「ただいま」
「お母さん、おかえり」
「うん、遥香(はるか)いつも色々ごめんね」
 申し訳無さそうな顔をしてそう言った。いつもと同じように。
 私にとって親は、お母さんだけだった。
 正確には、私はお父さんのことをあまり覚えてない。知らないことの方が多い。
 私が幼少期の頃に病気で亡くなってしまったらしい。
 それから、私とお母さん二人で暮らしていた。
 お母さんは、家にいることが少なく外で働いていることのほうが多かった。家のことは、あまりできていないからとお仕事から帰って来ると決まって『いつもごめんね』というのだ。
「謝ったりしないでよ。お母さん、本当にいつもありがとう」
 これは本気で思っていることで嘘なんかじゃない。お母さんのおかげで学校に行くことができたりしているんから。ほとんど私のために働いてくれているのに、だから謝る必要なんてないんだよ。そう気持ちを込めていつも告げているのにこの言葉をしっかりと受け取ってくれないのだ。今日もまた、きっと......

「そう? でも、私仕事ばかりで...遥香いつも色々やってくれてありがとう」
 困ったような微笑みを浮かべる。
 あぁ......またいつもと同じ。いつからこの顔を見るのが当たり前になってしまったのだろう。仕事から帰ってきたお母さんを困らせるだけ。
 こんな顔をお母さんにはしてほしくなくて急いで話題を考える。
「お母さん、夕ご飯はラップに包んで用意してあるから後で食べてね」
「分かったわ。遥香の作った料理はいつも美味しいから、楽しみ」
 そう言って、お母さんが部屋で荷物を置いたり、部屋着に着替えている間に私はお母さんの夕食を準備をする。時間は午後九時を過ぎていて、私が自分の夕食を作るときに一緒に作ったものでもう用意できているから、ご飯を盛ったりとか簡単なことしかやることは残ってないけど。
 慣れた手付きでどんどん用意していく。
 お母さんは仕事から帰って来るのがいつも遅く、私は先に夕食を済ませる日が多かった。一緒に食事をする日は基本的に少ない。
 本当は一緒に食べたり、一緒に過ごしたりしたい。だけど仕事が忙しいから仕方がないのだ。もうひとりで食べるのは当たり前だからそんなこと言えない。
「遥香、用意してくれてありがとう。今日の学校はどうだった?」
 用意ができると丁度タイミングがよく、着替え終えたお母さんが姿を現した。
「うんん...いつも通りかな。教室のエアコンの冷房が効きすぎて冷蔵庫の中にいるみたいで寒かった。教室から廊下へ出たときの温度さがね、凄かったの」
「今の学校にはエアコンがあるのね。私が学生の頃じゃあ想像つかなかったわ。エアコンで風邪引いたりしないように気をつけなよ」
「うん、体調崩さないようにしっかり気をつける。ちゃんと定期的に水分補給とるようにしているし。そろそろ自分の部屋に行って勉強やったりするね」
 もし、私が体調を崩したりでもしたらお母さんに迷惑をかけてしまうから一番気をつけていたことだった。
 そのためか、私はめったに体調を崩したことない。
 お母さんは、机の上に味噌汁やご飯が置かれている机へ引き寄れられるようにして席に座る。
 時間が遅いのにこのまま話していても、仕事で疲れているお母さんの寝る時間が遅くなるだけだからと自分の部屋へ行こうと会話を切り上げ、リビングから出ていこうとするとお母さんがふとなにかを思い出したような顔をした。
「あっ、明日は夜勤で夜はいないから」
 この言葉に、歩き出していた足がぴたりと止まる。
 明日の夜はひとりだけ......?
 お母さんも誰もいない。密かに恐れている一番嫌な日。
 そう思っていることを顔に出してしまわないように、いつも通りの平気な顔をするように務める。
「うん分かった。お母さんおやすみなさい」
「遥香、おやすみ」
 ちゃんと上手く笑顔になれていたのだろうか。
 お母さんに違和感を感じてほしくなくて、すぐに顔をそむけて廊下の方へ逃げるようにリビングから出ていく。そして、急いで自分の部屋の中へと入った。そのままドアにもたれ掛かるようにしてこの場に座り込む。
「ひとり......か」
 情けないような弱々しい声とともに真っ暗な自分の部屋で小さく呟いた。なにも取り繕ったりすることもなく自然体のまま。
――ひとりはやだ......
 無意識のうちに体が小刻みに震えだす。私は、ひとりになってしまう時が一番嫌だった。だって、心細くて、寂しくなるから。
 いつも平気そうに取り繕って誰にも知られないように気をつけているけど、ひとりになってしまうときの寂しさはなにがあっても消えてくれない。不安になって、なにかをする気力もなくなってしまう。
 本当なら、もっとお母さんに頼ったりすれば良いかもしれないけど、仕事で忙しそうにしているのに、疲れているのにそんなことは絶対にできない。我慢しなくちゃ。甘えたりできないから。
 ずっとこのまま、今のままで学校に通わせてもらったりしていることに満足しなくちゃ...だめ。
 そう言い聞かせて、無理やり立ち上がる。
 一瞬だけ、勉強しないとと思ってもやる気が起きなかった。今日の私はもう駄目みたい。
 『勉強やったりする』ってお母さんに言ったのに結局やれない。できなくてごめんと心の中で謝ることしかできなかった。
 ひとりになるときも、一日一日の中に必ずある夜も好きになれない。
 こんなこともう忘れてしまいたい。
 だから、早く夜を飛び越えて明日が来てほしいと願ってしまう。
 無気力のままベッドの中へ深く沈む。
 今日も暗闇に包まれた夜の中、安心感がほしくて幼き頃にもらったお気に入りのぬいぐるみを抱きかかえながら深い眠りについた。




「おはよー遥香」
「おっおはよう、りょーくん」
 次の朝、いつも通りに学校へ向かうため通学路を歩いていた。
 ひとりで歩いていたのに、幼馴染の高屋涼生(たかやりょうき)と偶然に会ったのだ。
 後ろから急に声を掛けられてびっくりしてしまった。
 寝癖が少し残る髪の毛が夏の生ぬるい風でふわふわと揺れ日の光でキラキラ輝いていた。一重まぶたの小さな瞳を私の方へ太陽のような笑顔を向ける。制服もよく似合っていた。
 りょーくんとは幼稚園の頃からの友達で、親同士も仲がよくいつも一緒にいることが多かったのだ。りょーくんと名前を呼ぶのもその名残。
 だからお互いに色々なことを、私が母子家庭であることももちろん知っていて隣にいて一番自然体でいることができていた。気を無理に取り繕うこともする必要もなく自然と居心地が良い。
「今日も朝から暑いな。せっかく晴れているのに気温が高すぎるから、自然と吹く風が冷たければ丁度いい感じになるのになぁ〜」
「確かに。でも、それだと日焼けは避けられないから雲が空を覆ってほしいかも」
「太陽が隠れちゃうから、かえって寒くならない?」
「あっ、本当だ!」
 りょーくんが言わなかったら全然気づけなかった。じゃあ、どんなのがあったらいいのかと考えてみる。でも、あまり良いのが思い浮かばずにいると、ふいにりょーくんが小さく笑いをこぼした。
 どうして急に笑っているのかと疑問に思っていると、りょーくんはそんなことはお見通しとでもいうように口を開く。
「遥香は色々真面目に考えたりしていてすごいと思って」
「そうかな? ありがとう」
 いつも周りからよく真面目と言われることが多いけど、りょーくんが言うとちゃんとその言葉が心に浸透していくようにそう思えるから、素直に嬉しかった。私が笑うと、りょーくんもつられて目を思いっきり細めて笑い合う。
 りょーくんを見ると好きだと心の中で思うけど、それは言わないようにしている。りょーくん自身が私のことをどう思っているのか分からないから。幼馴染っていうこの関係が崩れてしまったらどうなってしまうのか考えると聞いたりできずにいた。
 穏やかな何気ないこのときがずっと続いてくれればいいのにとそう思ってしまう。
「そういえば、今日遥香のお母さん家に帰ってくる?」
 いつものように、りょーくんが心配そうな顔して確認してきた。
「今日はね...帰って来ないから家に帰ってもひとりだよ」
 震えないようになんとか言えた。でも自分がどんな顔で言ったのか分からない。無理やり笑顔を貼り付けてできたのだろうか。
「じゃあ今日は、遥香の家で夕食食べる」
 りょーくんは流れるようにそう言った。りょーくんがそう言うことはこれまで何度かあったから驚くことはないけど心配になることが多かった。
「突然、今決めても大丈夫なの? りょーくんのお母さんがなにか言わない?」
 私なんかのことでそうしようとしてくれていることに申し訳ない気持ちでいっぱいになる。だって、りょーくんにはちゃんと家族がいるから。
「メールで伝えておくから大丈夫だよ。お母さんならすぐに分かってくれるし」
とりょーくんはすぐに答える。私の不安をすぐになくしていくように。

「でも......私なら大丈夫だから、そんなに心配しなくてもいいよ」
 人に頼りすぎるとかえって後が辛くなったりするだけだから。りょーくんと一緒にいたいと思うけど、迷惑もなにもかけたくなかった。
「ひとりは怖いだろ。不安になるだろ。我慢しなくてもいいんだ」
 りょーくんはそらすことなどできないくらいの強くてまっすぐな視線で確信を持って言った。まだ私が小さかった頃、ひとりで沢山泣いていたのをしているから。ずっと私と一緒にいてきたから、わかっているとそう言いたいのかもしれない。
私はなにも言葉が思い浮かばず、なにも言えなかった。
「遥香はいつも、勉強とか家のこととか色々頑張りすぎているんだよ。それは簡単にできないことをだから少しくらい誰かに僕に頼っていいんだ...少しだけでも遥香が暗い気持ちにならないようにさせて」
 あぁ......私は結局いつも、りょーくんには敵わない。
「分かったよ。今日は一緒に夕食作って食べよう」
「うん」
 と嬉しそうな顔をして頷いた。

 その後もりょーくんと色々と他愛のない話していると気づいたらだんだん学校の校舎が見えて来た。
 私たちが通っているは偏差値が少し高めだった『青花高校』というどこにでもあるような普通科の高校だ。
 部活動が盛んで校庭から朝練している声が聞こえてくる。
「教室涼しくなっているかな?」
「誰かがエアコンをつけてくれていると思うよ」
 手で少し顔を拭ってみると薄っすらと汗が肌から滲み出ていた。
 夏だと改めて思う。
 校舎に入ると太陽の光が遮断されて熱が完全にではないけど遠ざかる。
 私やりょーくんも同じクラスでそのまま一緒にドアを開けた。教室のエアコンからの涼しい風が廊下の方へと一気になだれ込んでくる。
 涼しくて気持ちいい。
「遥香、おはよう。今日は高屋くんと一緒に来たんだね」
「うん、おはよー莉奈(りな)。歩いていたら偶然会って」
 この高校に入学して初めて友達になった莉奈だ。席が近くだったのをきっかけに好きなものについて話してみると意気投合して仲良くなったのだ。
 正義感が強くて、とっても優しくて色々といつも助けてもらっていた。
 穏やかな雰囲気のかわいい女の子だ。
 
 私がりょーくんの側からすぐに離れて自分の席へつくと、莉奈がすぐそばへやってきた。
「高屋さんとは付き合いだしたりしないの?」
 小さな声でそっと私に問う。
「うん...今のままで十分だから」
 莉奈には私たちが幼馴染だと教えてあるけど、まだ私の家庭については上手く話せていない。
 でも莉奈はなんとなくなにかを察しているようで詮索しないで私からちゃんと言うのを待っていてくれているような気がしている。
 どう思われるのか怖いけど、莉奈にはしっかりと言おうとは思っていてもなかなかできずにいた。
 いつかは必ず――
 そう心の中で思い続けるだけだった。心の準備が勇気が持てたそのときが来たらと。

 りょーくんが私に優しくしてくれるのは、恋愛感情があってのものじゃないと私は思っているから。
 幼馴染として母子家庭の私のことを心配になってしまうだけだって。
 でも、ときどき勘違いしてしまいそうになるけど、その都度にそうじゃないって自分に言い聞かせていた。
「そう...でも、後悔とかする前にはちゃんとしっかり伝えなよ」
 真面目な顔をして、まっすぐ視線を私の方へ向けながら言う。
「うん、分かったよ」
 言えたらいいなと思うけど、それができないからと笑顔を貼り付けて少し誤魔化した。
 なんだか気まずい空気になってしまいそうで急いで話題を考える。今日の授業でやることと言ったら...そうだ!
「そういえば、今日の二時間目に地理の授業小テストがあったよね。やばいなにも覚えてないや」
 勢いのままに地理の授業用ノートを広げた。
「あっ、そうだ。そういえば小テストじゃん最悪」
と嫌な顔をして莉奈は自分の席へ慌てて戻りノートを開いて暗記しようと集中し始めていた。
 ひとりになった私は周りをそっと伺ってみる。りょーくんは友達と笑い合って話していた。
 いつもの光景、いつもの日常。このクラスの人たちが私とりょーくんの関係をどう思っているのか分からない。幼馴染なんだと知れ渡っているかも知れないし、付き合っているのではないかと思われているのかもしれない。
 私は人と関わるのがあまり得意じゃなくてどちらかというと苦手だ。噂なんて一度も聞いたことがない。
 なにも起こらず過ぎていきますようにと思うだけ。
 お母さんの心配の種を増やしたりしないように成績をしっかり維持してしかねばとノートに書かれている内容をしっかり暗記できるように気持ちを切り替えて集中し始めた。


「今日も疲れたーやっと帰れる!」
 1日があっという間に過ぎていき、帰りのホームルームが終わり放課後となった。
 鞄を持って軽く背伸びをする。
「じゃあ、また明日ね」と莉奈に伝えると、私は急いで学校から出て家へ向かった。
 あまり変わらないじゃんっと思われてしまうかもしれないけど、りょーくんと一緒に教室を出ていったりするのをクラスメイトあまり見られたくなくて帰りとか時によるけど今回は私が先に家に帰ってりょーくんは一旦自分の家に言って鞄を置いたりしたあとに私の家へ行くことにした。噂とかなにかしらのトラブルになるのを避けたかったから。人は常になにを思っているのか分からないから念の為。

 りょーくんが来てくれると思うと不思議と怖くなくなって足が軽い。
 今日の夕飯は何を作ろうかと考えたりしながら歩いていると家に着いた。
 お母さんも誰もいない家の中へ入ると、太陽の光のおかげで薄っすらと家の中が明るかった。
 鞄を自分の部屋へ置いて、部屋着に着替えたりといつも通りのことをしていく。
 そんなことをしているとしだいに時間は過ぎて玄関のチャイム音が鳴り響いた。
 誰なのかモニターで確認して慌てて駆け寄り、家の鍵を開けてドアを開けた。
「りょーくん、今日はありがとう」
「うん。じゃあ、お邪魔します」
 りょーくんはふんわりと微笑みを浮かべながらきちんと挨拶をすると家の中へと入っていった。
 もう何度もりょーくんは私の家に来たことがあるから、どこがなんの部屋なのか分かっていて流れるように台所の方へと歩いていく。
 台所で手を洗ったりしたあとさっそく「今日は何を作る?」と質問してきた。
「カレーとかどうかな?」
 なにを作るのかあまり思い浮かばなくて、最近食べていなかったからと提案してみた。でも、言った後に夏だから暑くて嫌かもしれないと小さく心の中で後悔する。
「カレーか、作るとなると結構久しぶりかも。僕はあまり料理とかしないからあまり手伝えることなさそうだけど、今からでも楽しみ」と嬉しそうに笑う。
 そう思って貰えて良かったと思いながら、「カレールウ使うから簡単になっちゃうけど、それじゃあさっそく作ろう」と冷蔵庫を開けながら言う。
 慣れた手付きで具材を出して、りょーくんにじゃがいもや玉ねぎなど切ってもらうのをお願いしたり分担してスムーズにやっていく。
 りょーくんは、料理を作ることあまりないと言ってもたまにこうやって一緒に作ったりするから包丁で具材を切ったりするのが結構上手だったりする。本人には自覚がないみたいだけど。
 具材が切れたら鍋に油を引いて炒め始めた。
「暑い〜!」
「夏の料理って大変だよな。エアコン温度少し下げてもいい?」
「うん。汗かいちゃうし、水分補給もしっかりしなくちゃ。熱中症になちゃうよ」
 水をこまめに飲みたまに話したりしながら、鍋に水を加えて煮込んだりルウを入れたりしてあっという間にカレーが完成していった。
 ご飯を盛り付けてカレーをかけて最後にトマトを添えて無事に完成した。

「お腹すいた。うまそー」
「いい匂いがするね。やけどしないようにね。食べよっか」
 手を合わせて、いただきますを言ったあと、一口また一口と食べ進める。
「美味しい。無事にできて良かった」
「自分たちで作るとより美味しく感じるな」
 一人で作るよりもふたりで作る方が楽しかった。
 ひとりじゃないときって時間の進みがあっという間に過ぎていく。
 カレーをしっかり味わって無事に完食すると、りょーくんが家に帰ってしまうときが近づいていってしまうともっといてほしいのにとこういうときに毎回思う。もし行かないでと言えばりょーくんはどう反応するのだろう。そんなこと怖くて言えないけど、もし言えたら側にいてくれるのかな。
 そう思っているのが顔に出てしまっていたのかりょーくんは心配そうな顔した。
「遥香、どうしたの? 大丈夫?」
「うん、全然大丈夫だよ」
 反射的にそう返してしまった。大丈夫じゃないなんて言えない。
 本当は君がいなくなって、ひとりになってしまうのを恐れているだなんて言えるわけないのだ。
 恋人関係でもないから。ただの幼馴染でしかないから。
 いつも見せる顔も声も好きだなんて...気持ちを抑えこまないと駄目だから。
「りょーくん、今日はありがとうね。やっぱりひとりじゃないときの方が楽しく過ごせる。嫌なこととか全部忘れることができて、いつもありがとう」
 りょーくんを心配させすぎないように笑顔で声を上げて伝えた。
「遥香がそう思ってくれているなら良かった。こちらこそ、今日はありがとう。一緒に料理したりするの楽しかった」
 
 そろそろ帰るからと、玄関へ移動した。私はりょーくんを見送るのだ。
「じゃあ、また明日ね。りょーくん」
「うん、また明日な」
 そして、りょーくんは私の家から出ていこうとドアを開けて外へ出ていこうとしたそのとき――

 りょーくんは一度立ち止まった。そして口を開く。
 「遥香、僕は遥香のこと......」
 
 私のことが、なに?

「いや、なんでもない今のは忘れて」

 どうして、言ってくれないの?
 教えてよ。なにを言いかけたのか気になってしょうがなくなるじゃん。忘れることなんてできないよ。

「それじゃあ、今日はありがとう」
 そう言って、私の家から出ていった。
 告げようとした言葉の代わりに、お礼を言って。
 
 あのとき、りょーくんはなにを言いたかったの?
 止めればよかったのだろうか。そう思ってももう遅い。
 誰もいない私ひとりだけに戻った静かな家の中、さっきまでいた場所へ戻って食器とか片付けをしなければと無理やり体を動かしてりょーくんがなにを言いかけていたのか考えるのをやめた。


 そのときの私はまだ知らなかった。
 のちに今までで一番後悔することになるなんて知らずに――