それを聞きながら俺は歩き出し、耳にした情報を頭の中で整理した。
 汲み上げ装置の長期点検。
 たぶん地下から魔力水を汲み上げる装置のことだろう。
 それが長期にわたる点検が必要になってしまったために、魔力水の汲み上げができなくなったのか。
 じゃあ今販売している分は、点検前に汲み上げた魔力水の在庫を切り崩しているものということ。
 どうりで購入制限がされているはずだ。

「はぁ、これじゃあ大量に買うのは無理かなぁ」

 人知れずそう呟くと、腕の中のピケがくいっと顔を上げた。
 そして慰めてくれるように頬をチロッと舐めてくる。
 抽選販売に関しては、おそらく当選はすると思う。

 俺は何かと運がよくて、日常的に幸運な場面に遭遇することはこれまで何度もあったから。
 けど当選したところで買えるのは、瓶詰め一つ分の魔力水だけだろう。
 こうなると時期を改めた方がいいのかなという気になってくる。
 そんなことを考えながら宿探しを並行させていると……

「――っ!?」

 雑踏の中、ある人物とすれ違った瞬間に甘い香りが鼻腔をくすぐってきた。
 俺は咄嗟に後ろを振り返る。
 その独特の甘みを含んだ香水の匂いに覚えがあったから。
 すると視線の先には、茶色の長髪を靡かせて歩く、見覚えのある後ろ姿の女性がいた。

「……タフタ?」

 タフタ・マニッシュ。
 幾度となく勇者パーティーの冒険を邪魔してきた因縁深き冒険者。
 あれは間違いなくタフタ・マニッシュだ。

 どうして奴がこの町に?
 幸いすれ違った際にこちらには気付かなかったようで、タフタは雑踏を縫いながら通りを歩いていた。
 その後ろ姿が次第に遠ざかり、人混みの中に消えていってしまいそうになる。
 一瞬、思考が停止して固まってしまったが、俺は僅かな逡巡ののちに前方に向けていたつま先をタフタの方に修正した。
 そして一定の距離を保ちながら奴の後ろについていく。

 何か明確な理由があっての行動ではない。
 過去の因縁に関して文句を言ってやろうとか、鬱憤を晴らすために悪戯をしてやろうとかそういう気概は一切ない。
 ただ、なんとなく嫌な予感がしたのだ。
 タフタが関わるといつもろくなことがなかった。私利私欲のためだけに動く奴は周りの迷惑を顧みずに何度も犯罪すれすれの悪事を働いてきた。
 だからこの町でも、何かしら悪だくみをしているのではないかと思ったのだ。
 もしそれが本当で、かつ俺だけの力でそれを事前に止められるような状況なら、なるべくは止めてやりたいと思ってこの尾行を始めた。
 たぶんあのお人好しな勇者も、この場にいたらきっと同じことをしていただろうから。

 そんな思いからタフタの尾行を開始して、雑踏の中を歩きながら奴の背中を追っていく。
 腕の中のピケも慎重な空気を察したのか、心なしか息遣いを小さくしてなるべく存在感を薄くしてくれた。
 すると不意にタフタは、大通りを折れて小道の方へと入っていく。
 慎重にその小道を覗くと、大通りと比べて人気がほとんどないことがわかる。
 向こうも熟練の一級冒険者である以上、下手に追えば見つかる可能性が高くなる。
 もしこちらの存在に気付かれたら、タフタの企みを知ることはできなくなってしまうだろう。
 ていうか純粋に見つかりたくない。顔を合わせたらいったいまたどんな皮肉や罵倒を浴びせられるかわからないから。

『よかったわね、たまたま勇者ブロードと幼馴染で。でなきゃあんたみたいな腐るほどいる道具師なんて勇者パーティーにいられるはずないものね』

 嫌なことを思い出してしまった。
 勇者パーティーにいた時、冒険中にタフタのパーティーと何度も会う機会があった。
 そして事あるごとに、タフタはブロードたちがいない瞬間を狙って俺に接触してきて、そんな皮肉を言ってきたのだ。

 その理由はなんとなくだけど想像がつく。
 俺はいわば勇者パーティーの穴のような存在だから、勇者パーティーが気に入らないタフタにとっては攻撃しやすい対象だったのだろう。
 他の連中は希少な天職を授かった秀才たちだったし、勇者パーティーを瓦解させるなら当然俺から崩しに来るはずだ。
 なんて嫌な思い出は、かぶりを振ってすぐに振り払い、俺は何もない空中を右手の人差し指で二度叩く。
 ウィンドウが出現すると、手早く操作してアイテムウィンドウを開き、そこから『闇夜の外套』を取り出した。
 タフタに見つからずに尾行を続けるのなら、この道具の隠密性能は確実に力になってくれるだろう。
 ただ、突然人が消えるという怪奇現象で騒ぎが起きないように、周りに見られていないことを確かめてから俺はそれを羽織った。

「よし、これで大丈夫」

 俺の姿は今、傍から見れば完璧に消えているはず。
 臭いや足音もしないので、これで奴に気付かれずに尾行を続けられる。
 少し大胆に行動しても問題がなくなったので、俺は小道を小走りで進み出した。
 すぐにタフタの背中を視界に捉えると、念のために木樽や木箱の裏に隠れながら奴の跡を追っていく。
 どんどん小道の奥の方へと進んでいき、もしかしてこちらの尾行がバレてどこかに誘導されているんじゃ、という懸念が微かに生まれてきたその時……

 タフタはある小屋の前で立ち止まり、乱暴な仕草で扉を開けた。
 そして屋内へと入っていき、姿を消してしまう。
 慎重に忍び寄ってその石造りの小屋を確認してみると、扉には小さな木製看板がかかっていた。

『働き蜂の隠れ家』

 小窓があったのでついでに中を覗いてみると、狭い屋内にはカウンターらしきものと棚に並べられた酒瓶が見えた。
 ここはもしかして酒場?
 隠れ家的なバーって感じなのかな?
 外観だけだと、何か闇の取引現場に使われていそうな小屋だったので、ちゃんとしたお店だとわかって少し安心する。

 タフタはここにお酒でも飲みに来たのだろうか?
 だとしたらこれは尾行ではなくただのストーカー行為になってしまう。
 その罪悪感を払うために、早々にこの場を立ち去るべきだろうかと考えていると、視界に席についたタフタが映った。
 そして彼女の隣に、見覚えのない中年男性が座っている。

「誰だろう、あの人……?」

 タフタのパーティーには三人の仲間がいるが、その誰とも違う人物だ。
 しかもお高そうなフロックコートを着ていて装飾品もたくさん身に着けている。
 いったいどういう関係なのだろうかと息を呑みながら窺っていると、二人は会話を始めた様子だった。
 しかし屋内の会話は外まで聞こえてはこない。
 いくら闇夜の外套を羽織っているからといって、さすがにここまで狭いお店に扉を開けて入れば確実にバレてしまう。
 こうなったら……

「道具の出番だな」

 俺はまたアイテムウィンドウを開き、その中から一つの道具を取り出した。
 青い石があしらわれた耳飾り。
 名前は『秘密好きの耳飾り』という。

 これは装備することで僅かに聴力を向上させられる耳飾りだ。
 効力の大きさとしては、周りから聞こえてくる音が気持ち少しだけ大きくなったかな、と思うくらいのなんとも微妙な性能である。
 しかし道具製作の際にレア素材である『鉄蝙蝠(てつこうもり)の鋭翼(えいよく)』を加えると、その性能が著しく強化されるのだ。
 その性能の上がり具合は勇者パーティーのみんなが身を持って味わっている。

『何よこの耳飾り! いくらなんでもうるさすぎよ!』

『ち、近くで叫ばないでくれ! 耳が痛いから!』

 これを着けた瞬間、周りから聞こえてくる音が、テレビの音量を一気に最大値まで引き上げたくらいの変化があったからなぁ。
 賢者ビエラはあまりのうるささに怒りながら耳飾りを外していたし、その怒声で他の俺たちは頭が痛くなったものだ。
 魔物生息地を探索する時など、魔物の接近を気取るのに便利な道具にはなったけど、如何せん耳がよくなりすぎてしまうのは欠点でもある。
 町中の喧騒や魔物の咆哮で鼓膜が破れそうになるレベルだから、そんな理由もあって俺はこれを使うのがあまり好きではない。
 ただ、今の状況に限って言えば最適な道具である。

「これで、よし……」

 俺は『秘密好きの耳飾り』を着けて、小屋の中の会話に耳を傾けた。
 すると……

「……君たちのために武器と傷薬は充分に用意したはずだ。もうこれ以上の支援はできないぞ」

「あっ、そう。なら別に私たちは今回の依頼を下りても構わないのよ。この町がどうなろうと関係ないし」

 狙い通り、お店の中の会話が聞こえてきた。
 ただその内容が、なんだか穏やかならないものだったので俺の緊張感はさらに増す。
 この町がどうなろうと……? タフタはセレブチックな中年男性といったい何を話しているのだろうか?

「依頼の達成のために資金が必要なのは理解できる。だがいくらなんでも提示資金が高すぎるのでは……」

「だから思った以上にその依頼が厄介だったって何度も言ってるでしょ。あんな化け物を相手にするのなんて初めてなんだから。さっさと追加の資金を寄こしなさいよ」

 中年男性は頭を抱えたまま歯を食いしばり、タフタはダンディな雰囲気の白髪マスターから出されたナッツを不機嫌そうに口に放り込んでいる。
 話を聞くに、タフタはあの男性から何か討伐依頼を受けたのか。
 それで男性側が武器や薬も用意していたけど、それだけの支援では足りないからタフタは追加資金を要求していると。
 どんな依頼内容で、二人の間でどのような約束が交わされたのかは定かではないけど、この大通りから離れた小さな酒場でこっそり会っていることから、周りの人にはあまり聞かれたくない内容のようだ。
 マスターはどちらかの関係者なのか普通に話を聞いているけど。
 タフタに追加資金を求められた男性は、ますます顔色を悪くして返す。

「し、しかし成功報酬だけで300万クローズも要求した上で、さらに150万クローズの前資金なんて。これ以上はもう私の懐からは……」

「なら町の金でもなんでも抜いてくればいいじゃないの。町長さんなんだからそれくらい簡単にできるでしょ?」

「バ、バカを言うんじゃない! 町の経営資金を動かせば勘付く奴が出てくるだろ! このことを知っているのはごく一部の者たちだけなんだぞ」

 その会話を聞いて、俺は思わず漏れそうになった声を手で押さえる。
 闇夜の外套のおかげで諸々の音とかは外に漏れないので余計なことではあったが、それほどの衝撃を受けたのだ。
 まさかタフタと話していた男性がこの町の町長さんだったなんて。
 町を統治するほど偉い人と、内密な依頼の話をしているわけだよな……
 ますます不穏な雰囲気が濃くなってきて、タフタがどんな依頼を引き受けたのか一層気になってきた。

「ま、まさか君、自分の仲間たち以外にこのことを話していないだろうな。依頼内容、それに準ずることを口外するのは前もって禁止に……」

「落ち着きなさいよ町長さん。言ってるわけないでしょこんなこと。というかもしこれが世間に知られていたら、今頃この町は大騒ぎになってて、あなたはここで一杯やってる暇もなくなってるんだから」

 町が、大騒ぎになる?
 心臓の音が大きくなっていくのを人知れず自覚していると、不意にタフタが不敵な笑みをその頬に浮かべる。
 そして指で摘まんだナッツをパキッと割ると、欠片がカウンターの上に散らばる様を見ながら、町長に脅しでもかけるように衝撃的なことを口にした。

「だってそうよね。高濃度の魔力水の水源に“汚染”が見つかったなんて民間人に知られたら、お客たちは大パニックでこのバブルドットは観光地としてのブランドが地に落ちてしまうんだもの」