「峰吉君」

 それは下校しようと学生鞄を手に教室を出た所だった。教室から廊下へ顔を出した九条がこいこいと手招きするので、仕方なく奴の元へ向かう。

「これを準備室まで一緒に運んでください」

 ……やっぱり。
 最近この手のお願いが多く、ついていくとそのまま青春についての討論をさせられるのだ。
 校舎の外階段で話したあの日以降、九条はなにかと俺を気にかける様子を見せるようになったのだが……いや、気にかけるなんていうとまるで奴がいい教師のように聞こえてしまう。正しくは観察する、だ。その方が現状を表す言葉として正しいだろう。
 奴はあの日から俺に雑用をさせつつ、青春中毒者である自分の満足のいく青春成分の摂取の為に、討論の中で俺の過去や思想を奴の思うままに暴いていくという俺を被験者のような扱いをした毎日を楽しんでいる。
 その中でも一番印象的なのはやっぱり、外階段で話した次の日のもの。九条直子という人間を知ったのはその時だった——。


『峰吉君って、お友達が欲しくはないのですか?』
『…………』

 昨日の今日で開口一番なんて失礼な人だろうと思った。ハナから友達がいないと決めつけてきている。
 ……まぁ、そんなものいないのだが。

『別に、いらない訳ではないです』
『! 欲しいのですね!』
『欲しいというか……まぁ、同じ感覚の人に出会えたらどうなるんだろうとはよく考えます』
『同じ感覚の人とは?』
『……自分の意思で動ける人。いうなら青春だのなんだのと浮ついていない人』

 ふうんと、九条は俺の言葉に頷いた。

『なるほど。峰吉君にとっての青春は浮ついたものなのですね』

 そして、そう教師は俺の言葉の意味を受け取った。
 “青春は、浮ついたものである”
 
『……いえ、それは、違いますね』

 それは違うなと、定義として考えた時、俺の頭が判断した。
 俺は青春というものが嫌いだ。何故なら青春時代だからという言葉で縛られ、その中にある共通認識で俺のような人間が排除されるのを良しとする流れを作る人間が生まれるから。
 つまり、

『青春という言葉自体嫌いですが、それに対して浮ついていると感じているのではなく、青春という言葉を使う人々が浮ついてるのだと捉えています』
『例えばどんな風に?』
『……それに思考が統一され、行動の原因や責任を青春だからという言葉にまとめ、自分自身の行動の善悪が偏っていてもそれで良しとする人達のこと』
『具体的には?』
『…………』

 本当にわかってないのかと、じろりと奴を睨むが、この質問には特に含みはないのだと言わんばかりの興味と関心を詰め込んだ瞳を返される。
 溜め息と共に理解した。この教師は人の心がわからないのだと。

『具体的にいうと、俺の意思などお構いなしに自分の意思を優先し、行動に移された今のような状況を指します。つまり、あなたの、青春という名を利用したエゴに、俺の時間が消費されている現状!』
『!』

 驚いた顔をする九条に、これでわかってもらえたか!と、やれやれと肩をすくめようとしたその時だ。

『なるほど! とてもわかりやすいです。ではそれをクラスの皆で表すなら?』

 まじかよこいつ……
 俺の言葉に対しての返事としては正しいと思う。けれど、俺の態度に返ってくる反応としては完全におかしい。
 それは人の心がわからない、という本当の意味を理解出来た瞬間で、とてもわかりやすいそういう人間の例を目の前にした瞬間でもあった。
 そうなると、もう諦めるしかない。俺の青春に対する思想を暴くことが目的なのだとすると、満足させるまでこの時間は終わらないし、きっとこの場を去ったところで後々まで粘着されるだろう……話に聞くサイコパスとはそういうものだから。
 九条はおそらく、そういう種類の人間なのだろう。

『……クラスの皆で例えるなら、ですね』

 気持ちは乗らないが、仕方ない。それを説明するには俺が青春を嫌うようになった理由を話す必要がある。俺の中学時代、いじめにあっていた話を。
 ……仕方ない。

『青春っぽいことって、ありますよね? 想像する範囲のぼんやりとしたものでいいんですけど、その全てに共通する意識として、正しいものって感覚があるじゃないですか。あるべき姿というか。美しいもののような』
『そうですね。人の力を尽くす姿は美しいです』
『そうなると自然とその反対は汚いもの。間違ったものと捉えられると思うんです。つまり、否定するべきもの。それが俺なんです』
『…………』
『小学生って、案外大人に言われるまま多様性を受け入れることが出来るんですよ。でも中学生になると段々わかってくるんですよね、違いを統一することで自分が生きやすくなるって。群があると安心するんですよ。そこにいるだけで正しいものになれる気がするから。そして団結を図る為に群の外側を否定する行動に、いじめという名前がついたのかなと——』

 何故自分がそんな目に遭うのだろうと、始めは何もわからなかった。俺は何も変わらず俺としてここに存在しているだけなのに、ある日急にそれは始まったのだ。空気が読めない、変なことばかりいう、存在が気持ち悪い。そうして俺の粗探しは始まり、俺の全てが否定されていく。
 それが目に見える形で表面化してきた時に担任に言われた言葉は、一生忘れない。

 “合わせようと努力することも大事だよ。何気ないことで今はどうでも良く思えててもさ、友達と楽しい思い出を作ることは、いつか大人になって振り返った時、あれが俺の青春だったなって思えるものになってるものなんだよ。今はその最中だから気づかないかもしれないけど、青春時代を全うすることは人の土台にとても影響することなんだ”

 ——で? だから何?
 つまり俺を否定する奴らと仲良くすることが青春だと?
 その青春を全うしない俺が間違いなのだと?
 あいつらのせいで俺の教科書は二冊目だし、あいつらのせいで俺は上履きのまま家に帰ったこともあるし、あいつらのせいで体操着をなくした言い訳を考えたし、あいつらのせいで不審がる親に隠し事をし続けている。今だってあいつらのせいで俺は一人職員室に呼ばれてるのに、なんで俺が否定されないといけないんだ?

『——何が正しいのかもわからない頭の悪い人達なのだと結論づけ、そんな奴らには手が出ないこの学校を受験し、合格しました。が、結果、いじめられていないだけで現状は同じ。どこへ行っても青春だの友達だの、俺を否定するものばかり……もうたくさんだ』

 青春なんてものがなければと、思うことばかり。

『俺は青春という言葉がある限り、青春を全うすることが正しいとされる限り、それを目指す同級生達の中で俺の存在は拒絶され続け、結果いじめに発展する。それがクラスで例えた具体例です』
『…………』
『先生だって、わかってるから声をかけたんでしょう? 大丈夫です。以前と違っていじめられているわけじゃない。俺はこのまま大人になるのを待つだけだ』

 そう。それが一生続くわけではないし、そもそもここには勉強をしにきているだけなのだから。今だけだ。大人になってしまえば関係ない。
 今だけ。今だけの話。

『そうですか』

 九条はうんと、頷いた。

『つまり峰吉君は、峰吉君を一人の人として受け入れてくれる場所や人を探していて、そのキーワードとして青春が嫌いという言葉を使っているのですね』
『…………は?』

 一瞬、頭の中が真っ白になった。俺の心を、今までを、踏み躙られた不快感を抱いたからだ。俺の今の話をそんな軽々しい言葉で勝手に解釈し、当然のようにあっさり目の前に提示しやがった。
 ありえない。人の気持ちを考えたことはないのだろうか。
 ……けれど、俺のそんな心情になんて九条は気づかない。

『なるほど、一言でヒットするいいフレーズだと思います。さすがです』
『さすがって、さっきから馬鹿にしてんのか?』
『? いえ、そのようなことは一切ありません。お話しされた内容を整理するとそういうことになるじゃないですか』

 沸々と湧き上がる怒りを抑え込む俺に向かって、九条は当たり前の顔をして、平然とそんなことを言う。

『つまり、峰吉君が嫌っているのは峰吉君を否定するもの。それは中学時代の同級生と教師であって、その時に教師から理由のように使われた青春という言葉が今も峰吉君を否定するキーワードとして心に残っている』
『…………』
『なので、峰吉君は自分を否定しない人、イコール青春を嫌う人と自分の中で定義づけし、その条件のもと峰吉君を受け入れてくれる場所や人を探してこの高校へ入学した。ということになりますよね?』
『…………』
『その為、自己紹介の場であのようなことを発言したけれど、結果、今回はそのフレーズでヒットする人物はいなかった。しかしヒットしないというだけで峰吉君は全てを否定するような人では無いので、クラスメイトそのものが嫌いなわけじゃないと以前にも発言しています。で、なんですけど』
『……なんですか』

 聞いていくうちに、当初湧き上がっていた怒りはいつの間にか姿を消していて、今は九条の考察が聞きたかった。それは俺とは違う角度から見た俺自身だと正しく思えたから。

『私、思うんです。峰吉君は青春の意味を自分なりに捉えた上で、そこに行動の原因や責任を押しつけ、それで良しとして自分を守っているのではないのかと』

 ——それは、聞き覚えのある言い回し。
 嫌なものがどろりと胸に流れ込み、耳を塞いでしまいたかった。けれど九条にそんなことがわかるわけない。

『それは結局、峰吉君も青春という概念に踊らされている人間の一人ということになりませんか?』

 そして容赦なく突きつけられた、九条から見た俺の受け入れ難い現実が、そこにはあった。
 それは俺の全てを奪い去り、俺が守ってきた俺自身が、俺の存在が全て否定された瞬間だった。
 だって俺が否定してきたものと俺が掲げてきた正義は、角度を変えれば同じものだったなんて。今まで信じてきた俺は、俺自身はどこにもいなかったなんて、そんなの絶望しかなかったから。
 ——けれど、九条にとっての捉え方は違った。

『つまりそれって、私達は皆同じ志を持つ仲間だということになりますね!』

 その言葉に、俯いていた顔が引き上げられるように上がる。九条は、まっすぐな瞳で俺を見つめていた。

『今ここにいる私達は青春時代をどう生きるか、という壮大なテーマを掲げて生きている仲間ということです。そこにはそれぞれの青春に対する捉え方があるので、誰も間違ってはいないし、誰も拒絶される必要はないのです。悪いのは青春の概念でも、それに踊らされる周囲でもない。あなたをいじめた中学時代の同級生と、あなたが否定されたと受け取る発言をした教師だけなのです。それ以外、悪いものなんて一つもない』

 九条は淡々と、当たり前のようにそれを告げると、にっこりと笑う。

『ここにいるのは何も変わらない、それぞれの私達なのですよ』
『……先生』
『だから! 峰吉君はそのまま峰吉君の青春を駆け抜けましょう!』
『……へ?』

 感動していたところに突然やってきた、嵐。のちに俺はこれに九条節と名付ける。

『それでは、君の“青春を否定するという青春”のその次の議題へ! 次のステップは“だとしたら一体青春とは何なのか”でしょうか!』
『…………』
『それこそ私の出番ですね! 次回は私が語る番になってしまうかも! 新たなステージの幕開けです! あ〜心を曝け出す瞬間はいつだってなんて尊いのでしょう……!』
『……帰ります』

 そうして準備室を出ていく俺に、何事もなかったかのような綺麗な笑顔で、『お気をつけて』と品良く手を振り見送る。それが九条直子という人間なのであった。