新川未祐の提案は当然ながら保留にした。俺は別にバレてもなんとも思わないけど、茉李はそうとも限らない。というか、たぶん周りを気にするはずだ。けれども今の俺たちは、『ちょっと距離の近い友だち』くらいの認識だろう。
まだお付き合いの返事はもらってないし。俺はいつでもBL展開大歓迎だが、茉李はそういう段階までは至っていないと思われる。
昨日はさすがにやりすぎたと反省。
だってあれは反則だろう。
チラ見えのキスマークは嫉妬するに決まってる。なんなら俺もキスマーク付けとくべきだった? 噛み跡なんてすぐに消えちゃうしね。
登校してそのまま三組の教室に一緒に行って、昨日のお礼をふたりでした。うん、茉李は大丈夫そうだ。とりあえずこれで安心だな。
昼休み。
弁当を持って三組に遊びに行った。
茉李は昨日とは違い、机に伏してはいなかった。代わりに新川さんが他の女友だちと一緒になにか話している模様。彼女がそういう類の、つまり隠れ腐女子であることに気付いたのはまさに昨日。茉李を見つけた本屋で彼女の姿を目撃したのかきっかけだ。彼女は書店の一角にあるBL本のコーナーで、何冊も本を手にとっては楽しそうに物色していたのだ。
茉李を見失いそうになったので、彼女のことは見なかったことにした。そこでふと思い出した。茉李が俺に電車の中で抱きついてきた時、一瞬だけ目が合った『誰か』がいたことを。
あれが新川未祐だったと気付いたのは、茉李が倒れる前。俺に声をかけてきた時だった。あの時はなんで近づいてきたのか謎だったが、今朝の言動でよく理解した。
「瀬戸くん、私たちと一緒にお昼食べようよ」
「昨日思ったんだけど、瀬戸くんって実は可愛い系美少年だよね~。いつも下向いてたから気付かなかったけど、なかなかの逸材だよ」
「色白で肌も綺麗だし! 髪の毛ちょっといじるだけでかなりイメチェンできそうじゃない? っていうか、もしかして髪の色地毛だったりする?」
これはいい傾向なのだろうか。
いや、心配しかない。茉李の可愛さが周りに知られれば、変な虫が寄ってくるかもしれないじゃん。かといって、茉李がこんな風にクラスに馴染んでいるのを俺が邪魔する権利もない。
「はい、ストーップ。これ以上はおさわり禁止」
ないが、やっぱり嫌だ。
茶色がかった少し癖のあるその髪の毛に触ろうとしていた新川さんのお友だちの手を、そっと掴んで回避させた。
「わっ七瀬くん⁉」
その子は俺の顔を見るなりびっくりして手を引っ込めたが、軽く掴んだだけなのでその手はするりと抜けていった。
「茉李、約束忘れてない? ほら、こっち来て。時間ないから早く早く」
「え? 約束って?」
うん、わかる。そんなものはないししていない。茉李はぽかんとした顔で後ろにいる俺を見上げてきた。だってこうでもしないと、女子たちに色々されちゃうかもしれないだろ。
俺は茉李の腕を掴んで立ち上がらせると、「じゃあ借りてくね」と言ってそのまま教室を出た。
出たのはいいが、さてどうしたものか。二組に連れて行くわけにもいかないし。ふたりきりになれる場所····うーん、とりあえず空いてそうな教室にでも。俺は茉李の腕を掴んだまま、二階の資料室に入った。ここは中から鍵がかけられるので、色々と都合のいい場所として有名だった。
「あ、あの、助けてくれて······ありがと。俺、ああいうの慣れてなくて。どう断ればいいかわかんなかった」
扉を背にして鍵をかけ、二畳半くらいの狭い空間でふたりきりになった。
「食べる? 俺の弁当でよかったら半分こしよ?」
「え、いいよ。俺、いつも食べてないから。それに七瀬くんは放課後部活あるし、後でお腹空いちゃうんじゃ····」
「それは大丈夫。別にとってあるから」
部活の前に食べるひと口おにぎりだけどな。
「はい、どーぞ。卵焼きとか好き? 唐揚げは? 茉李の好きなもの、教えて?」
俺たちは昨日始まったばかりで、お互いのことをなんにも知らない。好きな食べ物とか趣味とか、得意な教科とか? なんでも知りたいって思うのは普通だろ?
「な、七瀬くんは? 七瀬くんが好きなもの、ちゃんと食べて? 俺はそれ以外のでいいよ。苦手なものは入ってない?」
母さんが作るお弁当は手作り半分、冷凍食品半分。作ってくれるだけでありがたいやつだ。おかずを詰めたお弁当と、ラップで包まれた混ぜご飯のおにぎりがふたつ。
「じゃあまずおにぎりあげる。あと、唐揚げもふたつあるから一個あげる。ミニトマトは食べられるひと? あとは~」
「も、もうじゅぶんだよ。ありがとう」
遠慮しなくてもいいのにな。
横にちょこんと座っておにぎりをもくもくと食べている茉李。なんか可愛いなぁ。一生懸命なところとか。さっきも俺のこと考えてくれてたし。やっぱり好きだなぁ。誰にも見せたくないし、俺だけに見せて欲しいんだって。伝わってるかな?
「そういえば。茉李、俺が弓道部ってなんで知ってたの?」
昨日、茉李が言っていた。今更だけど。普通、隣のクラスの話したこともない同級生の部活なんて誰も興味ないよね? 少なくとも俺は興味ない。知り合いならまだしも、何の関わりもない子がなんの部活をしているかなんて知らない。
「そ、そんなこと、言ったっけ····?」
ごほごほと咳き込んだ後、茉李は斜め上に視線を向ける。
まあ同じ電車だし、俺のことを知ってたっていうのはあり得ないことでもない。でも興味がなかったら、そんなことまで知るわけないよね? あの時抱きついてきたのは、たまたまそこに俺がいたから? それとも俺に助けて欲しかった?
「俺のこと、ずっと前からこっそり見ててくれたってことで、正解?」
「······だって、七瀬くん、目立つし」
ますます視線が違う方向に向けられる。まあ今日のところはこのくらいにしておいてあげよう。茉李が俺のことを見てくれていたってことでじゅうぶんだ。おかげで俺は茉李を見つけられたわけだし。出会えたのはやっぱり運命ってことで。
「放課後、見学する? 実はマネージャー募集中なんだ。意外と雑用が多いから、いると助かるって主将が言ってた。茉李、嫌じゃなかったらどう? そうしたら俺のことずっと見ていられるよ?」
「え····いいの?」
茉李は油断していたのかぽつりと零れた言葉に対して「はっ⁉」 と、口を押えてしまった。ふーん。これはあながち間違いじゃないってことか。
「ずっと一緒にいたら、きっと茉李は俺なしじゃ生きていけなくなるね」
「いや、それはちょっと違う気が····、」
茉李は引きつった表情でそう呟いた。
そう、俺たちの恋はまだ始まったばかり。
これからもっと茉李のことが好きになる。
茉李も俺のこと好きになってくれるよね?
だってこの恋は、俺にとって最初で最後の"運命の恋"だから。