扉を開けると、真っ赤なサンタクロースのコスチュームに身を包んだ彼女がいた。
 
「……え」
 
 その格好が似合っているとかいないとか、好みだとかそうじゃないとか以前に、僕はハロウィンですら仮装をしたがらなかった杏心が嬉しそうに、それもどこか自信ありげな表情でサンタクロースになっていることに困惑してしまっている。
 
「おかえりっ、(れん)
「ただいま、杏心(あこ)……じゃなくて、その服——」
「ちゃんと似合ってるかな……蓮のお姉さんが着せてくれたんだけど」
 
 杏心の言葉で僕の困惑が解かれていく。
 
「杏心、今自分が着てる服、どんな服だと思う?」
「それは……見えてないからはっきりとはわからないけど、お姉さんが『クリスマスにぴったりで、普段着としてはちょっと派手な白いふわふわとかキラキラした飾りがついてる』って教えてくれたよ」
 
 確かに、確かに姉の言うことに間違いはない。
 赤基調の膝丈のドレスが可愛らしく広がっていて、裾にある白いふちどりによる柔らかい印象と重なるように散りばめられたシルバーの細かなスパンコール。控えめに露出された肩は、杏心の艶やかな首筋を引き立てていて——無意識のうちに見惚れてしまっていた。
 
「ねぇ蓮、似合ってる?」
「可愛いよ、とってもね」
「ほんとに? それなら今夜のデートはこの服のまま……」
「いやっ、ちょっと待って、それは」
「……ほんとは似合ってない?」

 咄嗟に出た僕の言葉に杏心は不安げな表情をして、そう尋ねる声には悲しみが含まれるように思えた。ここで僕が「杏心が着てるのはサンタのコスプレ衣装なんだ」と言えてしまえば説得も簡単だけど違う、せっかくのクリスマス、僕は杏心の特別な姿をまだ見ていたい。
 
「違うよ杏心、そういうことじゃなくて」
「じゃあ、どうして?」
「……可愛いものって独り占めしたくなるものだと思うから」
 
 クリスマスが年末でよかった。この僕らしくない言葉は今度二人で忘年会でも開いて忘れてもらおう。
そう言い残した僕は、杏心を残したまま部屋をあとにした。急足で階段を降りる。半開きの扉の隙間から一度中を覗いて、何事もなかったように扉を叩く。
 
「あっ蓮! 大事な大事なクリスマスデートの日なのに帰ってくるのが遅いんじゃない? 私が彼女だったら愛想つかしちゃうかもねっ」
 
 姉は年に一度のクリスマスにすらいつも通りのスウェットスタイルのまま寝そべって、撮り溜めた韓国ドラマを観ていた。
 
「できる限りはやく帰ってきたつもりだけど。そんなことより杏心の格好、あれなに?」
「なに、ってサンタコスプレだけど?」
「そういうことじゃなくて」
「赤いサンタクロースより黒いサンタクロースの方が好みだった?」
「そういうことでもなくて!」
 
 ニヤニヤ、という効果音を貼り付けたような顔で姉は僕をからかう。
 扉を開けたまま返答に困っている僕を見ると、「しかたないなぁ」と呟きながら気怠けに身体を起こして姉は隙間なく服が収納されたクローゼットへ向かった。そこからいくつか洋服をハンガーから外し、そのまま僕に差し出した。
 
「なに、これ」
「なに、ってクリスマスデートコーデだけど?」
「え」
「蓮と杏心ちゃんが素敵なクリスマスを過ごせるように。私から杏心ちゃんへのクリスマスプレゼント、蓮へのプレゼントはそれを着た可愛い杏心ちゃん」
 
 照れ隠しからかぶっきらぼうにそう言うと、姉はその恥ずかしさを誤魔化すように再び寝そべって僕との会話で見逃してしまった場面を巻き戻す。手渡された洋服は杏心が着るには少し大きい赤基調のニットと、柔らかい素材の白いロングスカート。
 
「蓮が杏心ちゃんと行くって言ってたクリスマスマーケット、ドレスコードがあるんだって。まぁ、強制じゃないけど『クリスマスカラーが含まれている服装』って」
「調べてくれたの?」
「二人には素敵な時間を過ごしてほしいって思ったから」
 
 杏心と僕の交際を知ってからの姉は、玄関に並べる靴を必要最低限に抑えてそれらを端へ寄せて置いてくれたり、帰りが遅くなった日は車で杏心を家まで送り届けてくれたり、見えない世界で生きる杏心と、学生であることから行動に制限のある僕を支え続けてくれている。
 姉は僕と杏心の理解者で、それは今日も変わらなかった。
 
「わかったならはやく杏心ちゃんのとこに戻る! 女の子のこと待たせないの!」
 
 その口調とは結びつかないほど、僕を急かす姉の表情は子を送り出す親のように穏やかで、僕はそっと扉を閉めて洋服を抱えたまま階段を駆け上がった。
 
 ✴︎
 
 街に降り立った僕たちを迎えたのは、懐かしさを感じさせるベルの音とクリスマスキャロルの生演奏。冷たい空気の中にはシナモンの甘い香りが漂っている。
 僕の手に、杏心の温かい手が重なる。僕たちは身を寄せあって、マーケットの喧騒へと光の下を歩いた。
 木彫りの天使が並んだ聖堂がモチーフの屋台、ホットミルクやワインを手渡しているサンタクロースの格好をした神父。その中、僕たちが立ち寄ったのは、淡い光が灯る一軒のツリーハウスを模したブース。
 
「キャンドル、二人で一つ作ろっか」
「私が匂いで、蓮は色を。形は、一緒に作っていきたいな」
 
 木製の丸椅子に並んで腰を下ろすと、蜜蝋の甘い香りが僕の鼻口をくすぐった。目の前には、くすみながらも色鮮やかなドライフラワーや香料、手元を照らすキャンドルの灯りの温かさが、空間すべてを柔らかく包んでいた。
 
「杏心、左手いい?」

 少しだけ冷たくなった杏心の手をとり、僕はその手を香料の入った瓶に触れさせた。
 
「ここに一、二、三、四、五種類の香料がそれぞれ瓶に入ってる。一番端の瓶の右側には灯のついたキャンドルがあるから、慎重にね」
 
 小さく「ありがとう」と頷いた杏心は、左から順番に瓶をとり、栓を開ける。
 鼻先に近づけて吸い込むと、癒されたように頬を緩めた。
 
「蓮、こっち向いて、ちょっと動かないでね?」
「え?」
 
 杏心の片方の手が僕の頬へ伸びて、その柔らかい手のひらが触れる。もう片方の手には瓶が握られていて、指先で僕の顔を確認しながら、ゆっくり、そっと、杏心はその瓶の淵を僕の鼻先にあてた。
 
「この匂い、蓮好きそうだなって思って」
 
 ほのかな甘さを感じるカモミール。
 杏心は首を傾げて微笑みながら
 
「どう?」
 
 と、答えを待っている。
 その柔らかくあげられた頬や仕草が可愛らしくて、僕はなにも言えずに数秒見惚れて、頬に触れている杏心の手に触れたあと
 
「杏心の思ってくれた通りだよ」
 
 そう答えた。
 香りが決まったところで、キャンドルを入れる透明なガラスの容器に下が白、上が赤の二層になるよう蝋を入れた。花びらやハーブが綺麗に層を成し、香料も絶妙な加減で調合されている。杏心は指先で容器越しにキャンドルに触れると、その熱に驚きながらくしゃっと笑った。
 
「温度も匂いも、私と蓮が一緒に感じられるって幸せだね」
 
 ✴︎
 
 キャンドルの入った紙袋を片手に、僕たちはマーケットの出口へ向かって最後のイルミネーション通りを歩いている。来た時に降り始めた大粒の雪は地面をうっすら白く染めていた。
 
「杏心、滑らないように足元気をつけてね」
「それならずっとちゃんと手を繋いでてもらわないとだね」
 
 聖夜の雰囲気に任せてそんな甘い会話をしている途中で、僕は足を止めた。その違和感に気づいて杏心も足を止め、僕のほうを向く。人が行き交うなか、道の端の僕たちだけが立ち止まっていた。
 
「蓮、どうしたの?」
「杏心、手出して」
 
 律儀に揃えて向けられた両手の平に僕はひとつのかけらを乗せた。
 
「っ……冷たっ……!」
「びっくりした?」
「びっくりするよ……! 急に雪? だよね、こんな——」
「じゃあこれは?」
 
 杏心の白く細い首に、真っ白なマフラーを巻きつける。僕の不慣れな指先が杏心の髪に触れると、一瞬強張るような表情をしたけれど、すぐに嬉しそうに頬を緩めた。
 
「メリークリスマス、杏心」
 
 マフラーに顔を埋めたり、手で撫でたり、杏心は何度も感触を確かめながら「ありがとっ!」と無邪気に笑ってくれた。
 
「蓮だと思って大切にさせてもらうねっ!」
 
 そんなことを言われてしまっては、照れ隠しも通用しないくらい恥ずかしくなってしまう。
 
「それじゃあ今度は私の番だね」
 
 そう言うと杏心は手探りで鞄のなかから丁寧に包装された箱を取り出して
 
「ちゃんと受け取ってね? 中途半端に掴んで落としちゃったら大惨事だから!」
 
 という忠告付きで僕にプレゼントを手渡してくれた。リボンを解いて、包装紙を剥がして姿を現したのは手のひらほどのおおきさのオルゴールだった。
 
「オルゴール、だよね?」
「そう。音は、私と蓮が一緒に感じられるもののひとつだからね」
 
 表面には細やかな彫刻が施されていて、蔦や花が絡み合う模様は、どこか西洋の庭園を思わせる優雅さを感じさせた。
 私と蓮が一緒に感じられるもののひとつ、それは言い換えるなら、杏心と僕が幸せを感じられるもののひとつで、紛れもない宝物だ。
 
「家を出る前に着てた服も、なかなか印象的だったでしょ? 記憶とか思い出も、私たちがずっと一緒に感じられるものだから」

 杏心の目がみえなくなって初めて迎えたクリスマスは、なににも変えられない幸せに溢れていた。
 
「杏心、好きだよ」
「知ってる、私も蓮のこと好きだよ」
 
 この特別な夜にも、僕の目には、杏心の笑顔しか映っていない。まっすぐみつめたまま、杏心を抱き寄せる、突然のことに驚きながらも、僕の心に応えるように杏心の両手が僕の背に触れる。そのまま僕たちは抱き締めあった。
 
 この一瞬を、永遠に覚えていられるように、永遠より永い一瞬を噛み締めるように。