乙女の朝は早いと言うが、男の朝とて負けてはいない。
鏡の前で身だしなみをチェック。制服の下に着るインナーの色をあれこれ思案し、明るい金の髪をセットしたら、家を出る。
バッシュと制汗剤の入ったリュックを背負った俺は、春の匂いを運ぶ風に整えたばかりの髪を遊ばれながら軽い足取りで学校へ向かった。
例の計画はすでに始まっている。もはや天下は視野に捉えた。
これより俺は、迷えるホトトギスに自信をつけさせるため、告白アシスト大作戦を決行する!
「由良く〜ん」
ぽん。昇降口で靴を履き替えて早々、廊下を歩いていた華奢な肩にさりげなく手を置き、由良の背後から声をかける。
不意をつかれた野良猫のごとく大袈裟に飛び上がった由良は、「うぅわッ」と声を裏返しながら振り返った。そして、俺の顔を見るなり大きく目を見開く。
「っ……!?」
「おはよ」
「おっ……!? お、おは、よう……!?」
まるで芸能人にでも遭遇したかのような反応だ。露骨に動揺し、状況を理解できないという表情で目を泳がせる由良。
俺は口元を隠しながら密かに笑い、優越感にひたる。
(ふっふっふ……驚いてるな。そりゃそうか、俺のこと好きなんだもんな、由良よ)
ニヤつきそうになる顔を引き締め、クールなイケメンを装いながら脳内だけで調子づく。
俺の作戦は決行された。これこそが、由良に自信を付けさせるための策のひとつだ。
由良はおそらく、俺との普段の接点が多くないばかりに、いつまでも二の足を踏んだまま告白する勇気が出せずにいる。だったら、俺が自分から率先して話しかけてやることで、強制的に俺との距離を縮めさせて告白しやすくしてやればいい。
つまるところ、バスケと同じだ。チームプレイだ。
俺はパスを回す司令塔。由良をゴール下へと誘導し、俺のパスを受け取らせて、あとは万全の状態でシュートを打たせてやればいいだけ。フッ、完璧な作戦だ。ポジションがポイントガードである俺の本気のパス回しをナメるなよ。
(あとは適当に会話してりゃ、心の距離も縮まるはず。それ行け俺、いざ出陣ッ!)
脳内で〝愛〟のカブトをかぶった俺は、開戦の狼煙を上げる法螺貝を吹き、自信満々に由良と向き合う。……だが、愛の荒野へと走り出したはずの俺の愛馬は、思わぬ障壁に行く手を阻まれることとなった。
「…………」
「…………」
「……………………」
シーン――無情に流れる長い沈黙。互いに顔を見合わせているが、どちらも声を発さないまま、時が過ぎる。
それまで余裕をぶっこいていた俺の表情はこわばり、目が揺らいだ。
(あ、あれ……ちょっと待て。挨拶したのはいいけど、このあと、何を話せば……)
じわ、と背中が汗で湿っていく。腹の内側が冷えて臓器すら震えそうになる。
まずい。何も考えていなかった。とりあえず挨拶すりゃなんか会話始まるだろ、なんて安易にタカをくくっていたが、互いに無言だ。なんの話題も出てこない。
ダラダラと汗ばかりが噴き出して、目が泳ぐ。物言わぬまま時間は過ぎ、由良の表情も、徐々に訝しげなものへと変わっていく。
「あの、杉崎くん、どうかした? 俺に何か用があるんじゃ……」
「え? ああ、え、えっと……」
「……何? もしかして、こっそり動画撮ってたりとか、そういうの? ドッキリとか……」
(やっべえ! めっちゃ変な方面で疑われてる! なんか話題! 話題作らねえと!)
俺は盛大に焦り、テンパったまま適当に口を開いた。
「い、いや、ドッキリとかじゃないって! ほら、由良くんさあ、ええと……あっ、髪型変えた?」
「変えてないけど」
「変えてないよね! 分かる! 似合ってるぅ!」
「えぇ……?」
(なんだこのクソみたいな会話は!? 俺何してんの!?)
一人で暴走し、ぐるぐると目が回る。由良は明らかに怪しんでいて、俺も不自然な言動をしている自覚がしっかりとあった。
(まずい、今のところ、ただ挙動不審なとこを好きな子の前で晒してるだけだ! 自信付けさせる前に引かれるわ! なんか言えよ! いやでも何を言えばいいんですか!?)
話題がない!という緊急事態が発生し、急遽脳内サミットを開催した俺は、対・由良臨時委員会を立ち上げ、会話の出だしに最も相応しいワードの案を募って議論する。
『ごきげんよう』――不自然!
『ご趣味は?』――お見合いか?
『本日はお日柄もよく』――なんのスピーチ?
『宴もたけなわではございますが』――会話終わるぅぅ!!
俺の招集した脳内臨時委員会は揃いも揃ってポンコツばかりだった。全然使えん。即刻解散宣言を言い渡し、想像以上に自分の恋愛スキルがゼロなことを自覚して焦っていると、由良は心配そうにこちらを見る。
「……杉崎くん、大丈夫? なんか様子おかしいけど」
(全然大丈夫じゃねえよ、どう軌道修正したらいいんだこれ)
「体調悪いんじゃない? 顔も赤いし……」
問いかけられた途端、不意に由良の手がぴとりと額に触れる。好きな子に触れられた俺の緊張は極限にまで跳ね上がり、つい「うわああ!?」と叫んで後ずさってしまった。
「えええ!?」
由良もまた肩を震わせ、手を引っ込めて後ずさる。
「な、何っ!? ごめん!」
「いやっ、違っ、あ、あ、汗かいてるから……! あんま触んない方が、あはは……!」
「ええぇ……? あ、あのさ、杉崎くん、やっぱり様子がちょっと変だと思うんだけど、本当に大丈夫? 一度、保健室行こうよ。ちゃんと熱測らないと」
由良は本気で心配そうにこちらを見上げ、俺の手を握り取った。その瞬間、ただでさえ極限状態だった〝ド緊張バロメーター〟が限界突破して跳ね上がる。
(手っ、握られっ……手ぇぇ!)
先ほど後ずさった分の距離を詰められ、さらに俺の方へと身を乗り出してくる由良。
長めの黒い前髪に隠れがちな目は大きく、くっきりと二重のラインが入っていて、まつ毛も長い。俺は背が高い方ではないが、由良の方がもっと小柄だ。同じ男とは思えないぐらいに華奢で、指も細くて、色も白いし、なんかいい匂いまでするし――つまり可愛い! だから全然直視できない! どうしよう! 助けて!!
(く、くそ〜〜! 全軍撤退! 撤退だ! 今すぐ拠点へ退避せよ!!)
脳内で自分自身に退却命令を下した俺は、「だ、大丈夫だから! じゃあな!」と適当にまくし立て、由良の元を離れようとした。だが、由良は再び俺の手を捕まえる。
「こら」
思いのほか強い力で引き寄せられ、ずいっと顔が接近した。至近距離に唇が近付き、真剣な目をしている由良が、俺の瞳をまっすぐ射貫く。
「逃げちゃダメでしょ」
耳元で囁かれた直後、ひゅ、と思わず息が詰まった。
これまで、か弱い美少女だとすら思っていた可憐な由良が、低い声で、強い力で、雄々しく、堂々と、俺の行動を制している。
よく見れば骨張っている手。凛とした瞳。薄い唇はへの字に曲がり、喉仏だってくっきりと見えた。
俺は硬直し、頬にせり上がる熱を知覚する。やがて肩をわななかせ、言葉を絞り出した。
「そ……」
「そ?」
「――そんなギャップはズルいじゃんかよッ!!」
唐突なギャップ萌えに耐えきれず絶叫した俺は、由良の拘束を振り切って結局逃走する。
ぽかんとしている由良を残し、みすみす逃げ帰ってきた俺。ほどなくして適当な空き教室に飛び込んだあと、頭を抱え、反省会を開催する羽目になった。
「俺、マジ何してんの……?」
あまりに散々な結果に絶望しかできない。コミュ力には自信があるつもりだったが、まさか恋愛感情が絡むとここまでポンコツになるだなんて、まったく想定していなかった。
よく考えてみれば、俺には恋愛経験がほとんどない。自分から誰かにアプローチをしたことなどないし、ずっと部活一筋で生きてバスケ以外に見向きもしてこなかった。そう、つまり俺は、恋愛の始め方なんて何も知らない――その結果が、今回の体たらくである。
(ど、どうしよ、由良に引かれたかも……。いや、でも、由良は俺のことが好きなはずだ! 大丈夫! きっと大目に見てくれる! 多分!)
強引に自分に言い聞かせ、落ちたモチベーションを立て直す。
今のは、あくまで第一段階。計画はまだまだ序の口だ。
「お、落ち着け、次こそうまくやればいいだけだ。急いで〝アレ〟の準備をしねえと……」
俺は自身の両頬を叩いて気合いを入れ、空き教室を出て職員室に向かう。
背負っていたリュックから取り出したのは、俺が夜なべして作った簡易的なクジ引き。
スライド式の扉をガラリと開けた俺は、担任教師を見つけ出し、まっすぐデスクに向かって言い放った。
「先生! 今日、席替えしよ!」
鏡の前で身だしなみをチェック。制服の下に着るインナーの色をあれこれ思案し、明るい金の髪をセットしたら、家を出る。
バッシュと制汗剤の入ったリュックを背負った俺は、春の匂いを運ぶ風に整えたばかりの髪を遊ばれながら軽い足取りで学校へ向かった。
例の計画はすでに始まっている。もはや天下は視野に捉えた。
これより俺は、迷えるホトトギスに自信をつけさせるため、告白アシスト大作戦を決行する!
「由良く〜ん」
ぽん。昇降口で靴を履き替えて早々、廊下を歩いていた華奢な肩にさりげなく手を置き、由良の背後から声をかける。
不意をつかれた野良猫のごとく大袈裟に飛び上がった由良は、「うぅわッ」と声を裏返しながら振り返った。そして、俺の顔を見るなり大きく目を見開く。
「っ……!?」
「おはよ」
「おっ……!? お、おは、よう……!?」
まるで芸能人にでも遭遇したかのような反応だ。露骨に動揺し、状況を理解できないという表情で目を泳がせる由良。
俺は口元を隠しながら密かに笑い、優越感にひたる。
(ふっふっふ……驚いてるな。そりゃそうか、俺のこと好きなんだもんな、由良よ)
ニヤつきそうになる顔を引き締め、クールなイケメンを装いながら脳内だけで調子づく。
俺の作戦は決行された。これこそが、由良に自信を付けさせるための策のひとつだ。
由良はおそらく、俺との普段の接点が多くないばかりに、いつまでも二の足を踏んだまま告白する勇気が出せずにいる。だったら、俺が自分から率先して話しかけてやることで、強制的に俺との距離を縮めさせて告白しやすくしてやればいい。
つまるところ、バスケと同じだ。チームプレイだ。
俺はパスを回す司令塔。由良をゴール下へと誘導し、俺のパスを受け取らせて、あとは万全の状態でシュートを打たせてやればいいだけ。フッ、完璧な作戦だ。ポジションがポイントガードである俺の本気のパス回しをナメるなよ。
(あとは適当に会話してりゃ、心の距離も縮まるはず。それ行け俺、いざ出陣ッ!)
脳内で〝愛〟のカブトをかぶった俺は、開戦の狼煙を上げる法螺貝を吹き、自信満々に由良と向き合う。……だが、愛の荒野へと走り出したはずの俺の愛馬は、思わぬ障壁に行く手を阻まれることとなった。
「…………」
「…………」
「……………………」
シーン――無情に流れる長い沈黙。互いに顔を見合わせているが、どちらも声を発さないまま、時が過ぎる。
それまで余裕をぶっこいていた俺の表情はこわばり、目が揺らいだ。
(あ、あれ……ちょっと待て。挨拶したのはいいけど、このあと、何を話せば……)
じわ、と背中が汗で湿っていく。腹の内側が冷えて臓器すら震えそうになる。
まずい。何も考えていなかった。とりあえず挨拶すりゃなんか会話始まるだろ、なんて安易にタカをくくっていたが、互いに無言だ。なんの話題も出てこない。
ダラダラと汗ばかりが噴き出して、目が泳ぐ。物言わぬまま時間は過ぎ、由良の表情も、徐々に訝しげなものへと変わっていく。
「あの、杉崎くん、どうかした? 俺に何か用があるんじゃ……」
「え? ああ、え、えっと……」
「……何? もしかして、こっそり動画撮ってたりとか、そういうの? ドッキリとか……」
(やっべえ! めっちゃ変な方面で疑われてる! なんか話題! 話題作らねえと!)
俺は盛大に焦り、テンパったまま適当に口を開いた。
「い、いや、ドッキリとかじゃないって! ほら、由良くんさあ、ええと……あっ、髪型変えた?」
「変えてないけど」
「変えてないよね! 分かる! 似合ってるぅ!」
「えぇ……?」
(なんだこのクソみたいな会話は!? 俺何してんの!?)
一人で暴走し、ぐるぐると目が回る。由良は明らかに怪しんでいて、俺も不自然な言動をしている自覚がしっかりとあった。
(まずい、今のところ、ただ挙動不審なとこを好きな子の前で晒してるだけだ! 自信付けさせる前に引かれるわ! なんか言えよ! いやでも何を言えばいいんですか!?)
話題がない!という緊急事態が発生し、急遽脳内サミットを開催した俺は、対・由良臨時委員会を立ち上げ、会話の出だしに最も相応しいワードの案を募って議論する。
『ごきげんよう』――不自然!
『ご趣味は?』――お見合いか?
『本日はお日柄もよく』――なんのスピーチ?
『宴もたけなわではございますが』――会話終わるぅぅ!!
俺の招集した脳内臨時委員会は揃いも揃ってポンコツばかりだった。全然使えん。即刻解散宣言を言い渡し、想像以上に自分の恋愛スキルがゼロなことを自覚して焦っていると、由良は心配そうにこちらを見る。
「……杉崎くん、大丈夫? なんか様子おかしいけど」
(全然大丈夫じゃねえよ、どう軌道修正したらいいんだこれ)
「体調悪いんじゃない? 顔も赤いし……」
問いかけられた途端、不意に由良の手がぴとりと額に触れる。好きな子に触れられた俺の緊張は極限にまで跳ね上がり、つい「うわああ!?」と叫んで後ずさってしまった。
「えええ!?」
由良もまた肩を震わせ、手を引っ込めて後ずさる。
「な、何っ!? ごめん!」
「いやっ、違っ、あ、あ、汗かいてるから……! あんま触んない方が、あはは……!」
「ええぇ……? あ、あのさ、杉崎くん、やっぱり様子がちょっと変だと思うんだけど、本当に大丈夫? 一度、保健室行こうよ。ちゃんと熱測らないと」
由良は本気で心配そうにこちらを見上げ、俺の手を握り取った。その瞬間、ただでさえ極限状態だった〝ド緊張バロメーター〟が限界突破して跳ね上がる。
(手っ、握られっ……手ぇぇ!)
先ほど後ずさった分の距離を詰められ、さらに俺の方へと身を乗り出してくる由良。
長めの黒い前髪に隠れがちな目は大きく、くっきりと二重のラインが入っていて、まつ毛も長い。俺は背が高い方ではないが、由良の方がもっと小柄だ。同じ男とは思えないぐらいに華奢で、指も細くて、色も白いし、なんかいい匂いまでするし――つまり可愛い! だから全然直視できない! どうしよう! 助けて!!
(く、くそ〜〜! 全軍撤退! 撤退だ! 今すぐ拠点へ退避せよ!!)
脳内で自分自身に退却命令を下した俺は、「だ、大丈夫だから! じゃあな!」と適当にまくし立て、由良の元を離れようとした。だが、由良は再び俺の手を捕まえる。
「こら」
思いのほか強い力で引き寄せられ、ずいっと顔が接近した。至近距離に唇が近付き、真剣な目をしている由良が、俺の瞳をまっすぐ射貫く。
「逃げちゃダメでしょ」
耳元で囁かれた直後、ひゅ、と思わず息が詰まった。
これまで、か弱い美少女だとすら思っていた可憐な由良が、低い声で、強い力で、雄々しく、堂々と、俺の行動を制している。
よく見れば骨張っている手。凛とした瞳。薄い唇はへの字に曲がり、喉仏だってくっきりと見えた。
俺は硬直し、頬にせり上がる熱を知覚する。やがて肩をわななかせ、言葉を絞り出した。
「そ……」
「そ?」
「――そんなギャップはズルいじゃんかよッ!!」
唐突なギャップ萌えに耐えきれず絶叫した俺は、由良の拘束を振り切って結局逃走する。
ぽかんとしている由良を残し、みすみす逃げ帰ってきた俺。ほどなくして適当な空き教室に飛び込んだあと、頭を抱え、反省会を開催する羽目になった。
「俺、マジ何してんの……?」
あまりに散々な結果に絶望しかできない。コミュ力には自信があるつもりだったが、まさか恋愛感情が絡むとここまでポンコツになるだなんて、まったく想定していなかった。
よく考えてみれば、俺には恋愛経験がほとんどない。自分から誰かにアプローチをしたことなどないし、ずっと部活一筋で生きてバスケ以外に見向きもしてこなかった。そう、つまり俺は、恋愛の始め方なんて何も知らない――その結果が、今回の体たらくである。
(ど、どうしよ、由良に引かれたかも……。いや、でも、由良は俺のことが好きなはずだ! 大丈夫! きっと大目に見てくれる! 多分!)
強引に自分に言い聞かせ、落ちたモチベーションを立て直す。
今のは、あくまで第一段階。計画はまだまだ序の口だ。
「お、落ち着け、次こそうまくやればいいだけだ。急いで〝アレ〟の準備をしねえと……」
俺は自身の両頬を叩いて気合いを入れ、空き教室を出て職員室に向かう。
背負っていたリュックから取り出したのは、俺が夜なべして作った簡易的なクジ引き。
スライド式の扉をガラリと開けた俺は、担任教師を見つけ出し、まっすぐデスクに向かって言い放った。
「先生! 今日、席替えしよ!」

