ヤンデレ設定の義弟を手塩にかけたら、シスコン大魔法士に育ちました!?



 淹れ立てのミルクティーから甘い香りが立ち上る。
 白い闇になった夜景を眺め、ピフラは大きなため息をついた。

 今日はピフラの、十四歳の誕生日だ。
 昼間は豪勢な誕生日会が催された。が、会場の装飾から食事の内容に至るまで、全ては自分で企画したものである。
 公爵令嬢としての威光を示すための、政治的なパーティーだ。
 重い宝飾飾りのドレスをまとい、空笑いしていたせいだろう。体がだるく、心なしか頭痛もするような気もした。

 ピフラは姿見に映じる自分を見た。まるで魂が抜けたような、冴えない顔をしている。こうして苦労と疲労を重ね、大人になっていくのだろうか。
 わずかな絶望感を抱き嘆息した、その時だった。鏡の中で不自然な赤い光が明滅し、その瞬間、一筋の閃光が放たれた。

「──え?」

 途端に視界が反転した。頭を床にしたたか打ち付け、無数の火花が飛び散る。そして目の前が真っ白に染まって……。

 どれくらいそうしていたか。ようやく意識を取り戻したピフラは、大儀そうに体を起こした。
 ぶつけた頭を揉みほぐし、ついと姿見を見る。

(今のは何だったのかしら?)

 映るのは自分の姿……のはずだ。
 しかし鏡裏の自分と見交わすと、なぜだろう。誰よりも馴染み深い顔に、妙な違和感を覚える。
 視線で全身をなぞると、頭痛は激しさを増していき──そして、次の瞬間。

 パンッ! 頭の中で破裂音が聞こえ、脳に衝撃が走った。膨大な記憶が濁流のように、ピフラの頭を埋め尽くす。
 
 経験したことはないけれど、これは記憶だ。
 見た目も年齢も違う自分。そんな自分が夜な夜な没頭していたのがゲーム機の操作で──そうだ、乙女ゲーム!

「うそっ、わたしっ……転生したの!? しかもピフラ・エリューズって悪役ポジションよね!?」
 
 前世でプレイしていた乙女ゲーム、『LOVE/HEART (ラブハート)』。

 魔法が存在する世界で、異世界転移したヒロインが、ヘルハイム王国でイケメンを攻略していく、王道の乙女ゲームである。

 このゲームの売りは、攻略キャラの回想だ。過去を知ることで、攻略対象を、より好きになる。
 
 その中に、陰鬱な過去を持つキャラクターがいた。

 ──ガルム・エリューズ。
 義理の姉にいじめられて育った過去を持つ。
 彼は心を病んでいた。

 大人になったガルムは、本編でヒロインと恋をする。
 けれど、病んだ心でする恋なんか、往々にしてろくでもない。
 相手の一挙一動を深読みし、勝手にこじらせ、勝手に病むのが目に見える。

 ガルムはこの病み思考を完備したのだろう。
 彼はヒロインに歪んだ愛着を見せる、危険な男──ヤンデレになるのだ。

 魔法持ちのガルムは、探知魔法でヒロインを監視したり、彼女が男と接触しようものなら監禁する。
 その過程で憎き義姉を殺すのだが……。
 その悪役義姉というのが、ピフラ・エリューズ。

「──つまりわたしだ!!」

 愕然としたピフラの脳裏に、ある映像がよぎる。

 ピフラは重い冬のドレスをたくし上げ、部屋を飛び出した。ドレスが(もつ)れ、新調したばかりの靴で、踵が擦り切れる。

 だが今のピフラにとって、それは些事だった。
 それよりも──!
 焦燥感に駆られ、飛ぶようにひたすら走る。向かう先は、エントランス。

 ガルムの回想は、彼が公爵家に来る場面から始まった。
 ゲームの展開を知るピフラの心臓が、痛いほど打ち付ける。

(どうか夢でありますように──!)


 ◇◇◇


 ヘルハイム王国の筆頭公爵であるエリューズ公爵家は、由緒正しい家柄だ。かつて王女を降嫁賜り、王家に次ぐ実権を持つ。
 
 当然財力も並外れている。それはエントランスを見れば、一目瞭然だ。高い天井に吊り下がる豪奢なシャンデリアは、住人ですら目に慣れない。
 ピフラは階上から、エントランスを見下ろした。

(乙女ゲームとか悪役義姉とか、きっとわたしの危ない妄想よね? 頭を打っておかしくなったのだわ。……そうであって!) 

 ピフラは再三、うわ言を繰り返す。
 すると屋敷の主人が帰宅した。雪だらけの外套をさっさと脱ぐ、銀髪と紫色の瞳をした男。

 彼はピフラの父親、ヴェティ・エリューズ。
 鬱陶しいほどの親バカで、娘が望むものなら、職権濫用してでも手に入れる。

 愛おしさを表現するのに『目に入れても痛くない』という言葉があるが、彼はむしろ快感を得られる。という噂されるほどだ。

「お帰りなさい。お父さま」

「ただいまピフラ。誕生会はどうだった?」

 特段、父に変わった様子はない。
 ピフラが彼を出迎えるのも普段通り。
 乙女ゲームなんて、やはり妄想だったに違いない。
 ──そう思いたかったのだけれど。

「十四歳の誕生日おめでとう。今年のプレゼントはすごいぞ?」

 現実は、ピフラの哀願をあっさり打ち砕く。
 父の背後に、小さな人影を見つけた。
 ──まさか。

「名はガルム。今日からお前の義理の弟だよ」

 公爵は、一人の少年を押し出した。

 少年──ガルムは、ピフラよりも頭ひとつ半くらい短躯で、驚くほど痩腕だった。
 黒髪はぼさぼさで、間から見える顔は、恐ろしく均整が取れている。赤い瞳はまるで宝石のようだ。
 
 自分は、この子に殺される運命。
 頭ではそう理解しているのに、目は釘付けになる。
 《《本物のガルム》》を前にして、ピフラはたじろいだ。
 こうして見ると、《《ただの子ども》》だから。

「お、お父さまったら人をプレゼントだなんて」

「昔はあれだけ欲しがっていたじゃないか」

「それはいつの話で……?」

「さあ、二歳の時だったかな」

(二歳の時のおねだりなんて、まったく記憶にないわ! どれほど親バカなのよ)

 あまりの緊張感に、ピフラは喉を上下させた。
 回想シーンをなぞらえたら、つまりゲームと同じことをしたら、彼に殺されるかもしれない。
 だから違う行動をしなければならないのに──言動を思い出せない!

(ゲームのピフラはガルムの心を病ませた結果、彼に殺された。だったら逆に、大切に育てれば殺されない……?)

 確証はない。だがこれ以外に思い浮かばない。

 ピフラは、ガルムの方へやおら近づいた。
 膝を折って目線を合わせると、彼は漆黒のまつ毛をしばたたかせる。そして薄い肩を震わせ、後ずさった。その時、赤い瞳が光輝を放った──気がした。

(鏡の光に似てたような……バカね。そんなわけないじゃない)

 ピフラは赤い瞳の奥の、目顔を窺った。
 ……敵意はない。ただ怯えと、困惑を浮かべている。
 上目を使う彼は、少しも恐ろしくなかった。

 ピフラは小さな手を取った。関節が、たくさんのあかぎれで固くなっている。
 それだけで彼の悲惨な生い立ちが、容易に想像出来た。

(ひどい環境だったのね。その上、義姉にいじめられたら……)

 悲惨なんて言葉じゃ、済まされない。
 自分がしたわけでも無いのになぜか罪悪感を抱き、ピフラは、自然と口を引き結んだ。

「おいで。わたしの部屋で温まりましょう」

 そう言って破顔し、ガルムの手を取る。
 ひゅっ。彼が息を詰めた音が、かすかに聞こえた。
 
 ピフラ先導のもと、二人は薄暗い長廊下を進んでいく。すると突然、繋いでいた手をガルムが振りほどいた。

「ど、どうしたの?」

「……触るなよ」

「え?」

「気持ち悪いと思ってるくせに。いいやつぶるな!」

 警戒心がむき出しの、ひどく鋭利な眼差しだ。ピフラは、解かれたほうの手をさすって問う。

「そんなことないわ。どうしてそう思うの?」

「……だって、触りたくなさそうだった。出来るだけ指先を持って……どうせお前も俺のこと汚いと思ってんだろ」

 お前も──つまり過去に言われた台詞ということだ。それも何度も。初対面のピフラの行動を、自然と疑うほどに。
 あまり煙たがられないよう、慎重に接したのだけれど。……どうも裏目に出たらしい。

 ──人が怖いのだわ。

 彼の、辛い過去の思い出と未来への恐れが、ありありと目に浮かぶ。
 ピフラはガルムの両の手を包み込んだ。
 すると、不愉快そうに顔を歪めたガルムは、手を引き抜こうとする。
 だが彼が力むほど、ピフラもまた、強く握って離さない。

「大丈夫よ。わたしは思わない」

 ピフラは、得意顔で言い放った。
 「っ!」ガルムの濡れた赤い瞳が揺れた。動揺を露わにする余裕のなさが、子どもらしかった。

 こんなにいたいけなガルムを、《《ピフラ》》はいじめた。そして心を病ませ、ヒロインに会って愛情をこじらせる、危険な男に育てたのだ。
 そしてその報いにピフラは──悪役義姉はガルムに殺された。

 けれど、自分は絶対に間違えない。
 ガルムがヒロインと出会うその日まで、彼の心を守る。
 ──手塩にかけて育ててみせる!
 だから、こんな所で立ち止まってはいられない。

「じゃあ遠慮なく触るわよ」

 腹を決め、小さな手を握りしめた。

「や、やめろっ! 離せってば……っ」

 手を引き抜こうとして、ガルムは懸命に身をよじる。
 拒絶されている。……けれど、だからこそ。
 ピフラはより一層、彼の手を強く握った。
 絶対に離さない。

 その固く結ばれた手は、ピフラの決意そのものだった。