「どうも、はじめまして。俺、七瀬っていいます。茉李くんのお兄さんですか? 茉李くん帰ってますよね? 呼んでもらえますか?」

「茉李くんならまだ帰って来てないけど。あと、俺はただの大学生で、ここに居候させてもらってるだけだから、彼のお兄さんじゃないよ」

 ふーん。そうくるか。

「でもこの靴、茉李くんのですよね? それに途中まで一緒だったんで、帰ってないわけないと思うんですけど。それとも居留守かな。さっき彼にあんなこと(・・・・・)しちゃったから、俺、もしかしたら嫌われちゃったかも?」

「あんなこと? 君、あの子とどういう関係?」

「友だちですよ(今は)、」

 居候のお兄さんはなかなかのイケメンで、けどなんだろ····どこか違和感がある。一見穏やかそうだし、あんなこと(・・・・・)するようなひとにも見えない。

 茉李のシャツの隙間から見えたもの。さっきは「見てない」なんて嘘ついたけど。あれは明らかにキスマークだった。

(このひとが仮に茉李の恋人だとしたら、あんな怯えたような顔で訊いてきたりしないだろ。キスマークって、好きなひとに付けられたら嬉しいんじゃないの?)

 相手をけん制する意味もあるだろうけど、付けられた本人は目にする度にその行為を思い出してどきどきするはず。叔父のマンションに遊びに行った時、そういうの読んだことあるし。言ってもBL本で、だけど。

「で、ちなみになんの用でわざわざ家まで来たのかな? あの子、どっちかというと君みたいな子苦手なんじゃないかな。君ってほら、誰にでも好かれそうな。常に友だちに囲まれてそうじゃん? 茉李くんは教室の隅で静かにしてる印象だし。もしかしてあの子をイジメてたりしないよね?」

 はあ?
 誰が誰をイジメてるって?

「そんなわけないじゃないですか。俺、茉李くんのことめっちゃ好きだし」

「は?」

「今日も保健室で、ひとには言えないようなあんなことやこんなことしてたんで」

 居候のお兄さんは一瞬ギラついた目で俺を見下ろしてきたが、すぐに仮面を被り直しポーカーフェイスでその顔を飾った。こんな子供だましの挑発に引っかかってはくれないってことか。

 まあ別にいいけど。

 家の中にいるのはわかってるし、俺がここにいる間は手も出せないだろ。このひとは自分の立場をよく理解してるってことだ。

「まあ、いいです。じゃあ帰って来るまで待たせてもらっていいですか?」

「もう夕飯の時間だろ? 自分ちに帰った方がいいんじゃない? あんまりふらふらしてると親御さんが心配するよ?」

 現在の時刻は午後6時半すぎ。
 だがすでにどちらにも連絡済みだ。

「そうそう、俺の用なんですけど。茉李くん、俺の鞄を間違って持ってっちゃったみたいで。ほらこれ、茉李くんのでしょ? 見た目おんなじだから俺も途中まで気付かなくて。スマホはポケットに入れてたからラッキーでした。財布に付けてたタグで特定できたんですよ、ここの住所」

 スマホで位置情報が特定できる便利なそのタグは、赤の他人の同じ機種を中継して探し出してくれるという優れものだ。本来はどこかに置き忘れてしまった時に見つけるためのものだから、はがされたり電池さえ切れなければ間違いなく見つけられる。

 あの時、保健室で手渡したのは俺の鞄だった。

 茉李の家を特定するために····じゃなくて、ちゃんとひとりで家に帰れたか心配だったからな(遠い目)。電車で見送られた後、次の駅で降りてすぐに戻った。スマホ片手にアプリで確認してたんだけど、ある場所から動かなくなったんで簡単に追いついてしまったわけだ。

 ある場所っていうのが駅前の本屋で、茉李は何か買うでもなく立ち読みすることもなく、ただ時間を潰しているようだった。

「って、ことで。茉李くん、帰ってますよね? 少なくとも鞄はここにあることは間違いないんですよ。会うのも待つのもだめなんだったら、悪いんですけど、お兄さんが取って来てもらえます? はい、これ茉李くんの」

 言って、俺は茉李の鞄をお兄さんの胸のあたりに突き出す。

「····ここで少し待ってて。彼の部屋は二階だから。いい? 勝手にひとの家に入り込んだりしたら警察呼ぶからね。君が彼の友だちかどうかなんて知らないし、俺にとっては赤の他人。つまり、不法侵入ってことになるんだからな」

 今まさに玄関先にいるのに、不法侵入もなにもないだろうに。

「はいはい。許可がなきゃさすがに俺もそんな図々しいことできませんって」

 お兄さんはちらっと後ろの方に視線を向けた後、速足で二階へと上がって行った。姿が見えなくなったその隙に、素早くボタンを押して画面を開きスマホで文字を打つ。

『茉李、どこにいる?』

 一応、先手は既に打ってるけど間に合うとも限らないし、用心するに越したことはない。

『トイレ』

 トイレね。あんまりいい隠れ場所じゃないかな。鍵の意味ないし。

 スマホを制服のズボンのポケットにしまい、近づいてくる足音に耳を澄ませる。その様子から内心焦っているのがわかる。ってか、こんな時間から茉李になにしようとしてたんだ? 今まで、なにしてきた? 過呼吸って、精神的なものが原因なんじゃなかったっけ?

(髪の毛に触られるのが嫌だった? 抱きしめられるのはいいのに?)

 なにか違う気がする。
 朝と昼、昼と放課後の違いってなんだ?

「ほら、これで間違いない? もういいだろう? 用は済んだはずだ」

 朝は茉李の方から抱きついてきたんだよな。昼は机に伏せてた茉李に触ろうとしたけど、拒否られた。放課後は寝たふりしてて、覗き込んでた俺の顔見て驚いてたけど、その後にしがみ付いてきた。違いという違いがあるとすれば、朝と放課後は俺だってわかってたから平気だった?

 でも昼だって気付いてたはずだよね? わかってて知らないふりしてたもんな。ますますわからなくなってきた。

「あ、もうひとついいですか? ちょっと気になることがあって」

 直接このひとに聞いた方が早いか。茉李は嫌かもだけど、こういうのって第三者が間に入った方が解決しやすいんじゃないか。母親には言いづらいだろうし。他に友だちもいないみたいだし。もし、俺の想像が正しかったら····正直、黙って見過ごすことなんてできるわけがない。

「俺ね、見ちゃったんですよ。ここのキスマーク。茉李くんって、彼女いるんですか? 友だちとしてすごく気になるんですけど、お兄さん知ってます?」

「俺が知るわけないでしょ? 茉李くんの友だちなら、それくらい聞いてるんじゃないの? 君、本当にあの子の友だち?」

 裏を返せば、友だちにも言えないような事情ってことだろ?

 自分が恋人だとは思っていないってことは、茉李の存在はこのひとにとって"そういう扱い"じゃないってこと。じゃあただ自分の性癖を満たすための道具ってことかよ。

 それはそれで最低だな。できることなら本人の口から言わせたいけど、さすがに無理か。

 勝ち誇ったような顔しても無駄なんだからな。
 これは想像でしかないけど。このひとにカマをかけるには、じゅうぶんだろ?

「茉李くん、暗闇の中で誰かに触られるの、怖いみたいですよ? 知ってました?」

 ヒロインを救うためのヒーローが、出遅れたら終わりなんだって。

 茉李、ごめん。
 あとで俺のことぶん殴ってもいいから。
 これじゃ悪役みたいだけど、もう我慢の限界。

「あんたが、茉李になにしてきたか。俺、なんとなくだけどわかったよ。まあ、茉李はめちゃくちゃ可愛いからそういう気持ちになるのもわかるけど。本人の同意もなくそんなことしたらどうなるか、あんたも一応大人ならわかるでしょ?」

 だから、もう少しだけそこで待ってて?