◇

 ざわざわ――いつも騒がしい教室が、今日は一段と賑やかな気がする。
 席を移動し、各々が談笑し合う中、隣の席になったそいつの姿に、俺は小さくガッツポーズをした。
(いよっしゃァァ、由良の隣ゲットォ!!)
 俺は見事、由良の隣の席を勝ち取ったのだ。厳密にはめちゃめちゃ強引に奪取した、と言った方が正しいかもしれない。席替えのクジに細工をして、由良の隣になるべく画策したのだから。
(くっくっく、計画通りだ。案外チョロかったぜ。夜更かしして計画を練った甲斐があったってもんよ)
 口元を手のひらで隠し、悪役さながらの表情でほくそ笑む俺。隣を(いち)(べつ)すれば、どこか緊張しているように見える由良が俯いている。
 この席をゲットするのは、意外と簡単だった。
 名前が『ゆ』で始まる由良は、出席番号が一番最後で、席も一番奥にある。順番通りにクジを引かせれば、おのずと最後にクジを引くことになるのだ。だから俺は、小箱の内部に人数分あるはずのクジの紙を、二枚だけこっそり抜いておいた。
 ひとつは由良の分。そして、もうひとつは俺の分だ。
 隣同士になれるペアの番号を持っておいて、俺は自分の順番が来ると、クジを引くふりをするだけ。そして由良がクジを引く番になったら、「先生ごめん、俺間違えて二枚引いちゃってた」と適当な嘘をついて、由良の分のクジを箱に戻すだけの簡単なお仕事だ。
 由良はもちろん、そのクジを引く。
 それは俺の隣になる番号が書かれた紙。
 こうして、無事に隣の席同士になれる――という仕組みである。
(まさか、こんなトントン拍子にうまくいくとはな。なんか先生ちょっと怪しんでたけど、曇りなき目で見つめて堂々としてたらなんとかなったぜ。ふっ、さすが俺だ。これでだいぶ接点が作りやすくなった)
 密かに調子に乗りながら、隣の由良を覗き見る。すると由良も俺を見ていたようで、うっかり目が合い、カッと頬が熱を帯びる。
(うお! やべ! 不意打ちの流し目ビームはやめろ! 胸キュンで心臓発作になるだろうが!)
「……杉崎くん、体調よくなった?」
「へ? 体調?」
 小声で問いかけられ、俺はなんのことだろうかと思案した。
 ほどなくして、今朝の意味不明なやり取りのことを心配しているのだろうと理解し、頬が引きつる。
「あ、ああ〜、あれね! 大丈夫! 今朝は心配させちゃってごめん、気にしないで〜!」
「あ、うん……大丈夫なら、いいんだけどさ……」
「それより、俺ら隣の席じゃーん! これからよろしく! 気軽に『真生』って呼んでよ、由良くん!」
 ギュッ。俺はまとわりつく恥じらいを強引に投げ捨て、勢いのまま由良の手を握る。
 唐突な握手に由良は息を詰め、言葉を呑み込んだ。一方、俺は余裕のある態度を崩さない。朝の反省点をふまえ、臆さず接することで、失いかけていたプライドを取り戻そうと決意したのだ。
(ふっ……朝はテンパったが、俺はもう冷静だ。いつでもお前の告白を受け取ってやるぞ、由良……!)
 闘争心にも似た何かをメラメラと燃やしていれば、由良も俺の手を握り返し、やんわりと微笑む。
「うん。仲良くしてね。真生くん(・・・・)
 ブワァッ――一瞬、由良の背に後光が差し、巨大な羽が広がったように見えた。ついでに名前を呼びかけられただけで心臓に強烈な衝撃まで覚えた。とんでもない光度の尊さを直視した俺は思わず椅子から転げ落ちそうになるが、震える声で負けじと由良を口説き始める。
「ゆ、由良くんって、すっげー色白いね。指も細いし。ピアノとかやってた? 綺麗な手してんじゃん」
「えっ? そうかな? ピアノとかは、全然やってないけど……」
「そうなんだ〜、似合いそうなのに。てか、すっごい顔整ってるよね」
 さりげなく容姿を褒めると、由良は照れくさそうにはにかんだ。
「いや、大袈裟だよ……。むしろ、真生くんの方が似合うんじゃない?」
 由良はそう言い、俺の手を持ち上げ、つう、と指を滑らせる。
 驚いた拍子に「ひぇ!?」と声を裏返して目を見張ると、由良は俺の手にさりげなく自分の手のひらを重ね、指の隙間から覗くようにこちらを見た。
「……ほら。真生くんの方が、手、おっきい」
 ――バッッッキュンッ!!
 (せつ)()、先ほどよりも強烈な衝撃に胸をうがたれた俺は、ふらりとよろけて意識を失いかける。しかし気力を振り絞って今回もなんとか持ち堪え、奥歯を噛んで平静を保った。
(なんっっだそれぇぇ!! お前ふざけんな、可愛いが過ぎるぞ!! キュンどころかバキュンって音したわ!!)
 カウンターで放たれた規格外のあざとさに胸を撃ち抜かれ、内心悶絶して瀕死に陥る。すると、そんな俺の熱を冷ますかのように、耳馴染んだ声が会話に割り込んできた。
「あれ、真生。お前、また近くの席かよ」
「えっ」
 不意に声をかけてきたのは、説教野郎のコバだ。彼は俺の左隣の椅子を引き、当たり前にその席に座る。
 その瞬間、嫌な予感がした。
「……コバ……もしかして……お前の席、ここ?」
「そうだけど」
 頷く友。俺はひくりと頬を引きつらせ、頭を抱える。
 マジかよ。俺の左隣、コバなのかよ。右隣は由良だ。つまり、俺は、コイツらの間に挟まれる形でしばらく授業を受けるということになる。普通に考えたら良い席順なのかもしれない。だが、相手がコバだと少々まずい。
 だって、このクソ真面目の説教マシーンが隣の席なんだぞ? 授業態度や生活態度、箸の持ち方や座る姿勢に至るまで、ありとあらゆる細かい指摘が口うるさく飛んでくることぐらい想像がつく……!
(や、やべえ! せっかく好きな子と隣になれたのに、ついでに口うるさい母ちゃんまでセットで隣になったようなもんだ! 由良に見られながら母ちゃんに説教されるとか、マジで無理! めっちゃ恥ずい!)
 だらだらと嫌な汗をかき、俺はぎこちなく由良に視線を向けた。
 由良はなんとなく気を遣った表情をして、「あ、俺に無理して構わなくても大丈夫だよ」とやんわり遠慮する。
「真生くん、ありがとう。俺が緊張しないように話しかけてくれたんだよね。ごめん、気を遣わせちゃって」
(い、いや、違う! 俺はお前に告白してほしくて……!)
「あ……次、移動教室だ。それじゃあ、お先に」
 席替えの終了によって朝のホームルームも終わり、由良は逃げるように教科書を持って俺たちの元を離れていく。
 俺は露骨にショックを受け、由良とのイチャイチャを邪魔したコバを睨んだ。
(くそ、せっかく由良といい感じだったのに……! お前のせいだぞコバ!)
「灯のヤツ、せっかちだなぁ。あんなに急いで教室出ることねえのに」
(ちょっと待て、なんかお前ちゃっかり由良のこと下の名前で呼んでない!? 仲良いの!? ずるいぞ! おい!!)
 何気に由良のことを下の名前で呼ぶコバに密かな対抗心こそ抱いたものの、一応好きな人の隣の席は確保できたのだからと、俺は自分の心を落ち着かせる。
 フッ……まあ、大丈夫だ、焦ることはない。チャンスはいくらでもある。
気を取り直し、コバにほんの少しのジェラシーを抱えながら、俺は引き続き『由良から告られる』ための計画を練るのであった。