魔力水の水源に、汚染が見つかった?
何かの冗談かと思ったけど、タフタと話している町長さんは険しい顔で固まったままだ。
本当に水源が汚染されているのか。
しかも高濃度の魔力水って……
『抽選券の配布を始めます。押さずにお一人ずつお受け取りください』
俺はポケットに入れていた一枚の紙を取り出す。
“122”と書かれたその紙を見て、俺はこの町で起きていることを静かに悟った。
高濃度の魔力水は、現在購入制限が設けられているあれのこと。
抽選販売になったのは、魔力水を汲み上げるための装置が長期点検に入って供給が追いついていないからだと聞いたけれど……
それは嘘だったということか?
住民や観光客たちをパニックにさせないために、それらしい理由をでっち上げたのなら納得できる。
でももしそれが事実だとしたら、魔力水を財源にしているバブルドットにとっては致命的な一打と言える。
タフタが言ったように、バブルドットは魔力水と温泉を名産にしている観光名所なので、心臓とも言える水源が汚染されたと知られればブランドは地の底まで失墜するのは明らかだ。
話を聞くに汚染されたのは高濃度の魔力水の水源だけのようなので、それ以外の商品や温泉、町の水路を流れる水には影響がないみたいだけど。
水源の汚染、というだけで水を名産にしているバブルドットにとっては最悪のイメージに繋がってしまう。
「ここまで築き上げたバブルドットのブランドを落とすわけにはいかないんだ。だから腕利きと噂の君たちに、汚染の原因の魔物を討伐するよう依頼を出したんじゃないか。それなのにいつになったら……」
「だ、か、ら……そのためには相応のお金が必要なのよ。特別な装備を揃えたり道具を用意したり、色々とね」
タフタは町長さんを脅迫でもしているかのように、資金の催促をしている。
町長さんは文字通り頭を抱えながら、項垂れるように深く俯いてしまった。
おおかた話が見えてきたな。
バブルドットの財源である魔力水の水源に汚染が見つかった。
町の信頼を落とさないために、内密で水源の汚染を解決する必要がある。
そこで依頼を託されたのが一級冒険者のタフタのパーティー。
汚染の原因が魔物にあるのだとしたら冒険者に依頼を出すのは当然の流れだから。
しかしタフタは、町長さん側が用意した武器や道具だけでは魔物の対処ができないからと資金援助を求めている。
その額が膨大だったため、ただでさえ財源が押さえられて懐が厳しい町長さんは頭を抱えていると。
難儀な問題にぶつかってしまったみたいだな。
「……少し、考えさせてくれ」
「高濃度魔力水の貯水もそろそろ底を尽くんじゃないの? 本格的に販売中止になる前に早めに決断することね。私たちも資金がなきゃ動けないわけだし」
それで会話が終わったのか、タフタは席を立つ。
そして出口に向かって歩き、扉に手をかけると、いまだに項垂れている町長さんに対してへらへらとした顔で手を振った。
「それじゃあね、ギャバジン町長さん」
そうして店から出てきたタフタは、俺の真横を通って元来た道を引き返していく。
ちゃっかり町長さんの支払いになっていることにはツッコまずに、俺は店の中と遠ざかっていくタフタの背中を交互に見て逡巡した。
このままタフタを追いかけるべきだろうか?
これ以上追って何か意味があるかな?
もう下手に首を突っ込まない方がいいだろうか?
そう思い悩んでいると、不意に小屋の中から声が聞こえてきた。
「ギャバジン、頼む相手を間違えたんじゃないか?」
まるで西部劇で葉巻を銜えたガンマンを思わせるような渋い声。
ずっと口を閉ざしていたダンディな雰囲気のマスターが、町長さんに優し気に声をかけていた。
「早急に汚染を解決したかったからと言って、手当たり次第に一級冒険者たちに依頼を出すなんて。焦りすぎだと思うがね」
「いつ有力パーティーがつかまるかもわからないんだ。そうする他なかったんだよ。実際今のところ返事を寄こしてきたのはタフタ・マニッシュだけだからな」
二人がどのような関係なのかは定かではないけど、マスターはやはり今回の事情を知っているくらい親しい相手らしい。
にしても一級冒険者たちに手当たり次第に依頼を出していたのか。
基本的に一級冒険者は忙しい身だし、早く腕利きの冒険者を呼び寄せたかったら最善の策と言えるのか。
それで返事をしてきたのがタフタのパーティーだけだったから、彼女たちに依頼を任せることにしたと。
まああれだけ勇者パーティーの邪魔をしてきたタフタパーティーだけど、その実力は確かだからな。
そう思っている俺の耳に、心臓をドキッとさせるような会話が入ってきた。
「やはり実力と名声を兼ね備えた剣聖ツイードや、勇者ブロードのパーティーに任せた方が確実だったんじゃないか?」
「もちろん彼らにも依頼の手紙を出したさ。だが多忙なためか返事はなかった。勇者パーティーの方は魔王討伐の使命を果たし、じき解散するという噂も聞く。彼らの助けは期待できない」
ブロードたちにも……
確かに勇者パーティーは、魔王討伐の使命を果たしたので各々の目的のために解散する予定となっている。
剣聖も忙しい身と聞くので、タフタだけしか返事がなかったのも仕方がないことかもしれない。
その時、俺の脳裏に勇者ブロードや剣聖ツイードの顔がよぎり、同時に微かな違和感が湧いた。
聞いた通り、勇者や剣聖は実力と名声を兼ね備えた英雄たちだ。
彼らの活躍をより近くで感じてきた者なので、その評価は尚のこと妥当だと思える。
そしてそんな彼らには一歩及ばずとも、迫るほどの実力を持っているのがタフタとその仲間たちだ。
そんな奴らが、武器や道具も用意してもらったのに、水源汚染の原因である魔物が倒せないだと?
それほどまでの強敵が、魔王討伐後で魔族の力が軒並み弱まったこの世界に、果たして存在するのだろうか?
「……」
気付けば俺は、知らず知らずのうちに耳飾りを外して元来た道を走りだしていた。
タフタと町長さんの先ほどの会話に少し違和感を抱いたので、タフタの後を追うことにしたのだ。
タフタの天職は【魂操師】。
魔物を倒して消滅した際、稀にその魂を得ることができ、肉体を復元させて戦わせることができる。
テイマーやサモナーに近い力だと思ってもらえばいい。
その力はかなり異質で、ブロードやツイードのように個の強さではなく、数の暴力が光る天職だと言えるだろう。
奴はその力と仲間を駆使して一級冒険者の地位に昇り詰めるまでに至った。
そんなタフタたちが、武器や道具も用意してもらって敵わなかった魔物がいる?
もしそのような怪物が仮にいたとして、支援金を追加でもらったところで何か手を打つことはできるだろうか?
何より150万クローズなんて大金、いったい何に使うつもりなのだろうか?
俺はその辺りに違和感を覚えて、引き続きタフタの尾行をすることにしたのだ。
あまり早く歩いていなかったのか、すぐにタフタの背中が見えてくる。
闇夜の外套を羽織ったまま静かに奴の後ろを追っていると、やがて通りの方へ出て人ごみのなかに紛れていった。
それでも見逃さずについて行くと、程なくしてタフタは変哲もない宿屋へと辿り着く。
すでに部屋をとっているのか、受付で顔を見せただけで通行を許可されて、二階へと続く階段を上って行ってしまった。
「うっ、どうしよう……」
ここはさすがに足踏みしてしまう。
宿屋はお金を払ってプライベートな空間を提供してくれる場所だから、この手の道具を使って部屋に近づくのは罪悪感が湧くんだよな。
まあ廊下までならセーフかと思いつつ、俺は闇夜の外套で受付を素通りして、タフタと同じく階段を上がっていった。
二階へと辿り着くと、ちょうどタフタが一番奥の部屋へ入っていくのが見えて、俺はその部屋に近づいてみる。
すると部屋の中から聞き覚えのある声が複数聞こえてきた。
タフタの仲間たちの声。どうやらここはパーティーメンバーたちで泊まっている宿部屋らしい。
会話の正確な内容まではわからなかったので、再び秘密好きの耳飾りを着けることにした。
違和感の解消に来ただけなので、特に何も新しい情報を掴めなさそうだったら早々に立ち去ることにしよう。
という俺の心中を嘲笑うかのように、さっそく聞き捨てならない会話が耳に飛び込んできた。
「で、町長との取り引きはどうだったんすか、タフタの姉貴?」
「えぇ。吹っかけるだけ吹っかけてやったわ。まああの様子ならじきに町の金に手を出すでしょうね」
……吹っかけた。
それがあの支援金150万クローズのことであると、言われずともわかる。
やっぱりあの金額は過剰に請求したものだったんだ。
いや、そもそもそれ以前に……
「なあタフタの姉貴、やっぱ成功報酬ももらえるなら倒しに行った方がいいんじゃないっすか? だって300万すよ300万」
「ハッ、バカね。本気であの化け物を倒せると思ってんの? 下手したらこの中から死人が出るわよ。だからせいぜい支援金をあの町長から搾るだけ搾ってトンズラするのが正解なのよ」
「ま、それが一番いいっすね!」
「……」
こいつら……
何か裏があるのかもしれないとは思ったけど、まさかこれほどまでに下衆なことを考えているとは思ってもみなかった。
水源の汚染の原因となっている魔物を倒す気なんか、こいつらはさらさらなかったんだ。
いや、口ぶりから察するに、最初は討伐する気はあったみたいだがそれができないとわかって、少しでも町長さんからお金を騙し取って逃げようと考えたみたいだ。
もらった資金は魔物討伐に費やしたけど、惜しくも討伐には至らなかった、という言い訳でもすれば罪に問われることはないだろうからこいつらは無傷で150万クローズを持ち逃げできる。
部屋の中からへらへらとした笑い声が聞こえてきて、俺は思わず中に飛び込んで文句の一つでも言ってやろうかと思った。
けど、秘密好きの耳飾りを外したところで、寸前で理性が勝って踏みとどまる。
ここで俺が感情を爆発させたところで、なんの解決にもならない。
それよりも他にやるべきことがあるんじゃないのか。
「……やっぱり、俺が行くしかないよな」

