悲劇を回避すると誓えた。それが、生まれ変わって立場が入れ替わり天羽の妻となる一華への、……ひいては天羽への愛の印だった。
朱音が秘密を告白すると、一華の目が大きくまんまるに見開かれた。驚きと疑念と。だから朱音は、大事なことをもう一度言った。

「幽世で、一華さんの身に何か起きるかもしれない。それが、分かるんです。私に、止めさせてください」

一華の喉は、ごくり、と鳴った。朱音は続ける。

「それに、まったく世界の違う場所に行ってしまうと、不安や混乱もあると思います。こちらでの婚姻でしたら、時々実家を訪れる、なんてことも容易いかもしれませんが、幽世へ行くと、こちらとは自由に行き来は出来ないでしょうし、そういう時に、不安をぶつける相手は、居た方がよくありませんか……」

前世で一華が朱音に言ってくれたように、彼女の性格も考慮していってみると、一華は目をすがめ、朱音を観察した。そして、くっと右の口の端を上げると、射抜くように朱音を見てからそのまま笑った。

「哀れなお姉さま。よっぽど件の方に嫁ぎたくなくて、そんなことを仰るのね」

蔑視のまなざしだった。朱音は焦る。二人を悲しみに暮れさせたくない。

「ち、ちがうんです、私は……!」

一華は朱音から離れ、腕を組み顔を背けた。どうしよう、と焦る朱音の前で、言葉が続く。

「ふん。でも、良いですわよ。お姉さまの言うことが本当なら、國の守護神である天羽さまの妻に災いが起こらないようにするのは、高槻の使用人であるお姉さまにとって十分すぎるほどのことですし、私も誰も本音を打ち明けることが出来ない嫁ぎ先で孤軍奮闘しなければならないのは、少し気にしていたところですわ」
「一華さん……!」

目の前が開けた。二人が悲しむ未来を避けられるかもしれない。いや、一華に頷いてもらったのなら、なんとしてでも避けなければならない。血を分けた一華の為に。なにより愛する天羽の為に。

「私から天羽さまに特別として口添えをして差し上げるわ。その代わり、ちゃんと仕事をして下さらなければだめよ」
「勿論です!」

朱音は一華に感謝した。そして誓いを新たにしたのである。


必ず、悲劇を止めて見せると。