この世界には3つの常識が存在する。

①世界は偏ってできている、人は、社会は、平等にも公平にもできていない。
②だから……世界にはこれを変えることができるパワーが存在している。
③それは……『過去を変える』そして『未来を変えられる』。



『公平』と『平等』の差とは何だろうか?

 ここにケーキが1ホールある。

 これを等しく切り分けたものを『平等』。

 次に『公平』とは……社会的に認知された『物差し=基準』でもって区別されたもの、100円分のケーキ1ピースと500円分に分けられた1ピース。これが『公平』。

 恐らくここまではこの定義づけで納得できるかと思われる。



 しかし問題となってくるのはケーキ1ホールの価値を誰が決めるか、である。ケーキ職人が決めるであろう値段のことである。

『平等』は例えそのケーキが幾らであろうとも等しく分けられる。しかしながら『公平』は『価値』によって『平らである』概念が変わってくる恐れがある。

 あるパティシエは1000円/1ホールとする。しかしある生産者は味・材料は一切変わらないにも拘わらず3000円/1ホールの値を付ける。この生産者は前者のパティシエの3倍の時間なり、労力なりをかけて作ったのだから仕方のないことかもしれない。
 すると次の問題は『能力』になり得る。前者のパティシエは才能が有り後者の生産者より『有能』であることになる。

 ここに『その人』の『持っているもの』としての価値が生まれ、優劣を比べてしまう。

 しかしながらパティシエは走るのが遅い。後者のケーキの生産者の方は走れば世界一の記録を持っていて、その道で生計を立てている。
 そうなってくればどうであろう? 有名人の作ったケーキには付加価値がある? 『人間』としての優劣を比べたのならどちらが優でどちらが劣なのか分からなくなる。

 社会的に認知された『物差し』の使い方によって変わるということ……その物差しを宛がう人間が誰なのか……世の中は偏っている……。

 ただ一つ言えることは『不公平』『不平等』は自分が『損』をしたときに唱えるものである……。