「自殺をするなんてダメだよ。危ないことはしないで」
ようやく今日言えた。
ずっと言うべきかどうか悩んでいた。
もし勘違いだったらどうしようと思って、様子を見ていた。
霧生(きりゅう)くんが自殺をしようとしていることには気づいていた。
私はいつも断れない性格で、完璧主義なのが災いしたのか、学級委員をやっていたりする。
別にやりたかったわけでもないけど、断れなかった。
実は私の前の席に座っている霧生くんの動向は以前から気になっていた。
一つ目は『自殺をするためにはどうしたらいいのか』という感じの書籍を読んでいるのが見えた。
几帳面な性格らしく、一心不乱に読んでいた。
これだけなら、小説のネタか何かのために読んでいると思ったけど、気になることがあった。
最近霧生くんの名字が変わった。
これは親の離婚か再婚なのではないかと推測できた。
霧生くんは以前の名字は間島くんだった。
霧生くんはやせ型だけど、最近は更に痩せて顔色も悪い。
悩みがあったり、ご飯があまり食べられない事情があるのかもしれない。
昼ご飯はせいぜいおにぎり一個。
ある日、彼が屋上の柵を超えて立っている姿を見つけてしまった。
「自殺をするなんてダメだよ。危ないことはしないで」
冒頭の会話に繋がる。
「あんた誰だっけ?」
同じクラスの学級委員である私の存在を知らないなんて。
なんだか怒りがこみ上げる。大学受験の推薦に有利かもしれないと好きでもない学級委員を頑張って完璧にこなしているのに、この人は私の存在をどうでもいいと思っているのだろう。今気づいた。私はみんなから感謝され存在を認められたいから学級委員なんてしていたのだと。そうでなければ、引き受けることはなかったのかもしれない。
「あんたに俺の人生、責任取れるの? 簡単にきれいごとはいくらでも言えるんだよ」
「たしかに、きれいごとかもしれない。でも、私は霧生くんのことを何も知らない。私のことを霧生くんは知らない。だから、知ってからでも遅くないと思うのよ」
あまりたいした理由を述べることはできなかった。でも、こういう時は勢いが大事だ。
「止めるなら責任取れよ」
まさか自殺を止めようとして、こんなことになるとは思わなかった。彼に約束させられる。
「自殺を止めるなら、俺を殺してほしい」
「私が殺人をするってこと?」
「無理だろ。だったら俺に関わるな」
最初から無理だと思って難題を突き付けたらしい。
「いいよ。だから、今日はとりあえず危ないから、こっちに来て」
ため息をついて、霧生くんはこちらに来た。
しばらく、屋上で今更ながら自己紹介と会話をした。
「私は新木未来(あらきみらい)」
「あんたは俺を殺す義務ができた。止めた責任取れよ」
初めて話したけど、どうにも偉そうな態度だ。
よく見ると前髪が長く、あまり表情が見えないタイプだが、顔立ちは整っている事に気づく。
自殺を止めるためにとりあえず了解したが、彼はどうやって殺すかを問い詰めてくる。
私はどうやって彼を殺せばいいのだろう。
「どうせ口だけでみんな自分に不利益なことをしないことくらいわかってるよ。いずれ、俺は自分でいい死に方を考えて実行する。今日は予行練習だったから」
「何それ、自殺に予行練習があるの?」
「当然だろ。いかに迷惑をかけずに時間をかけずに遂行するか。コストパフォーマンスとの闘いだからな」
「霧生くんって案外いい人なのかも。人に迷惑をかけない死に方を考えているなんて、なかなかできることじゃないよ」
「そうなのか? 立つ鳥跡を濁さずの精神は一番の要だと思ってたから、色々調べているんだよ」
「そのうち自殺専門家にでもなっちゃうんじゃない? もし、話したくなったら自殺したい理由を教えてよ。霧生くんって真面目なんだね」
いつも自分が言われている言葉だった
本当は私は嬉しくない言葉だった。
「俺が真面目だと? いい人という言葉も含めて今日初めて言われたな」
「もっと霧生くんのことを知りたい。本人の口から聞いてから、殺したいかな」
殺したいなんて不謹慎な言葉を発してしまった。これは成り行き上仕方がない。
「実は霧生くんのことを知らないから、聞かせてよ。何か困っている事とかあるの?」
「高校に入ってから、俺に病気が見つかって、親が離婚したんだ。手術する予定なんだけど、かなり高額な治療費がかかる。母親は稼ぎが少ないし、父親は行方知れず。生存率がかなり低いんだ。どうせ手術が成功しないなら、お金もかかるし、事故か何かに見せかけて自殺しようって思ってたんだ」
ちゃんとした理由があったんだ。もっと軽い理由だと思っていた。
「やっぱり真面目でいい人だね。ちゃんと周囲の人のことを考えてるのはいい人だと思う」
「おまえは真面目そうだよな。息詰まらない?」
「好きで真面目をやっているわけじゃないよ」
ずっと真面目そうだと言われるのがコンプレクスだった。
完璧主義な自分も嫌いだった。
「他人が勝手に評価してくるだけだろ。本当のおまえのことも知らないくせにな」
私がずっと心の奥で思っていたことを代弁してくれた。霧生くんは意外と性格が合うのかもしれない。
「じゃあ、少しでも楽に死ねるように私も調べてみるよ」
「必ず俺を殺してくれよな。どうせ、俺の手術は成功しないから」
「成功したらどうするの?」
「手術後も投薬治療もあるし、お金がかかるんだよ。だから、生きていても不幸なんだ」
「もし、私と友達になってくれたら、全力で円満死亡の方法を考えるよ」
彼は病気と闘っている。顔色が悪いのも、食欲がないのも、遅刻や休みがちなのも、病気のせいだった。
霧生くんへの印象はだいぶ変わっていた。
説明はできないけど、自分にないものを持っていて、実は優しい人。
あれから数か月経った。星が輝く夜空の下。ひんやりした温度が皮膚を覆った。
「手術の日程が決まったんだ。その前に検査もあって入院生活が始まるよ。今更だけど、あともう少し生きたくなってしまったな」
「私は霧生くんには生きていてほしい。卒業しても、霧生くんとずっと友達でいたいから。約束を実行したよ。霧生くんの死にたいという気持ちを殺したから」
そう、私は殺すという意味について考えた。その結果、自殺願望を殺すという決断をした。
殺すには、たくさんの意味がある。日本語には同じ言葉でも意味がたくさんある。
私が、殺人をせずにどうやって彼との約束を果たすか。
言葉を調べてみた。
息を殺す。感情を殺す。声を殺す。勢いを殺す。才能を殺す。素材のうまみを殺す。社会的に殺す。褒め殺す。
殺すという意味を調べて、霧生くんとの約束を別な形で果たしたかった。
嘘はつきたくなかったから。
手術を控えた入院前日の夜にも待ち合わせをしていた。
「せっかく生きたとしても、お金がかかっちゃうな」
「私は友達に死んでほしくない。お母さんも生きてほしいと思ってるよ」
「元気になったらたくさん働いて、生きていかなきゃいけないな。もし、手術が成功したら、友達を辞めないか?」
思いもよらぬ発言が。まさか、友達失格? そう来るとは思わなかった。
「恋人になれ」
「え? なにそれ?」
「嫌か?」
「嫌じゃないよ。彼女として待ってるから」
霧生くんと一緒にいられたら、どこでもよかった。
この夜があったから、私たちは手術を乗り越えられるような気がした。
あれから、一月が経った。
冬が近づく少し寒い日だった。
彼が遠くから歩いてくるのが見える。
もし、私が自殺を止めようとしなかったら――今はなかったかもしれない。
生存率の低い手術を乗り切って、彼は健康な体を手に入れた。
まだ万全ではないけど、病気はいずれ完治する。彼は黒いコートを着て手袋をしていた。
木枯らしの中で、少し痩せた霧生くんはどこか優しそうな表情をしていた。
足元にイチョウの葉が躍る。木々の葉はほとんど落ちて、道路の上で風が吹くたびに踊っているかのような動きをしていた。
恋人として初めて再会する。とても緊張する。
「おかえりなさい」
「ただいま」
私達は根が真面目な者同士。見た目の雰囲気は違えども、中身は案外似ている。
私たちは正式に付き合うことになった。
殺すことは悪いことではない。殺す対象によっていい言葉に変わるのだから。
ようやく今日言えた。
ずっと言うべきかどうか悩んでいた。
もし勘違いだったらどうしようと思って、様子を見ていた。
霧生(きりゅう)くんが自殺をしようとしていることには気づいていた。
私はいつも断れない性格で、完璧主義なのが災いしたのか、学級委員をやっていたりする。
別にやりたかったわけでもないけど、断れなかった。
実は私の前の席に座っている霧生くんの動向は以前から気になっていた。
一つ目は『自殺をするためにはどうしたらいいのか』という感じの書籍を読んでいるのが見えた。
几帳面な性格らしく、一心不乱に読んでいた。
これだけなら、小説のネタか何かのために読んでいると思ったけど、気になることがあった。
最近霧生くんの名字が変わった。
これは親の離婚か再婚なのではないかと推測できた。
霧生くんは以前の名字は間島くんだった。
霧生くんはやせ型だけど、最近は更に痩せて顔色も悪い。
悩みがあったり、ご飯があまり食べられない事情があるのかもしれない。
昼ご飯はせいぜいおにぎり一個。
ある日、彼が屋上の柵を超えて立っている姿を見つけてしまった。
「自殺をするなんてダメだよ。危ないことはしないで」
冒頭の会話に繋がる。
「あんた誰だっけ?」
同じクラスの学級委員である私の存在を知らないなんて。
なんだか怒りがこみ上げる。大学受験の推薦に有利かもしれないと好きでもない学級委員を頑張って完璧にこなしているのに、この人は私の存在をどうでもいいと思っているのだろう。今気づいた。私はみんなから感謝され存在を認められたいから学級委員なんてしていたのだと。そうでなければ、引き受けることはなかったのかもしれない。
「あんたに俺の人生、責任取れるの? 簡単にきれいごとはいくらでも言えるんだよ」
「たしかに、きれいごとかもしれない。でも、私は霧生くんのことを何も知らない。私のことを霧生くんは知らない。だから、知ってからでも遅くないと思うのよ」
あまりたいした理由を述べることはできなかった。でも、こういう時は勢いが大事だ。
「止めるなら責任取れよ」
まさか自殺を止めようとして、こんなことになるとは思わなかった。彼に約束させられる。
「自殺を止めるなら、俺を殺してほしい」
「私が殺人をするってこと?」
「無理だろ。だったら俺に関わるな」
最初から無理だと思って難題を突き付けたらしい。
「いいよ。だから、今日はとりあえず危ないから、こっちに来て」
ため息をついて、霧生くんはこちらに来た。
しばらく、屋上で今更ながら自己紹介と会話をした。
「私は新木未来(あらきみらい)」
「あんたは俺を殺す義務ができた。止めた責任取れよ」
初めて話したけど、どうにも偉そうな態度だ。
よく見ると前髪が長く、あまり表情が見えないタイプだが、顔立ちは整っている事に気づく。
自殺を止めるためにとりあえず了解したが、彼はどうやって殺すかを問い詰めてくる。
私はどうやって彼を殺せばいいのだろう。
「どうせ口だけでみんな自分に不利益なことをしないことくらいわかってるよ。いずれ、俺は自分でいい死に方を考えて実行する。今日は予行練習だったから」
「何それ、自殺に予行練習があるの?」
「当然だろ。いかに迷惑をかけずに時間をかけずに遂行するか。コストパフォーマンスとの闘いだからな」
「霧生くんって案外いい人なのかも。人に迷惑をかけない死に方を考えているなんて、なかなかできることじゃないよ」
「そうなのか? 立つ鳥跡を濁さずの精神は一番の要だと思ってたから、色々調べているんだよ」
「そのうち自殺専門家にでもなっちゃうんじゃない? もし、話したくなったら自殺したい理由を教えてよ。霧生くんって真面目なんだね」
いつも自分が言われている言葉だった
本当は私は嬉しくない言葉だった。
「俺が真面目だと? いい人という言葉も含めて今日初めて言われたな」
「もっと霧生くんのことを知りたい。本人の口から聞いてから、殺したいかな」
殺したいなんて不謹慎な言葉を発してしまった。これは成り行き上仕方がない。
「実は霧生くんのことを知らないから、聞かせてよ。何か困っている事とかあるの?」
「高校に入ってから、俺に病気が見つかって、親が離婚したんだ。手術する予定なんだけど、かなり高額な治療費がかかる。母親は稼ぎが少ないし、父親は行方知れず。生存率がかなり低いんだ。どうせ手術が成功しないなら、お金もかかるし、事故か何かに見せかけて自殺しようって思ってたんだ」
ちゃんとした理由があったんだ。もっと軽い理由だと思っていた。
「やっぱり真面目でいい人だね。ちゃんと周囲の人のことを考えてるのはいい人だと思う」
「おまえは真面目そうだよな。息詰まらない?」
「好きで真面目をやっているわけじゃないよ」
ずっと真面目そうだと言われるのがコンプレクスだった。
完璧主義な自分も嫌いだった。
「他人が勝手に評価してくるだけだろ。本当のおまえのことも知らないくせにな」
私がずっと心の奥で思っていたことを代弁してくれた。霧生くんは意外と性格が合うのかもしれない。
「じゃあ、少しでも楽に死ねるように私も調べてみるよ」
「必ず俺を殺してくれよな。どうせ、俺の手術は成功しないから」
「成功したらどうするの?」
「手術後も投薬治療もあるし、お金がかかるんだよ。だから、生きていても不幸なんだ」
「もし、私と友達になってくれたら、全力で円満死亡の方法を考えるよ」
彼は病気と闘っている。顔色が悪いのも、食欲がないのも、遅刻や休みがちなのも、病気のせいだった。
霧生くんへの印象はだいぶ変わっていた。
説明はできないけど、自分にないものを持っていて、実は優しい人。
あれから数か月経った。星が輝く夜空の下。ひんやりした温度が皮膚を覆った。
「手術の日程が決まったんだ。その前に検査もあって入院生活が始まるよ。今更だけど、あともう少し生きたくなってしまったな」
「私は霧生くんには生きていてほしい。卒業しても、霧生くんとずっと友達でいたいから。約束を実行したよ。霧生くんの死にたいという気持ちを殺したから」
そう、私は殺すという意味について考えた。その結果、自殺願望を殺すという決断をした。
殺すには、たくさんの意味がある。日本語には同じ言葉でも意味がたくさんある。
私が、殺人をせずにどうやって彼との約束を果たすか。
言葉を調べてみた。
息を殺す。感情を殺す。声を殺す。勢いを殺す。才能を殺す。素材のうまみを殺す。社会的に殺す。褒め殺す。
殺すという意味を調べて、霧生くんとの約束を別な形で果たしたかった。
嘘はつきたくなかったから。
手術を控えた入院前日の夜にも待ち合わせをしていた。
「せっかく生きたとしても、お金がかかっちゃうな」
「私は友達に死んでほしくない。お母さんも生きてほしいと思ってるよ」
「元気になったらたくさん働いて、生きていかなきゃいけないな。もし、手術が成功したら、友達を辞めないか?」
思いもよらぬ発言が。まさか、友達失格? そう来るとは思わなかった。
「恋人になれ」
「え? なにそれ?」
「嫌か?」
「嫌じゃないよ。彼女として待ってるから」
霧生くんと一緒にいられたら、どこでもよかった。
この夜があったから、私たちは手術を乗り越えられるような気がした。
あれから、一月が経った。
冬が近づく少し寒い日だった。
彼が遠くから歩いてくるのが見える。
もし、私が自殺を止めようとしなかったら――今はなかったかもしれない。
生存率の低い手術を乗り切って、彼は健康な体を手に入れた。
まだ万全ではないけど、病気はいずれ完治する。彼は黒いコートを着て手袋をしていた。
木枯らしの中で、少し痩せた霧生くんはどこか優しそうな表情をしていた。
足元にイチョウの葉が躍る。木々の葉はほとんど落ちて、道路の上で風が吹くたびに踊っているかのような動きをしていた。
恋人として初めて再会する。とても緊張する。
「おかえりなさい」
「ただいま」
私達は根が真面目な者同士。見た目の雰囲気は違えども、中身は案外似ている。
私たちは正式に付き合うことになった。
殺すことは悪いことではない。殺す対象によっていい言葉に変わるのだから。