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「――はい、それでは本日の調理実習は、各班でポテトサラダとハンバーグを作っていきまーす!」
 後日。家庭科の調理実習にて。
 担当教師が「怪我しないように、気をつけてくださいね〜」と声をかける中、エプロン姿の俺は密かに闘志を燃やしていた。
(来たな、調理実習……今こそ、コバとの特訓の成果を見せる時!!)
 俺は(いくさ)を控えた将軍のごとく強気に構え、同じ班にいる由良を視界に捉えた。
 男子厨房に入らず――なんて考えはもう古い。この時代を生きる男子たるもの、料理やスイーツのひとつやふたつ、チャチャっと作れてしかるべき。腕っぷしの強さだけが(おとこ)()ではない。日々を生き抜く生活力をアピールしてこそ、真の頼れる男というもの!
 ……という考えに行き着いた俺は、母性あふれるコバを師と仰ぎ、特訓を申し込んだ。アイツは日頃から自分の弁当を手作りするぐらい料理が得意なのだ。俺は土日返上で小林家に通い、料理のイロハを叩き込んでもらったのだった。
(これまで料理なんてまともにしたことなかったが、今の俺はあらゆる野菜を切り刻んだ〝(つじ)()り〟ならぬ〝ベジ斬り〟の男……この戦、負けられぬ)
「はーい、それではまず、サラダ用のキュウリを輪切りにして、ボウルで塩揉みしていきましょう〜」
(行くぜ……コバ直伝の包丁さばき、とくと見よ!)
 俺の心の中に住まう恋愛武将は闘争心に満ちあふれ、〝愛〟のカブト(三角巾)と(かっ)(ちゅう)(エプロン)を装備し、(さや)から包丁を抜き取った。
 隣で由良がジャガイモの皮剥きをする中、俺はキュウリに刃を当てる。
 見よ、由良! これが師匠(コバ)から伝授された必殺奥義!
「うおおおお!」
 ――トントントントントン!
 軽快なリズムを刻みながらミリ幅を合わせ、まな板の上でキュウリを輪切りにしていく俺。
 俺の包丁さばきを見た周囲の班員たちはワッと沸き立った。
「おおお!? 真生、お前めっちゃ切るの速くね!?」
「飲食店の厨房でバイトしてる俺より速いじゃねえか!」
「はっはっは! まだまだだなお前ら! 男ならこれぐらいできて当然よぉ! 料理は男のたしなみだぜ、男磨く前に包丁磨いて出直しな!」
 気をよくしながらそれっぽい言葉をのたまい、キュウリを刻んで「一丁あがり!」と由良を見る。
 あっという間に一本切り終えた俺に由良は目を輝かせ、「真生くん、すごいね!」と拍手していた。ふふん、お茶の子さいさいだぜ。
「真生くんって料理できるんだ。ちょっと意外かも」
「ふっ、まあね。これでも家庭的だし、俺」
「本当にすごいと思うよ。俺、全然そういうの向いてなくてさ」
 苦笑する由良が手にしているジャガイモは、皮がうまく剥けておらず、ところどころに茶色い部分が残っている。一応ピーラーを使ってはいるが、手つきも持ち方もどこか危うく、そのうち怪我してしまいそうだ。俺は慌ててそれらを奪い取った。
「ちょ、危な! 俺、代わるよ。怪我したら大変だし」
「え……でも、俺がジャガイモの担当なのに……」
「気にしないでいいって。その代わり、由良くんは俺が切ったキュウリの塩揉みしてくんない? こっそり交代しよ」
 小声で耳打ちし、担当の交代をスマートに促す。すると、由良は気恥ずかしそうに頬を(ほころ)ばせた。
「……うん、分かった。ありがと」
 長めの前髪の向こうから見つめられ、俺の心臓が分かりやすく跳ねる。可愛さに目が(くら)みかけながらも、俺は余裕ぶって頷いた。
「ま、まあ、助け合うのは当然だし? 誰にでもするわけじゃないんだけど、由良くんには特別っていうか? うん」
「そうなんだ。――じゃあ、二人の秘密にしようね。交換したの」
 直後、小さく耳打ちし返してきた由良が、不意打ちで俺にそんな爆弾を落とした。
 二人の秘密。二人の秘密。二人の秘密……繰り返される甘美な響きは俺の心臓に降り注ぎ、()(とう)の勢いで爆撃しながら顔の熱を上げていく。だが俺は意地で平静を保ち、「も、も、もちろん!」と紳士的な態度を崩さぬまま、心の中では絶叫した。
(オアアぁぁ〜〜〜ッ!! これってもう実質的には夫婦の会話では〜〜〜!?)
 紳士にほど遠い心の中の雄叫びを気取られぬよう、表情はキリッと保ったまま歓喜する。
 作戦は成功だ。堂々と見せつけてやった。俺が頼れる男だということを。
(ふっ……何もかもが完璧な仕事運びだったぜ……! コバの家で死ぬほど練習した甲斐があった、これで由良も俺のことを見直したに違いな――)
「あれ?」
 だが、俺が自分を過剰に褒めちぎっていたその時、由良が小さく声を漏らした。反射的に視線を移すと、なんと、俺の切ったキュウリが、連結したまま(じゃ)(ばら)状に広がっている。
 俺の思考はたちまち凍りついた。よく見れば、俺の切ったキュウリたちは、最後まで切り離されていなかったのだ。輪切りになったように見せかけて、底が繋がったままになっている。
 ひくりと頬が引きつったその瞬間、周りにいたクラスメイトたちは盛大に吹き出した。
「ぶっ……あははは!!」
「おいおい、真生〜。お前偉そうなこと言っといて、一個もちゃんと輪切りにできてねえじゃんか!」
「腹いてえ〜、もはや高度なギャグだろ! ははは!」
 俺はダラダラと冷や汗をかく。
 やばい。やっちまった。恥ずかしい。
 先ほどドヤ顔していた自分を殴りたくなる衝動に駆られながら汗を滲ませていると、さらに追い討ちをかけるように、今度は背後で歓声が上がった。
「うわー! コバすげえ!」
「なんだこれ、どうやってんだ!?」
 歓声の中心にいたのはコバ。ぎくりと嫌な予感がして、俺は恐る恐る、彼のまな板を覗き見た。
 するとそのまな板の上では、なんの変哲もないただのキュウリが、花や松の形に飾り切りにされ、アート作品さながらの神々(こうごう)しさをまとって並べられている。
(な、何ぃぃぃ!?)
 俺は衝撃を受けた。あまりに強大なオカンの壁が立ちはだかり、圧倒的な力の差を見せつけられたのだ。言葉を失って立ち尽くす俺の傍ら、芸術キュウリたちを器に盛ったコバは不思議そうに首を傾げる。
「これ、そんなに騒ぐことかあ? 別に大したことしてねーよ。他の下処理終わったから、暇つぶしに飾りも作ってるだけ」
「いやいや、普通それができねえって! コバって料理うますぎねえ? 男のくせに」
「バカかよ、今どきは料理作んのも男のたしなみってもんだろ。男磨きてえなら、まずは包丁から磨けってな」
(やめろコバ――! 俺と同じようなセリフを吐くな、余計惨めになるわ!!)
 虚勢を張った先ほどの俺の発言と天然物のコバの発言がダダかぶりし、こちらにいるクラスメイトたちは余計に吹き出して大笑いする。俺にはもう()(すべ)がなかった。完敗だ。絶大なるオカンパワー、恐るべし。完全に出鼻をくじかれてしまった。
 おのれコバ、同じ釜の飯を作ったはずの俺に、堂々と反旗をひるがえしやがって。
(あ、焦るな、俺。大丈夫だ。料理だけにすべてを賭けているわけじゃない。漢気をアピールするチャンスなんて、いくらでもある……!)
 己を鼓舞し、再び俺は前を向く。このまま大人しく身内からの謀反で焼き討ちになどあってたまるものか。俺は本能寺が燃えても生還する武将だ。
(今度は別の方法で、由良へのアプローチを仕掛けてやるぜ……!)