マツセンがなんとも言えない表情を浮かべてから、「まぁ」と話を続ける。

「とりあえず最初の理解はそんなもんで大丈夫かな……。枝本は基本的に顕現前に回収し、蓮台寺(れんだいじ)で焼却後、その灰は自然に還すんだ。万が一に顕現してしまった場合は、枝本の中に梟徒が入って核を破壊する。核は無機物である場合もあれば、有機物や人智を超えた存在である場合もある。いずれにせよ、書き手の深層心理の特異点にあたる部分が核だね」
「すんません、理解がまったく……」

 俺が首を傾げながらやんわりと挙手をすると、隣の義人(よしと)が助け船を出してくる。

「お前、ホラーゲームとかやったことあるか? 顕現っていうのは、本来はゲーム中だけで進行するシナリオが現実世界まで飛び出て影響してくることを言う。ゾンビがテレビ画面から出てきて本当に人間を襲い始めたらびびるだろ。だからそうなる前に梟徒は枝本を回収してんだ。で、万が一に顕現しちまった場合だ。警察や政治家にも協力してもらって金梟会が現場を対応して、その間に梟徒が枝本の中に入ってラスボスを倒す……ついでにラスボスはゾンビどころか天使や大量殺人鬼、見たことねぇ複雑な機械やエイリアンだったりもする。っつーのが、抹波さんの今の説明だ」

 義人が説明を終えると、向かいに座ったマツセンが「おおー!」と小さく拍手をする。俺はというと、背負ったままだったリュックサックからジャムパンを取りだし、袋を乱雑に破いて口に含んだ。

「おい、なんで食ってんだお前」

 義人が机に両手をついて目を見開く。俺は甘ったるい苺ジャムの強烈な糖分を感じながらムシャムシャと咀嚼した。

「なんか、色々ありすぎて、すげえ腹が……」
「腹がすげえ減ったからいきなり菓子パンを食ったのか? お前ヤバいな、マジで」

 ドン引きした様子の義人が深くパイプ椅子に腰掛け「はあ」と深く息を吐く。袈裟の胸元を手で緩め、手団扇で風を取り込む。

「ああー、メンドくせ。なんかお前見てると、仕事の悩みとかもどうでもよくなってくるわ」
「あんたに、悩みなんて、あるんすか」

 俺がジャムパンの一番美味しい部分を千切って差し出すと、「食わねーよ」と手で追い払う仕草をされる。

「つか、食えねえし。ほんと規格外だな、おめぇはよ」
「苺ジャム、苦手なんすか」
「馬鹿。オレは好き嫌いはしねぇ。でも、大腸の大部分がごっそりねぇんだよ。梟徒選定の時に摘出手術を受けたから。唾液は出るが飯は食えねぇ。お前は何を犠牲にしたんだよ?」
「犠牲……いや、俺は受胎池でマツセンの血を飲んだだけで……」
「本部に臓器を取られてないのか」

 義人が驚いた顔で俺を見て、それからマツセンのほうを見た。マツセンは「言ってなかったね。ごめん」とだけ言い、頬杖をつく。義人は数年前に大事故に遭い、生死の境を彷徨った時に、金梟会所有の総合病院にて「善意で」治療を施されたと言う。

「摘出された臓器と引き換えに、枝本の中に入る力を与えられた。梟徒になるつもりも、枝本や金梟会のことも何も知らねぇのに、何もかもが勝手に決まってた。それまでのことも、ほとんど記憶が残ってねぇ。事故の後遺症らしいがな」
「勝手に臓器を奪われたって、」
「当時は『治療の為に』って説明されたけど。梟徒は、感情・五感・生命維持活動機能の内ひとつもしくは複数を失ってんだよ」
「失う……それは、全員が?」
「全員。一人残らず」
「マツセンも……?」
「当然だ。例外はねぇ」

 加えて、「輸血及び傷の治療は金梟会本部屋敷内か、指定病院でしか行えないルールがある」と義人は説明した。そのまま深い溜息を吐く。

「なるほどなぁー……あの我妻さんが『世界がひっくり返るよ』なんて言うはずだよ。抹波さんから一番弟子ができたなんて聞いた時は目ん玉が飛び出るくらい驚いたが、お前、マジで規格外なんだな」
「我妻って、たしか元警察官で生臭坊主の……」
「おいおいおい。あんまり下手なこと言うなよ。あの人怒らすとやべーからな……金梟会はこの通り常識が通用しねえぶっ飛んだ組織で、梟徒同士も全員が全員、味方って訳じゃねぇ。お前も俺も不幸に巻き込まれちまった者同士、与えられた任務をこなしていくしかねぇが、敵はできるだけ作らないに越したことはねぇぞ」

 義人が俺の咀嚼する頬を見つめながらそう言うと、マツセンが「悪い、そろそろ時間だ」と言って、教材を手にパイプ椅子から立ち上がる。

「じゃあ、義人。悪いけど、天屯君の初任務のサポートをお願いね」
「了解です。抹波さんも苦手な職員会議、頑張ってくださいよ」
「は~い……」

 猫背でボソボソと返事をするマツセンが、付箋のついた一冊の本をテーブルに置く。元は緑色の革の表紙が飴色に日焼けしており、ところどころ破れた箇所もある。

「お気を付けて」

 義人の言葉に、マツセンは手を軽く振りながら準備室を出て行った。
 マツセンが居なくなると、義人は手早く準備室のドアを二重に施錠してから、長机の上に置かれた古い革表紙の本を開いた。

「これが『EDEN』だ」