マンションのエントランスにある階段に座り込んで、いつもみたいに膝を抱えて座り込んだ。
 昼間はあんな温かな日差しが差し込んでいたのに、夜になるとかなり冷え込む。上着を持ってくれば良かったなぁ、ってボンヤリ思った。
 空には星がキラキラと耀いていて、それが凄く綺麗で……意味もなく切なくなった。


 俺は、自分のことを『可愛い』って言われるのが嫌いだ。
 なぜなら、今は可愛くても、いつかは可愛くなくなるから。そしたら、きっと……誰もが俺を見捨てるだろう。それが、何よりも怖かったから。


 でも、今日の成宮先生と日下部先生のやりとりを見て思った。
 俺は、ずっとずっと、何歳になっても、成宮先生に可愛いって言われたい。賞味期限なんか関係なしに、可愛い自分でいたいんだ。
「バカじゃん、俺……」
 ようやく素直になれた自分が情けなくて、唇を噛み締める。鼻の奥がツンとなったから、慌てて鼻をすすった。


 素直になれずに成宮先生を避けていた俺は、もう一生彼に『可愛い』だなんて、言ってもらえないかもしれない。
 俺は、可愛い葵になりたかった。


 次の瞬間、背中から温かいものに包まれる。振り返らなくてもわかる。この体温に、そして匂い……。
「千歳さん……」
 久しぶりに感じる成宮先生の体温が恋しくて、思わずその腕にしがみつく。そしたら、ギュッと抱き締め返してくれた。


「天の邪鬼の葵くん……なんかあったのか?」
 優しい成宮先生の声に慌てて首を横に振る。
「言えよ」
「何にもないです」
「嘘こけ」
「本当だもん」
「この強情が……」
 成宮先生がクスクス笑いながら、首筋に顔を埋めてくるから、くすぐったくて笑いたいのに、なぜか胸が締め付けられた。


「無理して強がる葵も、本当に可愛いなぁ」
 成宮先生が幸せそうに呟いた言葉が、チクンと胸に刺さる。そこから甘い痛みが広がって……心の中が温かくなった。
「ねぇ、千歳さん……」
「ん?」
 俺は成宮先生の腕の中で体の向きを変えて、正面から向き合った。どうしても伝えたいことがあったから。


「千歳さん、俺がおじいちゃんになっても、可愛いって言ってくれますか?」
 あまりにも必死な俺の問いかけに、一瞬戸惑いの表情を見せたけど……すぐにまた、いつもみたいに呆れたように微笑んだ。
「うん。どっちかが死ぬ寸前まで……ううん、お前がもし先に死んだら、葬式でも可愛いって言ってやるよ」
「……お葬式で?」
「そう。だって俺は葵が可愛くて仕方ない」
 成宮先生が、目の前でフワリと微笑む。

 
「葵の笑った顔も可愛い。泣いた顔も、拗ねた顔も。寝顔も、エッチしてる時の顔も。怒ってる顔も、頑張ってる時の顔も……。それから、日下部先生にヤキモチ妬いてる顔も……」
 成宮先生が、ニヤッと一瞬不適な笑顔を見せた。
「き、気付いてたのんですか……?」
「ふふっ。当たり前じゃん。だってお前、凄い顔してたぜ?」
 嬉しそうに笑うから、顔が一瞬で茹で蛸みたいに真っ赤になってしまった。


「照れてる顔も……可愛いな?」
 フワリと唇が重なれば、ピクンと体が跳び跳ねるくらい嬉しくて、でも恥ずかしくて……。夢中で成宮先生にしがみついた。
 そんな俺の背中を優しくさすってくれるこの人が、俺は大好きだ。


「なぁ、葵……」
「はい?」
「今日はさせてくれるよな?」
 ねっとりと耳に舌が這うだけで、「ん……ッ」と甘い声が漏れてしまう。
「葵……エッチ、しよ……?」
「んん……あ、やぁ……」
 優しい優しい成宮先生の笑顔を見れば、抱かれたいと素直に思ってしまい……体が甘く疼き始めた。
「うん、俺もしたいです」
 自分からチュッと成宮先生の頬に口付ければ、
「本当に可愛い。大好き」
 最高に蕩けた、成宮先生の笑顔が見えた。


 俺は『可愛い』って言われるのが嫌いだった。
 それは、可愛いには賞味期限があって、いつかは可愛くなくなってしまうから。


 だから俺は、自分の精一杯の可愛らしさをジップロックに入れて、それを缶詰に詰め込んで、更に冷凍庫に保管してしまおう。
 そしたら、俺の可愛さは永久に保存されるでしょう?
 もし可愛く無くなってしまったら、冷凍庫からそっと取り出して、可愛らしさを補充しよう。
 だって俺、ずっとずっと、成宮先生に可愛いって言って欲しいんだ。


 手を繋ぎながら部屋に向かう途中、嬉しくてつい鼻歌を口ずさむ。やっぱり成宮先生に『可愛い』って言ってもらえることは幸せで……。
 心の中が甘いココアを飲んだ時みたいにあったかい。


「そんなに俺とエッチできるのが嬉しいの?」
「えぇ!?」
 その言葉を聞いた途端に恥ずかしくなってしまい、『そんなんじゃありませんよ!?』なんて可愛くもない言葉が口から飛び出そうになったから、慌てて口をつぐむ。


 違うんです、成宮先生。俺は素直になりたいんです。
 冷静になろうと呼吸を整えてから、成宮先生を見上げる。
 恥ずかしくて本当の気持ちを怒ってごまかしたいけど……俺はあなたの可愛い可愛い恋人でありたい。
 それが本心だから……。
 成宮先生を見ているだけで、思わず口角が上がってしまうのがわかる。
 俺は、こんなにもあなたのことが好きなんだ。


「はい。俺、成宮先生に抱かれたいです」
「お前、本当に可愛いな」
 成宮先生が優しく微笑む。その笑顔に、俺は涙が出そうなほどの多幸感に包まれた。
「葵、もう我慢できねぇ……」
「千歳さん……」
「可愛い。大好きだ」


 エレベーターの扉が閉まった瞬間に、俺はその逞しい腕の中に捉えられてしまった。