こうして、家庭科の授業を終えた俺は、作戦を次のフェーズへ移すことになった。
とはいえ、勢いのまま色々突っ走る傾向がある俺に〝次〟の考えなどない。実質ノープランである。はてさてどうするか……アレコレ考えているうちに、気付けば昼休みへと突入してしまっていた。
(つーか、そもそも、頼り甲斐とは何だ)
そうして俺の思考は、いよいよ原点に回帰する。色々考えすぎて、〝甲斐性とは〟〝男とは〟〝人生とは〟みたいなところまで戻ってきてしまったのだ。
(漢気……漢気とは……ケンカが強いとかそういうのか? いや、でも暴力では何も解決しない……いっそ、もっと分かりやすく経済力か? 何か気の利いたもんを、さりげなくプレゼントするとか……でも気の利いたもんって何? あっ、猫飼ってるって言ってたし、猫のシールとかどう?)
そこまで考えたところで、俺の脳内に住む恋愛武将が待ったをかける。いや、うん、分かるぞ武将。自覚ぐらいある。俺のプレゼント選びのセンスは壊滅的だと。
(さすがにシールはねえよな、小学生じゃあるまいし……。はー、どうしたもんか。好きな子の気を引くって難しいな)
そうこう考えながら教室に戻る途中、ちょうど、通りかかった資料室に由良の姿が見えた。
由良は本棚の上部に置かれている段ボールを取ろうとしているようだが、背が足りず、絶妙に手が届いていない。段ボールはじりじりと動いているようだが、爪先立ちでぷるぷると足を震わせ、一生懸命に手を伸ばしていた。
(かわよ)
ドギュンッ。胸に何かが深く刺さる。
キュンもバキュンも通り越し、俺が松尾芭蕉なら一句読んで『おキュンの細道』に収録するであろう愛おしき光景だ。
カワイイを、具現化したら、由良灯。
一句読みつつ、このまま経過を観察したい衝動に駆られるが、俺は冷静な思考をギリギリ維持し、欲を振り払って状況を分析した。
(待て待て、見守ってる場合か。よく考えろ。今ここで俺が由良の代わりにあの段ボールを取ってあげたら、めっちゃ頼れるイケメンじゃね? これはどう見てもチャンスだろ)
俺の中に居座る恋愛武将が「いざ出陣!」と指揮を取る。次の作戦はこれで決まりだ。
脳内に響く法螺貝の合図に背中を押され、俺はさっそく資料室に乗り込んだ。
「由良くん」
「!」
俺の呼びかけにハッとして振り返った由良。俺はにこやかに近付いた。
「段ボール、取れないの? 俺、取ろっか」
「え……! いや、だ、大丈夫だよ、そんなわざわざ……」
「いいって、俺に任せて」
「いやでも……」
遠慮する由良と押し問答をしていると、中途半端に引っ張り出された不安定な段ボールが由良の方へと傾く。俺はハッと目を見開き、反射的に由良の腕を取った。
「あぶね!」
「っ……!」
ドサドサドサッ!
段ボールは瞬く間に落下し、俺は由良を庇った。背中に何かが落ちてきて、思いっきり直撃したが、大した衝撃はなかった。
薄く目を開くと、足元には透明なクリアファイルがいくつも散らばっている。どうやら段ボールにはこれしか入っていなかったようで、俺は息をついた。
「はー、セーフ……。重いもの入ってなくてよかったね。大丈夫?」
「あ……う、うん……」
由良に安否をたずね、目と目が合う。そして、俺は息を呑んだ。
先ほど落下から庇った際、俺は咄嗟に由良を抱き寄せてしまったらしい。壁際に押し付けるような形で密着してしまっており、互いの顔の位置がやけに近かった。愛らしい顔を直視した俺はようやく現状を把握し、たちまちパニックに陥る。
(うおおおお近ァッ!?)
つい声にならない悲鳴を上げそうになるが、男の意地で持ち堪えた。奥歯を噛み、緊張感をごまかし、冷静に状況を整理する。
狭い空間。二人きり。互いの吐息すらかかる距離感。
そこまで把握したところで状況整理をしたのが間違いだったと気付いた。緊張感が増すだけである。
(ま、まずい、どうしたら……でも、これはチャンスだぞ! かっこよく振る舞え、俺! なんかいい感じのこと言え!)
俺は震えそうになる喉に唾を流し込み、気丈に振る舞ってキリッとした顔を作る。「あの、真生くん……」と見上げてくる由良を腕の間に閉じ込めながら、俺はクールを気取って由良を見つめた。
「……由良くん、怪我はない?」
「あ……うん。大丈夫」
「それはよかった。由良くんにもし何かあったら、〝骨折りゾンビのくたびれもうけ〟だからね」
「んん……?」
(なんか難しいこと言おうとして全然違うこと言った気がする)
怪訝な顔をされてしまったが、今の不発は大きめの咳払いでごまかした。
まあ、言葉は間違えたかもしれないが、とりあえず頼り甲斐は見せつけただろう。俺はぎこちない動きで由良から離れると、散らばったクリアファイルを拾い集めて手渡した。
「はい、これ」
「……あ、ありがとう、真生くん。もしかして、外から俺が背伸びしてるとこ見えた?」
「あー、うん、可愛――じゃなくて、一生懸命なとこ見えたよ」
「あはは、恥ずかしいな……。微妙に手が届かなくてさ、ダサいとこ見せちゃったよね」
「いや、むしろ可愛――じゃなくて、こういう時は気軽に俺を頼っていいから。もし落ちてきたのが重たい段ボールだったら危なかったし」
漏れそうになる本音を呑み込み、それっぽい言葉で取り繕う。由良は俺を黙って見つめたのちに柔く微笑み、「ありがと、真生くん」と再びお礼を繰り返した。
余分なクリアファイルを段ボールに戻す俺に、由良は続ける。
「真生くんって、優しいよね。俺、あんまり面白い話とかできないのに、最近よく構ってくれて……」
「え? ああ、ほら……同じクラスだし、席も隣になったし、とりあえず仲良くなりたいな〜っていうか……」
歯切れ悪く答える俺の隣で、由良は「そっか」と呟く。なんとなく顔を背けられたようにも感じて、俺は焦燥を覚えた。
やばい、なんか今の、『同じクラスになっちゃったし仕方なく仲良くしてます』みたいな言い方に聞こえたかもしれない。
緊張感でまともな言葉が出ない自分を恨んでいると、クリアファイルはすべて段ボールの中に戻っていた。
「あ、これで全部だね。本当にありがとう、真生くん」
「ああ、うん……」
「じゃあ、俺は教室に戻――」
「あ、ユラっち! いたいた、探したよ〜」
その時、資料室に誰かが入ってきた。「あ、持田くん」と微笑む由良の視線の先には、マッシュルームカットで黒縁メガネという愛嬌ある見た目が特徴的なクラスメイト・持田の姿。
持田は笑顔で資料室に入ってきたようだったが、由良と一緒にいる俺を見た途端、楽観的な表情をこわばらせて少し息を呑んだように見えた。
「あ……す、杉崎くん……どうも……」
「? おう、どうも」
「ゆ、ユラっち! 今日は俺たち漫研の原稿の下読みしてくれる約束だっただろ!? もうみんな待ってるよ!」
「あ、うん。今、その原稿を持ち帰る用のクリアファイルを取りに来てて……」
「いいから行くよ、ほら!」
持田は俺の顔色を窺いつつ、由良の手を引いて資料室から連れ出してしまう。由良は「そんなに急がなくても……」と戸惑っていたものの、そのまま連れていかれてしまった。
俺はぽつんと一人残され、眉をひそめる。
「……なんだ、持田め。俺の顔見てビクビクしやがって」
由良を俺から引き離した持田の態度は、明らかに俺を警戒するようなそれだった。あの二人は去年から同じクラスで仲がいいようだが、持田のヤツは俺のことをあまり良く思っていないらしい。
ふん、と鼻を鳴らしつつ自分も資料室を出る。ところが、今度は俺が声をかけられる番だった。
「あ、真生〜」
(……げ!)
前から歩いてきたのは、同じバスケ部の先輩たちだ。みんな派手に髪を染め、耳にはピアスが光っている。
俺は内心辟易しながらも、表情には出さず、「お疲れっす」と笑顔で会釈した。
四、五人の先輩たちはゾロゾロと俺に近付き、先頭の一人が肩を抱いて引き寄せる。
「なあ、真生、お前さ〜、北高のバスケ部に知り合いいない? 中学ん時、あの辺のバスケクラブに入ってたって聞いたんだけど〜」
(うげえ、めんどくさ……誰だよバラしたの)
げんなりしつつ、俺は目を逸らした。
先輩たちの言うように、俺は幼い頃から北区のバスケチームに入っていて、中学もあの辺りの学校を卒業している。そして北高というのは、全国大会常連の強豪バスケチームがある高校で、俺の元チームメイトが何人か、その高校のバスケ部に所属しているのだ。
とはいえ、俺とそいつらに関わりがあったのは中学までの話。今では連絡すらしないし、正直、もう顔を合わせたくない。
「……あ〜、どうっすかね〜。俺、あんま連絡とってないんで……」
「えー、でもさぁ、北高バスケ部の連絡先は分かるってことでしょ? 誰でもいいからさあ、そいつらから女バスの連絡先もらって俺らと繋げてよ〜」
「はは……」
乾いた愛想笑いを漏らし、マジでめんどくせえ、と胸の内側だけで呟く。どうせそんなことだろうと思っていた。『バスケ部』という名前を使って、ただ女子と関わり合いたいだけなのだ、コイツらは。
「……今度、昔のチームメイトに連絡しておきます」
適当な返答をすれば、先輩たちは納得したのか「よろしく〜」と笑って俺を解放した。メンズの香水が放つキツい匂いと気だるげな足音が離れ、先輩たちは去っていく。
(ったく、本当にだるいな)
うんざりしながらスマホを手に取り、一応連絡先を確認してみる。過去のチームメイトの連絡先はまだかろうじて残っているが、もう一年以上はまともに連絡していない。
(そりゃそうだ。今さらどの面下げて連絡すんだよ。はー、ヤダヤダ)
ディスプレイから目を逸らし、かぶりを振りながらポケットにしまう。
過去のことなんてどうでもいい。楽しいことだけ考えよう。そうだな、たとえば、明日はどんな方法で由良にアプローチしようか――とか。
俺はキツい香水の残り香を振り払い、気持ちを切り替えて教室へと戻った。

