突然横から声をかけられて、ブロードは出しかけていた台詞を止める。
声のした方を見ると、そこには茶色の長髪を靡かせる女性が立っていた。
切れ長の碧眼に薄い唇。服装は大人びた黒ドレスに多くの装飾品を身に着けている。
甘めの香水を漂わせて、後ろに三人の仲間を率いているその女性は、不敵な笑みを浮かべながらブロードのことを見ていた。
その女性を見た瞬間、ブロードだけではなく、勇者パーティー全員の顔つきが険しいものになる。
「タフタ……。なぜお前たちがここに?」
タフタ・マニッシュ。
ブロードやツイードと同じ、一線級のパーティーを牽引する腕利きの冒険者だ。
冒険者の成績で言えば彼らと同じほどで、界隈では名前も知れ渡っている。
だが、彼女は事あるごとに多くの冒険者とトラブルを起こしており、どちらかと言えば悪名の方でその名が轟いていると言えるだろう。
そして勇者パーティーに突っかかってきたことも数え切れないほどあり、過去に何度もいがみ合ってきた険悪な仲だ。
だからこそ魔王討伐の祝賀会の会場に彼女とその仲間たちがいることに驚きと違和感を感じた。
「なぜここにって、それは当然勇者様たちの健闘を称えに来たからに決まってるでしょ。そのための祝賀会なんだし」
タフタはクスッと微かな笑みを浮かべて、手に持っていたグラスにおもむろに口をつける。
そんな彼女に対して、賢者ビエラが眼光を鋭くしながら言った。
「面白くもない冗談ね。あれだけ私たちの邪魔をしてきたあなたたちが、この期に及んで健闘を称えるですって? 何か裏があるとしか思えないわ」
タフタたちは勇者パーティーの冒険を何度も妨害してきた。
冒険者依頼を横取りされそうになった回数は数え切れないし、地下迷宮で鉢合わせた際は魔物の大群を押しつけられたこともある。
勇者パーティーのメンバーたちが快くない反応を示すのも至極当然だった。
同じくタフタのパーティーと良好な関係ではないツイードたちも、苛立ちを覚えるような表情を見せる。
それでもタフタは愉快そうに話し続けた。
「裏なんて何もないわよ。魔王討伐で先を越されたのは確かに悔しいけれど、世界が平和に導かれたことを祝福しているのは本当のこと。競争だってもう終わったんだし、これからは無駄に争う必要もないんだから」
タフタはワインが入ったグラスを手に持ち、ブロードが持つグラスに軽く打ちつける。
同時に「おめでとう」とブロードに囁くと、頬に不敵な笑みを浮かべた。
話は本当にそれだけだったようで、タフタは仲間を引き連れてその場を立ち去ろうとする。
そのことに安堵を覚えかけたブロードだったが――
「ところで……」
不意にタフタが、意味深な笑みを浮かべながら問いかけてきた。
「あの役立たずの道具師はどうしたのかしら?」
「――っ!」
ブロードの頭に熱が走る。
同じく他のパーティーメンバーたちの表情も、途端に険しいものになった。
「会場で姿を見かけていないけど……。あっ、もしかして魔王との戦いで死んじゃったとか?」
「……」
嘲笑うようなタフタの甲高い声と、同調するようにクスクスと笑う彼女の仲間たちを見て、ブロードは密かに唇を噛み締める。
そんな彼に追い打ちでもかけるかのように、タフタはさらに続けた。
「それともそれとも、まさか魔王と戦うのが怖くて逃げ出しちゃったとか? まあ明らかに一人だけ実力が伴ってなかったものね」
「……黙れ」
「だから魔王討伐の祝賀会に参加していなかったのね。怖くて逃げ出した臆病者が祝賀会に参加するなんて烏滸がましいにも程があるものね。でもよかったじゃないの……」
タフタは悪意に満ちた微笑をたたえながら、的確にブロードの心を煽る言葉を送った。
「あの腰巾着がようやくパーティーから離れてくれて。あなたたちも清々したんじゃないの?」
「――っ!」
耐え切れなくなったブロードは、力強く腕を振りかぶろうとした。
そこを仲間のビエラが腕を掴んで、彼の怒りを寸前で静止する。
フェルトのことを侮辱された怒りは、彼女も同様に感じていたが、冷静さを崩さずにブロードに囁いた。
「ここで手を出せば、祝賀会の雰囲気が台無しになってしまう。せっかく築いたあなたの英雄像だって崩れてしまうわ。だからお願い、ここは抑えて」
「…………すまない」
ビエラのおかげで徐々に怒りが収まっていき、ブロードの体から力が抜けていく。
気持ちが落ち着いてきたところで、ブロードは遅れてタフタの思惑を悟った。
タフタは魔王討伐を祝福するためにここに来たのではない。
勇者ブロードの印象を悪くするために、わざと挑発しにきたのだ。
度々勇者パーティーに絡んできたのは、ブロードたちの活躍が妬ましかったからで、魔王討伐の成功によって脚光を浴びている姿が一層憎たらしいと思ったのだろう。
だからこちらから殴りかかるように挑発をしてきて、勇者パーティーの印象を悪くしようとしてきた。
そんなわかり切ったことに気付かず、我を忘れてまんまと罠にはまりそうになってしまったことを情けなく思ってしまう。
一方で挑発が不発に終わったタフタも、つまらなそうにため息を吐いた。
そして何も言わずにその場を立ち去っていく。
張り詰めていた空気が和らいでいき、皆の表情から強張りが無くなっていくと、ツイードが吐き捨てるように言った。
「チッ、相変わらず感じ悪い奴だぜ、タフタ・マニッシュ。俺らのパーティーだって何度もこんな風におちょくられてきたからな。ま、あんま気にすんなよブロード」
「……あぁ」
本当は言い返してやりたかった。
道具師のフェルトは魔王討伐において確かな功労者だったと。役立たずや腰巾着などではないと。
彼がいなければ絶対に魔王討伐を成功に導くことはできなかったのだから。
他の仲間たちも同じ気持ちだったが、それでもフェルトの意思を尊重して誰も何も口にしなかった。
変に彼が目立つことになるのは避けたかったし、何よりそれが彼の望みでもあるから。
そんな僅かなトラブルはあったものの、祝賀会の時間は滞りなく進んでいき、やがて終わりを迎える。
そして勇者パーティーは、名実ともに世界を平和へと導いた英雄となったのだった。