「……え?」
「なぜなら、君がしたことは守るために立ち上がり、事実を元に意見を告げただけのこと。そしてそれが相手を傷つける言葉であったとしても、それに対して正面から言い返せばいいだけのことを、わざわざ多数で追いやるなんて卑怯な方法を取るなんて、明らかに中川(なかがわ)さん側に非があると思います」
「……いや、先生」
「納得がいきませんか? そうですね、君は自分に非があると感じているのですものね。では今の状況が君の間違いへの罰だとして、すでに君は十分に罰を受けた、ということになるのでは? 君がこのままずっと罰を受け続ける必要は一切ないのです。それに、そうですね。そうとなれば中川さんにもそれ相応の罰を受けていただかなければ帳尻が合いませんね」
「!」
「では、彼女に罰を与えましょう。人の人権を侵害することはどんなにそれに心を込めて尽力していたとしても青春とはいいません。それはただの犯罪です。以前裏側の青春について語りましたが、普段曝け出せない本心がぶつかりあうそれとは違い、人を害することが目的で、その被害が出たのならそれは立派な犯罪なのです。私はそれを青春だとは断固として認めません」

 いや、いやいやちょっと待て。なんか怖いこといってるけどちょっと待って!

「先生、なんで知ってるんですか?」
「? 当然、クラスの様子は常に気に掛けていますので」
「そうじゃなくて……なんで中川さんの名前を?」
「あぁ、それはわかりますよ。生徒の持つアカウントは全てチェックしていますので」
「……は?」

 当然のことのように告げられた、その事実。言葉をなくす俺に先生は平然と続ける。

「問題が起きた時に原因がわからないと対応に遅れますので、自分の受け持つクラスの分は個人的に全て確認しています。表向きのものから裏アカとされるもの、個人のメッセージのやり取りやウェブの閲覧履歴まで。彼らが誰と関わり、どんな思いを胸に秘めているのかを一番手っ取り早く知ることが出来ますからね」
「え……いやっ、そんなこと出来ませんよね? え? どうやって?」
「もちろん、私個人の力ではどうにもなりませんが、私にはそれを可能にする人材を雇うことが出来るだけの資金と権力がそばにあります。そうとなれば全ては可能になるのですよ、峰吉君」
「ここで資産家の娘が出てくるのか……!」

 まるで伏線回収だった。資産と権力のあるサイコパスはこうやってそれを利用するのか……。

「いくつかのアカウントの中で、峰吉君と中川さんの事件についても本人がたくさん語っていましたよ。峰吉君はご存知ではないと思いますが、中川さんはSNSなどを通じて自分の意見を発信することで仲間を募り、クラスの民意を作り上げたのです。手慣れた様子にさすがと思いました。ですがデジタルタトゥーと認知されているように、そういった媒体を通して記録を残してしまうとたくさんの手に渡り、全てを消去することが困難になります。だから私のようなものに見つかってしまい、証拠として利用されてしまうのです」

 証拠として、利用する?
 これは先ほどの罰を与えるという方法に関係があるのだとすると、先生は中川さんの裏工作を世に暴くつもりか……?

「ところで峰吉君。ここで一つ問題が」

 不穏な空気を断ち切るように、先生は告げる。
 その切り替え方がとても怖くて、どんな問題かと心を絞って身構えた。

「な、なんですか?」
「流石に公の場で知られてしまうと私は犯罪者になってしまうので、このことは峰吉君の胸の内に秘めておいて欲しいのです。これからのことも含めて。約束出来ますか?」
「!」

 バレてなくても犯罪者なのでは?と瞬時に思った。思ったけれど、ここで余計なことはいうなと危険信号でも受け取ったかのように、無意識の俺がいつの間にか大きく頭を頷かせていて、先生は頷いた俺にいつもの綺麗な微笑みを返した。
 それはどこか嬉しそうに見えるもので、やはりこの人をこのままにしては危険だと確信した瞬間だった。

「ふふっ、ありがとうございます。これで私達は晴れて秘密の共有者、ということになりますね。では早速この手元にある証拠の数々を利用して中川さんにどんな罰を与えるかについてご説明したいのですが、」
「ちょ、ちょっと待ってください!」

 早速自分のペースに戻りとんでもないことを口走り続ける先生をとにかく引き留めた。先生の目はいつものガンギマリ状態で、「なんですか?」と首を傾げつつも、ことを早く進めたい気持ちが全面に出ている。

「先生、少し落ち着いてください。俺は中川さんに罰を与えたいとは思ってないです」
「ですがこのまま峰吉君が悪意に晒されるのを黙って見ているわけにはいきません。目には目を、歯には歯を。彼女に同じ苦しみを味わわせ反省させないと、彼女はきっと自分の罪に気付かずにまた同じことを繰り返すでしょう。峰吉君だってこのままではお嫌でしょう?」
「それはそうですが、でも俺は、俺には俺と同じような目に合う人を作りたくないという前提があります。先生のいう罰を与えるという方法では、中川さんがそうなってしまうということにはなりませんか?」
「…………」

 先生はぴたりと口を閉ざすと、たっぷり考えこむように三秒ほど間を置いてから、無表情のまま口を開く。

「ただ……真の事実を公表して、民意に問おうと思っているだけです。彼女がばら撒いた事実は彼女の意見に偏ったものだったので、果たしてどちらが間違っているのか公平な目で判断してもらおうと。その結果が罰するに値するのなら仕方ないこと。次は彼女が君のように現状を受け止めて立ち上がる番であるだけです。その時になって彼女の中に生まれるものもあるはずです」
「ですがそれで彼女が一人、多数から迫害されるようになったら、それは俺の青春に反したものです!」
「……君の青春」

 ハッとした先生の冷たい瞳がふと和らいだ瞬間、俺と先生の目が合った。
 俺は先生に、伝えたいことがあった。

「先生。先生が俺を守ろうとしてくれているのはわかっています。ですが、俺の中に求めている結論があります」
「……なんでしょう?」
「俺は、中川さんに許されたいと思ってる。どうしたら許されるのだろうと、それをずっと考えて、悩んでいました。だから先生、手伝ってくれるなら俺が許してもらえる方法を一緒に考えて欲しい。俺には全然、思いつかないから」

 こんなことになるまで名前すら知らなかった同級生の彼女、中川さん。
 彼女の間違いについてはあの時俺がもう十分指摘したし、結果、先生が迫害されることを避けることが出来たのだから、それについてはもう終わったことだと思っている。あとは俺がしてしまったこと。彼女を傷つけてしまったことをどうにかして許してもらうことが、この現状を変えるために一番必要なことであると思った。
 こんな捻くれた俺を、キモい俺を、どうやったら許してもらえるのだろう。
 中川さん達は俺をキモいと表した。否定されるのは俺がキモいからだと、青春が悪くないのであればつまりそういうことだと思うのだ。中学時代、悪いのは周囲の人間だった。でも結局きっかけを作ったのが青春でないなら俺しかない。俺の生き方が、外見が、彼ら彼女らにとってのキモいものに当てはまるからだ。
 受け入れられたいわけではない。ただ、間違えてしまったことを許されたいのだ。けれどそんな俺が彼女に酷いことをしたのなら、許されることなど不可能に近い……。
 しかし、そんな悩む俺を横目にあっさりと、いつもの如く先生は答えを提示した。

「謝ればいいのではないでしょうか」

 それは、単純で明快な答えだった。

「謝ればいいのです、誠意を持って。それだけのことです」
「…………」

 謝罪する、それは何度も考えてきたことだった。けれど俺が呼び出した所で来てくれるとは思えないし、いきなり声をかけても無視され、余計に火に油を注ぐ結果になるような気がして今まで行動に移すことが出来なかった。
 移す、勇気が出なかった。

「でも、受け入れてもらえるかどうか……聞いてももらえないかもしれません」
「であれば聞かざるを得ない状況を作るまでです。クラス全員が席についている時間、授業前などに行いましょう。そうすれば彼女は逃げることは出来ませんし、のちに話を捻じ曲げることも出来ない。多くの証人がいますからね」
「……でも、授業の前にそんなことを始めたら、その教科の先生にもみんなにも迷惑を掛けることになるんじゃ……」
「では私の担当教科の時に、長引くようであれば自習にしてしまいましょう。一時間くらいどうってことありませんよ」
「……俺なんかが本当に……上手くいくでしょうか」

 イメージがわかなかった。いきなり立ち上がって選手宣誓のように謝罪し始める俺を受け入れてもらえる様子が思い浮かばない。
 自信がない。先生に手伝ってもらって、授業の時間を減らしてまでして失敗したら……? そんなの、目も当てられない。

「まぁ、絶対とは言い切れませんね。上手くいかないこともあるでしょう」
「…………」

 まぁ、そうだろう。先生はこういう時に変に慰めて勇気づけたりしない人だ。

「ですが、そうであればまた挑戦すればいいだけのこと」
「……え?」

 けれど先生は、俺の思いつきもしない考えを、方法を、持っている人。

「上手くいかなかったその時は、もう一度謝ればいいのです。何度も何度も、許してもらえるまで」
「…………」
「そのうちに向こうが意地を張って拒絶した所で、それだけしつこく謝られたら許してやれという空気がクラス内に出来るはず。そのように民意が君に偏った時、すでに君に対する悪意は皆薄れていることでしょう。そうなれば君の目的は達成したようなもの」
「…………」
「ただ君は謝り続ければいい。誠心誠意をもって、自分の青春を貫けばいい。何故なら峰吉君には確固たる信念があり、それは美しく、間違ってなどいないものなのだから」

 “自分を信じて”

 一言で表すと、そう言われたような気がした。
 ……そうか、俺は俺のやり方で自分を貫けばいい。ただそれだけ。
 そのうちに変わるものがあるかもしれない。許さなければならない空気が出来上がるというのは、綺麗ごとのない現実的な未来の形だった。

「……先生、ありがとうございます。俺、謝ってみようと思います」

 いい意味で人の気持ちを考慮しない先生が教えてくれたそんな未来があるのなら、信じてくれる俺がそこにいるのなら、俺も俺の在り方を、信念を、信じてみようと思う。
 捻くれて人に避けられてきた俺だけど、それでも俺はもう孤独じゃない。貫いてきた信念がそこあったから、それが俺の青春だったから、だからこの日を迎えることが出来たのだ。
 そんな俺の言葉を聞いた先生は笑顔を浮かべ、「それがいいです」と俺の背中を押してくれた。

「信念を持ち、直向きに立ち上がり続けた人間に春が訪れるのです」

 それが、先生の教えてくれた青春というものの正体だった。

「またいつでも相談してください。なんだか文化祭の出し物を考えるみたいで楽しかったです」
「文化祭の出し物……」

 唐突に今までのやり取りをそう表されるととても複雑だったけれど、先生はなんだか満足気だった。……やれやれ。

「俺は途中、犯罪を企てている時のようでひやひやしましたけどね」
「犯罪ですか。では我々は共犯者ということになりますね。秘密を共有する共犯者、素敵です」
「素敵ですか……?」

 そんなことをいつもの綺麗な笑顔を浮かべながら言う先生の感覚はいまだにわからなかったけれど、今回のやり取りでわかったこともたくさんある。

「先生は、いじめを青春とは捉えないんですね」
「当然です。犯罪行為を青春とは呼びません」
「先生は犯罪を犯してるのに?」
「個人情報の管理は青春の括りではなく仕事の内ですし、悪用しない限り、バレなきゃそれは起こっていないのと同じようなもの。峰吉君、信じていますよ」
「……はい」

 なんだかこの短い間に重いものを背負わされてしまったような気がする……色々と。
 そんな現実から逃げるようにふと窓の外に目をやると、空は夕焼け色に染まっていた。

「だいぶ遅くなってしまいましたね。よろしければ峰吉君、迎えが来るのでご自宅までお送りしましょうか?」
「! い、いえ。彼氏さんとの二人の時間を邪魔するわけには……」
「ただの実家に雇われている運転手ですよ。いらないといっているのに教師になる条件として提示されてしまって困っています。今回の騒動を理由に断りたいものです」
「あ、男漁りの話も知ってるんですね……」
「ほんと、人の悪意は自分に降りかかると面倒ですね。彼女にとってそれだけ私が魅力的にみえているのでしょう。結構なことです」
「結構根に持ってる……」

 そんな俺の一言に先生はキョトンとしたのち、ふふっと嬉しそうに笑ってみせた。

「本当だ、子供みたいですね。まるで学生時代に戻ったよう」
「違いますよ、先生。俺たちは今、青春時代を生きています」
「! まさか君にそんなことを言われる日が来るなんて……感激です」

 目を丸くして口をおさえる先生に、俺はしてやったりと口を開けて大きく笑った。驚かされてばかりだったから、俺からも一つくらい驚かせてみたかったのだ。

「それじゃ、先生。また明日」
「はい。さようなら、また明日」

 いつもの綺麗な笑顔で手を振る先生に挨拶をして、俺は準備室を出ていった。

 もうなにも、怖くなどなかった。