男は八巻から離れると、輪の外側を時計回りに回りながら、そのゲームのルールについて語り始めた。男が言うには、こうである。
①制限時間は三十分
②議論や投票の方法、タイミングは自由
③真犯人が自供すれば、ゲームは即終了(しかし、真犯人は自首しなければならない)
④ 「真犯人はあなたです」と指をさされた者は、男の手により射殺される(ただし、本当に真犯人だった場合は、その時点でゲームを終了させ、真犯人の身柄は拘束される)
⑤ 時間内に『墨田・葛飾女性連続殺人事件』の真犯人を見つけ出さなければいけない(見つけられなかった場合、真犯人以外は全員射殺、真犯人は解放)
ルールの不条理さに、全員が顔を歪めた。文句の一つや二つ出てもいいところだが、先ほどの一倉に向けられた銃口が頭によぎるのだろう。少しでも口出しすれば、次はその銃口が自分に向くかもしれないと思うと、誰もが口を結んだ。
真犯人以外の九人からすれば、命を懸けたデスゲームだ。ルールにある通り、いますぐにでも真犯人が名乗り出れば、馬鹿げたゲームが始まる前にすべてが終わる。しかし、こんな状況になったいまでも名乗り出てこないということは、仲間の命よりも、自分の罪を隠すことを最優先に考えているのだろう。謎の男にも、真犯人にも、情けなど通用しない。
「何か質問がある者は?」
一周して、八巻の背後に戻ってきた男が問いかける。
冷たい空気が漂う中、あのっ、と声を上げたのは、西葛飾署の森だった。発言を許されると、森は丁寧に名前を名乗ってから、慎重に言葉を続けた。
「あなたのことは、なんて呼んだらいいでしょう。何も、本名を名乗れとは言っていません。コミュニケーションを取る上で、呼び名がないと何かと不便でしょう?」
場違いな質問に、眉を顰める者もいた。優しい声色や穏やかに取り繕った表情から、男に対して媚びているようにも見えたのだろう。
しかし、男は意外にもその質問を受け入れた。
「俺は、このゲームのゲームマスターだ。ゲームマスターでも、マスターでも、好きに呼んでもらって構わない」
「そうですか。わかりました」
「他に、質問がある者は?」
男――もといゲームマスターの問いに、周囲の様子を窺うような沈黙が流れる。その沈黙を破ったのは、機動捜査隊の辻崎だった。
「このゲーム、真犯人だけ妙に優遇されてるみたいだけど、それはどうして? なんで、冤罪をかけられた側が殺されなきゃならないの」
「先ほども言っただろ。俺の目的は、真犯人の自供だ。口を割らせるためなら、なんだってする」
「なんでそこまでして……」
理解に及ばず、辻崎は呆れたようにため息をついた。
「……あなたは、真犯人が誰かわかっているの?」
百合江が、おそるおそる声を上げた。ゲームマスターは、わずかな間を空けたのち、そっと答えた。
「その質問には答えられない。ゲームとは無関係だ」
百合江は納得がいかないまま、これ以上問いただしても無駄だと言うことに気づき、口を閉ざした。
ふたたび、沈黙。ゲームマスターに対し、言ってやりたいことは山ほどあるのだろうが、誰も余計なことを言わない。軽はずみな発言が、自身の命だけでなく、仲間たちの命をも危険に晒すことを恐れているからだ。
「他に質問はないようだな……では、最後に。真犯人に告ぐ。名乗り出る気はあるか?」
輪の中で、視線が交錯する。声が聞こえてきそうなほど強い視線だった。
違うよな。お前じゃないよな。俺は違うぞ。
百合江の目には、自分こそ真犯人だと、名乗り出そうな者は映らなかった。
「……残念だ」
ボイスチェンジャーを通したゲームマスターの声が、心底残念そうに響いた。
「それでは、ゲームを開始する」
ゲームマスターは淡々と言うと、ふたたび時計回りに輪の外を歩き始めた。
ぬるりと始まったゲームに、場の空気は一層張り詰めた。誰もが、最初の発言者になりたくないようで、静観し始めた。そんな中で口火を切ったのは、小埜寺だった。
「こんな馬鹿げたゲーム、する必要ないでしょ。短時間でもこんな所に立て籠っていれば、そのうち異変に気づいた警察官たちが突入してくる。僕たちは、黙って待っていればいい。そんなにビビらないでくださいよ」
警察庁幹部の息子という肩書きが、自分を守ってくれるとでも思っているのだろう。もともと物怖じするようなタイプではなく、何かと嫌味を交えて発言するのが彼の癖だ。
「黙って待つだと? ふざけるなっ。とっとと真犯人が名乗り出りゃあいい話じゃねぇか」
危機感のない小埜寺に、八巻が怒気を孕んだ声で言い返す。
先ほどまで、銃口を向けられていたため、かなり憤りを感じているようだ。大胆不敵な八巻であっても、多少は恐怖も感じたはずだ。それが、キャリアというだけで、自分より階級が上な青二才にとやかく言われ、腹が立ったのだろう。
「名乗り出るわけないでしょ。真犯人は、誰よりも有利なんですから」
「もしや……、真犯人はお前じゃねぇだろうな?」
「なぜそうなるんです? 考えが安直ですよ、八巻さん」
小埜寺と八巻の掛け合いを、八人は固唾を呑んで見守った。二人は敷鑑捜査でバディを組んでおり、その時は衝突など見られなかったが、いまはこの状況だ。きっと、捜査中も小埜寺に対し思うところはあったにちがいないが、腹のうちに留めたのだろう。
いまだなお鋭い視線を向けてくる八巻に、小埜寺は呆れたようにため息をついた。
「八巻さん……あなたの方こそ、怪しいんじゃないんですか?」
「どういうことですか?」
小埜寺の聞き捨てならない発言に、百合江がすぐさま疑問を呈した。
「八巻さん、単独で動いてたんです」
その言葉に、全員の視線が八巻に向けられる。
捜査は、二人一組が鉄則だ。そのルールを破ることは、固く禁じられている。最悪、懲戒免職の可能性もある。
「おいおい、勘弁してくれよ……」
八巻の顔には、焦りの色が浮かんだ。
「たしかに、単独で動いてはいた。でもそれは、こんな坊ちゃんがバディじゃ捜査がやりづれぇからだ。現場経験もほとんどない相手と組まされた、俺の気持ちも考えろ」
「じゃあ、単独で動いていた間、あなたはいったいどこで何をしていたんです? やましいことがなければ、答えられますよね」
「それはっ……、」
八巻の言葉が詰まった。
自身の無実を証明したい。しかし、これは話してはいけない。
そんな葛藤が、八巻の表情から窺える。
「自供するか、僕たちから真犯人と指名を受けるか、どちらか選んでください。それが嫌なのであれば、このゲームを放棄して、三十分だけ耐えてください」
八巻は大袈裟に舌を打つと「勝手にしろ」と吐き捨てるように言った。小埜寺も、八巻が犯人だと決めつけてはいないようで、単独捜査についてそれ以上掘り下げることはなかった。ゲームを放棄しようとする彼らに、ゲームマスターは何か言うわけでもない。ただ黙ったまま、百合江たちの背後を散歩するかのように歩いている。
何度目かわからない沈黙が再来した。しかし、その沈黙は意外な人物により破られた。
「真犯人は、あなたです」