「――好きです!」
春の放課後、閉じたまぶたの裏側で、微睡みの底にあった俺の意識が花開く。
軽音楽部の部室から聴こえるギターのチューニング音に導かれ、目を覚ました俺――杉崎真生の耳が拾い上げたのは、鼓膜の奥がむず痒くなるような、飾りっけのない愛の言葉だった。
どうやら、今、俺は告白されたらしい。
……保健室のベッドの上で。
(……ん? んんっ?)
起き抜け早々、唐突に舞い込んだ愛の告白。しかし、俺はまだベッドに横になっている。頭の中はハテナでいっぱいだ。意識はしっかり覚醒しているが、ひとまずまぶたは閉じたまま、寝たフリに徹して現状把握に努める。
今のはなんだ? 俺の聞き間違いか? あ、もしかして、まだ夢の中とか?
自問自答を繰り返し、たぬき寝入りを継続しつつ、薄目を開いて周囲の状況を確認する。
こんな状況で告白だなんて、いったいどこの誰が――。
「うーん……ただ〝好きです〟って言うだけだと、シンプルすぎるか……。でも、他になんて言えば……」
ぶつぶつ、か細くこぼれる独り言。狭めた視界に映ったその人物に、俺は驚愕する。
(えっ……由良!?)
眠っている俺に告白したのは、クラスメイトの由良だった。
由良灯――今年から同じクラスになった男子生徒で、保健委員。そして、なんと、俺が密かに想いを寄せている人物でもある。
どうやら俺は、自分の好きな人からの告白を受けていたらしい。
(……いや、マジか?)
とんでもない状況に、眠気などとうに吹っ飛んでいた。嬉しい。とにかく嬉しい。両思いじゃん、俺ら!
(これ、ちゃんと現実だよな? うわああ、やった! 信じらんねえ! そうだ、返事、急いで返事しないと……でもこれ、どのタイミングで起きりゃいいんだ? もう起きていいの?)
密かに歓喜するが、起きるタイミングが分からない。ひとまず寝たフリを続けたまま頃合いを見計らっていると、再び由良は口を開く。
「あなたが好きです!」
(あっ、はい! 俺も好きです! 今だ、起きよう!)
「うーん、違うな」
(何ぃっ!?)
いざ起きるぞ!と決意した途端、突然「違う」と言われ、再びタイミングを見失った俺はいまだ微動だにせずベッドの上。
なんだ。どういうことなんだ由良。今の何が違ったんだ、教えてくれ。
ドキドキしながら息を殺す中、由良は引き続き告白した。
「ずっと好きでした! 同じクラスになれて嬉しいです! お友達からどうぞよろしくお願いします!」
(あっ、今度こそ! はい! ぜひ! 俺、起きます!!)
「いや、これも違う……噛みそうだし……」
(ええ……!?)
「あなたを愛しています! 俺と将来を見据えて真剣に交際してください! 好きです!」
(はいはい、はぁい!! 分かったってぇ!! 喜んでッ!!)
「違う、これじゃ重すぎる……全然ダメだ……」
(おいコラァ!! いい加減にしろよ! 俺どのタイミングで起きりゃいいんだよ!!)
度重なる「違う」に怒りすら感じていると、由良は深いため息を吐き出す。
「はあ……寝てる人を相手に、告白の練習なんて……バレたら絶対引かれるよな……」
小さく嘆き、肩を落とす由良。その呟きをこっそりと耳で拾い上げていた俺は、ようやくコイツの目的を理解した。
どうやら由良は、俺を相手に、告白の〝練習〟をしていただけらしい。
(は、はあぁ? なんだよそれ? じゃあ、俺は今、ただの練習台にされてるだけか? ってことは、他に好きな人いんのかよお前! おい! そいつ誰だ! 誰に告白するつもりだ!?)
「真面目にバスケしてる姿が好きです、俺とお付き合いしてください!」
(やっぱ俺じゃねーか!! 俺バスケ部なんですけど!? これ俺のことだろ!?)
取り組んでいるスポーツまで一致しており、どう考えても自分のことだろうとしか思えないが、まだ確証がない。
さっさと飛び起きて由良の告白にオーケーしたい、と気持ちは先走るものの、もし勘違いだったらとんだ赤っ恥をかくことになる。せめて、誰のことなのか名前を言うまでは様子を見ないと――なんて考えていると、今度は保健室の扉が音を立てて開いた。
「ただいまー」
(げっ!)
「由良くん、ごめんねー。職員会議が長引いちゃって〜」
保健室に入ってきたのは養護教諭だ。彼女が帰ってきたせいで由良の告白が途切れてしまい、俺は心の中で密かに「ああああ!」と叫ぶ。
(おいおいおい! 先生、何してくれてんだよ! なんちゅータイミングで帰ってきてんだ、由良の好きな人の名前聞きそびれたじゃねーか!)
「あら、杉崎くんったら、また来てるの? 堂々とベッド占領してるけど」
「あ、ああ〜、えっと、そうみたいですね……疲れてるのかなあ……あはは……」
「どうせまたサボりでしょ? 叩き起こしましょ」
先生は呆れたように言い、俺を起こそうと近寄ってくる。由良はあからさまに狼狽え、「あ、あの、俺はそろそろ帰ります!」と焦った様子で声を張った。
すると先生は立ち止まり、きょとんとしながら由良へ視線を送る。
「あら、もしかして急いでた? ごめんね、長く待たせちゃって」
「い、いや、それは大丈夫です! ええと、ほら、飼い猫に餌をやる予定があって……あはは……」
「まあ、そうなの。気をつけて帰るのよ」
「は、はい。失礼します……」
由良は不自然な理由を並べ立て、バタバタと保健室を出ていく。由良が立ち去ってしまったことを理解した俺は、あからさまにショックを受けて頭を抱えた。
(なんてこった……由良帰っちゃったじゃん……結局お前の好きなヤツって誰なん……)
一人で落胆する一方、先生はツカツカとこちらに歩み寄り、俺の毛布をひっぺがす。
「ほら、起きなさい、杉崎くん!」
「ぎゃー! 先生のえっち!」
「何がえっちよ、このサボり魔! いつまでもダラダラして! ここは休憩所じゃありませんって何度言ったら分かるの!」
「いやん、ひどいわ! そうやって俺のことを捨てるつもりなのね!」
「その通りよ! ほら、ベッドから出なさい!」
べしんっ。
先生とコントのようなやり取りをしたあと、バインダーで頭を叩かれた。
俺は渋々起き上がり、乱れた金髪を手ぐしで整えながら唇を尖らせる。市販のカラー剤で染め直したばかりのこの髪も、先生のため息を増加させる材料だ。
「はあ〜、またそんな派手な色に髪染めちゃって。内申点に響くわよ」
「まだ二年だし、大丈夫っしょ〜? 髪色の規定ってないし、うちの高校」
「規定はなくても、学生は学生らしい落ち着いた髪色にしなさいって言ってんの」
「んも〜、お堅いなあ〜」
今度はこちらが肩をすくめる番だった。俺は素行不良の問題児ではないが、人の言うことをよく聞く品行方正な優等生でもない。教師陣から呆れられるのはいつものことである。
書類がいくつか散らばったデスクの上にバインダーを置いた先生は、キャスター付きの椅子に腰を下ろして足を組んだ。
「まったく。毎週毎週、水曜になったらここでサボってるんだから。由良くんが困っちゃうでしょ? あの子、水曜日の担当なんだから」
(まあ、俺はその由良くん目当てで水曜日の保健室に通ってんだけどね)
「あなた、水曜日以外はちゃんと部活に行ってるの? 中学時代は強豪チームのキャプテンだったんでしょう、だったら少しはしっかりしなさいよ。サボってばっかりいるんじゃ、バスケ部のレギュラーなんて取れないわよ」
ちくちく続く小言の中で、何気なく放たれた先生の言葉。それはツンと胸に刺さるようで、俺は何もない虚空へと視線を逃がした。
「……レギュラーなんか、取ったところで意味ねーし」
「ん? 何?」
「別に! じゃ、俺は先生のお望み通りに部活行くんで!」
やや投げやりに言えば、先生はまた小さく息を吐いた。
俺は部活道具の入ったリュックを掴み、保健室を出ていく。気だるい足取りで体育館へと向かう俺の口からは、「あーあ」と無意識のうちに声が漏れていた。
バスケ部に所属している俺は、本来、この時間はすでに部活動の真っ最中。だが、水曜日の放課後だけは、先ほどのように保健室に入り浸っている。
理由は簡単。そこに由良――好きな人――がいるからだ。
毎週水曜日の放課後は、先生たちの会議がある。そしてその間、由良は保健室で一人、先生の留守を任されているのである。俺はそのわずかな時間を狙って保健室を訪れ、由良と二人きりになっていた。
とはいえ、特に会話とかはない。口説いたりすることも、何かアプローチを仕掛けたりするようなことも、今までまったくなかった。
俺は男で、アイツも男。普通は言い寄られても迷惑なだけだろう。両思いになろうだなんて、これっぽっちも考えていなかったのだ。
……ついさっきまでは。
(さっきの告白がマジで俺のことなら、色々と話が変わってくるんだが)
そわそわと落ち着かない胸。遠足前の小学生並みに浮き足立っているのが自分でも分かる。だが、好きな人からあんな言葉を浴びせられて、冷静でいられる高校生がいるか? いや、いない。
結局、由良が誰を想定して告白の練習をしていたのかまではハッキリと分からなかったが、同じクラスで、バスケ部に所属している――そんな人間、ほぼ自分で間違いない。九割九分、完全に俺。そう都合よく解釈してしまう。
少なくとも、相手が男であることだけは確かだ。男女比が男子側に偏りすぎているウチの高校には〝女子バスケ部〟なんて存在していないのだから。
(いや、両思いじゃん。これ。間違いなく)
期待が膨らみ、ついニヤけそうになる頬を引き締める。
部活前の億劫さすらもどこかへ吹き飛び、俺は弾むような足取りで、体育館へと歩いていった。

