【眞藤文の捜索】
白石は「眞藤文」(しんどうあや)という名前を胸に抱えながら、九条の過去を探る次の手がかりを模索していた。
教授の話では、眞藤は特に目立つ存在ではなく、卒業後の消息も不明。だが、九条の人生において重要な存在である可能性が高い。
白石は、眞藤が関わっていたという地元のアートイベントについて調べを進めた。地元の文化協会が持つ資料の中には、イベントの開催年や参加者リストが含まれており、その中に眞藤の名前も記載されていた。
イベント自体は数年前に終了しており、当時の記録は散逸していたが、幸いにも一部の関係者がまだその記憶を保っていた。
協会の職員は、当時のアートイベントを「地域の歴史をテーマにした展示会」と説明し、眞藤がその中で地域の文化と津波による被災の影響を描いた作品を展示していたことを話してくれた。
特に印象的だったのは、眞藤がアートイベント終了後、四国の山奥に住むようになったという事実だった。
彼女はその後、外界と距離を置くように生活し、その理由についてはあまり多くを語らなかったという。
「確か、山の方に小さな家を持っていると聞きましたが、彼女があの場所に移り住んだのは、被災後の精神的な影響が大きかったからだと伝えられています。」
職員は少し沈黙し、続けて言った。
「でも、その後は一切連絡が途絶えたとも聞いています。」
白石はその話を胸に、眞藤がどんな人物なのか、そして九条との関係を深く掘り下げる必要があると感じた。
次の手がかりを得るため、彼は眞藤が住んでいるという山奥の地域を訪れることを決心した。
場所の特定は難航したが、地元の人々からの情報を頼りに、ついに眞藤が住んでいる家に辿り着いた。
山奥の一軒家は、周囲の自然に溶け込むようにひっそりと佇んでおり、どこか孤立した雰囲気を漂わせていた。
【眞藤との会話】
眞藤の住む町は、被災地の近くの静かな場所だった。
街並みは新しく生まれ変わった部分も多かったが、どこかしら悲しみの匂いが漂っている。白石はそれを肌で感じながら、眞藤の家へと向かった。
ドアをノックすると、少し遅れて中から足音が聞こえた。
ドアが開き、そこには長髪を少し無造作に束ねた女性が立っていた。
顔は今やすっかり大人の顔つきとなり、落ち着いた眼差しで白石を見つめていたが、その目にはどこか遠くを見つめるような、深い思索の影が宿っていた。
「白石さん、ですか?」
「はい、失礼いたします。記者の白石湊斗です。お時間をいただきありがとうございます。」
眞藤は軽く頷き、招き入れてくれた。彼女の家の中は素朴で、余計なものはほとんどなく、静かな雰囲気が漂っていた。白石は椅子に腰を下ろし、眞藤も向かいの席に着いた。
「さて、今日は九条朔夜さんについてお話をお聞きしたくて来ました。あなたも被災を生き延びた…九条さんと共に。」
眞藤の顔が一瞬、硬くなったように見えた。
それは、何か不安や抵抗を感じたからなのか、それとも過去の出来事を再び思い出すことへの躊躇だったのか。
「九条と一緒にいたことは、確かに覚えています。でも…あの頃のことを話すのは少し難しいんです。」
眞藤は目を伏せたままで、声を少し低くして言った。
「そうですか。」
白石はあくまで冷静に応じた。
「でも、あなたが話すことで、今の九条さんをもっと理解できるかもしれないと思っているんです。
彼が今、あの花に執着している理由も、もしかしたらあなたが知っているかもしれないと思って…」
その一言に、眞藤の目がわずかに揺れた。白石はそれを見逃さなかった。
「花…ですか。」
少し考えるように言った。
その部屋の空気が、急に冷たく、そして重たくなったように感じられた。
「赤い花」という言葉が、白石の頭の中で何度も繰り返される。しかし、眞藤の目がそれを否定するように、静かに話し始めた。
「赤い花…ニュースで映ってたものですよね。あれが何なのか、実は私にもよくわからないんです。」
目を伏せ、声がわずかに震えた。
「あの頃のこと、もう思い出すだけで心が重くなりますが…話しておくべきかもしれませんね。」
白石は黙って頷いた。眞藤はゆっくりと、過去のことを語り始めた。
「被災当時、あの街は一面瓦礫の山でした。
目を開ければ、崩れたビルの残骸、ひっくり返った車、そして…あたり一面に散らばった、もう二度と顔を見ることができない人々の遺体。」
眞藤の顔は、冷や汗がにじむほどの恐怖を物語っていた。彼女の目には、目の前に広がるあの光景がまだ焼き付いているのだろう。
「みんな、どうにかして生き延びるために必死でしたが、誰もが助かるわけではありませんでした。」
その言葉に白石は息を呑んだ。眞藤が話す内容は、あまりにも過酷で、冷徹だった。
瓦礫の下から引きずり出された遺体の数々、絶望的な状況。どこを見ても人々の絶叫が響いていたに違いない。
「遺体の処理が間に合わなかったんです。」
眞藤は震えた手で、テーブルの端を握りしめる。
「あの時、私たちは遺体を埋めることすら、やっとできる状況でした。
時間も人手も足りなくて、ひたすら土を掘り、その上にひとまとめにして埋める。それを何日も、何日も繰り返していました。」
白石はその言葉に身体が震えた。瓦礫の下で眠る人々の顔が思い浮かんで、息苦しくなった。
「九条も、あの時のことをあまり話したがらないんです。」
眞藤は続けた。
「だけど、その後すぐに…すぐに彼は変わってしまった。」
眞藤は再び目を伏せ、言葉を途切れさせた。過去の記憶が、どうしても彼女を縛りつけるようだった。白石はその沈黙を破らずに、ただ静かに待ち続けた。
「それから何年も経って、九条は彫刻を作り続けています。あの時の被災の恐怖を、彼なりにどうにかして克服したかったのかもしれません。」
言葉を少しずつ紡ぎながら、深く息を吐いた。
「でも、あの赤いジャージを大切にしていたことだけは確かです」
白石は驚いた。
「それが、気になっていました。あの赤いジャージは誰のものなんですか」
「……篠宮悠生です」
篠宮 悠生(しのみやゆうき)。眞藤の言葉は、白石の心に重くのしかかった。彼女が口にした名前は、まるで時空を超えて響き渡るような音を立てた。
眞藤の目は遠くを見つめている。その視線が、過去を見つめるように曇っていた。
「九条は、彼のことをとても大事にしていました。周りから見ても、二人は仲のいい友達だと……。あのジャージを、ずっと抱えていたんです。
被災の時、彼はあのジャージを抱えていた。それが唯一の、篠宮との繋がりだったんです。」
白石はその言葉に息を呑んだ。被災時、九条が赤いジャージを大切に抱えていたという事実が、ようやくその意味を持ち始めた。
それは九条と篠宮との間に生まれた絆の象徴であり、九条が生き残るための支えであったのかもしれない。
「篠宮さんは、あの時、どうなったんですか?」
白石が思わず尋ねると、眞藤は一瞬、目を閉じた。彼女がその瞬間に感じた痛みを、白石はひしひしと感じ取った。
「篠宮は、もうこの世にはいない。」
眞藤の声はかすれ、まるで時間がその瞬間を凍らせたかのようだった。
「被災の最中、彼は瓦礫の中で…私たちの目の前で命を落としたんです。
あの時、彼が私を助けてくれなければ、私も死んでいたかもしれません。だけど、彼は…彼は…」
その言葉が、眞藤の喉で詰まった。彼女の顔に浮かぶ深い痛みは、言葉以上に重く、切なかった。篠宮悠生は、その時の瓦礫の山の中で、無念にも命を落としたのだ。
そして、九条はその事実をどう受け止めたのだろうか。生き残った者として、彼が背負ったものはあまりにも重すぎた。
「篠宮のジャージは、九条にとって…彼との最後の繋がりだったんです。」
眞藤は小さく息をついてから、続けた。
「でも、それを抱えていたことが、九条にとってはどれほど辛いことだったかは、想像を絶します。」
白石は静かに頷いた。赤いジャージが、ただの物理的なものではないことは明白だった。
それは九条が生き延びるために抱えた、彼の魂の一部、そして彼の過去の痛みそのものだった。
「被災後のすべてを背負い込んで、そしてその後も、あのジャージを持っていることで、篠宮を忘れないようにしていた。」
眞藤は最後に呟いた。彼の声はかすかに震えていたが、それでもその言葉は強い力を持っていた。
白石はその言葉を心の中で何度も繰り返しながら、彼が抱えた痛みと、九条がどれほどその後の人生で篠宮を思い続けてきたのかを考えていた。
その赤いジャージは、過去の呪縛のように九条を縛り続けていたのだろう。
そして、今も彼の中で篠宮の影が生き続けている。その事実を知った今、白石は改めて九条の心の深さに触れた気がした。
「ありがとう、眞藤さん。あなたの話を聞けて良かった。」
白石はそう言うと、眞藤に深く感謝の意を込めて頭を下げた。
眞藤は静かに首を振り、「私も九条のために話すべきことだと思っただけです。」と答えた。
その言葉には、過去を背負い続ける者だけが知る重みがあった。
白石は「眞藤文」(しんどうあや)という名前を胸に抱えながら、九条の過去を探る次の手がかりを模索していた。
教授の話では、眞藤は特に目立つ存在ではなく、卒業後の消息も不明。だが、九条の人生において重要な存在である可能性が高い。
白石は、眞藤が関わっていたという地元のアートイベントについて調べを進めた。地元の文化協会が持つ資料の中には、イベントの開催年や参加者リストが含まれており、その中に眞藤の名前も記載されていた。
イベント自体は数年前に終了しており、当時の記録は散逸していたが、幸いにも一部の関係者がまだその記憶を保っていた。
協会の職員は、当時のアートイベントを「地域の歴史をテーマにした展示会」と説明し、眞藤がその中で地域の文化と津波による被災の影響を描いた作品を展示していたことを話してくれた。
特に印象的だったのは、眞藤がアートイベント終了後、四国の山奥に住むようになったという事実だった。
彼女はその後、外界と距離を置くように生活し、その理由についてはあまり多くを語らなかったという。
「確か、山の方に小さな家を持っていると聞きましたが、彼女があの場所に移り住んだのは、被災後の精神的な影響が大きかったからだと伝えられています。」
職員は少し沈黙し、続けて言った。
「でも、その後は一切連絡が途絶えたとも聞いています。」
白石はその話を胸に、眞藤がどんな人物なのか、そして九条との関係を深く掘り下げる必要があると感じた。
次の手がかりを得るため、彼は眞藤が住んでいるという山奥の地域を訪れることを決心した。
場所の特定は難航したが、地元の人々からの情報を頼りに、ついに眞藤が住んでいる家に辿り着いた。
山奥の一軒家は、周囲の自然に溶け込むようにひっそりと佇んでおり、どこか孤立した雰囲気を漂わせていた。
【眞藤との会話】
眞藤の住む町は、被災地の近くの静かな場所だった。
街並みは新しく生まれ変わった部分も多かったが、どこかしら悲しみの匂いが漂っている。白石はそれを肌で感じながら、眞藤の家へと向かった。
ドアをノックすると、少し遅れて中から足音が聞こえた。
ドアが開き、そこには長髪を少し無造作に束ねた女性が立っていた。
顔は今やすっかり大人の顔つきとなり、落ち着いた眼差しで白石を見つめていたが、その目にはどこか遠くを見つめるような、深い思索の影が宿っていた。
「白石さん、ですか?」
「はい、失礼いたします。記者の白石湊斗です。お時間をいただきありがとうございます。」
眞藤は軽く頷き、招き入れてくれた。彼女の家の中は素朴で、余計なものはほとんどなく、静かな雰囲気が漂っていた。白石は椅子に腰を下ろし、眞藤も向かいの席に着いた。
「さて、今日は九条朔夜さんについてお話をお聞きしたくて来ました。あなたも被災を生き延びた…九条さんと共に。」
眞藤の顔が一瞬、硬くなったように見えた。
それは、何か不安や抵抗を感じたからなのか、それとも過去の出来事を再び思い出すことへの躊躇だったのか。
「九条と一緒にいたことは、確かに覚えています。でも…あの頃のことを話すのは少し難しいんです。」
眞藤は目を伏せたままで、声を少し低くして言った。
「そうですか。」
白石はあくまで冷静に応じた。
「でも、あなたが話すことで、今の九条さんをもっと理解できるかもしれないと思っているんです。
彼が今、あの花に執着している理由も、もしかしたらあなたが知っているかもしれないと思って…」
その一言に、眞藤の目がわずかに揺れた。白石はそれを見逃さなかった。
「花…ですか。」
少し考えるように言った。
その部屋の空気が、急に冷たく、そして重たくなったように感じられた。
「赤い花」という言葉が、白石の頭の中で何度も繰り返される。しかし、眞藤の目がそれを否定するように、静かに話し始めた。
「赤い花…ニュースで映ってたものですよね。あれが何なのか、実は私にもよくわからないんです。」
目を伏せ、声がわずかに震えた。
「あの頃のこと、もう思い出すだけで心が重くなりますが…話しておくべきかもしれませんね。」
白石は黙って頷いた。眞藤はゆっくりと、過去のことを語り始めた。
「被災当時、あの街は一面瓦礫の山でした。
目を開ければ、崩れたビルの残骸、ひっくり返った車、そして…あたり一面に散らばった、もう二度と顔を見ることができない人々の遺体。」
眞藤の顔は、冷や汗がにじむほどの恐怖を物語っていた。彼女の目には、目の前に広がるあの光景がまだ焼き付いているのだろう。
「みんな、どうにかして生き延びるために必死でしたが、誰もが助かるわけではありませんでした。」
その言葉に白石は息を呑んだ。眞藤が話す内容は、あまりにも過酷で、冷徹だった。
瓦礫の下から引きずり出された遺体の数々、絶望的な状況。どこを見ても人々の絶叫が響いていたに違いない。
「遺体の処理が間に合わなかったんです。」
眞藤は震えた手で、テーブルの端を握りしめる。
「あの時、私たちは遺体を埋めることすら、やっとできる状況でした。
時間も人手も足りなくて、ひたすら土を掘り、その上にひとまとめにして埋める。それを何日も、何日も繰り返していました。」
白石はその言葉に身体が震えた。瓦礫の下で眠る人々の顔が思い浮かんで、息苦しくなった。
「九条も、あの時のことをあまり話したがらないんです。」
眞藤は続けた。
「だけど、その後すぐに…すぐに彼は変わってしまった。」
眞藤は再び目を伏せ、言葉を途切れさせた。過去の記憶が、どうしても彼女を縛りつけるようだった。白石はその沈黙を破らずに、ただ静かに待ち続けた。
「それから何年も経って、九条は彫刻を作り続けています。あの時の被災の恐怖を、彼なりにどうにかして克服したかったのかもしれません。」
言葉を少しずつ紡ぎながら、深く息を吐いた。
「でも、あの赤いジャージを大切にしていたことだけは確かです」
白石は驚いた。
「それが、気になっていました。あの赤いジャージは誰のものなんですか」
「……篠宮悠生です」
篠宮 悠生(しのみやゆうき)。眞藤の言葉は、白石の心に重くのしかかった。彼女が口にした名前は、まるで時空を超えて響き渡るような音を立てた。
眞藤の目は遠くを見つめている。その視線が、過去を見つめるように曇っていた。
「九条は、彼のことをとても大事にしていました。周りから見ても、二人は仲のいい友達だと……。あのジャージを、ずっと抱えていたんです。
被災の時、彼はあのジャージを抱えていた。それが唯一の、篠宮との繋がりだったんです。」
白石はその言葉に息を呑んだ。被災時、九条が赤いジャージを大切に抱えていたという事実が、ようやくその意味を持ち始めた。
それは九条と篠宮との間に生まれた絆の象徴であり、九条が生き残るための支えであったのかもしれない。
「篠宮さんは、あの時、どうなったんですか?」
白石が思わず尋ねると、眞藤は一瞬、目を閉じた。彼女がその瞬間に感じた痛みを、白石はひしひしと感じ取った。
「篠宮は、もうこの世にはいない。」
眞藤の声はかすれ、まるで時間がその瞬間を凍らせたかのようだった。
「被災の最中、彼は瓦礫の中で…私たちの目の前で命を落としたんです。
あの時、彼が私を助けてくれなければ、私も死んでいたかもしれません。だけど、彼は…彼は…」
その言葉が、眞藤の喉で詰まった。彼女の顔に浮かぶ深い痛みは、言葉以上に重く、切なかった。篠宮悠生は、その時の瓦礫の山の中で、無念にも命を落としたのだ。
そして、九条はその事実をどう受け止めたのだろうか。生き残った者として、彼が背負ったものはあまりにも重すぎた。
「篠宮のジャージは、九条にとって…彼との最後の繋がりだったんです。」
眞藤は小さく息をついてから、続けた。
「でも、それを抱えていたことが、九条にとってはどれほど辛いことだったかは、想像を絶します。」
白石は静かに頷いた。赤いジャージが、ただの物理的なものではないことは明白だった。
それは九条が生き延びるために抱えた、彼の魂の一部、そして彼の過去の痛みそのものだった。
「被災後のすべてを背負い込んで、そしてその後も、あのジャージを持っていることで、篠宮を忘れないようにしていた。」
眞藤は最後に呟いた。彼の声はかすかに震えていたが、それでもその言葉は強い力を持っていた。
白石はその言葉を心の中で何度も繰り返しながら、彼が抱えた痛みと、九条がどれほどその後の人生で篠宮を思い続けてきたのかを考えていた。
その赤いジャージは、過去の呪縛のように九条を縛り続けていたのだろう。
そして、今も彼の中で篠宮の影が生き続けている。その事実を知った今、白石は改めて九条の心の深さに触れた気がした。
「ありがとう、眞藤さん。あなたの話を聞けて良かった。」
白石はそう言うと、眞藤に深く感謝の意を込めて頭を下げた。
眞藤は静かに首を振り、「私も九条のために話すべきことだと思っただけです。」と答えた。
その言葉には、過去を背負い続ける者だけが知る重みがあった。