屋敷のメイン階段に着くと、階下に使用人が集まっていた。玄関の豪奢な扉が軋轢音を立てて開かれ、屋敷の主人が帰宅したところである。
 使用人達の中心で紺色の外套を纏い、銀髪と紫色の瞳を湛える男は、ヴェティ・エリューズ。ピフラの父親であり、エリューズ公爵家の当主だ。
 ゲーム内で語られることはなかったが、実は公爵はピフラを溺愛してやまない親バカである。
 それはもう、ピフラが望む物は権力と財力を駆使し、何だって手に入れてしまうほどで。「目に入れても痛くない」と言う言葉があるが、公爵に限っては痛くない所か快感を得るだろうと噂されている。
 すると、親バカ公爵がピフラを見つけて声高に言った。

「おお、ピフラ! こっちにおいで!」
「お父さま……」
 ピフラは呼吸を整えながら階段を降りてゆく。
 一歩、二歩....…そしてエントランスを踏み締めた時、あるものを目にしたピフラの心臓が跳ねた。

 ──公爵の背後に少年がいる。

 公爵は愛娘を前に破顔一笑した。そして、背後の少年をピフラの正面に押し出して咳払いする。
 なんて美しい少年だろう、ピフラが彼に持つ印象はそれに尽きた。
 身長は彼女よりやや高く髪は光を飲み込む漆黒だ。顔は可愛らしくも端正で中性的な面立ちをしており、前髪の隙間から希少な赤い瞳がピフラを熟視している。

「ピフラ、14歳の誕生日おめでとう。お前にプレゼントを持ってきたんだ」
「まあっ嬉しいですわ。それであの、プレゼントはどちらに……?」
「ははっ! 驚くぞー。ほらお前、2歳の時に弟妹をおねだりしていただろう?」
「にっ……2歳……?」
(憶えてませんけど!? お父様ったら2歳の時のお願いを今さら叶えようだなんてどれだけ親バカなの!?)
「というわけで隣国から1番綺麗な者を連れてきたんだ。名はガルム、お前の1個下だよ。あいにく義理の弟だが許してくれ」
「──っ!」
 ピフラは唾を飲み込んだ。
 この少年こそが、ガルム・エリューズ。ラブハにおけるヤンデレ魔法士であり、ピフラを殺す義弟である。

(この子がわたしを殺すのね……!?)
 ピフラは肝を潰した。全身に緊張が走り、微笑みを作る表情筋が顫動(せんどう)する。
 ここまで見事にゲーム通りの展開だ。ガルムが義姉の誕生日プレゼントとして連れて来られるシーンである。
 しかもピフラにとってはただの義弟ではない。いずれ凶暴なヤンデレと化して殺しにかかってくる、いわば時限爆弾付きの義弟だ。

(このままゲーム通りにいったら、わたしはガルムに殺される。どうにか、どうにか生き残る方法は──あっ)
 ピフラはピンッ!と思い至った。自分を殺すのはあくまでヒロインに出会った後の「ヤンデレ状態」のガルムである。
 人がヤンデレ化する最大の原因は「恋愛前にどれだけ心を病んでいたか」だ。
 ゲームのガルムの場合はピフラによって長年虐げられ、心を病んでヤンデレの下地が十分仕込まれていたはず。
 そして後にヒロインに恋をするわけだが、病んでいる状態でする恋愛は、往々にして()()()()()()
 相手の言動の受け取り方を間違えて状況が拗れ、思い通りにいかず死にたくなる。時と場合によっては相手に死んでほしくなったりもする。
 健全な心の持ち主は「そんな物騒な!」と思うだろうが割とベーシックな病み思考だ。
 おそらく、ガルムもこのプロセスでヤンデレ化してしまったと推察される。
 それならば、ガルムが心を病まず健全に育てばどうだろう。ヒロインと出会っても拗れず、ヤンデレ化しないのではなかろうか。
 やるべき事は1つだけ。

 ──成人してヒロインに出会うまで、ガルムを手塩にかけて育てる!
 
 ピフラが覚悟を決めて顔を上げると、公爵は顎でガルムに合図する。するとガルムはぎこちない動きで、胸に手を当てピフラに礼をした。

「..........誠心誠意お仕えします」
 ガルムはぶっきらぼうに言うと、目礼がてらピフラから目を逸らす。眉間には難しそうに皺が寄り、言ったそばから誠意もへったくれもない挨拶である。
 礼儀を重んじる軍人の公爵は不快感を露わにガルムを睨め付けた。
 その空気感とピフラの背筋が一挙に凍る。「まあまあお父さま!」ピフラは公爵に駆け寄り、渾身の笑顔でフォローを入れた。
 確かにガルムの態度は褻められたものではないが、そもそも公爵が人をプレゼント扱いする方が悪い。
 そうしてピフラは翻ってガルムに正対し、安堵の溜め息をもらした。
(よかった。顔を顰めてはいるけど嫌ではなさそう?)
 
 誕生日の主役と、そのプレゼント。摩詞不思議な関係性から始める姉弟(きょうだい)関係が、これからどう転ぶかはピフラ次第。手塩具合いで変わるはず。
 ピフラは骨ばったガルムの手を取った。

「まずはお茶でもしましょうか」
 優しい微笑みがガルムの赤い瞳に映る。
 結ばれる互いの手が、仄かに(ぬく)んだ瞬間だった。