「葵、Stayだよ。このまま離れないで」
「はい。わかりました」
「Good boy。葵はいい子だね」
優しく髪を撫でてもらえば、体からスッと力が抜けて行く。気持ち良くて、安心できて……つい、眠たくなってしまった。
きっと自分は、成宮先生の腕の中でゴロゴロと喉を鳴らす猫そのものだ。なぜなら、成宮先生の腕の中は酷く居心地がいい。
もう、言い争ったことなんて、どうでも良くなってしまった。だって、やっぱり成宮先生に甘やかされるのが俺は大好きだから。
そんな夢心地のまま、Sub spaceへと誘われて行く。そこは、春の陽だまりみたいにポカポカしているし、お腹一杯の時に布団に潜り込んだ時のような満たされた気持ちになる。
幸せだ……。
「葵はいい子だね。大好き」
「俺も好きです」
俺は泣き腫らして熱を持った目で成宮先生を見つめた。そんな俺の目元に、慈しむかのようにキスをくれる。
「智彰とのこと、ごめんなさい。俺、千歳さんが凄く忙しいの知ってたんだけど、それでも構って欲しくて……凄く寂しくて……」
クスン、とまた子供みたいに鼻を鳴らした。
「ずっとずっと、千歳さんにいい子いい子して欲しかった」
「葵……」
「もう他のDomに誘惑なんかされないから……だから、お願い……千歳さん……いい子いい子して……?」
「いや、それはヤバいだろ……そんな顔でおねだりされたら、拒否なんかできるわけないよな……」
成宮先生が優しい眼差しで俺の顔を覗き込んだ。
「もう、あんなことするなよ?」
「はい」
「お前、本当に可愛い」
「なら、もし良かったら俺を召し上がってください」
「え? いいのか?」
「はい。あなたのお気に召すままに……」
DomがSubを支配下に置き、コントロールする。
そして、そんなDomに支配されることを望み、一心に尽くすSub。
支配する者と、支配される者。そんなパワー関係が存在するDom/Subユニバースの世界。
でも成宮先生は、きっと知っているのだろう。
結局はそんな物は建前で、可愛い可愛いSubに骨抜きにされたDomが、Subを猫可愛がりする……それが、この世界の現状なのだと。
DomはSub手の平で転がされているに過ぎないのかもしれない。
「葵はいい子だな。本当にに可愛い」
「ふふっ。ありがとうございます」
「本当に大好きだ」
「俺も……」
◇◆◇◆
「水瀬先生、水瀬先生!」
「どうしたんですか? 突然ボーッとして……」
「やっぱりBL漫画なんて、水瀬先生には刺激が強かったかな……」
「……え?」
誰かに名前を呼ばれ、肩を叩かれる。鳴り響くナースコールに我に返り、一気に現実へと引き戻された。
俺は昼休みに、所謂腐女子と呼ばれる看護師さん達にBL漫画を借りて読んでいた。
いつまでも床上手から程遠い自分に焦りを感じ、勉強をしようと思ったのだ。
読ませてもらったのは、今BL界隈で流行の兆しを見せるDom/Subユ二バースというジャンルのもので……俺はその世界に強い感銘を受けてしまった。
思わず、脳内でめくるめく妄想を繰り広げてしまうくらいに……。
確かに俺には刺激が強すぎたけれど……。いや、実に面白かったです。
「先生、ピュアそうなのにごめんなさい!」
「BL漫画なんて水瀬先生には早過ぎましたよね!」
「本当にごめんなさい」
必死に謝罪してくれる看護師さんに、「いやぁ、ただ一人楽しく妄想してただけなんですよ」なんて口が裂けても言うことなんてできず……。
「全然大丈夫ですから! ありがとうございました」
また貸してくださいね……と言いたかったけど、俺はその言葉を愛想笑いしながら飲み込んだのだった。
その後……。
「千歳さん、あの……」
「ん? どうした?」
「今日、したいので……早く帰りませんか?」
「へぇ、珍しいじゃん。いいぜ、早く帰ろう」
BL漫画なんか読んだ俺はムラムラしてしまい、人気のない所で成宮先生に抱きついて、おねだりすることになるなんて……。
本当に馬鹿過ぎて、自分が嫌になった。
「今日は千歳さんに虐められたい気分なんです」
「へぇ、それはそれは……」
「優しく虐めてほしい。それから、たくさん甘やかして……?」
「ふーん……」
「お願い、千歳さん……」
「了解。葵のお気に召すままに」



