─────チュ、と。
軽いリップ音と共に、唇に今まで触れたことのないような柔らかい何かが降ってきた。
目が点になっているだろう私の顔から、一瞬だけくっついた見慣れないうつくしい顔がゆっくり離れていく。何故だかそれを黙って見ているわたし。
「いい味。ご馳走様」
そういったそのうつくしい男は、妖しげにも色っぽい笑みを浮かべ、ペロリと自分の唇を舌で舐めあげた。
─────はて。
いったいこの状況は何? 目の前には、大事な大事なファーストキッスをいとも簡単に奪い取った金髪の美青年が1人。
「ホラ、早くボクをキミの部屋へ連れて行ってよ。悪いようにはしないからさ」
美青年はまた妖しげにも色っぽい笑みを浮かべ、わたしを抱きかかえたのだった。そして、それがまるで当たり前かのように。
─────羽を広げて、宙に浮いた。
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*
◇
【天使月には運がない】
▷▶︎第1話 天使は突然やってきた
(昔から”天使”という言葉にツイてない)
◇
コトリ、と。とりあえずのこと、家に帰ってくるや否やマグカップに注いだ熱めのコーヒーをテーブルに置いてやった。
目の前の金髪美青年はニッコニコの上機嫌でお礼の一言もなくそれを手に取り、フーフーと息を吹きかけている。そう、わたしのファーストキッスを奪ったその口で。
「……それで」
「ん? ちょっと待ってよアキラー! これスッゴくニガイやつじゃん! 僕、ニガイのって苦手だなー」
空いた口が塞がらないとはまさにこのこと。まじで何様だコイツ。
生まれてこの方こんなに誰かに対して殺意を抱いたことはない。わざとらしく睨みをきかせてやったのに、そんなわたしの目線にはまるで気づかず、「ニガイニガイ」とコーヒーをすする男。
「あなたの趣味趣向とか知りませんし、第一初対面だし、というかひとの家にのこのこ上がり込んでくるのも非常識だと思いますし」
「ハハ、早口ー」
気づけばやってきていた私の家。家賃月3万円のオンボロアパート303号室。あれよあれよと金髪美青年を家に招き入れ、何故かコーヒーまで淹れてあげちゃっているけれど。正直にいうと、今の状況に何ひとつ頭が追いついていない。人間って信じられないことが起きると逆に冷静になるみたい。
だって、私の記憶が正しければ。
この金髪美青年は、私を抱きかかえた瞬間─────背中から羽根を広げて、空を飛んだのだ。
軽やかに、まるでそれが当たり前だとでも言うように。
コイツは人間のカタチをしているけれど、もしかしたらそれとはちょっと違うのかもしれない。
私はそういうの、信じるタイプではまるでないんだけれど。むしろ疑ってかかるタイプなんだけれど。
この目で見てしまったのだから、仕方がない。それも、自分も一緒に宙に浮き、そのまま空を飛んでここまで帰ってきたのだから。
この金髪美青年に抱きかかえられた瞬間を思い出す。
一瞬目を閉じて、それから風を感じて次に目を開けた時。そこには私を抱きかかえながら空を飛んでいる美青年と、真下に広がる住宅街があったのだ。それも、彼の背中には白くて大きな羽根が生えていた。そう、羽根。信じられる?
空を飛ぶならまだしも(いやそれだけでも遥かに現実離れした話だけど)コイツの背中には羽根か生えていたのだ。しかもそれを、自分の目でバッチリと見た。
生憎わたしにはそれをすべてまるっと受け入れられるほどの度胸もポジティブさも好奇心もなかったので、そこで眠るように記憶を手放してしまった。気絶した、が正しいのかもしれないけど。
次に目を開けると、いつものように自分の部屋のベットに寝かされた私と、それを楽しそうに見つめる美青年がいたのだった。
「テイウカ、ナンデ名前知ッテルンデスカ」
「いやナンデ片言」
ちなみに言うと、この美青年は私が目覚めた瞬間に目をキラキラ輝かせて、「お腹すいた! 喉乾いた!」と騒ぎまくった。
私が気絶してたことは無視か。
まあこの際なんでもいい。とにかくこの超ウルトラ正体不明の変質者を家から追い出さなければ、わたしの明日はないかもしれない。
「ところでアキラ、これからについてだけど、ボクは基本甘いものが大好物でね。苦いものはニガテだから、ピーマンとかはなるべく料理には使わないようにしてくれる? 」
「……はあ……?」
「あと、毎日食後のデザートがあったら嬉しいなあ。あ、モチロン、デザートは私ですっていうベタなシチュエーションも嫌いじゃないんだけどね?」
「……」
いやいや、待て。どこから突っ込んだらいいのか定かではないけれど、明らかにそれはベタなシチュエーションでもなんでもない。
ギャグか。ツッコミ待ちなのか。ていうかコイツが至って真面目に話しているところが逆に怖い。夢なら早く覚めてよお願い。
「あのー……つかぬ事お聞きしますが、貴方は一体? あと、いつ帰られます? 帰るお金がないならそれくらいは出しますので……どうかここら辺で……」
変質者を怒らせたらきっと大変なことになる。うん、たぶん頭のおかしい変質者に違いない。空を飛んだこととか羽が生えたこととかこの際どうでもいい。
注意深く丁寧にゆっくりと言葉を選んだつもりだったのだけれど、目の前の美青年はキョトンと首をかしげやがった。
「エーット、もしかしてアキラ、気絶して記憶までブッとんじゃった?」
……ハア?
どっちかって言うと記憶がブッとんでるのはお前だっつーの。
明らかに馴れ馴れしく、まるで知り合いのように私の名前を呼んでいるけれど、本当の本当に私はこの美青年を一切知らないのだ。
「エッートね、アキラ、ボクがキミを抱きかかえて空を飛んできたことは覚えてる?」
「……信じたくないですけど、覚えてます」
「じゃあ、ボクがキミにキスしたことは?」
「……ハイ」
悪びれもなく言ってんじゃねーぞクソッタレ。私のファーストキッス返しやがれ。
「じゃあ、その前のことは?」
「エッ?」
思わず変な声が出てしまった。その前のこと?
大事な大事なファーストキッスを奪われたことに頭がいっぱいで、確かにその前のことを私は一切覚えていない。
そもそも何で、私はこの美青年と一緒にいたんだろう? あの道は確かに私がいつも通る帰り道だけれど、夕方に人はほぼいないはず。
思い返してみれば、夕方買い物に行ってスーパーから出た瞬間から、この美青年にファーストキッスを奪われるまでの記憶がまるでないじゃないか。
まじまじと目の前の金髪美青年を見る。うつくしいとは思っていたけれど、真剣に見つめるとどこまでも綺麗な顔立ちだ。こんな美青年を私は生まれてこのかた見たことがない。
「あー、ナルホド。アキラの様子がおかしいのはそのせいか。見事に記憶が飛んでるみたいだね」
「……と、仰いますと?」
「ウーン、詰まるところ、ボクは天使なんだよね。足を滑らせて、こっちの世界(人間界)に落っこちちゃったんだ」
ニッコリと微笑んだ美青年。それをあんぐりと口を開けて見ている私。
コイツなんて言った? ……テンシ? ……天使?
「ハハ、さっきとは大分違う反応で面白いなー」
「いや、あの、テンシ? って、職業かなにかですか? マジシャンみたいな?」
「いやいや、天に使えると書いてテンシ。 ボクの故郷はこの世界のずっと上にある天界だよ? 」
「……そんな話あるわけ……」
「アキラ、忘れたの? 僕と空を飛んだのは覚えているんでしょ? 人間に羽根はないし、空も飛べない。信じられないかもしれないけど、僕が天使だっていう証拠には充分すぎるでしょ」
「……」
いや、確かに。
あの、大きく純白な羽を羽ばたきながら宙に浮いたこと、わたしはハッキリ覚えてる。
もしかしたらこの美青年は人間じゃないのかもしれないとも思った、けれど。
こんなに堂々と「僕は天使だ」なんて普通言う? ていうかそもそも天使ってなによ? そんなに簡単に普通の人間の前に現れていいものなわけ?
「あの、それで、仮に貴方が天使だとして。天使様が私なんぞに何かご用でしょうか……」
納得したと思ったのか、目の前の天使(仮)は満面の笑みを浮かべている。
確かに言われてみれば、天使というのも強ち嘘じゃないのかもしれない。普通の日本人ならまず似合わない金髪のフサフサとしたくせっ毛は、雪みたいに白い彼の肌によく似合っている。鼻はスッと高く、ぱっちり二重の目はキレイなブルー。白いニットのタートルネックと白スキニー。そこから覗く手足も真っ白。身長はたぶん180はあるだろう。
─────天使。
確かにその言葉がしっくりくる容姿をしている。それにプラスして、あんな羽根を生やして空を飛んだのだもの、きっとこの美青年は天使なのだろう。
と、自分に言い聞かせるしか今はない。ていうか、もし本当に天使様なら、わたしちょっと危ないんじゃない? もしかしてそろそろ天に召される? 死期近しって感じ?
「ウーン、だからね。端的に言うと、アキラは僕を拾ってくれたんだ。だから今日からココが僕の居場所。 天界に帰れるまで、ね?」
ハア。ナルホド。私が目の前の天使様を拾ったと。まったくそのシーンが想像できないけれど。ナルホド。ナルホド……。
「ってハアアア?! ここが居場所ってナニ?! つまりアンタは……」
「そう、僕は今日からここに住む。勿論、アキラと一緒にね!」
パッチン、天使様のウインクに一瞬星マークが見えたのは幻か?!
いやいや、いきなり現れてキスされたどころか、一緒に住むなんてそんな話があってたまるか。私は人生で一度も彼氏どころか好きな人さえいたことのないピュアガール。 そもそもお金を持っていないオトコに興味などない。
見ず知らずの、しかもこんなに怪しい美青年を無償で泊めてやれるほど心は広くないし、生憎良心とやらも持ち合わせていない。
ていうかそもそも。まだわたしは天使という存在を疑っている。自分で天使とか言っちゃうヤバイ奴なんかと暮せるか!
「あのですね、いくら天使様でもそこはちょっと我儘すぎるっつーかなんてゆーか。まずもって見てもらえればわかるんですけど、私1人暮らしのビンボー女子高生。貴方を養っていけるほど余裕なんてないんですが……?!」
「困るのはオトコとしてじゃなくてお金?! まあいいケド……。それなら安心してよ。 僕が使った水道代や光熱費はたぶんこっちの世界に反映されない。なんなら、台所に行って確認でもなんでもしてきなよ」
「は? 一体どういう……」
「僕が飲んだコーヒー、そっくりそのまま戻ってるハズだけど?」
ちょっと不機嫌になった天使様の表情はわりと真剣で、私は急いで台所へと向かう。
そんなことあるはずがないと思いながら。ポットの蓋を開けた私は驚愕した。
カップに注いだはずのお湯はそのままポットに残っていて、横を見れば封を開けたはずのインスタントコーヒーがそっくりそのま残っていた。
「ね? わかったでしょ? 」
後ろから降ってきた声。本物の天使だっていうのか。あの謎の美青年は、やっぱり、そうなのか。
「僕が戻したんだよ。こっちの世界のことはそれなりに操れるからね」
「操れる……?!」
「ま、人並みにお腹もすくし眠くもなるしそんなに人間と変わんないよ」
「聞きたいのはそんなことではなく……いやまあちょっと興味はありますけども……」
「ハハ、一緒に暮らしてれば僕の生態なんてすぐにわかるから。とりあえず、僕が天使だってことをわかっておいてくれればいいよ?」
ね、アキラ? と。顔を傾けた天使様のスマイルはこの世の物とは思えないほど美しい。なんてことだ。(あ、この世のものじゃないのか)
「ひとまずわかりました……」
「ウンウン、わかってくれればいいよ?」
「つかぬことお聞きしますが、天使様なのにどうして居場所ないんですか? 何故私なんかに拾われて……?」
「あー、だからね、人間界を覗き込もうとして、ついウッカリ足を滑らせちゃったんだよねえ」
「ついウッカリって……そんな簡単に落っこちてこれるものなんですか」
「ウーン、そこは僕もよくわかんないけど? 人間界に来るの初めてだし。でもね、覗き込んだ先にあまんまり綺麗な女の子がいるものだから、吸い込まれるように落っこちちゃったんだ」
「え……それってわたしのこと……」
「それに、なんか若いくせに随分とデカイ大根持ってる子いるなあって思って」
「ダイコン……?!」
こんな美青年天使に目をつけられたと思いきや、目の付け所はダイコンだった。
いや、確かにスーパー帰りで大根もってましたけどもね。もっと他に言うことあっただろうがクソ天使。
「事情はわかりました……とりあえず、貴方が帰る方法が見つかればいいんですよね?」
「そうそう、ソウイウコト。それまでココでお世話になるね? アキラ」
語尾にハートマークをつけるのはやめていただきたい。切実に。
まあ、そんなこんなで天使様との共同生活が始まろうとしているのだけれど。
天使ってことは、やっぱりちゃんと養えば見返り的なモノがあるかもしれない。そう……大金とか。宝石とか。若しくはもっと珍しい高価な何か、とか。
「ちなみに僕、お金持ってないしその辺は操れないからね」
「………」
考えていたことが読まれたらしい。チッ、やっぱり一文無しだったか。
「ああでも、僕こう見えても天界貴族の跡取り息子なんだよねー。晴れて無事に帰ることができた暁には、お礼もタップリするよ?」
「その節はどうぞよろしくお願い致します天使様」
「ヨロシイ!」
天界貴族だかなんだか知らないけども、お礼タップリという言葉に食いつかないわけにはいかない。この世で1番信頼できるの、それは他でもない”金”である。
「ところで、貴方の名前は?」
「ああ、ボクの名前はハモンド・エル。好きなように呼んでくれたらいいよ?」
「えっーと、じゃあエルで」
「ウンウン、いいね。アキラにそう呼んでもらえて嬉しいよ」
この天使、ちょっと危ない気もするけれど。わたしが知っている限りでは、天使って多分、神聖なものでしょう? 悪いことはきっとできない。だからきっと、私に害を与えることはない……と思いたい。
水道代と光熱費は反映されないって言ってたし。食費もかからないみたいだし。(そこはかなり重要事項である)
「あーていうかトイレいきたい」
「あ、トイレあそこです勝手にドーゾ」
ていうか天使もトイレ行くのかよ。
羽根が生えてなければほんとにただの人間だ。いや、きっと違うんだろうけど。見た目は人間。中身は……テンシ?
「ん? アキラ、そんなに見つめてどーしたの」
「ああいや……天使もトイレ行くんだなって」
「はは、そりゃそうだ。生態は人間とそんなに変わらないよ? ああホラ、なんなら僕の身体確かめてみる?」
「ハ、ハアア?! いっぺんシネ!?!」
─────ああ、拝啓天界の神様各位。
さっき言った、「天使だから悪いことをしないだろう」という軽率な考えをどうか撤回ください。
この天界から落っこちてきたという謎の天使─────いや、そいうえば落ちてきた天使のことを堕天使と呼ぶらしいから堕天使で─────は、こんな1人暮らしのピュアガールにサラッと欲望を吐くようなクソ男でした。
「ていうかさアキラ、僕が天使だと思って警戒心ゆっるゆるだけど、天使といえど一応男だよ?」
「オトコの前に天使でしょーが!」
「カワイイ女の子を食べたくなるのはオトコの性です」
「はあ?!!」
さて、このクソ変態堕天使とビンボー女子高生の私との共同生活は一体? (ていうか1番初めにファーストキッスを奪われたこと忘れかけてたけどあれは結構重大事件なんですけど?!)
◇
「ちょっと! エル! 朝! 」
「んー、」
「ねえってば! 私学校だから、朝ご飯食べてくれないとこまるの! 起きて!」
「アキラ……」
「ホラ、早く起きて、時間ないの」
「……ちゅーしてくれたら起きる」
「コロスぞこのクソ変態堕天使が」
◇
「もーアキラ、殴んなくてもいいんじゃないのー。痛かったー。僕痛いのきらいなのにヒドイ」
「朝から変態を起こすこっちの身にもなれよ堕天使が」
何故かうちにクソ変態堕天使がやってきてから早1週間。目の前に座って私が用意した朝食を食べ始める美形堕天使。顔だけはやはり現実離れした整い方をしている。
この3日間で、とりあえずのこと、この堕天使がどうしようもなくウザくてどうしようもなく面倒くさい奴ということだけはわかった。
どうやら朝がひどく苦手らしく、毎朝起こすのは大変だし(起こさないと機嫌が悪くなっていつもの倍以上ウザくなるので仕方なく起こしている)、3食きちんと食べさせないと「お腹減った」とうるさいし、夜はベットに入ってこようとするし、とにかくウザくて面倒くさい。
「今日の目玉焼き半熟じゃないじゃんアキラー」
「……」
何故こんな堕天使と同居することに決めてしまったのか、あの時の自分を殴りたい。
というかこの男、本当に天使なわけ?
あの時は確かに一緒に空を飛んだと思ったけれど……いま思えば私の錯覚という発想もある訳で。
それに、あれ以来1度もこの堕天使の背中から羽が生えるところを見ていない。一体どこへ隠しているのか、それともそんなもの元から存在しないのか。
「なーにアキラ、そんなに見つめて」
「いや別に」
「んー、でもアキラのこのハムエッグトーストはやっぱり格別だねー。半熟じゃなくても許せちゃう! さっすが僕のアキラ」
「いつから貴方のモノになったんですか」
「ん? 一緒に住んでるんだしもう結婚でもする?」
「怖……」
私の言葉に返答はなく、本当に美味しそうにハムエッグトーストを頬張る堕天使。これが人間だったら真っ先に警察に突き出しているというのに。
というか、格別って。
目玉焼きとハム。塩コショウにマヨネーズ。簡単時短の手抜きブレックファーストをここまで喜んでくれるひとも、そうそういないだろう。
この堕天使は、どれだけ手の抜いた料理でも私を褒めちぎる。そして、美味い美味いと言ってペロリとたいらげてくれるのだ。
それは、まあ、ほんのちょっとだけ嬉しい。
というか、久しぶりに人とテーブルを囲むようになったからというのもあるんだろうけどね。食事の時に自分ではない誰がいるっていうのは、案外とても幸せなことなのだ。
「って、時間ヤバイ時間! 堕天使のせいでゆっくりしすぎた!」
「えー、僕のせいじゃないでしょー」
「アンタが起きないからでしょーが」
「なんなら送ってあげよっか? 空飛んで」
「バカ言わないで」
「天使ジョークだよー」
エプロンを剥ぎ取り、すでに中身がきちんと用意されているスクバを手に持つ。
急いでローファーを履いていると、朝ごはんを食べていたはずの堕天使がニッコリと笑いながら後ろに立っていた。
「お弁当、冷蔵庫にあるから。今日も勝手に食べて。部屋の中は荒らさないように」
「はーい、了解!」
「じゃ」
「あ、まってまってアキラ」
「何?」
「もー自分のお弁当忘れてるよ? ホラ」
私が私に作ったお弁当を手渡される。私としたことが、堕天使のお昼を気にして自分の物を忘れるとは。
私はそれを片手で受け取る。
「あー、ありがと」
「じゃあ、いってらっしゃい、アキラ」
「……いってきます……」
ニッコリご機嫌な堕天使。実は毎日こうやって見送り(?)してくれている。
『いってきます』という言葉はちょっと恥ずかしくて、未だに堕天使の目を見て言ったことはない。まあ、別にそんなこと、気にしなくたっていいんだけれど。
◇
「そーれーで! ナツキったらあんなに可愛い女のコのことフッたんだよ?! あり得なくない?!」
「だから、付き合うとかはそう簡単に頷いていいもんじゃないだろ?!」
「なーにそれ、今時お堅いなあナツキクンは! そんなんだからいつまで経っても非リアの非モテなんだよ!」
「オマエこそ昼間からよくそんなこと言えるよな!!!」
昼休み。今日も今日とて私の幼馴染と親友は口喧嘩中。
あららら。顔を真っ赤にさせて怒る私の幼馴染、春川夏生 は、ふるふると肩を震わせている。
まあナツキがこんなに怒るのも無理はないと思う。チャラチャラとした見た目に反して中身は純情ピュアボーイなんだもんね。
「あーもーホラ、2人ともケンカしないでよ。ナツキがピュアボーイなのは今に始まった事じゃないんだから……」
「もー、アキラってば甘やかしすぎだよ! ナツキはもうちょっと女の子の気持ちを理解すべき! こんな女子ウケ抜群の見た目でピュアボーイとか許されるかッ!」
ぎゃあぎゃあと騒ぐのは唯一の親友、古橋木葉。可愛らしいルックスをしているくせに、言うことはキッパリ言うところが気に入っている。
お昼時間の教室の一角。同じクラスの私たち3人は、いつもこうして一緒にお弁当を食べている。
「もーオレはコノハのせいで自分に自信が持てねえよ……」
「まずはその小心者なところをどーにかしな!」
なんでも、ナツキは昨日一個下で可愛いとウワサの後輩に告白されたのに、すぐその場でフッてしまったらしい。
そのことについてコノハはお怒りで、女のコの気持ちも考えろ! と。まあ確かに、勇気を出して直接告白してくれた子をその場で綺麗さっぱりフるのはちょっと可哀想かもね。
「ナツキってさー、見た目も悪くないし性格も優しいし、何より陸部のエースじゃん? なのに今まで1度も彼女がいたことないなんて変な話よねー」
「うーん、そういう硬派なところが逆に女の子ウケしてるんじゃないの?」
「えー?! そーゆーもん?! 私的にはもっとチャラついて欲しいんだけど?」
「それはコノハの願望でしょ……」
ナツキは陸上部で、長距離走のトップランナーだ。小さい頃から走ることが好きで、暇さえあれば走っていた。
コノハの言う通り、ナツキの見た目は悪くない。陸部のせいでこんがり焼けた肌も彼によく似合っているし、目鼻立ちがはっきりしていて身体バランスがいい。おまけに色んなことのセンスが良くて、ほんのり色の抜けた茶髪も片耳ピアスも着崩した制服も、ナツキによく似合っている。
まあその甲斐あってか、ナツキは結構女の子からの評判がいい。というか、非常にモテている。
にもかかわらず、小さい頃から純度100パーセントのピュアボーイで、「好きになった人じゃないと付き合えない!」という今時めずらしい古典派ボーイ。そのせいで、未だ誰もナツキのハートを掴んだ猛者はいないという。
「まあいいやナツキのことはどーでも。アキラは? なんか恋バナないのー?」
「コノハ、おまえホンットに恋話好きだよなー」
「あったりまえじゃん! 枯れかけジェーケーの楽しみと言えば人の恋バナ! これに尽きるでしょ? で、アキラどーなの?」
「あー、私は玉の輿さえ掴めればなんでもいいけど」
「「……」」
わたしの言葉に「またか」というような表情で固まるふたり。呆れ顔にも程がある。
なによ、わたし何か変なことでも言った?
「アキラもさー、こんな綺麗な外見してブレないよねえ」
「オレはアキラの将来が心配で仕方ない」
「もーいっそのことナツキがもらってあげな。恋愛こじらせ組で丁度いいじゃん」
「なっ……! おま、そ、そんなわけにはっ……」
「ナニ動揺してんだよ。冗談だよジョーダン。私の愛しのアキラをなんでナツキなんかにあげなきゃなんないの」
「……」
ふたりがまだペチャクチャとおしゃべりを続けている間に、私は残りのお弁当をかきこむ。
そう、私の夢は何を隠そう─────玉の輿だ。
お金がすべてじゃないなんてそんなことは綺麗事。
あって困ることがないのがオカネなのだ。あるならある方がいい。というかむしろお金はないとダメだ。ビンボー女子高生の私にとって玉の輿は希望を見ることのできる唯一の夢なのだ。
「ねーね、テンシちゃーん」
突然の下品な声とともに落ちてきた影に視線を上げる。
テンシ、という単語にちょっとだけ敏感になったのは、やはりあの堕天使の存在のせいだろうか。
しかしながら、わたしはあいつに会う前から”テンシ”という言葉には割とツキがあるらしく、何度もこの言葉に悩まされている。
「ちょっと、またアンタ? アキラうざがってんじゃん」
「はー? ちょっと話しかけにきただけじゃん? な、テンシちゃん」
「……」
─────テンシちゃん。
これは何を隠そう、私、天使 月のあだ名である。
天使と書いて「アマツカ」という苗字は中々にめずらしく、一発目で殆どの人が「テンシ」と読み間違えをする。
実際、私もきっと自分自身がこの苗字で生まれてこなければ「テンシ」と読み間違えるだろう。
「なあ、テンシちゃん、聞いてんの?」
下品な声を発するのは、確か一個上のちょっといかついヤンキーもどきの先輩だ。何故か私のことがお気に入りらしく、2週間ほど前からこうやって付きまとわれている。
「テンシじゃなくて、アマツカです」
いや、わざとテンシちゃんって呼んでいるのは私も流石にわかっているけれど。
なんとなく、あの堕天使に出会ってしまった以上、テンシと呼ばれるのは喉元に引っかかるモノがあるっていうか。
「テンシちゃんはテンシちゃんじゃん! なあ、今度遊びにいかね? オレなんでも奢ってあげるよー?」
「えっ、奢り……」
「アキラ、金に釣られるな」
コノハの鋭い声で我に帰る。しまった。「なんでも奢る」という至極魅力的な言葉に惑わされるところだった。さすが親友コノハチャン。私のことわかってるね。
「コホン。えっーとですね。先輩、先に言っておきますが、私の好きなタイプはひとつです」
「お? なになに? そんなの教えてくれちゃうの? めっちゃうれしー。テンシちゃんのタイプにオレはなる! なんちゃって、はは」
「石油王です」
「あーテンシちゃん流石わかってんね? そうそう今の流行りは石油お……」
「……」
「……石油王?」
「ハイ。私の夢は玉の輿。1番の理想は石油王ですが何か」
「……」
結構これは真面目な話をしたつもりだったんだけど。
先輩は、「よ、用事思い出した。じゃあなテンシ……じゃなくてアマツカチャン」と大慌てで帰って行った。なんだよ。「テンシちゃんのタイプにオレはなる!」んじゃなかったのかよ。
「ぷっ……あはは! もー、さっすがアキラだよねー」
「……おれ、ヒヤヒヤしたんだけどっ?!」
「何、私ヘンな事言った?」
「ううん、いいのいいの。アキラはそのままでいて? てゆーか変わらないで? アキラが普通になったら私かなしい!」
なんだその、人が普通じゃないみたいな言い方は。失礼な。
「でもさー、アキラってホント、見た目だけはそのまんま"テンシちゃん"なのにね?」
「ば、バカおまえっ、そーゆーこと言うなよっ!」
「なんでナツキが照れるんだよ」
「別に照れてねーよっ」
「だってさ、こんなに黒髪ストレートロングが似合う子いる? 長い前髪が若干邪魔だけど、スタイルよければ顔もよし! まさに”天使”でしょ、アキラって」
「で、でもなアキラ! 気をつけろよ? 男子の間でも”テンシちゃん”って有名なんだぞ。絶対落とせないテンシ様ってな」
「落とせないのは金がないからのでは」
「ヤメテ高校生男子にそんなこと求メナイデ」
いや、いくら私でも自分の見た目が中々整っていることくらい知っている。小さい頃は蝶よ花よと育てられ、顔があまりに可愛いからと誘拐されそうになったことも多々あった(今だから言える話だけれど)。
しかしながら、私が口を開いた途端サーッと人は引いていく。お金の話は世間じゃ禁句事項らしい。女の子としても、人間としても。
結局のところ、こうやっていつも一緒にいてくれるのはコノハとナツキだけだ。2人にはそれなりに感謝しているつもりなんだけど、伝わっているかどうかは定かじゃない。
◇
「アキラ、帰ろーっ」
「うん、ちょっと待ってね」
机の中から課題を取り出してスクバにしまう。
忘れ物がないかを確認してから、教室の隅で待つコノハの元へと駆け寄った。ちなみにナツキは、放課後は毎日陸上部の練習。
「アキラ今日はバイト休みだっけ?」
「うん、ない。奇跡的にここ3日間シフトが変わってね。でも来週はみっちり」
「わーお、そりゃタイヘンだ。あんまり無理しちゃダメだからねっ?!」
「ははっ、わかってるよ。ありがとう」
コノハが笑顔で、どーいたしまして、と隣を歩く。
ここ数日、奇跡的にバイトがなかったのは助かった。あの堕天使、夕食が遅くなったら駄々をこねそうだし。
まあでも、来週は確実にバイトが入る。ちゃんとあの堕天使にも説明しとかないとなあ……。ていうかいつまでいるつもりなんだろう。天界ってどうやって帰れるの?
なんて、そんなことをボンヤリと考えていると、反対側から数人の女の子たちがぎゃあぎゃあと騒いで歩いてきた。
「もー、ヤバくない?! 」
「チョーカッコいいんですけど!」
「誰の彼氏だろうね? 背高すぎだし」
「てゆーか、ハーフかな?!」
「目青かったよね〜」
私はその声に冷汗をおぼえた。マテ。今なんて言った?! 背が高くてハーフみたいで、目が青い………?
「校門前で彼女待ちとか、よくやるねー。そんなカッコいい人いたのかな? 見に行こうよアキラ!」
となりでコノハが完全にさっきの女の子たちに興味津々になっている。いや、私は悪い予感しかしないんですが。
「どーしたのアキラ、顔色悪くない?」
「い、いや、ちょっと……」
「あ! 見て! 校門前にホントに背が高いイケメンがいる!!」
コノハが指差す先には─────私の悪い予感は見事的中。
私を見つけてそれはそれは嬉しそうにブンブンと手を振るクソ堕天使の姿があった。なんてことなの? あんな意味不明堕天使との関係をなんて説明すればいいんだろう。この世の終わりと言っても過言ではない。
「こ、コノハ、今日は裏門から帰ろう?! 」
「えっ、なんで? てゆーかあのイケメン、こっちに手振ってない?」
「振ってない振ってない! さ、早く帰ろ?! ね?!」
「え、ちょっとアキラどーした」
「アキラー!」
……終わった……。
私の名前を呼びながら駆けてくるクソ堕天使をみんなが見ている。
勿論目の前のコノハも元々丸い目をさらにまんまるにさせて、私と堕天使とを交互に見やる。絶対バレたくなかったのに……なんであの堕天使此処にいる?!
あんな変態と住んでいるなんて知られれば、私のイメージが一気に崩れ去る! というか、今後現れるかもしれない金持ちの王子様にバレたらどうする気だ!
「アキラ、なんで無視するのーっ」
「……誰ですか離れてください警察呼びますよ」
「エエッ?! 何その他人行儀な目っ!?」
いや元はと言えば貴方とは完全なる他人だっつーのよねちょっと黙りやがれ。ついでになんで抱きついてくるんだよ離せクソ堕天使!
「エーット……アキラ、どーゆーこと?」
目の前のコノハの顔がとっても怖かったので、私も堕天使もその場で固まったのは無理もない。
◇
「で、アキラ、だれ? このちんちくりん」
「おーい? そこのイケメン? ちんちくりんってなんだ? 聞こえてんぞ? おい?」
「あのー……2人とも、落ち着いて……」
可愛らしいドーナツを間にバチバチと火花を散らす私の親友と美形堕天使。
校門前はさすがに人目につきすぎたので、2人を無理やり引っ張り近くのドーナツ屋さんへやってきた。
くっ、私の分だけならまだしも堕天使の分まで買ってしまった。ああ、無駄な出費……。
「で、アキラ、このイケメンはアキラのなんなの? まさか、本当に石油王でも捕まえたんじゃないでしょうね……?」
「いや、それどころかこの人ビタ一文も持ってな……」
は、しまった。そんなこと言ったらますます怪しい! 隣に座る堕天使を見上げると、不覚にも目が合ってしまった。
堕天使は私に一瞬ニコリと笑い、あろうことか机の下で私の手を握ってきた。
目の前に座るコノハには全く見えていないだろう。
「なっ……?!」
「えーっとね、僕はアキラの遠い親戚。今は大学4年生。今まで存在すら知らなかったんだけど、大学のキャンパス移動の関係でこっちに引っ越すことになってね。住む場所がなかなか決まらなくて、今はとりあえずアキラの元に置いてもらってるんだ。だから怪しいことは何もないよ?」
握られた手を離そうとするも、あっけなく堕天使の強さに押さえつけられる。
よくもまあそんなウソがベラベラと出てくるものだ。
でも、物凄く助かった。堕天使にしてはかなりいい仕事をしてくれたと思う。コノハも黙ったし。
恐る恐る横を見上げると、これまた目が合った堕天使は、私に向かってニッコリと笑った。やっぱり顔だけは異次元に整っている。
「でもアキラ、親戚はみんな連絡も取れないって……」
「あー、えっと、それが最近、この人のところだけ取れるようになって、はは、」
「それならそうと早く言ってよ。私もナツキも、本当は凄く心配してるんだからね……」
「う、うん、ごめんね、コノハ」
目の前のコノハが本当に心配そうに私を見つめたから、私の中の良心がチクリと痛む。騙してごめんね、コノハ。
そんな私たちの会話を聞きながら、珍しく真面目な顔をしている堕天使。掴まれた手は一向に離されないけれど、わたしもわたしで何故かそのままにしてしまっている。
「まあでも確かに、こんな美形、アキラの親戚って言われた方が納得できるわ」
「そ、そうかな……」
「異次元に綺麗な顔がふたつ並んでるんだもん。さっきから店中の視線集めまくりだよ」
それはどーでもいいんだけど、コノハが嫌な思いをしているなら申し訳ない。
「本物の親戚なのに疑ってごめんなさい。失礼なこと言いました」
「いやいや、僕の方こそいきなり学校まで行って驚かせてゴメンね?」
「わたしコノハって言います、アキラとは高校に入ってからずっと仲良くさせてもらってて……」
「はは、こんな気難しい子に友達がいて僕も安心だなー。あ、僕のことはエルって呼んでね」
気難しいってなんだよ。コノハも否定してよね。
ふたりはなんだか視線だけで意気投合したようで、若干コノハの目が潤んでいるのを見て何も言えなくなってしまった。
わたしが本当の親戚と会えたと思っているんだろう。騙すみたいで悪いことしちゃったな。
「エルさん、アキラのこと、よろしくお願いしますね。 やっと頼れる人が見つかって、わたしも本当に嬉しいです」
コノハが深々と頭を下げた。そんなことしなくてもいいのに、コノハって本当に優しいんだよね。
それに笑顔で対応するエルを見ながら、何故か今度は私から、強くエルの右手を握っていた。
◇
「はあ疲れた」
「なーにアキラ、そんなに深いため息ついちゃって! 僕との買い物そんなに楽しかった?」
「……」
ルンルンとまるで効果音でもついたかのように軽やかに私の横を歩く堕天使を見ると、またため息が出てきてしまう。なんて能天気な堕天使なんだ。
コノハと別れた後、あろうことかこのクソ堕天使は私の手をずっと握って「買い物に行こう」などと歩き出したのだ。ちょうどシャンプーが切れていることを思い出して渋々ついていったものの、ただのスーパーに大はしゃぎするものだから終始他人のふりをするはめになった。
この堕天使、黙っていればこんなに綺麗な顔をしているくせに。いっそのことどこかの芸能事務所にでも売り飛ばしてやろうかな。
「今日は鍋だねアキラ」
だから、語尾にハートマークをつけるのはやめてくれる? 見えないはずの記号が見えちゃうのよ。
急いでお家に帰って簡単に鍋を作った。2人分。自分の適応力には惚れ惚れする。
「エルって、お腹すくの? どうせ食べても実際には減ってないでしょ」
私の質問にうーんとわざとらしく考えるフリをして、お腹ペコペコだよーなんて笑う。絶対に食べなくても生きていけるでしょ。食べたものがこっちの世界で反映されないように操れると言ったのはそっちだし。
というか、既に1週間が経過していることにも深い溜め息を吐きたいところだ。
正直なところ、仮にも男(一応天使)と一緒に暮らすなんて、私のポリシーに反している。ていうかまずこの堕天使お金持ってないわけだし、わたしにメリットが無さすぎる。
エルが食べたものはこっちの世界に反映されないとはいえ、実際用意するにはコストがかかるわけで。(エルが食べたものは、エル自身が何やら細工をすると数分後には何故かそのままお皿に戻っている。それは次の日の私の食事になるのだけれど、それならそもそも食べなくていいのでは? と思っている)
とにかく、私にメリットがひとつもない。自称天界貴族の後取り息子と言うけれど、それもどうだか。というかまず、天界貴族ってなんだよ。
「あのさ、エルはいつまでこの世界にいるの?」
「え? まだ来たばっかりなのに?」
「帰る方法とかあるんだよね?」
「ウーン、それがあったら僕も直ぐに帰ってるんだけどね」
「はあ?」
「我ながら恥ずかしいけど、天界から足を滑らせて人間界に落ちちゃうおっちょこちょいなんて、多分僕が初めてなんじゃないかなー」
語尾に星マークでもつく勢いで、てへ、と悪びれもなく舌を出す。全然かわいくないからね。
つまり、例外がないから帰る方法がわからないってことでいいですか?
「いやいや……私も流石に何ヵ月もこの生活を続けるのは無理があるんですが……?」
「えー、アキラは僕と一緒に住めて嬉しくないのー?!」
「どうやったらそんなにポジティブに生きれるのか逆に教えて欲しい」
「ちえ、ほんといつまでも冷たいなーアキラは」
「ていうか、大根持った女子高生を見てたら足を滑らせたってバカにも程があるでしょ」
「え? だってアキラに一目惚れして足を滑らせちゃったんだから仕方ないでしょー?!」
「は……?」
「こんなに綺麗で可愛くて儚くて美しい女の子、天界にもいないよ、アキラ。ひと目見た時から運命だなって思ってたんだ」
運命って。頭の中お花畑か何かなんだろうか。
というかやっぱりこの堕天使は頭がおかしい。羽を広げて宙に浮いたことと食事が戻っている怪奇現象のおかげでかろうじて本物の天使だと信じてはいるけれど、単に頭のおかしいマジックの得意な人間という可能性もある。
ヤバイ人間は挑発しないほうがいい。うん。無視しよう。
「えー?! ちょっと話の途中で無視?!」
「顔が綺麗でよかったね、頭おかしいのに顔まで酷かったら生きていかなかったね」
「え?! どういう意味?!」
「ううんこっちの話」
節約のため、肉の代わりに鶏団子とほぼ野菜の鍋を嬉しそうに食べるエル。顔だけは本当に整っている。顔だけはね。
「でもさ、アキラ、人と食べるご飯の方が美味しいでしょ?」
「……」
それは否定できないけれど、エルは堕天使だし。
「あのさ、エル」
「うん?」
「エルが本当に天使っていうなら、何か証拠見せてよ。ていうか天使ってそもそもなんなの? 色々教えてくれないと、やっぱり私も疑うよ」
「んー、それもそうだねえ……」
珍しく考え込む素振りを見せた後、エルが箸を置いて口を開く。鍋の湯気で遮られて、表情がよく見えなくなった。
「僕たち天使はさ、本当は人間の前には姿を現せないんだよ。人間は天使に役割を持たせたがるけど、そんなものは実際存在しないんだよね。人間に生まれたか、天使に生まれたか、ただそれだけの違い」
「何それ、」
「つまり、交差しない世界線なんだよね、本当はさ」
存在しているかどうかさえ定かではない天界の世界の話。私たちが住む人間界と天界に、差はないということ?
「ね、だから、人間と違うことといえば、羽があることくらいなんだよ」
「じゃあなんでアンタは天界から私を見つけることができて、あろうことか人間界に足を滑らせることになったのよ」
交わらない世界線。だったら尚更、おかしな話じゃないか。
「だから言ったでしょー、僕は天界貴族の後取り息子なんだって」
「それが何か関係あるの?」
「まあ追々話すけど……人間界をちゃんと認識してるのも、こうして人間と関わることができるのも、天界では貴族階級だけなんだよ。こっちでいう、天皇家みたいなものかな」
え、いやいやまてまて。今サラっと凄いことを言ったような。天界貴族の後取り息子って、人間界でいう天皇家のこと……?!(つまりめちゃくちゃ玉の輿?!)
「まあだからさ、そのうち迎えが来るんだと思うよ。今頃天界じゃ僕がいなくなって大騒ぎだろうからね」
「お坊ちゃんってことか……」
「でもまだ帰りたくなーい。だってアキラとあんなことやこんなこともまだしてないしー」
「あんなことやこんなことって何」
「そりゃあ、僕だって天使の前に男なんですから、毎晩かなーり我慢してるんですよ?」
「いやいや床で寝ろって言ってるのに朝には私のベットに入り込んでるでしょーが」
「バカだなーアキラ、一緒に寝るだけで我慢してるんだよ? 僕ってめちゃくちゃ紳士だと思わなーい?」
「はあ?」
「本当だったらすぐにでも手出したいくらいなんだけどネー」
「……今日からベットに入ってきた瞬間絶対にぶっ飛ばす、絶対に」
「アキラ怖い!」
「さっさと天界にでも帰れクソ堕天使!」
油断も隙もない、そういえばこいつに私はファーストキスを奪われたんだった。とんだ変態野郎ということを忘れていた。
前途多難、やっぱり私は天使という言葉に運がないみたいだ。
「はは、未だ迎えは来ないよ。僕はアキラの為にここに来たんだし」
「え? なんか言った?」
「んーん何にも! 冷めちゃうから残り食べよー?」
【第1話 天使は突然やってきた 完】