「またなの? 本当にお前達はさぁ……」
「本当にすみません」
もう何回目だろう。こうやって菊池と二人で成宮先生に頭を下げるのは。でも、怒られるのも半分こだから……悪くないなって思う。
「あのさ、なんでこんなに簡単に点滴抜かれちゃうわけ?
抜かそうなら、はじめから包帯巻くとか、誰かについててもらうとか考えろよな?」
「はい。すみません」
「お前達は、あの子に点滴入れられないだろうが?」
「はい。ごもっともです」
「はぁぁぁぁ……いいよ、俺が行ってくる。頼むから仕事を増やさないでくれよな」
「はい」
フラフラしながら医局を後にする成宮先生を、申し訳ない思いで見送る。そんな成宮先生を見て、菊池も痛々しい表情を浮かべていた。
もう菊池の前で、いい人を装う余裕もないようだ。
「ごめんなさい、成宮先生。俺達出来が悪くて……」
俺は心の中で呟いた。
「はい、飴やるよ」
「あ、ありがとう」
菊池から飴を受け取って口に放り込む。この前と同じで、成宮先生とのキスの味がした。
それでも、自分のせいで疲れきってる成宮先生を見れば泣きたくなる。
自分はやっぱり、医者に向いてないのかな……って思えてしまうから。
大きな溜息をつきながら項垂れる俺を見た菊池が、ポツリポツリと話し始めた。
「俺、研修が終わったら小児科医になりたいんだ。だから、わざわざ成宮先生がいるこの病院に実習に来た。俺は、スーパードクターで有名な成宮先生を、この目で見てみたかったから」
そう話す菊池の目は何だかキラキラと輝いて見えた。
「俺さ、小さい頃血液の病気に罹って入院したことがあるんだ」
「うん。前に話してくれたよ?」
「あぁ。その時お世話になったのが、循環器内科の小野田《おのだ》っていう人なんだ」
懐かしそうに目を細めながら話し続ける菊池から、目が離せなかった。
「入院中の治療は凄く辛かった。何度も家に帰りたいって思ったし。ある時、俺は薬の副作用でご飯が食べられなくなっちゃって……そんな時に、小野田先生からこの飴をもらったんだ」
「そうなんだ」
「だから、この飴は命の恩人なんだよ。あのとき本当に何も食べられなかったのに、この飴だけは食べることができたんだ」
そう笑う菊池を見れば、この飴をどんなに大切にしているのかが伝わってきた。
きっとこの飴も、小野田っていう医師との思い出も、菊池には宝物なんだろう。
「俺は出来が悪い。でも、立派な医者になりたいんだ」
「尊……」
「だから、葵も頑張ろう。葵は患者さんに優しいからみんなに好かれてる。だから、きっといい医者になるよ」
「うん。ありがとう……」
そんな話を聞けば自分も高校生だった頃に、成宮先生に命を助けてもらったことを思い出す。
俺も成宮先生を見て、医者になりたいと思ったんだ。
自分も、誰かの命を救いたいって。
そんなこと、忘れてたよ……。
「うん、頑張るね」
「よし。じゃあ、もう一つ飴をあげるね」
「ありがとう」
目頭が熱くなって、視界がユラユラと揺れる。
良かった、俺菊池に会えて……もし会えていなかったら、心が爆発して粉々に砕け散っていたかもしれない。
「尊。本当にありがとう」
口に放り込んだ飴が、今度はひどく苦く感じた。
「良かった、尊に会えて……」
涙を拭いながら、俺は一生懸命笑顔を作る。少しだけ、未来が明るく感じられた。
◇◆◇◆
「また、お前らか……」
「はい、すみません」
「もういい加減笑うしかできねぇわ」
「本当にごめんなさい」
今日は菊池の研修最終日だっていうのに、相も変わらず二人で成宮先生に頭を下げている。
俺も菊池も頑張ったけど、あまり成長はしなかったかもしれない。
それでも未熟者同士、力を合わせて精一杯頑張ったこの経験は、自分の中でとてもいい思い出となった。
「産婦人科医の藤堂《とうどう》先生がお怒りだから、謝らなきゃだな」
「はい」
小児科と背中合わせの産婦人科。一度生まれてしまえば、赤ちゃんは産婦人科から小児科の領域になる。そのため、小児科と産婦人科は一緒に仕事をすることが多かった。
今日は、一緒に回診に回った産婦人科の部長である藤堂先生のお怒りをかってしまったのだ。
鬼のように怖い藤堂先生の所に行くのはとても憂鬱だ。肩を落としながら菊池と産婦人科病棟へ向かおうとした瞬間。成宮先生に肩を叩かれる。
「あ……」
その温くて大きな手に、俺は安堵感に包まれた。
「待てよ、俺も一緒に行って謝ってやる」
「え?」
「一緒に行ってやるって言ってんだよ」
ぶっきらぼうに言い放つ成宮先生の優しさに、胸がギュッと締め付けられる。
「で、謝ったらラーメン食いに行くぞ」
「ラーメン?」
「そう。今日で菊池の研修も終わりだから、打ち上げだ。水瀬、ラーメン好きだろう?」
「はい!」
ラーメンくらいで、子供みたいにキラキラと顔を輝かせる俺が面白かったのだろう。成宮先生がプッと吹き出した。
「仕方ねぇから、餃子もつけてやるよ」
「本当ですか?嬉しいなぁ」
「よし、じゃあ行くか。水瀬、菊池」
「はい」
俺は嬉しくて、成宮先生の後を夢中で追いかけたのだった。
「葵、短い間だったけど世話になったな」
「うん、俺こそ。本当にありがとう」
最後に菊池と握手をする。この優しくて頑張り屋の男が、俺は好きだった。
「あのさ……」
「ん? どうした?」
突然顔を真っ赤にしながら菊池が俯く。
「もしかして、葵と成宮先生……付き合ってたりする?」
「えぇ!? と、突然なんだよ……!」
「いや、何となく二人の雰囲気が甘いというか、隠していてもラブラブなオーラが醸し出されているような……」
「違う! 違う違う違う! べ、別に俺と成宮先生は付き合ってなんかないし!」
「ぷぷっ。嘘だ。だって成宮先生が葵を見る目、めちゃくちゃ優しいし。なんやかんや言って、大事にされてるんだな……って見ててわかるもん」
「え? 本当に? 俺、大事にされてるかな?」
「あははは! 葵って本当にわかりやすいな」
茹で蛸みたいに顔を真っ赤にしながら必死に否定したり、嬉しそうな顔をしたり……そんな俺を見て、菊池は腹を抱えて笑っていた。
◇◆◇◆
あれから数年……。
俺の白衣のポケットには、いつも苺のキャンディーが忍ばせてある。
尊が「元気が出る魔法の飴」だって言っていたから。
疲れた時や、辛い時にこの飴を舐めれば、元気が出る気がするんだ。やっぱり俺は、単純なのかもしれない。
今尊は、小児科で頑張ってるって風の噂で聞いた。きっと、あいつのことだから優しい医者になったことだろう。
点滴や採血の腕も上がり、色んな技術を身につけて、頼れる存在として活躍してるはずだ。
「尊、頑張れ。俺も頑張るから」
お前がいたから今がある……この飴を舐める度に、俺はそう思うんだ。



