翌日も花は学校に来なかった。何事もなかったかのように選択音楽の授業をやりすごし、ホームルームの時間を待つ。
ホームルーム、橘が教室に入ってくる。変に身構えているのもおかしいので、適当にタブレットで単語帳アプリを回し、橘とは目を合わせないようにした。
「皆さん、スマートフォンを出していただけますか?」
橘は嫌われてはいるけれど、オーラは健在で橘が話し始めると一瞬は注意を向ける。というより、どうしてもそちらを見てしまう。指示に従うかどうかは別として。
「私を盗撮した動画が出回っているようなので削除をお願いします。特に浅沼さん、グループトークに載せたものだけではなくマスターデータも消してくださいね」
名指しされたことで蘭が反応する。
「え、何のことかわかんないです」
蘭がわざとらしくとぼける。
「そうですか。ではわかりやすく言いますね。一昨日踊り場で私を盗撮した動画があるでしょう。それを消してくださいと言っています。あなたが余計なことをしたせいで、相川君が私を『ロリコンババア』と侮辱しているようですので」
「井上のやつ、チクりやがったのかよ」
相川が花が橘に言いつけたと勘違いして怒りを見せた。
「今は情報源の話はしていません。動画を消して誹謗中傷をやめてくださいと言っているんです。これ以上迷惑行為を続けるなら、肖像権の侵害で浅沼さんを訴えます」
「は?」
今度は蘭が反応した。無理もない。私も想定外だ。私は昨日「花へのいじめ」を匿名告発したはずなのに、蘭の罪状はいつの間にか「橘に対する肖像権侵害」になっている。
「訴えるとか意味わかんないんだけど」
「そのままの意味です。弁護士に今回の件を相談して、浅沼さんと法廷で戦うという意味です」
「いや、ほんとに意味わかんない! 生徒脅すとか、ありえない。盗撮よりも脅迫の方が罪重いんじゃないの? 知らないけど」
「そうですね。裁判を起こすつもりもないのに訴えると言うのは犯罪になります。でも、私は本気ですので。学校内の問題にすると有耶無耶になりかねませんし、私に有利な結論が出たらどうせ浅沼さんは私がコネ娘だからだと思うでしょう? それなら
公正な裁判官に判断を仰ぐ方が合理的だとは思いませんか?」
「いや、この大事な時期に教え子訴えるとかやばすぎでしょ」
「大事な時期にこんなくだらないことをしたのはあなたです。もう一度言います。ハッタリではありません」
冷たい目で橘が言う。蘭がたじろいでいる。
「やっぱあんた教師としておかしいよ。普通こういう時ってまず花に対する悪口とかの方を注意するでしょ? なのにまず自分ってさ」
「もちろん井上さんにも盗撮と誹謗中傷であなたを訴える権利はありますよ。ただ、それを決めるのは井上さんですから。私が告訴できるのはあくまで私に対する加害だけです」
橘は蘭から教室全体に視線を映した。
「それと、私が今回の件を井上さんから聞いたと思っている人も多いと思いますが、実際誰が私に報告したかなんてわかりませんよね? 誰にでもできることですから」
周りの人がお互いをちらちらと見あっている。幸いにも私に視線が集まることはなかった。
「いつでも誰でもラインの内容を外に漏らすことはできるんです。言い換えれば、あなたたちの推薦が決まったとき、夢が叶ったとき、人前に立つ職業に就いたときに関係者や週刊誌に誰かが情報を売ることもあり得るということです。どうですか? 少しは危機感を持てましたか?」
初日と同じ張り詰めた空気が教室を包む。
「盗撮はもちろん、誹謗中傷も程度によっては侮辱罪や名誉棄損罪に問われます。裁判で負ければ、あなたが誹謗中傷を行ったという記録が未来永劫国に保管されます。もうすぐ皆さんは少年法の適応年齢も外れます。未来の自分が困るような生き方はやめましょう」
目を閉じれば容易にその光景が想像できる、そんな話し方だった。いつものホームルームのざわめきが嘘みたいに教室は静まり返っていた。
「では改めて言います。動画の削除のご協力をお願いします。井上さんを誹謗中傷している人は即座にやめるように。あなた自身の首を絞めることになりますので。ではホームルームを終わります」
初日と同じように、橘が話し終わるまで誰も私語をしなかった。教壇がまるで橘専用のステージになったかのように、私たちの視線を釘付けにした。そして、幕が下りると全員が一斉にスマホを操作し始めた。おそらく、昨日送られてきた動画を端末から削除しているのだろう。
蘭も例外ではなかった。橘に言われた通り、スマホを操作して動画を消した。しかし、それだけでは終わらなかった。
「普通、こういう時って井上さんの気持ちを考えましょうとか、そういう切り口で説教するもんじゃないの? 週刊誌とか警察が怖いからやめようみたいなの、叱り方としておかしくない? 不適切発言、外に漏れたらあんたの方がやばいんじゃないの?」
蘭もどちらかというと女優気質かつ女王様気質の人間だ。だからスクールカーストのトップにいるのだろう。でも、今の蘭はどう見ても小物だ。
「人の気持ちを考えろと言われて考えられる人は最初から盗撮も誹謗中傷もしません。私の倫理観に口出しする前に、あなた自身の倫理観を見直してくださいね」
完膚なきまでに論破された蘭が哀れに見えるほどだった。実際に、もう花を誹謗中する気は起らないだろう。誰が告げ口したのかも有耶無耶になった。結果として問題は解決した。下手な綺麗事を並べる教師よりもよっぽど有能だ。
「それと、私の発言をインターネットに晒されても結果として教師を辞めさせられても、皆さんが思っているほど私にダメージはないと思います。時間の無駄ですから、受験勉強なりアニメを見て演技の勉強なり、自分のために時間を使った方が有意義ですよ。大事な時期ですから」
蘭のプライドをオーバーキルして、ホームルームの攻防は終わった。橘優子の完全勝利だった。
ホームルーム、橘が教室に入ってくる。変に身構えているのもおかしいので、適当にタブレットで単語帳アプリを回し、橘とは目を合わせないようにした。
「皆さん、スマートフォンを出していただけますか?」
橘は嫌われてはいるけれど、オーラは健在で橘が話し始めると一瞬は注意を向ける。というより、どうしてもそちらを見てしまう。指示に従うかどうかは別として。
「私を盗撮した動画が出回っているようなので削除をお願いします。特に浅沼さん、グループトークに載せたものだけではなくマスターデータも消してくださいね」
名指しされたことで蘭が反応する。
「え、何のことかわかんないです」
蘭がわざとらしくとぼける。
「そうですか。ではわかりやすく言いますね。一昨日踊り場で私を盗撮した動画があるでしょう。それを消してくださいと言っています。あなたが余計なことをしたせいで、相川君が私を『ロリコンババア』と侮辱しているようですので」
「井上のやつ、チクりやがったのかよ」
相川が花が橘に言いつけたと勘違いして怒りを見せた。
「今は情報源の話はしていません。動画を消して誹謗中傷をやめてくださいと言っているんです。これ以上迷惑行為を続けるなら、肖像権の侵害で浅沼さんを訴えます」
「は?」
今度は蘭が反応した。無理もない。私も想定外だ。私は昨日「花へのいじめ」を匿名告発したはずなのに、蘭の罪状はいつの間にか「橘に対する肖像権侵害」になっている。
「訴えるとか意味わかんないんだけど」
「そのままの意味です。弁護士に今回の件を相談して、浅沼さんと法廷で戦うという意味です」
「いや、ほんとに意味わかんない! 生徒脅すとか、ありえない。盗撮よりも脅迫の方が罪重いんじゃないの? 知らないけど」
「そうですね。裁判を起こすつもりもないのに訴えると言うのは犯罪になります。でも、私は本気ですので。学校内の問題にすると有耶無耶になりかねませんし、私に有利な結論が出たらどうせ浅沼さんは私がコネ娘だからだと思うでしょう? それなら
公正な裁判官に判断を仰ぐ方が合理的だとは思いませんか?」
「いや、この大事な時期に教え子訴えるとかやばすぎでしょ」
「大事な時期にこんなくだらないことをしたのはあなたです。もう一度言います。ハッタリではありません」
冷たい目で橘が言う。蘭がたじろいでいる。
「やっぱあんた教師としておかしいよ。普通こういう時ってまず花に対する悪口とかの方を注意するでしょ? なのにまず自分ってさ」
「もちろん井上さんにも盗撮と誹謗中傷であなたを訴える権利はありますよ。ただ、それを決めるのは井上さんですから。私が告訴できるのはあくまで私に対する加害だけです」
橘は蘭から教室全体に視線を映した。
「それと、私が今回の件を井上さんから聞いたと思っている人も多いと思いますが、実際誰が私に報告したかなんてわかりませんよね? 誰にでもできることですから」
周りの人がお互いをちらちらと見あっている。幸いにも私に視線が集まることはなかった。
「いつでも誰でもラインの内容を外に漏らすことはできるんです。言い換えれば、あなたたちの推薦が決まったとき、夢が叶ったとき、人前に立つ職業に就いたときに関係者や週刊誌に誰かが情報を売ることもあり得るということです。どうですか? 少しは危機感を持てましたか?」
初日と同じ張り詰めた空気が教室を包む。
「盗撮はもちろん、誹謗中傷も程度によっては侮辱罪や名誉棄損罪に問われます。裁判で負ければ、あなたが誹謗中傷を行ったという記録が未来永劫国に保管されます。もうすぐ皆さんは少年法の適応年齢も外れます。未来の自分が困るような生き方はやめましょう」
目を閉じれば容易にその光景が想像できる、そんな話し方だった。いつものホームルームのざわめきが嘘みたいに教室は静まり返っていた。
「では改めて言います。動画の削除のご協力をお願いします。井上さんを誹謗中傷している人は即座にやめるように。あなた自身の首を絞めることになりますので。ではホームルームを終わります」
初日と同じように、橘が話し終わるまで誰も私語をしなかった。教壇がまるで橘専用のステージになったかのように、私たちの視線を釘付けにした。そして、幕が下りると全員が一斉にスマホを操作し始めた。おそらく、昨日送られてきた動画を端末から削除しているのだろう。
蘭も例外ではなかった。橘に言われた通り、スマホを操作して動画を消した。しかし、それだけでは終わらなかった。
「普通、こういう時って井上さんの気持ちを考えましょうとか、そういう切り口で説教するもんじゃないの? 週刊誌とか警察が怖いからやめようみたいなの、叱り方としておかしくない? 不適切発言、外に漏れたらあんたの方がやばいんじゃないの?」
蘭もどちらかというと女優気質かつ女王様気質の人間だ。だからスクールカーストのトップにいるのだろう。でも、今の蘭はどう見ても小物だ。
「人の気持ちを考えろと言われて考えられる人は最初から盗撮も誹謗中傷もしません。私の倫理観に口出しする前に、あなた自身の倫理観を見直してくださいね」
完膚なきまでに論破された蘭が哀れに見えるほどだった。実際に、もう花を誹謗中する気は起らないだろう。誰が告げ口したのかも有耶無耶になった。結果として問題は解決した。下手な綺麗事を並べる教師よりもよっぽど有能だ。
「それと、私の発言をインターネットに晒されても結果として教師を辞めさせられても、皆さんが思っているほど私にダメージはないと思います。時間の無駄ですから、受験勉強なりアニメを見て演技の勉強なり、自分のために時間を使った方が有意義ですよ。大事な時期ですから」
蘭のプライドをオーバーキルして、ホームルームの攻防は終わった。橘優子の完全勝利だった。



