ついに、白石は、篠宮悠生の家に足を運んだ。
白石の足取りは慎重でありながらも確かなもので、胸の内には計り知れない期待と疑念が渦巻いていた。
篠宮家は、東京の郊外の静かな住宅街にひっそりと建っていた。
古びた家屋の扉を叩くと、すぐに中から穏やかな声が返ってきた。
「どうぞ、お入りください。」
応接間に通されると、そこには篠宮悠生の両親が待っていた。彼らは温かく白石を迎え入れ、すぐにお茶を出してくれた。
「九条さんのことを、少しお話しさせていただけますか?」
と白石が静かに切り出すと、篠宮夫妻はお互いに視線を交わし、ゆっくりと頷いた。
白石の問いかけに、彼らの顔にはわずかな緊張が走るものの、決してその視線から不安を感じさせることはなかった。
「九条さんは、私たちの家にとっても特別な存在です。」
篠宮の母親が語り始めた。
彼女の声は静かで、どこかしら神聖な雰囲気を纏っている。
「彼は、悠生の最も親しい友人でした。彼と悠生は、いつも一緒にいました。それが、あんなことが起きるまでは…」
彼女は一瞬目を伏せ、言葉を詰まらせるが、すぐに顔を上げて微笑んだ。
「私たちは、九条さんを心から尊敬しています。」
篠宮の父親が続けた。
「彼がどれほど才能に恵まれ、どれほど多くの人々に影響を与えたか、私たちも良く知っています。
九条さんが創り出す彫刻は、ただのアートではありません。それは魂の叫びです。」
その言葉は、まるで信仰のように響いた。
「それに、彼がどんな過去を背負っているかを知っている人間は、少ないのではないでしょうか。」
母親は軽くため息をつくと、続けた。
「私たち家族は、九条さんをずっと応援してきました。悠生が亡くなった時も、彼は一番辛かったはずです。
でも、彼はそれを表に出すことなく、黙々と自分の世界に入り、彫刻を作り続けました。私たちにとって、九条さんは本当に大切な存在です。」
その声には、まるで神聖視しているかのような崇拝が感じられた。
白石は、彼らの言葉に耳を傾けながら、どこかで違和感を覚えた。
篠宮家があまりにも九条を崇拝し、無条件で支持していることが、逆に不自然に感じられた。
しかし、彼はその疑念を表に出すことなく、穏やかな表情を崩さずに話を続けた。
「それでは、悠生さんが亡くなった後、九条さんはどのようにその経験を作品に反映させたのでしょうか?」
と、白石は慎重に質問を投げかけた。
篠宮夫妻はその質問を受けると、少しだけ表情を硬くした。
父親が口を開く。
「九条さんの作品は、私たちにとってはどれも大切なものです。特に、『亡き友』は…それは、悠生との思い出を形にしたものです。
彼がどれほど深い悲しみの中でそれを作り上げたか、私たちは知っています。ですが、それが外に出ることはありませんでした。それには理由があるのです。」
「理由ですか?」
白石は興味深げに訊ねる。
「それは、あまりにも個人的すぎるものだからです。」
母親が続ける。
「悠生の死を彫刻という形で表現したことが、九条さんにとってどれほど大きな意味を持っていたか、私たちは分かります。
しかし、それを公にすることは、彼の心の中の最も大切な部分を他人に見せることになる」
その言葉には、篠宮家がどれだけ九条を守ろうとしているのかが滲み出ていた。白石はそれを理解しつつも、彼の中に湧き上がる疑念を抑えることができなかった。
「九条さんがどんな心境でその作品を作ったのか、そしてその作品がどんな影響を与えたのかを、私たちは理解しています。
けれども、それを何も知らない他人に語られることは、九条さんにとっては本当に辛いことなのです。」
父親は静かに言った。
白石はその言葉に圧倒されながらも、さらに一歩踏み込んで尋ねた。
「九条さんが過去に何かを隠しているとしたら、それは何なのでしょうか?」
篠宮夫妻は、一瞬顔を見合わせ、無言のうちにその言葉を受け止めていた。
「そんなことを知ってどうするんですか?」
父親が低い声で問いかけた。その言葉には、まるで白石の意図を測ろうとする冷徹な目線があった。
「九条さんの失脚を狙っているとでも?」
その疑念が、白石の胸に突き刺さる。篠宮夫妻の言葉に、静かな威圧感が含まれていた。
父親の目が鋭く光り、母親もまた、薄く唇を引き結んで白石を見つめていた。
明らかに、彼らの意図は一線を越えられないところに来ている。それはまるで、彼ら自身が九条を守るために全てを懸けているかのようだった。
白石は一瞬言葉を失ったが、すぐにその不安を振り払い、冷静に答えた。
「私はただ、九条さんの作品に対する理解を深めたいだけです。彼がどのような背景を持ち、どんな想いで彫刻を作り続けているのか、ただそれを知りたかったんです。」
「それが理解ですか?」
母親が冷ややかな目で白石を見つめた。
「理解というものは、ただの好奇心で知るものではありません。あなたが知ろうとしているその背景には、他人の痛みがあるのです。
九条さんにとって、悠生の死は、それ以上でもそれ以下でもない。あなたがそんなことを掘り下げることは、彼を傷つけるだけです。」
その言葉には、まるで警告のような響きがあった。白石は心の中でひと呼吸おいたが、言葉を続けた。
「私は、九条さんがどれだけ心の奥底に深い傷を持っているのか、どんなに孤独だったのかを理解したいんです。それが、私の仕事です。」
篠宮夫妻はお互いに視線を交わし、その目には、白石に対する警戒心とともに、どこか悲しみが浮かんでいるようにも見えた。
しかし、決してその表情を崩すことなく、彼らは静かに黙り込んだ。
「理解するのは簡単なことではない。」
父親はついに口を開き、その声には重さがあった。
「九条さんが背負っているもの、そして彼が抱えている痛み。
あなたがそれを理解したいのであれば、それはあなたの覚悟と責任で行動することになる。私たちが望むのは、彼の傷が外に漏れることではない。」
母親も静かに続けた。
「彼を追い詰めるようなことをするつもりなら、私たちはもう、あなたと話すことはない。」
その言葉は、単なる警告ではなく、彼らの決して崩さない信念のように響いた。
白石はその言葉を胸に受け止めながらも、心の中で決意を固めていた。
彼の中で、九条の過去がますます謎めいたものとして迫り、答えを知るためにはどんな代償を払わなければならないのか、その覚悟が生まれていた。
「分かりました。」
白石は静かに答えると、立ち上がり、篠宮夫妻に一礼した。その目には、決して引き下がらない意志が宿っていた。
白石の足取りは慎重でありながらも確かなもので、胸の内には計り知れない期待と疑念が渦巻いていた。
篠宮家は、東京の郊外の静かな住宅街にひっそりと建っていた。
古びた家屋の扉を叩くと、すぐに中から穏やかな声が返ってきた。
「どうぞ、お入りください。」
応接間に通されると、そこには篠宮悠生の両親が待っていた。彼らは温かく白石を迎え入れ、すぐにお茶を出してくれた。
「九条さんのことを、少しお話しさせていただけますか?」
と白石が静かに切り出すと、篠宮夫妻はお互いに視線を交わし、ゆっくりと頷いた。
白石の問いかけに、彼らの顔にはわずかな緊張が走るものの、決してその視線から不安を感じさせることはなかった。
「九条さんは、私たちの家にとっても特別な存在です。」
篠宮の母親が語り始めた。
彼女の声は静かで、どこかしら神聖な雰囲気を纏っている。
「彼は、悠生の最も親しい友人でした。彼と悠生は、いつも一緒にいました。それが、あんなことが起きるまでは…」
彼女は一瞬目を伏せ、言葉を詰まらせるが、すぐに顔を上げて微笑んだ。
「私たちは、九条さんを心から尊敬しています。」
篠宮の父親が続けた。
「彼がどれほど才能に恵まれ、どれほど多くの人々に影響を与えたか、私たちも良く知っています。
九条さんが創り出す彫刻は、ただのアートではありません。それは魂の叫びです。」
その言葉は、まるで信仰のように響いた。
「それに、彼がどんな過去を背負っているかを知っている人間は、少ないのではないでしょうか。」
母親は軽くため息をつくと、続けた。
「私たち家族は、九条さんをずっと応援してきました。悠生が亡くなった時も、彼は一番辛かったはずです。
でも、彼はそれを表に出すことなく、黙々と自分の世界に入り、彫刻を作り続けました。私たちにとって、九条さんは本当に大切な存在です。」
その声には、まるで神聖視しているかのような崇拝が感じられた。
白石は、彼らの言葉に耳を傾けながら、どこかで違和感を覚えた。
篠宮家があまりにも九条を崇拝し、無条件で支持していることが、逆に不自然に感じられた。
しかし、彼はその疑念を表に出すことなく、穏やかな表情を崩さずに話を続けた。
「それでは、悠生さんが亡くなった後、九条さんはどのようにその経験を作品に反映させたのでしょうか?」
と、白石は慎重に質問を投げかけた。
篠宮夫妻はその質問を受けると、少しだけ表情を硬くした。
父親が口を開く。
「九条さんの作品は、私たちにとってはどれも大切なものです。特に、『亡き友』は…それは、悠生との思い出を形にしたものです。
彼がどれほど深い悲しみの中でそれを作り上げたか、私たちは知っています。ですが、それが外に出ることはありませんでした。それには理由があるのです。」
「理由ですか?」
白石は興味深げに訊ねる。
「それは、あまりにも個人的すぎるものだからです。」
母親が続ける。
「悠生の死を彫刻という形で表現したことが、九条さんにとってどれほど大きな意味を持っていたか、私たちは分かります。
しかし、それを公にすることは、彼の心の中の最も大切な部分を他人に見せることになる」
その言葉には、篠宮家がどれだけ九条を守ろうとしているのかが滲み出ていた。白石はそれを理解しつつも、彼の中に湧き上がる疑念を抑えることができなかった。
「九条さんがどんな心境でその作品を作ったのか、そしてその作品がどんな影響を与えたのかを、私たちは理解しています。
けれども、それを何も知らない他人に語られることは、九条さんにとっては本当に辛いことなのです。」
父親は静かに言った。
白石はその言葉に圧倒されながらも、さらに一歩踏み込んで尋ねた。
「九条さんが過去に何かを隠しているとしたら、それは何なのでしょうか?」
篠宮夫妻は、一瞬顔を見合わせ、無言のうちにその言葉を受け止めていた。
「そんなことを知ってどうするんですか?」
父親が低い声で問いかけた。その言葉には、まるで白石の意図を測ろうとする冷徹な目線があった。
「九条さんの失脚を狙っているとでも?」
その疑念が、白石の胸に突き刺さる。篠宮夫妻の言葉に、静かな威圧感が含まれていた。
父親の目が鋭く光り、母親もまた、薄く唇を引き結んで白石を見つめていた。
明らかに、彼らの意図は一線を越えられないところに来ている。それはまるで、彼ら自身が九条を守るために全てを懸けているかのようだった。
白石は一瞬言葉を失ったが、すぐにその不安を振り払い、冷静に答えた。
「私はただ、九条さんの作品に対する理解を深めたいだけです。彼がどのような背景を持ち、どんな想いで彫刻を作り続けているのか、ただそれを知りたかったんです。」
「それが理解ですか?」
母親が冷ややかな目で白石を見つめた。
「理解というものは、ただの好奇心で知るものではありません。あなたが知ろうとしているその背景には、他人の痛みがあるのです。
九条さんにとって、悠生の死は、それ以上でもそれ以下でもない。あなたがそんなことを掘り下げることは、彼を傷つけるだけです。」
その言葉には、まるで警告のような響きがあった。白石は心の中でひと呼吸おいたが、言葉を続けた。
「私は、九条さんがどれだけ心の奥底に深い傷を持っているのか、どんなに孤独だったのかを理解したいんです。それが、私の仕事です。」
篠宮夫妻はお互いに視線を交わし、その目には、白石に対する警戒心とともに、どこか悲しみが浮かんでいるようにも見えた。
しかし、決してその表情を崩すことなく、彼らは静かに黙り込んだ。
「理解するのは簡単なことではない。」
父親はついに口を開き、その声には重さがあった。
「九条さんが背負っているもの、そして彼が抱えている痛み。
あなたがそれを理解したいのであれば、それはあなたの覚悟と責任で行動することになる。私たちが望むのは、彼の傷が外に漏れることではない。」
母親も静かに続けた。
「彼を追い詰めるようなことをするつもりなら、私たちはもう、あなたと話すことはない。」
その言葉は、単なる警告ではなく、彼らの決して崩さない信念のように響いた。
白石はその言葉を胸に受け止めながらも、心の中で決意を固めていた。
彼の中で、九条の過去がますます謎めいたものとして迫り、答えを知るためにはどんな代償を払わなければならないのか、その覚悟が生まれていた。
「分かりました。」
白石は静かに答えると、立ち上がり、篠宮夫妻に一礼した。その目には、決して引き下がらない意志が宿っていた。