神さまのための郷土料理亭はじめました

(お弁当、どこで食べよう……)

 周囲は、きらきらとした大学生活を送る。
 私は、モノクロな毎日を送る。
 人気の少ない講義室を探しながら、孤独に羞恥を感じてしまう自分に溜め息。
 友達と賑やかな休憩時間を過ごしても、一人で有意義な休憩時間を過ごしても、それは個人の自由。
 常に友達と一緒という生活を選んでも、好んで独りを選んでもいい環境が、時代が到来しているはずなのに。
 私は今日も、自分が独りだって知られないために行動する。

(独りを選んでも、格好悪いことはないはずなのに……)

 同じ大学に通う人たちと自分を比較してしまうと、あまりにも自分が惨めに思えてしまう。
 周囲と比較することで感じてしまう羞恥を打ち消すために、私は今日も独りを隠すための場所を探す。

「いただきます……」

 大学の屋上にはまったく人がいないわけではなかったけど、屋上はかなりの広さがある。
 写真や動画に残して置くことはできないって自信を持って断言できそうなくらい、空が青すぎる。
 真っ青な空から降り注ぐ太陽の光は、こんなにも強かったんだって驚かされる。

(美味しいご飯を食べる時間なのに……寂しい……)

 新潟県民は、宣伝やPRが下手だって言われることがある。
 その言葉の意味を大学生になって、ようやく身をもって学ぶ。
 自分を上手く売り込むことに失敗して、友達作りのタイミングを逃した私は、昨日も今日も新しくやって来る明日も独りぼっち。

(ちゃんと栄養、考えてるのに……)

 揚げ物を詰め込んでいるわけではなく、根菜たっぷりの煮物を詰め込んできた。
 大根やごぼう、蓮根といった類が醬油色に染まっていくのは仕方がない。
 でも、赤みが鮮やかで有名なにんじんまで元気がなさそうな色に見えてくる。言葉を失うって表現が相応しいくらい空の青と太陽の光で染め上げられた世界は綺麗なのに、茶色だらけのお弁当の中身は心の温度を異常なくらい奪い去ってしまう。

「人間さんが、お昼の時間だっ」
「煮物、おいしそうですね」

 視界に、大きな影が映り込む。
 真っ青な空に雲の姿は確認できなかったのに、お弁当箱に詰め込んだ煮物に夢中になっているうちに雲が流れてきたのかもしれない。

(誰の、声……?)

 真っ白な雲が太陽を覆い尽くしてしまったから、私の視界は陰ってしまった。
 そう思い込みたいのに、私の聴覚は子どもの声を拾い上げる。
 私が通っている大学に保育士や幼稚園教諭の免許を取るような学科はないはずなのに、さっきから甲高い子どもの声が私の鼓膜を叩く。

(この、子どもの声が聞こえているのは私だけ?)

 青空に支配されるくらいの広さを持つ屋上にいるのは私だけではないはずなのに、この子どもたちの声を誰も気に留めない。
 だったら、私の視界を埋め尽くしている黒い影の正体を知るために振り返るしかない。

「……あれ?」
「目が、合いましたね……」

 子どもたちの姿を確認しようと思って振り返っただけなのに、そこに広がっていた光景は屋上で無邪気にはしゃぐ子どもたちっていう和やかなものではなかった。

「えっと、人間さんの名前は……(おと)ちゃんだね!」
「音さん、すてきなお名前ですね」

 今日が、初めましてのはずなのに。
 私の名前なんて知らないはずなのに、彼女たちは私のことを呼ぶ。

「っ」

 私を覆い尽くすくらいの、大きな影。
 その正体は、空を真っ白に彩る雲なんて生易しいものではない。
 見た目は青い空を穏やかに漂う雲のように真っ白な犬に見えるのに、大きさが犬どころの話ではない。
 まるで天まで届いてしまうんじゃないかってほどの大きな存在が、私を見下ろしていた。

「耳がとがってて、真っ黒い毛が(しずく)っ」
「耳が少し丸っこくて、真っ白い毛並みが(みお)と申します」

 犬って表現が、そもそも分からない。
 馬鹿みたいに首を上に向けなければいけないくらい、巨大なもふもふに見守られている状態の私。
 屋上にいる誰かが悲鳴を上げても可笑しくない展開が襲っているはずなのに、私の元へと駆けつけてくれる人は誰もいない。

「雫たちはね、未来の神様こうほなのっ!」
「人間の世界のお勉強をしている最中、です」

 これからの学生生活も、何事も起こることなく平穏無事に終わらせたい。
 そう思う自分がいるのも本当で、これから何かが始まるかもしれないって期待感に身を任せてみたいと思うのも本当。
 どちらも本当の私。
 どちらも本当の気持ちだから、どう感情を処理していけばいいのか分からない。

「神様を目指している子たちのね」
「舌をまんぞくさせてくれる人間さんを、ずっと探していました」

 彼女たちは、空の青を纏うように振る舞った。
 それだけ、空との距離が近い場所に私たちはいるってこと。

保苅(ほかり)……保苅音(ほかりおと)です」

 空を背景にしたところで、人は空の青を纏うことなんてできるわけがない。
 それなのに、獣姿の彼女たちは広大な空の青に、自分たちの存在を溶け込ませることができる。
 私は未来の神様候補と知り合ってしまったから、彼女たちの美しさがより際立って見えるのかもしれない。

「でも、私……特別、料理が得意なわけでも……」
「大丈夫だよ」
「何が大丈夫……」
「そのお弁当、手作りですよね」

 彼女たちを、大きな大きなっていう表現すること自体が幼稚だってことに気づかされる。
 崇めるべき大きな存在が目の前にいるのに、声が可愛らしい子どものものとというギャップが心を少しずつ落ち着けるようにと促してくれる。

「これは、ただのお昼ご飯で……」
「お昼ご飯を食べるために、音ちゃんがご飯を作ったってことでしょ?」
「誰かが食事を作らないと、音さんはご飯を食べることができませんよ」

 今の時代は便利な調理家電がたくさん存在していて、料理初心者でも手軽に料理を始めることができる環境が整っている。

「音ちゃんの体、すっごくよろこんでるよ!」
「音さんが健康なのは、音さんがきちんとご飯を食べているからです」

 それでも私が面倒な過程から取り組んで、時間を費やして、自分が食べるための物を用意しているってことに二体の獣たちは気づいてくれた。

「……気づいてくれて、ありがとうございます」

 自分で作った食事に、自分の体が喜んでいるかなんて分からない。
 でも、私の体を包み込んでくれている二体の獣の温かさに心が喜んでいるのを感じた。
「おすすめのお店、紹介しますね」

 見上げた空の色は灰色で、なんだか彼女たちには相応しくない色をしているなって思った。

(しずく)さまと(みお)さまは、ここのジェラート屋さんは来たことがありますか?」

 ジェラート屋さんは私の高校時代と変わらず、高校生や大学生で賑わっている。
 近くには水族館があることもあって、平日でありながらも観光客らしい姿も見える。
 来店している客に変化はあっても、客層に変化がないことは私に安心感をもたらす。

「お店の食べ物を食べるの、はじめてだねっ」
「心が、すごくどきどきしています」

 天気予報で雨が降る予定はないらしいと知ってはいるけど、厚い雲に覆われた空を見ていると気持ちが重たくなってくる。
 でも、私の視界には眩しさってものが残っている。
 目の前にいる二体の獣は、決して空の色が暗いからって悲観的になったりしない。

「牛乳とプラムのダブルにしてみました」

 搾りたての牛乳がベースになっているって聞いたことがあって、しぼりたて牛乳ってメニューは高校時代から変わらぬ定番。

「プラムって、くだもの?」
「どんな味がするのでしょうか」

 雫さまと澪さまを犬と称していいのかは分からないけど、私に覆いかぶさるように寄り添ってくれるおかげで心がぽかぽかと温まってくる。
 雫さまと澪さまの柔らかな毛並みに包まれながら、私は二体にジェラートを渡すためにスプーンを差し込む。

「いただきます」

 いただきますの声が、重なる。
 周囲から存在を認識されないはずの神さまたちだけど、紙製のカップに盛りつけられたジェラートは雫さまと澪さまの口の中へと運ぶ。

「つめた~い」

 犬? かどうかは分からないけど、犬のような見た目の雫さまの口角が自然と上がっていく。

(料理のプロが、神さまたちの食事を担当してもいいはずなのに……)

 神さまは食のプロを選ばずに、私のようなごく平凡な大学生活を送る私を選んだ。

「神さまは、人間に親しみを持ちたいのかもしれませんね」

 人は巡り合って、私たちは一つの関係を築いていく。
 人と神さまを同じに考えてはいけないかもしれないけど、神さまだって神になる前に関係を築くことの大切さを知りたいのかもしれない。

「雫もね、人間さんと、いっぱいお話したかったの!」
「澪もですよ! 澪も、人間さんと言葉を交わしてみたかったです!」
「私も、同じことを思っていました」

 二体は人間ではないけれど、言葉を交わすことの大切さを教えてもらう。

(誰もが幸せになりたいから、神様に手を伸ばす……)

 周囲の人たちからは存在を認識されない二体の温度を感じるために、指を伸ばす。
 すると、雫さまも澪さまも、柔らかい笑みを浮かべて私と視線を交えてくれた。

「音ちゃんが、神さまの輪の中に加わってくれたからね」
「私たちの世界は、大きく変わることができました」

 おかげで私の心は彼女たちの優しさで満たされていって、ちょっとした強さのようなものを手に入れることができたような気がしてしまう。

「世界が変わらなかったら、世界は同じ景色しか見せなくなっちゃいますからね」
「音ちゃん、きれいな言葉使うね」
「どこかの誰かが考えた言葉を、おぼろげに覚えているだけです」
「どこかで聞いたことがあるってところが、すてきなけいけんだと思います」

 こんなタイミングで、一人と二体は揃って笑った。
 二体の真っ白な獣を、ジェラート屋さんを訪れている人たちは視ることができない。でも、私は、確かな体温あるものに包まれている。

(こんなに賑やかなの、久しぶりかも)

 私は、神さまに守られている。
 そう実感できるくらい、雫さまと澪さまから伝わってくる体温がとてもあたたかい。

(雫さまと澪さまみたいに、もっと勇気を出せたら……私の世界は変わってたかな)

 雨は降ってこないけれど、空は今も灰色の姿を見せる。

(でも、私は、勇気を出すことができなかった)

 彼女たちと出会った日の、あの青には、もう二度と会えないのかなって思ってしまうくらい、空が暗い。
 それだけ憂鬱な思考へと誘う曇り空に、なるべく口角を上げた綺麗な笑みを見せつけてみる。

「新潟県民って、宣伝やPRが下手だと言われることがあるんです」

 雫さまがいて、澪がいて、みんなで作り上げている空気が好き。
 そんな自信が湧き上がってくるのを感じると、私の中に新しい夢が生まれる。

「にーがたってなぁに?」
「私が産まれて、私が育った場所を、新潟って言います」

 未来の神様候補には都道府県っていう概念がないのなら、なおさら私は神さまに新潟とのご縁を提供したいと思った。

「雫さまと澪さまが、新潟を訪れてくれたのは何かの縁だと思うので」

 私という人間を、記憶を残すための努力を始めてみよう。
 誰かに言われたからじゃなくて、自分の意志で知ってもらうための努力を始めてみたい。

「新潟のこと、少しだけ知ってほしいと思います」

 雫さまと澪さまは大きく手足を伸ばして、私を守るように包み込んでくれた。
 先を行くだけだった神さまは、ペースを落として私たち人間を待ってくれているような。
 そんな感覚を、心強いと思った。
 神さまに守られている感覚って、こんなにも人を強くしてくれるんだって気持ちになることができた。

「新潟の郷土料理、召し上がってください」

 見守られるって、幸せなことなんだって初めて気づいた。
 両親に見守られてきた十数年が、どんなに安心できる日々だったかということを初めて自覚する。
(まずは一品目)

 自己満足ではあるかもしれないけど、心を綺麗に整えてから買ってきた食材と向き合う。
 本来はもち米を使いたいところだけど、今日は料理時間を短縮するために餅を使う。

(もち米の代用品の切り餅が、いい働きをしてくれますように!)

 家族と住んでいたときは、お正月に飽きるほど食べていた餅。
 きっと次のお正月に実家に帰ると、また飽きるほどの切り餅が用意されている。
 でも、一年も経つと、『飽き』というものはどこかに行ってしまうという不思議。

金時豆(きんときまめ)も一晩水に浸けないとなんて……)

 豆を一晩漬けている余裕はないため、こちらも枝豆の冷凍食品で代用。
 なんでもかんでも一から作り上げる方が神さまも喜んでくれるかもしれないけど、出来合いの物で済ませられるところは頼りながら、神さまをもてなしたい。

(炊飯器にお米と醤油、砂糖、みりんに……料理酒!)

 新潟の長岡市って場所の郷土料理って言われている、醤油おこわ。
 その名の通り醤油で色と味をつけたおこわで物珍しさはないけれど、おこわを知っている人からすれば醤油味ってところに違和感があるのかもしれない。

(あとは切り餅)

 私も家族も長岡市に縁はないけれど、醤油おこわは幼い頃から知っている。
 郷土料理のルーツを語るほどの知識がないのは神さま相手に申し訳ない気もするけど、大好きな味を神さまに提供したいという気持ちを料理に込めていく。

(これ、もち米から作ったら大変だったんだろうなー……)

 スマートフォンでもち米から作るおこわのレシピを眺めてみるけど、蒸し器が必要って時点で料理が得意でない人間は溜め息を溢してしまう。
 もちろん炊飯器で作るおこわのレシピも見つかるけど、やっぱりもち米は浸水時間が必要。

(家庭の数だけ、やり方があるってことだよね)

 炊飯器の電源を入れて二品目の調理に取りかかる。

(里芋の下ごしらえって苦手なんだよね……)

 里芋のぬめりで手が痒くなってしまうのを防ぐのは、料理初心者にはなかなか難しい。
 ベテランになったら痒くならないのかって尋ねられても分からないけど、とりあえず母直伝のやりかたで里芋の皮を剥いていく。

(布巾で、里芋の水気をしっかり取る……)

 そして自分の手を包丁も、なるべく濡らさない。
 里芋を乾いたまま扱うと包丁を滑らせる危険も減らせるとは言うけど、料理初心者には何もかもが難しい。
 下ごしらえ済みの食材を買ってきた方が楽だって分かってはいるけど、今日は自分の作った食事を食べてくれる存在がいる。
 だから、一から下ごしらえを頑張ってみたいと思ってしまった。

(次は里芋に塩をこすりつけるように転がす……)

 里芋のぬめりが取れたら水洗いをして、里芋を沸騰したお湯に入れて中火で茹でる。
 にんじん、かまぼこ、こんにゃくは年がら年中手に入れることができる食材。
 でも、筍だけは旬のものを手に入れることはできず。
 筍の水煮を利用して、それぞれの食材を短冊切りに整えていく。

(塩鮭、塩鮭……)

 鶏もも肉を使う家もあれば、塩鮭を入れる家庭もある、この料理。
 新潟らしい食材はどっちかなって考えたときに浮かんだのは、やっぱり塩鮭。
 神さまには馴染みがないと思われる村上(むらかみ)って地域で作られる塩引き鮭は絶品で、焼いてもご飯と炊き込んでも汁物に使ってもいい万能品。村上の塩引き鮭は少々値が張るけど、お金をかけるだけの価値があるのが村上の塩引き鮭。

(神さまのために、今日は贅沢をさせてくださいっ!)

 私は材料を見ただけで何を作るか想像がつくけれど、神さまには馴染みがないんだろうなってところが不思議な気分。
 新しく出会うって、こういうことを言うんだろうなってことを自分の体験を通して知っていく。

(鍋に、出汁と醤油と料理酒とみりん……)

 ここに、白だしを加えるのが私の好み。
 もちろん配分を間違えると、とんでもなく塩辛い食べ物が誕生する。
 慎重に調味料を注ぎながら、食材も一緒に火にかけていく。

(いくら欲しかったなー……)

 灰汁を取りながら、仕上げに使ういくらのことを想う。
 見た目を華やかにする力を持つ、鮮やかな色を放ついくら。
 真冬になれば生筋子をスーパーで買ってきて、いくらの醤油漬けを作るのが保苅家。
 それを、これから出来上がる料理に仕上げとして乗せるのが保苅家だけど、鮭のシーズンでもない時期に生筋子が手に入るわけがない。
 そして、料理初心者の私にいくらの醤油漬けを作る技術もない。

(自分で言ってて、情けない……)

 家に帰れば、母が待っている。
 朝になれば、朝ご飯を用意してくれる。
 昼には、お弁当を用意してくれる。
 夜になれば、お夕飯を用意してくれる。
 プロの料理人でもないのに、お母さんは家族の食事を何十年も支えてきてくれた。
 それがどんなに凄いことだったのかってことを、初めての一人暮らしで学んでいく。

(ここは我慢……)

 きっと、料理の仕上げにいくらを使わない家庭もある。
 私の家だって、これから仕上がる料理に必ずいくらを乗っけるわけではない。
 いくらを乗せてくれる機会なんて、お正月に祖母の家を訪れたときくらい。

(色合いが心配……)

 これから私が作る料理は、お弁当に詰め込んだ煮物と同じで色味が宜しくない。
 にんじんと絹さや、塩鮭が救世主となれるかどうかが非常に心配。

(料理は見た目からって言うもんね……)

 自分が口にするだけなら、こんなにも色味を気にしなくてもいい。でも、神さまが口にする食べ物を作ると考えるだけで、見た目の重要性にとても気を遣う。

(誰かのために作るって、凄く難しくて、凄く大変なこと)

 嘆きの言葉を溢しそうになっているのが、自分でも分かる。でも、こんなところで落ち込んではいられない。
 私が料理から逃げ出してしまえば、自然と神さまの輪には入らなくて済むようになる。神さまとの会話も強制終了になってしまうって気づいていて、それを嫌だって思うのなら挑むしかない。

(絹さや、軽く茹でておかないと……)

 三品目の準備に取りかかろうとするけれど、気合を入れたはずの調理の手が止まってしまう。

(新潟の郷土料理を集めると、なんていうか塩分が……)

 郷土料理で神さまをもてなすってアイディア自体は良かった気もするけど、塩分摂取量がとんでもないことになりそうなことに気づく。

(そっか、ご飯を白ご飯にすれば良かったんだ……)

 醤油おこわの美味しさを伝えたくて、一気に新潟の郷土料理を集結させてしまったことを反省する。

(今日できなかったことは、次回に活かさないと……)

 次があるかは、分からないけれど。

(明るい未来を考えるのも、いいかもしれない)

 珍しく希望ある明日を考えることができているのは、私の世界が少しずつ変わっている証拠。
 そう言い聞かせながら、私は最後の品へと取りかかる。

「雫たちも、ま~ぜてっ!」
「本日も、おじゃまいたします」
「え、え……」

 声が与える印象通り、雫さまと澪さまは子どもの姿で私たちの前へと姿を見せた。

「おどろいた? 食事をするときは、人の姿になるの」
「お箸を、ちゃんと使えるようにならなければいけないんです」

 可愛らしくもあって、威厳も兼ね備えていた、もふもふは一旦お別れ。
 でも、初めて会う彼女たちは、私に『あたたかさ』を与えてくれる。
 どんな姿をしていても、雫さまは雫さま。澪さまは澪さまだってことを、彼女たちの体温が私に伝えてくれる。

「早く、食べよっ」

 これからの食事を楽しみにしているかのように、雫さまが体を動かすたびに一つ結びが元気に揺れ動く。
 髪を二つに分けたツインテールの澪さまは、私が用意した新潟の郷土料理に夢中になってくれている。
 瞳が輝くわけがないのに、二体の瞳はきらきらと光り輝いて見える。
 神さまの瞳があまりに美しく見えて、出来立てのご飯に手をつけることすら忘れてしまいそうだった。
「手を合わせてください」

 (みお)さまの合図は、給食の時間を思い出す。
 その言葉に続く言葉は、もちろん……。

「いただきます」

 まったく別の場所で生まれ育った私たちだけど、雫さまの合図に続いた言葉はみんなで揃えることができた。

「新潟の郷土料理で、醤油おこわ、のっぺ、タレカツです」

 醤油おこわと、タレカツの茶色を視界に入れるだけで、肩身が狭くなる。

「ごめんなさい! タレカツって、ご飯の上に乗せるものなんですが……ご飯に味をつけてしまったので、丼ものができなくなってしまいました……」

 火にかけた醤油・料理酒・みりん・砂糖の調味料に、豚肉で作ったカツを浸す。
 カツは自分で作ってもよし。
 味の付いていない、お惣菜のカツを購入してきてもよし。
 タレカツのタレは麺つゆを使うやり方もあるけど、今回は保苅家の味を紹介することにした。

「本日の料理は、塩分が過剰に使われております……。本当に、申し訳ございません」
「雫は、音ちゃんが作ってくれただけで、うれしいよ?」
「音さん、あやまらないでください」

 新潟の郷土料理を知るために、料理へと手を伸ばしてくれた神さまに感謝の気持ちを送る。

「お肉、食べたことがない味がする!」
「味がしみこんでいて、とてもしんせんです!」

 心が、ゆっくりとあたたかさという言葉の意味を知っていく。

「こっちのご飯、もちもちしてる~」
「でも、もち米ではないですよね……?」

 神さまの舌は、大変に肥えているということらしい。
 切り餅で作った、おこわ風の醤油おこわは、すぐに見破られてしまった。

「もち米を買い揃えていない人が、もちもちしたご飯を食べたいときに考えた人間の知恵です」
「すっごいね!」
「人間さんは、お正月にお餅を残してしまいますからね」

 苦し紛れの言い訳。でも、そんな苦し紛れの言い訳すら、この食事の場では必要ないのかもしれない。
 神さまとの楽しい食事の時間が続いて、二体はとても綺麗な箸遣いで新潟の郷土料理を口に運んでいく。

「こっちは、煮物?」
「鮭が入っているんですね」

 さすがは神さまと言えばいいのか、里芋をいとも簡単に箸で持ち上げる所作が美しすぎて見惚れてしまう。

「今まで食べたことのない煮物だねっ」
「色合いが、ふだん、口にする煮物とは違いますね」

 普段の獣姿では見ることができない、人としての顔を向けてくれる二体。
 その笑みを通して、怖いことは何もないよってことを伝えてくれる。

「こんなに賑やかな食事、久しぶりでした」

 この二体の神さまが、将来どんな神になるのかは想像することもできない。
 二体が神になる頃には、この世を去っているかもしれないけど。 
 この二体の行く末を見守ることはできないかもしれないのに、この二体の未来を見てみたいという展望のようなものが生まれてくる。

「とても、楽しかったです」

 食事を済ませた雫さまと澪さまは、元の獣の姿へと戻った。
 健やかに眠る姿に寄り添わせてもらうと、身体がぽかぽかと熱を感じ始めて心地がいい。
 友達からの連絡を知らせなくなったスマートフォンみたいに、次に目を覚ましたときに神さまも存在を消してしまうなんて展開が待っているかもしれない。

(おと)ちゃん、ごちそうさまっ」
「音さん、ごちそうさまでした」

 雫さまと澪さまの呼吸のタイミングに合わせて、私の瞼が重たいものへと変わっていく。
 雫さまと澪さまが与えてくれる、このあたたかさが私の幸せを更に高めてくれる。
 神さまに寄りかかって寝るなんて、とんでもないことをしているのかもしれない。
 でも、雫さまと澪さまは寄り添うことを許してくれる。
 今も私をあたためるために、もふもふとした毛並みで私を守ってくれている。

「神さまに、お話があって……」

 灰色に澱んだ空から、一筋の光が差し込んだ。
 もしかすると、もう少しで太陽が顔を出してくれるのかもしれない。

「神さまの郷土料理亭というのを、始めてみようかなって思っているんです」

 彼女たちの優しい笑顔には、やっぱり青い空が似合っている。

「全国の郷土料理を、神さまに提供できたらなと」

 空の青色を、ずっと探したかったから。
 雲の向こうにしか見えない色だとしても、彼女たちに似合う空の色に会うことができたらいいなってことを、ずっと想ってきたから。

「音ちゃんのご飯、もっと食べたいなぁ」
「これからも、いっしょにご飯が食べたいです」

 彼女たちが笑ってくれたのと同時に、空も一緒に笑ったような気がする。
 青空と太陽が眩しすぎるくらい私たちを照らし出して、ちょっとだけ泣きそうになっている自分を雫さまと澪さまの陰に隠してもらう。

「雫さま、澪さま」

 高校時代の努力が実を結んで大学に入学できたのはありがたいことだけど、肝心の交友関係作りに失敗した。
 独りご飯も悪くないけど、私は独りご飯を選ばなかった。

(誰かと一緒に食べるご飯を、私は望んでいる)

 誰かと一緒にご飯を食べたいって願っているから自分だからこそ、神さまのためのおもてなしができるんじゃないか。
 自分に、ほんの少しの期待を込めていく。

「ようこそ、神さまのための郷土料理亭へ」

 雫さまと澪さまが、いつものように私を守るための温もりを与えてくれる。
 神さまは、いつも私たち人間を見守ってくれているって言葉の本当に意味を知る。

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