宝条の本家では、軽症者の手当が行われていた。メイドや使用人たちがバタバタと歩き回っている。ほとんどの能力者は、琴葉の浄化で傷が癒えていたため、あとは体力を回復させるだけだ。
神楽を成功させて、そのまま倒れてしまった琴葉は、次の日の夜に目を覚ました。熱を出してしまっていた琴葉を穂花がつきっきりで看病をしてくれていたようだ。
「目が覚めたのね?よかったわ〜!気分は悪くないかしら?」
「えぇ、おかげさまで。もう大丈夫です。それで、戦いはどうなったのでしょうか……?」
恐る恐る尋ねる。
「ひとまず山梨の戦闘は終わったわ。珀くんとあちらの当主様が相討ち状態になって、どちらもまだ目を覚ましていないそうよ。」
「珀様が……まだ目を覚ましていらっしゃらないのですか!?」
自分の神楽は失敗したのだろうか。いや、確かにあの時、神に願いが届いたという感覚があったのだが。
「琴葉ちゃんの神楽は成功したわよ。無事願いは届いて、あの場にいる全員を回復させた。ただ、戦闘範囲が広かった分、重症を負っていた2人が完全に回復するほどの効果が得られなかったようなの。でも、あなたは十分働いたわよ。まだ病み上がりなんだから寝ていなさい。」
土壇場で神楽がいきなり成功したこと自体、奇跡に近いのだ。でも、それでも。最愛の珀を助けることができていない。まだ頭がぼんやりとしているが、無理やり体を起こした。
「穂花様。私にもう一度神楽を舞わせてください。珀様が目を覚ますまで、もう一度。」
穂花は困ったような顔をする。
「本殿の御扉を開ける判断は当主でないとできないのよ。琴葉ちゃんの気持ちもわかるけれど……。」
「僕に何か用かい?愛しの穂花ちゃん。」
その場にいた全員が驚いて、部屋の入り口を見る。ちなみに、部屋には数人のメイドがいた。
そこには、いつも通り緩い雰囲気を醸し出した宝条現当主、宝条一史とその秘書、白井暁人がいた。
「琴葉ちゃん、無事に目を覚ましてよかった。それで、もう一回神楽を舞おうとしているんだね?」
「一史様。お願いでございます、御扉をもう一度開けてくださいませ。」
一史は微笑んで頷く。
「僕も、息子に早く目を覚ましてほしいからね。開けよう。ただ……一つ条件がある。」
一史の顔が少しだけ険しくなる。
「今回は1人でやるんだ、琴葉ちゃん。昨日は僕が祝詞を奏上しながらだったから成功した、という可能性もあるよね。でも、これから先、僕らが必ずしも揃っているとは限らない。1人で神楽を成功させて、願いを届けられるようになる必要があるんだ。それに、僕は今回の戦闘の後始末があるしね。それでも、やりたいかい?」
成功するかしないか、ではない。これは、珀に早く回復してほしいという琴葉のわがままで、そして確かな願いなのだ。
「やります!やらせてくださいませ。」
その場の誰もが、琴葉の揺るがない意思を感じ取った。
「段々迷いが無くなってきているね。いいことだよ。じゃあ僕は本殿の御扉を開けたら暁人くんと一緒にセントラル病院に戻るとしよう。」
ついてこい、ということだろう。スタスタと部屋を去る一史に、琴葉は慌ててベッドから降りてついていく。
今もまだ微熱くらいはあるのかもしれない。体がふわふわしている。それでも、そんなことは珀を助けない理由にはならない。
本殿に入り、暁人とともに去っていく一史を、礼をして見送る。見えなくなった辺りで、顔を上げ、着替えを始める。形からしっかり再現することが成功の可能性を少しでも上げてくれることを信じて。その顔には一切迷いがなく、真っ直ぐ前を見つめていた。
※ ※ ※
「珀様の数値が安定してきております、一史様。もうじき目を覚ますかと存じます。」
「そうか、ありがとう。」
一史はセントラル病院に戻り、ベッド横の椅子で仕事をしていた。珀はすでに集中治療室から移動しており、個室が与えられていたのだ。そこに、医者がやってきて珀の容態を告げる。
回復傾向にあるのは、琴葉の神楽が成功しつつあるということだろう。信じて全てを任せてきて良かったと、一史は思った。もちろん、この機会に琴葉に成長してもらおうという考えもある。
「この先、どうすればいいかなぁ……。何を誰にどう伝えれば……。」
なんとなく呟いた言葉は宙に浮いたまま、誰にも届かず消え去った。綺麗な顔をして眠る息子の手を握って、その身にのしかかる重圧を少しでも取り除きたいと願う。
「……と、うさん?」
掠れた声が聞こえ、驚いて手を放す。
「珀!よかった、本当によかった……。」
一史の頬に自然と熱いものがこぼれる。息子が助かったということ。琴葉が成長したであろうということ。色々と相まって涙が止まらなかった。
急いでナースコールを押すと、慌ただしく看護師が入ってきて、検査を始めた。特に異常はないようだった。少しの間様子見で入院し、もう一度検査をして特に問題がなければすぐに退院できるとのことだ。
しばらくして、巫女装束の琴葉が病院に現れる。神楽を舞い終えて、すぐに車でこちらへ向かってきたのだろう。気を利かせて一史が一旦病室を出たのが見えた。
「珀様!お目覚めになられたのですね。お加減は大丈夫でしょうか?」
「琴葉!無事でよかった……。俺は大丈夫だ、お前のおかげでな。」
「え?」
「琴葉が願いを届けてくれたんだろう?俺は冷たい水の中を溺れ沈んでいく夢を見ていたんだ。そこに琴葉がやってきて、光のはしごを降ろしてくれた。俺はそのはしごを使って水から出たところで、目が覚めたんだ。神楽の力ってのはどうも不思議だな。でも、ありがとう。お前のおかげで助かった。」
自分の力で珀を助けることができたという実感がやっと湧いてきた琴葉。同時に、愛する人が助かってよかったという安心感も溢れてくる。思わず、ベッドに寝ている珀の上半身をぎゅっと抱きしめた。
琴葉の方からハグすることなどこれまでなかったため、珀は驚いてフリーズしてしまう。しかも、その状態のまま琴葉は珀の唇に自らのそれを落としたのだ。一瞬のことだったが、柔らかい感触に珀はさらに驚いてしまう。いつもは自分からしていたけれど、相手からもらうキスはここまで幸福を体現するものなのか。全身から琴葉への愛しさが溢れそうになる。
「はい、邪魔しちゃって悪いんだけど、珀くんに現状を説明しないといけないから、ちょっといいかな?」
部屋に一史が入ってくる。珀は父親相手には流石に舌打ちできないが、あからさまに残念そうな顔をした。琴葉とは手が繋がれたままだ。
一史の口から戦闘の結果が紡がれる。珀は黙ってそれを聞いていた。
「つまり、今回の魔形は月城魔形軍隊で、それを神楽玄がコンダクターで操り、宝条を潰そうと躍起になったがうまくいかなかった、ということで大枠は合っていますか?」
「そうなるねぇ。」
「そして、八重樫先生はスパイとして神楽に潜入していたけれど、結局敵の手に落ちた。月城に情報を流していたのは我が宝条家末席の烏丸家ということですね。」
「うん。音夜くんに関してはまだなんとも言えないね。実際に対戦したという隼人くんから報告を詳細に聞いてからまた考えよう。」
「隼人は今はどこに?」
珀はやはり幼少からずっと共にいた秘書兼唯一無二の親友が気になるようで、さりげなく報告に紛れ込ませるようにして質問した。
「隼人くんなら隣の個室で寝ているよ。熱があるようでね。しばらくは休ませてあげたいんだ。」
隼人は比較的すぐに意識を取り戻したが、そこから高熱でうなされていたらしい。どうも、能力者が能力を使いすぎると熱が出るようだ。
「そんな……。八重樫先生が……。」
琴葉は八重樫音夜に裏切られたような気がして、かなり気落ちしてしまった。でも、まだ神楽側に回ったと確定したわけではないから、と無理やり気分を元に戻す。
病室の空気が重くなったが、そんな空気を一変させるように、一史がパチンと手を叩く。
「まあ、まずは情報収集だ。起こってしまったことはしょうがないからね。この先はこれまで以上に情報戦になるだろう。みんなで協力して少しでも早く正確な情報を多く集めること。これが僕たちの最優先事項だよ。現状、圧倒的に情報が足りていないんだ、それも神楽に、じゃない。月城に対してね。」
みんなの顔がキリッとする。とはいえ、ひとまず大きな戦いはそれなりの損害を以って終わった。敵勢力もすぐに立て直すことは難しいはずなので、しばらくは情報戦に集中できるだろう。その日は珀、琴葉、一史の3人で病室のりんごを一緒に食べて、命があることを祝った。
神楽を成功させて、そのまま倒れてしまった琴葉は、次の日の夜に目を覚ました。熱を出してしまっていた琴葉を穂花がつきっきりで看病をしてくれていたようだ。
「目が覚めたのね?よかったわ〜!気分は悪くないかしら?」
「えぇ、おかげさまで。もう大丈夫です。それで、戦いはどうなったのでしょうか……?」
恐る恐る尋ねる。
「ひとまず山梨の戦闘は終わったわ。珀くんとあちらの当主様が相討ち状態になって、どちらもまだ目を覚ましていないそうよ。」
「珀様が……まだ目を覚ましていらっしゃらないのですか!?」
自分の神楽は失敗したのだろうか。いや、確かにあの時、神に願いが届いたという感覚があったのだが。
「琴葉ちゃんの神楽は成功したわよ。無事願いは届いて、あの場にいる全員を回復させた。ただ、戦闘範囲が広かった分、重症を負っていた2人が完全に回復するほどの効果が得られなかったようなの。でも、あなたは十分働いたわよ。まだ病み上がりなんだから寝ていなさい。」
土壇場で神楽がいきなり成功したこと自体、奇跡に近いのだ。でも、それでも。最愛の珀を助けることができていない。まだ頭がぼんやりとしているが、無理やり体を起こした。
「穂花様。私にもう一度神楽を舞わせてください。珀様が目を覚ますまで、もう一度。」
穂花は困ったような顔をする。
「本殿の御扉を開ける判断は当主でないとできないのよ。琴葉ちゃんの気持ちもわかるけれど……。」
「僕に何か用かい?愛しの穂花ちゃん。」
その場にいた全員が驚いて、部屋の入り口を見る。ちなみに、部屋には数人のメイドがいた。
そこには、いつも通り緩い雰囲気を醸し出した宝条現当主、宝条一史とその秘書、白井暁人がいた。
「琴葉ちゃん、無事に目を覚ましてよかった。それで、もう一回神楽を舞おうとしているんだね?」
「一史様。お願いでございます、御扉をもう一度開けてくださいませ。」
一史は微笑んで頷く。
「僕も、息子に早く目を覚ましてほしいからね。開けよう。ただ……一つ条件がある。」
一史の顔が少しだけ険しくなる。
「今回は1人でやるんだ、琴葉ちゃん。昨日は僕が祝詞を奏上しながらだったから成功した、という可能性もあるよね。でも、これから先、僕らが必ずしも揃っているとは限らない。1人で神楽を成功させて、願いを届けられるようになる必要があるんだ。それに、僕は今回の戦闘の後始末があるしね。それでも、やりたいかい?」
成功するかしないか、ではない。これは、珀に早く回復してほしいという琴葉のわがままで、そして確かな願いなのだ。
「やります!やらせてくださいませ。」
その場の誰もが、琴葉の揺るがない意思を感じ取った。
「段々迷いが無くなってきているね。いいことだよ。じゃあ僕は本殿の御扉を開けたら暁人くんと一緒にセントラル病院に戻るとしよう。」
ついてこい、ということだろう。スタスタと部屋を去る一史に、琴葉は慌ててベッドから降りてついていく。
今もまだ微熱くらいはあるのかもしれない。体がふわふわしている。それでも、そんなことは珀を助けない理由にはならない。
本殿に入り、暁人とともに去っていく一史を、礼をして見送る。見えなくなった辺りで、顔を上げ、着替えを始める。形からしっかり再現することが成功の可能性を少しでも上げてくれることを信じて。その顔には一切迷いがなく、真っ直ぐ前を見つめていた。
※ ※ ※
「珀様の数値が安定してきております、一史様。もうじき目を覚ますかと存じます。」
「そうか、ありがとう。」
一史はセントラル病院に戻り、ベッド横の椅子で仕事をしていた。珀はすでに集中治療室から移動しており、個室が与えられていたのだ。そこに、医者がやってきて珀の容態を告げる。
回復傾向にあるのは、琴葉の神楽が成功しつつあるということだろう。信じて全てを任せてきて良かったと、一史は思った。もちろん、この機会に琴葉に成長してもらおうという考えもある。
「この先、どうすればいいかなぁ……。何を誰にどう伝えれば……。」
なんとなく呟いた言葉は宙に浮いたまま、誰にも届かず消え去った。綺麗な顔をして眠る息子の手を握って、その身にのしかかる重圧を少しでも取り除きたいと願う。
「……と、うさん?」
掠れた声が聞こえ、驚いて手を放す。
「珀!よかった、本当によかった……。」
一史の頬に自然と熱いものがこぼれる。息子が助かったということ。琴葉が成長したであろうということ。色々と相まって涙が止まらなかった。
急いでナースコールを押すと、慌ただしく看護師が入ってきて、検査を始めた。特に異常はないようだった。少しの間様子見で入院し、もう一度検査をして特に問題がなければすぐに退院できるとのことだ。
しばらくして、巫女装束の琴葉が病院に現れる。神楽を舞い終えて、すぐに車でこちらへ向かってきたのだろう。気を利かせて一史が一旦病室を出たのが見えた。
「珀様!お目覚めになられたのですね。お加減は大丈夫でしょうか?」
「琴葉!無事でよかった……。俺は大丈夫だ、お前のおかげでな。」
「え?」
「琴葉が願いを届けてくれたんだろう?俺は冷たい水の中を溺れ沈んでいく夢を見ていたんだ。そこに琴葉がやってきて、光のはしごを降ろしてくれた。俺はそのはしごを使って水から出たところで、目が覚めたんだ。神楽の力ってのはどうも不思議だな。でも、ありがとう。お前のおかげで助かった。」
自分の力で珀を助けることができたという実感がやっと湧いてきた琴葉。同時に、愛する人が助かってよかったという安心感も溢れてくる。思わず、ベッドに寝ている珀の上半身をぎゅっと抱きしめた。
琴葉の方からハグすることなどこれまでなかったため、珀は驚いてフリーズしてしまう。しかも、その状態のまま琴葉は珀の唇に自らのそれを落としたのだ。一瞬のことだったが、柔らかい感触に珀はさらに驚いてしまう。いつもは自分からしていたけれど、相手からもらうキスはここまで幸福を体現するものなのか。全身から琴葉への愛しさが溢れそうになる。
「はい、邪魔しちゃって悪いんだけど、珀くんに現状を説明しないといけないから、ちょっといいかな?」
部屋に一史が入ってくる。珀は父親相手には流石に舌打ちできないが、あからさまに残念そうな顔をした。琴葉とは手が繋がれたままだ。
一史の口から戦闘の結果が紡がれる。珀は黙ってそれを聞いていた。
「つまり、今回の魔形は月城魔形軍隊で、それを神楽玄がコンダクターで操り、宝条を潰そうと躍起になったがうまくいかなかった、ということで大枠は合っていますか?」
「そうなるねぇ。」
「そして、八重樫先生はスパイとして神楽に潜入していたけれど、結局敵の手に落ちた。月城に情報を流していたのは我が宝条家末席の烏丸家ということですね。」
「うん。音夜くんに関してはまだなんとも言えないね。実際に対戦したという隼人くんから報告を詳細に聞いてからまた考えよう。」
「隼人は今はどこに?」
珀はやはり幼少からずっと共にいた秘書兼唯一無二の親友が気になるようで、さりげなく報告に紛れ込ませるようにして質問した。
「隼人くんなら隣の個室で寝ているよ。熱があるようでね。しばらくは休ませてあげたいんだ。」
隼人は比較的すぐに意識を取り戻したが、そこから高熱でうなされていたらしい。どうも、能力者が能力を使いすぎると熱が出るようだ。
「そんな……。八重樫先生が……。」
琴葉は八重樫音夜に裏切られたような気がして、かなり気落ちしてしまった。でも、まだ神楽側に回ったと確定したわけではないから、と無理やり気分を元に戻す。
病室の空気が重くなったが、そんな空気を一変させるように、一史がパチンと手を叩く。
「まあ、まずは情報収集だ。起こってしまったことはしょうがないからね。この先はこれまで以上に情報戦になるだろう。みんなで協力して少しでも早く正確な情報を多く集めること。これが僕たちの最優先事項だよ。現状、圧倒的に情報が足りていないんだ、それも神楽に、じゃない。月城に対してね。」
みんなの顔がキリッとする。とはいえ、ひとまず大きな戦いはそれなりの損害を以って終わった。敵勢力もすぐに立て直すことは難しいはずなので、しばらくは情報戦に集中できるだろう。その日は珀、琴葉、一史の3人で病室のりんごを一緒に食べて、命があることを祝った。