その日は、雪がちらちらと舞い、冷たい空気が手袋を突き抜けて指を悴ませるような寒い日だった。2月半ばである。
『緊急事態発生!山梨県西部で魔形が大量発生。手の空いている能力者は至急現地へ向かってください。』
能力者の連携アプリケーションが非常事態を知らせる音を鳴らす。普段、多少強い魔形が出たとしても、非常事態の通知が来ることはない。つまり、真の意味で非常なのだ。
珀は近くの動ける能力者をかき集め、転移を使ってすぐに現地に向かうことにした。このような事態が起こったら、琴葉は本家に預けることになっている。念の為、本家に連絡を入れておく。すぐに護衛が琴葉を本家へ送り届けてくれるはずだ。
まだ能力の発動ができない琴葉を戦闘に連れていくことはできない。近くで守ってやれないのがもどかしいが、仕方のないことだ。今はこうするのが最善である。
集まった能力者は宝条の者ばかりだった。あとは地位も戦闘力もそれほど高くない能力者ばかり。浅桜家や神楽家にも招集をかけたが、浅桜は現在別の討伐中で、神楽に至っては応答がない。この後に及んで何をしているんだ、と珀は苛立つ。
ひとまず、珀が総指揮となり、近くの駅まで転移を使う。
初めての転移の感覚に驚く能力者たちを横目に、珀と隼人を始めとする宝条家は一足先に現場へと走り始めた。
魔形の発生場所は住宅街のど真ん中。普通、魔形は人里離れた山や森の奥で発生することが多いため、住宅街での討伐は異例だ。まず、機動力の高い能力者たちが積極的に住民の避難誘導に取り掛かる。
戦闘力に優れた珀は、結界を得意とする隼人に避難の指揮を任せ、同じく戦闘向きの能力者たちを引き連れて暴れる魔形たちに近づく。
「は……?」
何かが違う。普段相手している魔形と比べて、どこか違和感がある。なんだ、何が違う?珀は魔形を目にしてすぐに違和感を感じたが、その原因がわからない。
でもそんなことを言っている場合ではない。すぐに切り替え、まずは魔形を住宅街から引き離すように攻撃を仕掛け始めた。
※ ※ ※
「琴葉様。非常事態ですので、今から我々が本家へ護送いたします。本家でしたら、一史様が直接お守りできますゆえ。」
車で本家へと向かう琴葉。その表情は不安を湛えていた。非常事態。魔形の大量発生と聞いた。自分の愛する人は、そんな中に飛び込んでいくのだ。想像するだけで恐ろしい。
「琴葉ちゃん、よく来たね。ここなら僕が直接守れるから安心してね。」
一史が迎えてくれる。いつもと同じようにニコニコしているが、どこかピリピリした空気も感じ取れる。それだけ緊急事態なのだろう。
客間に通された琴葉は、状況を知ろうとスマホで色々調べてみる。住宅街のど真ん中で発生したらしい魔形に怯え、逃げ惑う住民の映像が出てきた。避難誘導されながら動画を撮ったのだろう。
住宅地のど真ん中で魔形が出るなんて、ここ数ヶ月で勉強した知識と全然違う。何かとんでもないことが起こっているのではないか、それとも自分が無知なだけか、琴葉は心に不安という黒い塊が少しずつ、少しずつ落ちていくのを感じた。
自分が昨日までに能力を発動できていれば。力を使いこなせるようになっていれば。もっと前に実地演習を済ませていたら。今まさに、婚約者の隣で戦えたかもしれないのに。不安と同時に悔しさも顔を出す。思わず唇を噛み締めた。
その時。
ドーン!!!!
到底家では聞くことのないような爆音が響いた。何かが爆発したような。次の瞬間、地面がガタガタと揺れ、客間の花瓶が床に落ちて割れる。家中から叫び声が聞こえた。
ふすまを開けると使用人やメイドたちも同じようにそれぞれの部屋から顔を出している。すぐに一史が血相を変えてやってきた。
「襲撃された!僕が戦うからみんなはここで待機!」
宝条の本家が襲撃?ここは宝条家の代々の力の結晶である結界が張ってあるはず。それなのに襲撃されるということは敵は余程強いのではないか。それに、ただの魔形発生ではないのか、貴族のトップの家だ、故意に狙っているとしか考えられないではないか。
すぐに穂花が出てきて、使用人やメイドを一部屋にまとめる。もちろん、琴葉もだ。別の建物にいたメイドたちも、安全な場所を通って集まってきた。琴葉は本家内の連絡網に感心してしまう。
「私がわかる範囲で状況を説明します。ついさっき、東側で結界が破れて、そこから4人の男性が入ってきたわ。相手は魔形ではない、人間よ。だから、これは単なる非常事態ではないわ、戦争になる可能性が高い。もちろん、今の時点で確定していることは何もない。でも、ここも戦場になるかもしれないわ、心の準備をしておいてちょうだい。」
普段ほんわかしている穂花が、キリッとした顔で言う。その姿にみな、感銘を受けたかのように真剣に聞いていた。
それにしても、戦争になるかもしれないだなんて。魔形は増えてはいたし、強くなってはいた。でも、昨日まで平和だったではないか。
ドン!とかドカーン!とかゴゴゴゴとか漫画でしか使われないような音が鳴っていたが、しばらくして静かになった。そう思ったら、みんなのスマホに通知が来る。
「襲撃犯、全員ダウン!あなたとあなた、そしてあなたとあなたは地下牢に運ぶのを手伝ってきてちょうだい。」
本家の連絡網を使って一史が状況を知らせてくれたようで、そこに入っていない琴葉は穂花の言葉で襲撃から助かったことを知る。地下牢があるのには驚いたが。
数分後、一史と4人の使用人が戻ってくる。
「いやぁ、相手みんな音関連の力でさぁ、予測不能だから疲れちゃったよ。けど、これで敵が確定した。神楽家だろう。」
ハッとする。みんなの視線が琴葉に集まるのを感じた。
「ちょっとちょっと、琴葉ちゃんを見るのは違うでしょう。もう琴葉ちゃんは神楽家じゃない。宝条の娘なんだからね!」
みんなの視線からは逃れられたが、申し訳なくなって縮こまってしまう。
「結界は張り直したよ。チェックは毎日しているんだけど、とはいえ最近は張り直しができていなかったからね、東側の一部が綻んでいたみたいだ。敵さんはそれをめざとく見つけ出して、そこを集中的に狙って壊したってわけ。だから安心して大丈夫だよ。客室がいくつか壊れちゃったけど、それ以外特に被害はない。最小限に抑えたって言っていいんじゃないかな。」
一史が被害状況を説明する。
「ただ……今回のこの襲撃は山梨の魔形と無関係じゃないはず。あちらがメインだと思う。相手が神楽だと苦戦することになりそうだなぁ……。」
宝条のトップがそう言うのだ。きっとそうなのだろう。みんなの顔に不安が過ぎる。
「ああいや、とはいえ珀くんが総指揮だ。負けるわけないよ。隼人くんも強いし、宝条はみんな強いからね。僕らがそれを信じられなくてどうするんだ。」
使用人やメイドは、宝条に助けられた無能力者や、宝条の遠い血縁者だが、血が薄まって能力が発現しなかった人間がほとんどだ。みな、宝条に忠誠を誓う者たち。一史の一声でみんなの目に光が宿る。琴葉は、この数分間で一史と穂花の人を率いる力を目の当たりにしたのだった。
『緊急事態発生!山梨県西部で魔形が大量発生。手の空いている能力者は至急現地へ向かってください。』
能力者の連携アプリケーションが非常事態を知らせる音を鳴らす。普段、多少強い魔形が出たとしても、非常事態の通知が来ることはない。つまり、真の意味で非常なのだ。
珀は近くの動ける能力者をかき集め、転移を使ってすぐに現地に向かうことにした。このような事態が起こったら、琴葉は本家に預けることになっている。念の為、本家に連絡を入れておく。すぐに護衛が琴葉を本家へ送り届けてくれるはずだ。
まだ能力の発動ができない琴葉を戦闘に連れていくことはできない。近くで守ってやれないのがもどかしいが、仕方のないことだ。今はこうするのが最善である。
集まった能力者は宝条の者ばかりだった。あとは地位も戦闘力もそれほど高くない能力者ばかり。浅桜家や神楽家にも招集をかけたが、浅桜は現在別の討伐中で、神楽に至っては応答がない。この後に及んで何をしているんだ、と珀は苛立つ。
ひとまず、珀が総指揮となり、近くの駅まで転移を使う。
初めての転移の感覚に驚く能力者たちを横目に、珀と隼人を始めとする宝条家は一足先に現場へと走り始めた。
魔形の発生場所は住宅街のど真ん中。普通、魔形は人里離れた山や森の奥で発生することが多いため、住宅街での討伐は異例だ。まず、機動力の高い能力者たちが積極的に住民の避難誘導に取り掛かる。
戦闘力に優れた珀は、結界を得意とする隼人に避難の指揮を任せ、同じく戦闘向きの能力者たちを引き連れて暴れる魔形たちに近づく。
「は……?」
何かが違う。普段相手している魔形と比べて、どこか違和感がある。なんだ、何が違う?珀は魔形を目にしてすぐに違和感を感じたが、その原因がわからない。
でもそんなことを言っている場合ではない。すぐに切り替え、まずは魔形を住宅街から引き離すように攻撃を仕掛け始めた。
※ ※ ※
「琴葉様。非常事態ですので、今から我々が本家へ護送いたします。本家でしたら、一史様が直接お守りできますゆえ。」
車で本家へと向かう琴葉。その表情は不安を湛えていた。非常事態。魔形の大量発生と聞いた。自分の愛する人は、そんな中に飛び込んでいくのだ。想像するだけで恐ろしい。
「琴葉ちゃん、よく来たね。ここなら僕が直接守れるから安心してね。」
一史が迎えてくれる。いつもと同じようにニコニコしているが、どこかピリピリした空気も感じ取れる。それだけ緊急事態なのだろう。
客間に通された琴葉は、状況を知ろうとスマホで色々調べてみる。住宅街のど真ん中で発生したらしい魔形に怯え、逃げ惑う住民の映像が出てきた。避難誘導されながら動画を撮ったのだろう。
住宅地のど真ん中で魔形が出るなんて、ここ数ヶ月で勉強した知識と全然違う。何かとんでもないことが起こっているのではないか、それとも自分が無知なだけか、琴葉は心に不安という黒い塊が少しずつ、少しずつ落ちていくのを感じた。
自分が昨日までに能力を発動できていれば。力を使いこなせるようになっていれば。もっと前に実地演習を済ませていたら。今まさに、婚約者の隣で戦えたかもしれないのに。不安と同時に悔しさも顔を出す。思わず唇を噛み締めた。
その時。
ドーン!!!!
到底家では聞くことのないような爆音が響いた。何かが爆発したような。次の瞬間、地面がガタガタと揺れ、客間の花瓶が床に落ちて割れる。家中から叫び声が聞こえた。
ふすまを開けると使用人やメイドたちも同じようにそれぞれの部屋から顔を出している。すぐに一史が血相を変えてやってきた。
「襲撃された!僕が戦うからみんなはここで待機!」
宝条の本家が襲撃?ここは宝条家の代々の力の結晶である結界が張ってあるはず。それなのに襲撃されるということは敵は余程強いのではないか。それに、ただの魔形発生ではないのか、貴族のトップの家だ、故意に狙っているとしか考えられないではないか。
すぐに穂花が出てきて、使用人やメイドを一部屋にまとめる。もちろん、琴葉もだ。別の建物にいたメイドたちも、安全な場所を通って集まってきた。琴葉は本家内の連絡網に感心してしまう。
「私がわかる範囲で状況を説明します。ついさっき、東側で結界が破れて、そこから4人の男性が入ってきたわ。相手は魔形ではない、人間よ。だから、これは単なる非常事態ではないわ、戦争になる可能性が高い。もちろん、今の時点で確定していることは何もない。でも、ここも戦場になるかもしれないわ、心の準備をしておいてちょうだい。」
普段ほんわかしている穂花が、キリッとした顔で言う。その姿にみな、感銘を受けたかのように真剣に聞いていた。
それにしても、戦争になるかもしれないだなんて。魔形は増えてはいたし、強くなってはいた。でも、昨日まで平和だったではないか。
ドン!とかドカーン!とかゴゴゴゴとか漫画でしか使われないような音が鳴っていたが、しばらくして静かになった。そう思ったら、みんなのスマホに通知が来る。
「襲撃犯、全員ダウン!あなたとあなた、そしてあなたとあなたは地下牢に運ぶのを手伝ってきてちょうだい。」
本家の連絡網を使って一史が状況を知らせてくれたようで、そこに入っていない琴葉は穂花の言葉で襲撃から助かったことを知る。地下牢があるのには驚いたが。
数分後、一史と4人の使用人が戻ってくる。
「いやぁ、相手みんな音関連の力でさぁ、予測不能だから疲れちゃったよ。けど、これで敵が確定した。神楽家だろう。」
ハッとする。みんなの視線が琴葉に集まるのを感じた。
「ちょっとちょっと、琴葉ちゃんを見るのは違うでしょう。もう琴葉ちゃんは神楽家じゃない。宝条の娘なんだからね!」
みんなの視線からは逃れられたが、申し訳なくなって縮こまってしまう。
「結界は張り直したよ。チェックは毎日しているんだけど、とはいえ最近は張り直しができていなかったからね、東側の一部が綻んでいたみたいだ。敵さんはそれをめざとく見つけ出して、そこを集中的に狙って壊したってわけ。だから安心して大丈夫だよ。客室がいくつか壊れちゃったけど、それ以外特に被害はない。最小限に抑えたって言っていいんじゃないかな。」
一史が被害状況を説明する。
「ただ……今回のこの襲撃は山梨の魔形と無関係じゃないはず。あちらがメインだと思う。相手が神楽だと苦戦することになりそうだなぁ……。」
宝条のトップがそう言うのだ。きっとそうなのだろう。みんなの顔に不安が過ぎる。
「ああいや、とはいえ珀くんが総指揮だ。負けるわけないよ。隼人くんも強いし、宝条はみんな強いからね。僕らがそれを信じられなくてどうするんだ。」
使用人やメイドは、宝条に助けられた無能力者や、宝条の遠い血縁者だが、血が薄まって能力が発現しなかった人間がほとんどだ。みな、宝条に忠誠を誓う者たち。一史の一声でみんなの目に光が宿る。琴葉は、この数分間で一史と穂花の人を率いる力を目の当たりにしたのだった。