咄嗟に俺は、右手の人差し指で何もない空間を二度叩き、ウィンドウを出現させる。
 さらに手慣れた所作でアイテムウィンドウを開くと、ずらっと並んだ文字列を素早くスクロールさせてある素材を探した。
 程なくしてそれは見つかり、すぐさまアイテムウィンドウの中から取り出す。

 白い茎に青色の葉を茂らせた薬草――『天涙草(てんるいそう)』。
 数千種類の薬草が群生しているモアレ地方の森で、バラシアという名の少女と共に探し出した薬草だ。
 聞けば百病百毒に効く万能薬の薬草と言うことらしい。
 もしかしてこれで解毒薬を作れば、体が毒素で出来ているスライムを弱らせることができるんじゃないのか?
 そこまでできずとも、万能な解毒薬を作っておけば、いざスライムに毒を掛けられても解毒することができるようになるじゃないか。

「……試して損はなさそうだな」

 俺は天涙草をウィンドウに戻し、アイテムウィンドウからクラフトウィンドウへと切り替える。
 するとアイテムウィンドウ内の素材がずらっと表示されて、その中から解毒薬の素材の選択を始めた。

 作る道具は『医者いらずの毒消し』。
 魔物や自然物から受けた些細な毒を、ほんの少しだけ除去して楽にしてくれる薬だ。
 医者いらずなどという大それた名前ではあるが、効果は道具師の道具らしく名前負けしている。
 ただこれもレア素材を上手く組み合わせることによって解毒作用が向上し、実用的な解毒薬へと変えることができる。
 さすがにスライムの毒ほど強力なものを解毒することはできないけれど、ここに天涙草を追加素材として加えればさらに解毒作用は飛躍的に上がるはず。
 バブルドットに来る前に、モアレ地方に行っておいて本当によかった。

「よし、これで大丈夫なはず」

 医者いらずの毒消しの基本素材に、追加素材として天涙草を選択。
 希少素材のため有効的な加工方法は調べてもわからなかったが、薬草なら加工方法の違いでそこまでの差は生まれない。
 大体が生の状態か乾燥させるか、はたまた炙るかのいずれかだ。
 それに俺はバラシアとの探索で四本もの薬草をもらうことができたから、それぞれ試す余裕があるし、とりあえずはそのまま解毒薬の材料として調合をしてみよう。
 というわけで調合開始のボタンを押すと、ウィンドウが青白い光を放ち、画面が切り替わって『調合終了』の文字が浮かび上がった。
 さっそくアイテムウィンドウに移り、作ったばかりの医者いらずの毒消しを取り出してみる。

「おぉ……!」

 いつもは小さな瓶詰めにサファイア色の液体が入っているだけなのだが、今回作ったものは液体自体からほのかに白い光が放たれている。
 見るからに神々しい一品になっていた。
 これで解毒作用が大幅に上昇したのだろうか?
 バラシアに聞いた話の通りなら、百毒にも効く万能薬を作れる薬草なので、相応の効果があるとは思うけど。
 とにかく使ってみることにしよう。

「直接かければ効果はあるよな」

 体のほとんどが毒素によって出来ているスライムにとって、解毒薬はまさに凶器。
 並の解毒薬ではスライムの強力な毒を打ち消すことができないので効果はないだろうが、天涙草を用いたこれならあるいは……

「ピケ、危ないからちょっと離れてて」

 俺はピケに注意を促しつつ、闇夜の外套を羽織ってからスライムににじり寄っていく。
 気付かれると分裂されて厄介なので、身を隠しつつ近づいて特製の解毒薬を振りかける。
 もし効果がなければすぐにピケを連れて退散するようにしよう。
 密かに歩み寄って、いよいよ二、三歩手前といったところに着いた瞬間――
 俺は手に持っていた解毒薬を、スライムに向けて振り撒いた。
 すると巨大なヘドロの体のあちこちに、サファイア色の薬がかかる。
 刹那――

「フシュュュ!!! フシュュュ!!!」

 スライムはその巨体を震わせながら、まるで風船から激しく空気が抜けているような鳴き声を響かせた。
 次いで半液状の体が、炎天下にさらされたアイスクリームのように見る間にボトボトと削ぎ落ち始める。
 明らかに苦しんでいる。
 天涙草で作ったこの解毒薬は、スライムの毒素で作られた体に効果抜群のようだ。

「フシュ! フシュシュ!!!」

 しかしそれだけでは決定打にはならなかったのか、スライムは憤った様子で荒らげた鳴き声を上げる。
 さすがにこれだけの巨体となると、薬だけでは倒し切れないか。
 ただ分裂しないところを見るに、解毒薬の作用でかなり弱っているらしい。
 おまけに……

「あっ!」

 体が削れていった影響だろうか、巨大スライムの中心部に青い水晶玉のようなものが見えてきた。
 あれは核。
 スライムの心臓とも言える器官だ。
 あの核を壊すことができれば、スライムを絶命に至らしめることができる。
 解毒薬のおかげで切り開くことができた、スライムの突破口。

「今なら……」

 俺は怒りに震えるスライムの傍で、身を潜めたまま『赤石の短刀』と『超越の指輪』を装備する。
 今のスライムは薬の効果で激しく弱っているので、こちらを迎撃する余裕もないだろう。
 闇夜の外套によって姿も見られていない。
 俺は赤石の短刀を握って跳躍し、剥き出しになったスライムの核を狙って渾身の突きを放った。

「はあっ!」

 ズガッ!!!
 深紅の刃は的確に核に突き刺さり、水晶玉のようなその見た目にヒビが入る。
 瞬間、『パキンッ!』と核が砕けて、ガラスのような破片が辺りに散った。

「フ、シュュュ……!」

 その直後、スライムは弱々しい声を漏らしながら地面に倒れて、半液状の巨体を煙のように消滅させた。
 後に残ったのは、核の一部であるガラス片のような結晶だけ。
 シンと静まり返ったその場で、俺は驚きと安堵を同時に味わう。

「勝てた、のか……? 俺一人で……」

 強敵と名高いスライムの、さらに上位種とも言える個体に。
 最後の一撃の影響で、赤石の短刀と闇夜の外套は僅かにスライムの毒液に触れてしまったらしく、所々がドロドロに溶けていた。

 さすがにこれらはもう使い物にならないだろう。
 希少な天涙草まで使ってしまったけれど、これらの道具を駆使したから、道具師の俺一人でもスライムを倒すことができたんだ。
 道具師らしい戦い方ができたんじゃないかな。
 無事にスライムを討伐できた安心感で、ほっと一息吐いていると、後ろからピケが飛びついてきた。
 そしてペロペロと顔を舐めてくる。

「ど、どうしたんだよピケ? もしかして心配してくれたのか?」

 俺が大怪我でもするんじゃないかと不安に思っていたのだろうか?
 それで無事に魔物を倒したから、その安心感で思わず飛びついてきたのかもしれない。
 小さな声で「くぅくぅ」と鳴いているピケを、優しく撫でてあげながら俺は笑みを浮かべた。

「さて、これで問題解決だ。あとは放っておけば汚染は勝手に解消されるだろうし、町でゆっくり待つとしよう」

 じきに魔力水の販売も再開されて、当初の目的であった素材も無事に入手できるはずだ。
 それまではしばらくバブルドットの町を観光したり、念願だった温泉でものんびり楽しむとしよう。
 言った通りいい汗もかけたことだし、待ちに待った温泉は絶対に気持ちいいはず。
 思えば前世でも、仕事が忙しくなってから旅行に行く機会はめっきり減っていたし、温泉に浸かったのなんて何年も前の話だ。
 久々の温泉だぁ、と高揚感を抱きながら山を下りようと思った、その時……

「フェルト?」

「――っ!?」

 突然後ろから名前を呼ばれた。
 その声に二重の意味で俺は驚愕する。
 この場所に俺以外の人間がいることへの驚き。
 そしてその声に聞き覚えがあることへの驚きである。
 俺はまさかと思いながら振り返り、そこにいた青年と、隣り合って立つ三人の仲間を見て目を見開いた。

「ブ、ブロード? それにみんなも……」