彩菜の手の中で震える「真実の記録」は、まるで彼女の迷いを反映しているかのようだった。本の中から立ち上った黒い煙は、目の前で徐々に形を整え、一人の女性の姿を作り上げた。その姿はどこか神秘的で、顔立ちは冷たい美しさを持ちながらも、どこか恐怖を感じさせる不気味さを帯びていた。
「真実を知りたいと願う者よ…覚悟はできているのか?」
その声は静かだが、空気を震わせるほどの威圧感があった。彩菜は喉の奥が引きつるのを感じながらも、目を逸らさなかった。彼女の中で渦巻いていた不安と希望、そして決意が絡み合い、一瞬にして心の中を駆け巡った。
俊煕が一歩前に出た。「真実を知る覚悟はある。だが、その代償を説明しろ。」
女性の目が俊煕を見据えた。冷たい視線は、彼の言葉の裏にある迷いをも見透かすかのようだった。
「真実は甘いものではない。それを知る者は、記憶の一部を犠牲にしなければならない。記憶とは、あなたの心を形作る大切な欠片。犠牲にした部分は決して戻らない。」
彩菜は息を呑んだ。「記憶を犠牲にするって…どんな記憶が奪われるの?」
女性はゆっくりと微笑みを浮かべた。その笑顔は冷たい夜の月光のように無機質だった。
「それはあなたたち次第。選択肢は二つ。自ら最も大切だと思う記憶を差し出すか、それとも、私が選んだ記憶を奪うか。」
俊煕がすぐに言葉を返す。「それなら自分で選ぶほうがいい。他人に選ばせるリスクを負う理由はない。」
彩菜はうつむき、震える手で本を抱きしめた。頭の中ではさまざまな記憶が浮かび上がり、次々と消えていく。大切な友人たちとの思い出、家族との温かな時間、そしてこの場所に来る前に決意したあの瞬間…。
「…私は、自分で選ぶ。」小さな声だったが、その言葉には揺るぎない意志が込められていた。
俊煕はちらりと彼女を見た。その横顔には恐れが見えたが、同時に何かを乗り越えようとする強さが感じられた。
「よし、俺もだ。選んでやるよ。」俊煕の声には苛立ちが混じっていたが、それが彼の覚悟を示していた。

記憶の選択
女性の手が空中に伸び、黒い霧が形を変えて二人の頭上に広がった。霧の中に、彩菜と俊煕の記憶が映し出される。
彩菜の記憶の中には、幼い頃の家族旅行の光景があった。澄み切った青空の下、家族全員で笑い合いながら食べたすき焼きの香りが、まるで今そこにあるかのように鮮明だった。その一瞬の幸福感が、彼女にとって何よりも大切なものだった。
俊煕の記憶には、ある冬の日、幼い弟と遊んだ雪合戦の風景が映っていた。弟の笑顔と、自分が兄として守るべきだという決意。それは彼が自分の中で誇りとともに守り続けてきた記憶だった。
「さあ、選びなさい。」女性が指を動かすと、それぞれの記憶が輝き始めた。
彩菜は涙をこらえながら呟いた。「私は…家族との思い出を犠牲にする。」
俊煕は短く息を吐き、拳を握りしめた。「俺は…弟の記憶を差し出す。」
その瞬間、霧が渦を巻き、二人の頭上で記憶が崩れていく。彩菜の心にはぽっかりと穴が開いたような喪失感が広がり、俊煕もまた、何か大切なものを失った痛みを押し殺していた。
「よろしい。試練は通過した。だが、これで終わりではない。」
女性の声とともに、部屋全体が眩い光に包まれ、次の扉が現れた。

希望の灯火
光が収まった後、彩菜は深く息をつき、俊煕を見上げた。「ありがとう。あなたが一緒にいてくれたから、選べた。」
俊煕は少しだけ微笑み、彼女の肩を軽く叩いた。「礼を言うのはまだ早い。これからが本番だろうからな。」
二人は新たな扉の前に立ち、互いに小さく頷くと扉を開けた。その先に待つのはさらなる試練か、それとも希望の兆しなのか。それを知るのは、彼ら自身が進み続けた先だった。