九条は、自らの作品が体調不良を引き起こしているという噂を最初に耳にしたとき、激しい衝撃を受けた。最初は否定したかった。

自分の作品が、美を追求する芸術そのものが、人々に害を与えるなど考えたくもなかった。

だが、幾度となく耳にする来場者たちの吐き気や頭痛の訴え、そして彼らの顔色の悪さを目の当たりにするたびに、それが単なる偶然ではないことを彼は理解せざるを得なくなった。

その晩、アトリエで作品に向き合いながら、九条は震える手で彫刻を撫でた。

「どうして、こんなことに……」

呟きは誰に向けられたものでもなく、ただ空間に溶けていった。しかし、その瞬間、彼の心の中で別の声が囁き始めた。

それはこれまで抑え込んでいた内なる狂気、そして芸術家としての絶対的な信念だった。

「だが……これがもし、芸術そのものの力だとしたら?」

九条は顔を上げた。心の中で封印されていた何かが解放されるのを感じた。芸術はただ美を提供するだけではない。

人々の感覚を揺さぶり、感情を揺るがし、時には不快感さえ与えることで、現実を超えた真理に到達するものだ。

人々が苦しむことさえも、作品が彼らに与える影響の一部であるならば、それを排除する理由などどこにあるのだろうか?

「これは亡くなった人々の苦しみだ。」

九条の考えは、徐々に確信へと変わっていった。人々が体調を崩すのは、彼の作品がそれだけ強い影響力を持っている証拠だ。

芸術は現実を超えた存在であり、そのためには

「ただ美しいだけでは足りない」

痛み、不快感、恐怖――それらすべてを含むことで初めて、九条の芸術は完全なものとなるのだ。

翌日、九条は展示会場を訪れた。彼は入り口で立ち止まり、来場者たちの反応を注意深く観察した。

作品の前で足を止め、見入る人々の中には顔をしかめたり、身体を揺らしたりする者がいた。体調不良を訴える来場者もいれば、立ち去る者もいる。

それでも、その場を離れずに彫刻を見つめ続ける人々の姿に、九条はある種の感動を覚えた。

「見ろ……彼らは感じている。私の作品を通して、現実を超えた何かを。」

彼の目は、作品に見入る来場者の一人一人を追った。その中に、苦痛に顔をゆがめる者がいれば、喜びに満ちた。

「彼らが感じる不快感、それも含めて私の作品だ。苦しみを排除してどうする?」

九条の心には、これまで以上に強い確信が生まれていた。

来場者の苦痛は、彼が追求する芸術の真理を体現するものであり、それを完全な形に仕上げるためには、むしろ必要不可欠な要素だと。

アトリエに戻った九条は、新たな彫刻に取り掛かった。その手つきは、これまで以上に確信に満ちていた。

彫刻刀が灰の中を滑るたび、彼の中にあったためらいや罪悪感が消え去り、代わりに新たな信念が芽生えていった。

「これこそ、求めていたものだ。あの時の苦しみを、無力さを、知ってもらえる」

九条の中で、彼自身の倫理観が崩れ去り、芸術家としての新たなルールが確立された瞬間だった。

彼は自らの行為が持つ破壊的な側面すらも受け入れ、その力を作品に込めることに没頭していく。そして、それが彼の芸術をさらに「完全なもの」へと導くと信じていた。