新しい制服に身を包み、期待と不安から浮き足立つ同級生の群をすり抜けるように躱していく。そして、黒板に貼り出された座席順を元に指定された自分の席に着いて、改めて教室内を見渡した。
 周囲には知らない顔しかない。当然だ。知った顔が一人もいないからこの高校を選んだのだ。俺はもう、誰とも関わりたくはないし、俺の自由を尊重した人生を歩むのだと決めていた。
 ——それなのに。

「私は、青春を愛しています」

 教壇に立つ教師からまず初めに自己紹介の中で告げられたのは、そんな言葉だった。
 青春。アオハル。若者といえば、みたいなその言葉。俺はそれが大嫌いだ。
 俺たちのような年代の人間には自動的に“青春時代を生きています”というラベルが貼り付けられるのだが、貼られたものは青春を謳歌していないとみなされるとその表記に相違があると判断され、不当表示された商品のような扱いを受けることになる。つまり法律違反者の扱いみたいなものだ。
 その扱いを受けてきたのが俺。中学時代の俺。青春という名の正義を振り翳した頭の中すっからかんの奴らに、一人が好きで、自分の意志を貫いてきただけの俺は俺自身を否定され続けてきた。
 そんな思いはもうたくさんだと、必死に努力を重ねて奴らと顔を合わせることのない有名私立高校に受験、入学を決めるも、現在、入学初日から最悪な事態に遭遇している。
 まさか、自分のクラスを受け持つ担任からそんな言葉が出てくるとは。
 けれどそんな俺の思いとは裏腹に、同級生達は担任の言葉に興味関心が惹きつけられたのか、一つの大きな塊になったみたいに続きが聞きたいと、同じような目をして教師に期待を向けている。
 それに応えるように、教師は話を続けた。

「青春とは若い時代を表す他に、人生の春を例える言葉でもあります。たった今新しい毎日を迎えようとしている皆さんは正に、青春の真っ只中にいるといえます。そして、そんな皆さんと共に私も私の青春時代をここから始めたいと思っています」

 いやいや、おまえの青春何回来るんだよ。
 心の中でそう突っ込んだその瞬間、教室内を見渡しながら語りかけていた教師とふと目が合った。すると同時に、ぞっとおぞましい何かが背筋を駆け上がるのを感じる。教師のまるで瞬きを忘れたかのような開き方をしたその瞳から、強い意志以上の何か狂気じみたものを感じたのだ。

「青春を蔑ろにすることは私が許しません。それぞれの青春を皆さん、全力で楽しみましょうね」

 にっこりと微笑む教師の言葉を同級生達が受け入れる空気感が漂う中、そのバトンは何事もなく次へと渡され、それぞれが思い思いの自己紹介を順番にしていくこととなった。
 そしてそれは勿論、ここでも俺は受け入れられないのだと思い知った瞬間でもあった。


 その教師の名前は、九条直子(くじょうなおこ)という。
 小柄でほんわかとした柔らかな雰囲気が漂う外見を持ちながら、凛と背筋を伸ばして正々堂々ものを言う品のある女教師だった。年齢は二十代半ばから後半、といったところだろうか。これは自分もつい最近まで青春してました!といったタイプだろうなと、言葉のところどころで見られる教師の自尊心を感じながら思う。絶対に相容れないだろう。
 なるべく関わらないように生きていこう。そう心に決めて、俺の高校生活はスタートした。恥ずかしげもなく青春を愛しているだなんて口にする教師も、群になって同じ意志を共有して楽しんでいる気分になっているだけの同級生も、皆危険だ。青春に依存して乗っかっている青春中毒者でしかない。


峰吉(みねよし)君」
「…………」
「峰吉晴馬(はるま)君」
「……何ですか」

 背後にある扉が開いたのは感じていた。でもまさか九条が来るなんて思いもしなくて、一人の時間を邪魔されたことで心に不快感を抱く。

「良い場所を知っているのですね。私もご一緒してもよろしいですか?」
「…………」

 良い場所とは? 俺がいるのは校舎の外階段だ。一人で昼食をとる俺にとってはそうであっても、こいつにとってそれが当て嵌まる訳がない。
 つまり、表面上で理解した振りをし、俺に取り入ろうとしているだけである。自分の受け持つクラスで問題が起こらないよう、きっかけになりそうなはみ出た俺を警戒しているのだろう。
 であれば、変に跳ね除けるより、安心させて遠ざけることがベストだといえる。

「……いいですけど」
「いいんですか?!」

 すると、なぜか物凄く驚いた様子の九条が声をあげたので、俺は訝しく思う感情をそのまま露わにして奴を見上げると、ハッとしてヘラヘラ誤魔化すように笑いながら奴は隣に腰をおろした。

「まさかご承諾いただけると思わなくて」
「…………」
「へへ、嬉しいです。お邪魔いたします」

 そして、「では、いただきます」と、しっかり持ってきていた自分の弁当を膝の上に広げると、綺麗に背筋を伸ばしてそれを食べ始めた。

「峰吉君もお弁当ですね。お母様の手作りですか?」
「……そうですけど」
「いいですね〜きっと素敵なお母様なのでしょうね。お母様と仲がよろしいんですか?」
「まぁ、人並みに」
「そうですか。それは良いことですね」

 まずは俺の家庭環境から確認ってことか? 妙に笑顔を浮かべているのがやけに鬱陶しい。こうやってまずは話しやすい空気を作って、みたいなのは面倒だ。聞きたいことがあるなら早く済ませて欲しい。

「あの、何か用があるんじゃないんですか?」
「?」
「俺に。聞きたいこととか、確認したいことがあるなら言ってください。九条先生の貴重なお時間をこんな所で消費させる訳にはいきませんので」
「……あー、なるほど」
 
 ぽつりと呟くように相槌を打つと、そのつくられたように綺麗な笑顔を変えることなく、九条の目に力がこもる。それは自己紹介の時に見たあの瞳だった。

「ではお訊きしますが、なぜ自己紹介であのようなことを?」
「あのようなとは?」
「“青春なんてしたい人がすれば良いと思うので、こんな感じなら俺は皆さんに関わらないようにします”」
「よく覚えてますね」
「そりゃあ、印象的でしたから。それからずっと君は孤立しています」

 そう。あの日の自己紹介はこの教師のせいで青春肯定派に偏った自己紹介が次々に飛び出し、このままクラスのスローガンにでもなろう空気だったので、俺はどうにも耐えきれず、皆の前で青春否定派を宣言したのだ。
 その結果、なるべくしてなった通り、俺は一人だ。もうこれがあるべき形なのだと思う。

「嫌じゃないのですか?」
「嫌とは?」
「集団から孤立し、一人になってしまうことです」
「はい。嫌がらせされるわけでもないので」
「では訊き方を変えます。寂しくはないのですか?」
「はい。これは思想の違いですので、仕方ないことです」
「……なるほど」

 教師は静かに、瞬きもせず、その丸い大きな瞳でじっと俺を見つめる。俺の、奥底を覗こうとでもしているかのように。まるで探検家……いや、研究者のような瞳で。
 それに気づくと、またぞっと悪寒が駆け上った。

「な、なので、心配は無用です。俺は俺の信念に乗っ取り行動したまでです。無理に歩みよるつもりも、受け入れられようとも思っていません」
「何故そんなに彼らを嫌うのです?」

 教師は話を終えるつもりはないらしい。食い入るように見てくるその瞳の圧に耐えられなくて、早く逃れたくて結論へ急いだ。研究対象への興味の持ち方に似た視線はとても気持ちの良いものではなかったから。

「別に、彼ら自身を嫌っている訳ではなく、俺が嫌っているのは青春という言葉やその概念から生まれる行動なんです。俺は青春というもののせいで俺自身を拒絶されてきました。だから、その青春を受け入れて踊らされている状況が、周囲が、嫌で仕方ない」

 そう。こうだからこうする、と、わかりやすく何かの型に嵌まることで考えることを放棄し、群れになることで不安から目を背け、そうでなければならないと違う者にまで強要する。それが青春という概念を愛する人間達の間には顕著に表れるのだ。
 何故なら青春時代では、青春を全うするに相応しいものだけが受け入れられ、そうでなければ虐げられるから。それを可笑しいことだと真っ只中の人間は考えもしないから。
 だから俺は彼らとは関わりたくないし、彼らに受け入れられないのが俺だということもわかっている。
 何故なら俺は見た目は冴えないし、団体行動が苦手で一人を好む人間だから。
 それが俺で、俺を取り巻く環境なのだ。

「俺は俺を否定する青春が嫌いであり、それを受け入れる周囲の行動や考え方を拒絶していて、俺を曲げてまでしてそれらを受け入れるつもりもありません。なのでそれが原因で生まれたこの現状は俺を否定するものとは逆に、俺が俺である証だとも捉えています」

 そして逃げるように、一気に捲し立てるように言葉にして語りながら、改めて、そうか、そういうことだなと自分に納得した自分に出会えた。もしかしたら他人にこのように自分のことを語るのは初めてだったからかもしれない。

「つまり、この現状を含め、全ては俺の正義なのです。俺の、俺としてここに存在するために貫くべき道理。彼らと違う人間の在るべき姿。俺が俺であることの証明。だから俺は、孤立して一人になったとしても、嫌でも寂しくもない」

 そう結論づけ、全てを語り切ると、なんだか頭がすっきりと軽くなったようだった。俺は今、俺を受け入れる為の言葉を得た、そんな感じ。自分を自分で納得させ、説明出来るまでのピースが揃ったような。そして一枚の俺という絵になったような。
 そして、そんな俺を、九条は目を丸くしたまま見つめていた。その、やけに力のある視線が鬱陶しく感じたちょうどその時。奴はぱちりと一度大きく瞬きをすると、

「つまり、それが君の青春ということですね!」

 と、嬉々として勝手な解釈を、まさかその言葉で表して結論づけてみせたのだ。

「……はい?」

 あれ? 今俺そんな受け取り方される話したか?と、思い返すよりも早く、身を乗り出した教師に俺の手がひったくられる。抗議しようと目を向けた先、奴の瞳には、何やら先程までとは違う色をした光が宿っていた。

「なんて苛烈で美しいの!」
「は?」

 ギラギラと輝く、九条の目。
 痛いほど握られた、俺の左手。

「私は、君の青春を尊重します。これから二人で深掘りしていきましょう!」
「はぁ?! いやっ、俺は青春なんて、」
「あぁ〜この学校に来て良かった! なんて幸せなの!」
「いやだからっ、」
「明日からが楽しみ! 一体どんな輝き方をするのでしょう……ねっ、峰吉君!」
「っ、」

 ……正直に言おう。この時俺はビビっていた。ビビってしまったのだ、このガンギマリな目をした教師のあまりにも勢いづく様子に。

「は、はい……」

 こいつ、薬でもやってんじゃないのか?
 その時の俺がこんな推測を抱いてしまったのは仕方のないことだと今でも思っている。
 九条直子。こいつはかなりヤバい奴だった。