「えっと、菊池さん」
「尊でいいよ。多分同じ年だし」
「本当? じゃあ俺は葵って呼んで」
「うん。ありがとう」
そう笑う菊池は凄くいい奴に見える。やっぱり仲良くできそうだ……俺の心は否応なしにも高鳴る。
その後、回診に行くまでの間、俺と菊池は少しだけ話をした。
菊池は昔、循環器系の病気を患って、小児科の循環器内科に入院したことがあるっていうこと。将来的には小児科医になりたいって思っていること……。
自分の事を包み隠さず話してくれた菊池とのやり取りは、ほんの数分だったけれど、凄く楽しくて充実したものだった。
この場所で、同じ立場で話ができるっていうことが、俺にはとても新鮮に感じられたから……。
「お前らはさ……」
成宮先生の盛大な溜息が静かな医局に響き渡る。
「なんで採血もまともにできないわけ?」
「はい、すみません」
「腐っても研修医……医師免許持ってるんだよな?」
「はい、すみません」
「はぁぁぁぁ……もういいや」
成宮先生は疲れ切ったような表情を浮かべながら、髪を掻き毟っている。
でも、そんな姿もイケメンだった。
菊池は俺の期待を裏切ることなどなく、俺と同類だった。
「あのさ、中学二年生の徹也君の採血ってそんなに難しいか? 中二ともなれば、いい血管がボコボコ出てるだろうに……」
「全くその通りなんですが、僕達には血管が見えませんでした」
「はぁぁぁぁ。これじゃあ水瀬が二人に増えただけじゃん」
落ち込み俯くことしができない俺と菊池を見た成宮先生が、更に大きな溜息をつく。
俺は中学二年生の西島徹也君の採血をするために、意気揚々と病室を訪れた。
徹也君は冬休みを利用しての検査入院で、体格がガッチリした中学生だった。勿論血管だって若くてピチピチしているはずだ。
「楽勝楽勝!」
そんな俺の考えは、数分後見事に打ち砕かれることとなる。
柔道部だという徹也君は意外と肉付きが良く、血管が見えないのだ。「これは雰囲気と勘でいくしかない」と何回かチャレンジするも失敗。
不穏な空気を感じた俺は、
「尊……採血代わってもらってもいい?」
と、菊池に泣きついた。
初対面の相手に恥ずかしいとか、情けないとか……そんな事を言ってられる状況ではなかったから。
それに、こんなに気楽にバトンタッチができる仲間がいることが嬉しかったし、頼もしくもあった。
……結果、菊池も全て失敗し、二人で徹也君に頭を下げ病室を後にしたのだった。
「もういい、俺が行ってくる」
「はい。お願いします」
もう一度二人で頭を下げ、成宮先生を見送った。
「はぁ……俺さ、本当に出来が悪いんだよ」
俺は医局のソファーに崩れるように座り込む。菊池には何でも話せる気がした。だって、俺と同じ匂いを感じたから……。
「未だに採血だって、成功確率は運ゲーレベルだし。手術となれば、前の日から緊張して眠れないくらいだ……」
「葵……」
「成宮先生みたいなスーパードクターがいるこんな病棟で、情けないよな」
ポツリと零れた本音。
こんな事今まで誰にも話せなかった。今まで抱えていた胸のつかえが、一気に溢れ出した気がした。
「本当に自分が不甲斐なくて嫌になるんだ 。医者を辞めようか、今日こそ辞表を出そうかって、いつも悩んでる。俺は医者に向いてないって思うから」
目頭が熱くなったから、菊池から視線を逸らした。
本当に、俺はどこまでかっこ悪いんだろう……。
「ほら、葵。これあげる」
「ん?」
「これあげるよ。元気が出る魔法の飴だから」
「魔法の飴?」
「そう」
そう笑う菊池の手には、可愛らしい紙に包まれたキャンディーがひとつ。
「これ食べれば元気になるよ。低血糖だって治るし」
「ありがとう」
「どういたしまして」
菊池からもらった飴を口に放り込めば、甘くて優しい味が口の中に広がる。その優しい味に、また涙がでそうになる。
「甘くて美味しい」
「だろう?」
「うん。あの人とのキスの味がする」
「え? キス?」
「ううん、何でもない」
うっかり口走ってしまった失言が恥ずかしくて、俺は思わず顔を背けた。



