「うん。ブロードが魔王を打ち倒した勇者って知れ渡ったら、故郷のチェック村も注目されるだろうし、そこにあまり長居はしたくないかな」

 勇者パーティーにいた無能の道具師として、俺まで注目されてしまいそうだし。
 そう伝えると、アラベスクさんは目線を落として続けた。

「そうですか。また寂しくなってしまいますね」

「これからは気が向いた時にいつでも帰って来られるから、そんな顔しないでよアラベスクさん。魔王討伐みたいな危険な旅に出るわけでもないからさ」

 アラベスクさんは自分の子供たちを心の底から大切にしている。
 だからブロードが勇者の天職を授かった身として、魔王討伐を志したのをすごく心配していた。
 勇者の天職を授かった人間は、過去に五人いるけれど、その誰もが魔王討伐を果たせず魔王軍の幹部や災害級の魔物と相打っている。
 そのため俺も、ブロードが同じ道を進むことになるんじゃないかと思って、その辺りのこともあってできる限りの手助けをしようと思ったんだ。
 けどもうそんな心配をする必要はない。人類最大の脅威である魔王の討伐は果たされて、ブロードも俺も命を落とす危険性はほとんどなくなったのだから。

「しかしせめて今夜だけは、ここで晩御飯を食べて行ってください。フェルト君の好物を用意しますから」

「えぇ、でも孤児院の子たちやアラベスクさんの食い分まで取っちゃうのは悪いからなぁ……」

「これは魔王討伐の祝勝会でもあります。世間の称賛から逃れるのはいいですけど、どうか私からの称賛は受け取ってください」

 そう言われてしまっては、断ることもできなかった。
 その日の晩、俺は孤児院でアラベスクさんの料理の懐かしい味に舌鼓を打ち、ついでに孤児たちとも遊んで仲良くなることができた。



 翌朝。
 恩師のアラベスクさんに魔王討伐の報告を終えた俺は、いよいよ当初の目的であった異世界旅へと出発することにした。
 前世でよくやっていたクラフト要素のあるファンタジーゲームをするかのように、世界各地を巡りながら色々な素材を集めたり道具を作ったりしてみたい。
 ついでにあちこち観光もできれば最高である。

「では、道中お気を付けて」

「うん、アラベスクさんも体には気を付けてね」

 孤児院の玄関でアラベスクさんに見送られながら、俺は故郷を旅立ったのだった。
 これからは魔王討伐のような壮大な目的はない、自由で気ままな旅が始まる。
 差し当たっては、行ってみたい町がいくつかあるのでまずはその辺りを目指して進むことにした。

「んっ?」

 すると、チェック村を出て森の道を歩いている最中、茂みの方から何かしらの気配を感じた。
 ここら辺は比較的魔物が少ないので、小動物か何かだと思ってそちらを見ると……
 茂みを掻き分けて、一匹の白い狼が姿を現した。

「――っ!?」

 大きさで言えば、大型犬よりさらに一回り大きいほどの白狼。
 毛並みは整っていて、新雪のような純白の毛は朝日を浴びていることで輝いて見える。
 思いがけないサイズの生き物が出てきたので、俺は思わず驚いて飛び退った。
 一定の距離を保ちながら、俺は白狼を注視し続ける。
 すると向こうも、宝石のような青目でじっとこちらを見つめてきて、特に何かしてくることもなく静かに佇んでいた。
 敵意がない。襲ってくる気配がない。むしろ優し気な眼差しをこちらに送ってきている気がする。
 じっとこちらを見てくる白狼を見つめ返していると、やがてハッと俺の脳裏に電気のような衝撃が走った。

「もしかしてお前、あの時助けた子犬か?」

 子供の頃。
 ブロードと一緒にこの森で遊んでいる時、一匹の子犬が小さな魔物に襲われているところに遭遇した。
 まだ幼かったブロードは勇者の力を上手く使えず、魔物の姿を見て立ち尽くした。
 一方で俺はすぐに子犬を助けるために動き出し、試作していた道具を駆使してなんとか魔物を退けることができた。
 それから子犬は森の奥へと帰って行ったけど、その時に助けた子犬の面影がある。
 体はあの頃と比べて随分と大きいけれど、切れ長で宝石のような碧眼からはどこか懐かしさを感じる。
 そう思っていると、白狼は不意に尻尾をふりふりと振り始めた。
 もふっとした耳も畳んで、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
 最後には背中を擦りつけるように体を寄せてきて、「くぅん」と甘えるような鳴き声をこぼした。
 嬉しそうなその様子を見て、あの時助けた子犬だと俺は確信を得る。

「まだこの辺に住んでたんだな」

 ふさふさとした頭を撫でながら、すっかり大きくなった姿を見て感慨深く思う。
 アラベスクさんもこんな気持ちで孤児たちの成長を見守っているのだろうか。
 まさかあの時助けた子犬が、巨大な狼と見紛うほど大きくなるなんて。
 頭を撫でていると、その頭を俺の右手にグイグイと押し返してくる。
 もっと撫でろということだろうか。むしろこちらからお願いしたいくらいの触り心地なので、ありがたく撫で続けさせてもらう。

 ふさふさ、もふもふ……
 あぁ、実家で飼っていた白柴のピッケを思い出す。
 小学生時代に飼っていたペットで、兄弟がいなかった自分としては家で唯一の遊び相手だった。
 ていうか前の世界じゃここまで大きな犬はいなかったような気がするけど、もしかして犬じゃないのかな?
 魔物にしては人懐っこすぎる気がするし、異世界特有の犬種という可能性もある。
 まあそれはなんでもいいか。

「旅に出る前にお前のことも知られてよかったよ。元気に暮らしてたんだな」
 
 俺はひとしきり白狼を撫でると、満足して右手を離した。
 それに気付いた白狼がふいっと顔を上げたので、俺は手を振る。

「じゃあ、俺はもう行くから。これからも元気で暮らしていけよ」

 もう少し一緒にいたかったけれど、あまり長く時間を共にしていると名残惜しさが増すと思った。
 だから俺は別れを告げて歩き出す。
 すると後ろの方から、タッタッタッと足音が聞こえてきた。

「んっ?」

 振り返ってみると、白狼が俺の斜め後ろを位置取るようについて来ていた。
 このまま進めば森を抜けてしまうのだけれど、それでも白狼はぴたりと後ろを歩き続けている。

「もしかして、お前も旅について来たいのか?」

 まさかと思って問いかけると、白狼は頷きでも返すかのように頭を擦りつけてきた。
 なんかめちゃくちゃ懐かれてる。
 助けた時はすぐに森の奥へ走り去ってしまったので、てっきり怖がられているのかと思ったけど今はそうではないらしい。
 少し考えてから俺は言った。

「じゃあ、一緒に旅について来るか? 特に目的とかは決まってないんだけど」

 と言うと、言葉を理解しているのか、白狼はバッと顔を上げて嬉しそうに耳と尻尾を忙しなく動かした。
 もう一度頭を撫でてあげる。
 俺の旅の目的は気ままに異世界散策だ。
 魔王討伐を目指しているわけでもないし、凶悪な魔物と戦おうとしているわけでもない。
 だから危険はないはずなので、この子を連れて行っても問題はないだろうと思った。
 それに一人旅よりも、心を癒してくれるペットがいてくれた方が俺としてもありがたいし。
 であれば名前とかも付けてあげた方がいいよな。

「うーんと、そうだなぁ……。じゃあピケにしよう」

 元の世界の実家で飼っていた白柴のピッケから名前を拝借し、略したものにしてみた。
 ピケと呼ぶと、さっそく気に入ってくれたのかはしゃぐように俺の周りを駆け回り始めた。

「よし、じゃあ行くかピケ。とりあえずまずは行きたい町があるから、そこを目指して出発だ」

 俺はおともになったピケを連れて、気ままな旅へと出発したのだった。
 言うなればこれは、魔王討伐の使命や世界を救う目的などもなく、ゲームクリア後の世界をふらふらとのんびり散策するような、そんなゆる~い旅である。