なんやかんやで、全ての処置が終わった頃には、日付けが変わっていた。
 夕飯のカップラーメンなんて、スープを全部吸ってしまっていて、モジャモジャの麺がギッシリと容器に詰まっている。その変わり果てた姿に、どっと疲れが押し寄せた。


「あー、疲れたなぁ……」
 椅子に倒れ込むように座った。
 緊張の糸が一気に切れて、眩暈がする。


 最終的に、男の子はなんとか一命を取り留めたのだった。まだ油断はできない状態ではあるものの、順調に回復していってくれると思う。
 涙をボロボロこぼしながら、何度も俺に頭を下げ続けるご両親の『ありがとう』という言葉が、俺の心にゆっくりと染み込んで行った。今も尚、心がポカポカと温かい。


「医者になって良かった……」
 スープを全部吸ってしまい伸びきった麺を頬張りながら、ポツリと呟く。
 ホッとしたのと、男の子を助けることができて嬉しかったのと……いろんな感情が湧き上がってきて泣きたくなった。


 ピコン。
 次の瞬間、プライベートのスマホがメールの着信を知らせた。メールを見た俺は、思わず微笑んでしまう。なぜなら、成宮先生からのメッセージだったから。


『大丈夫だったか?』
 実に素っ気ない、気の利かない一言。
 それでも、俺は凄く嬉しかった。こんな時間まで、自分を心配して起きててくれたんだ……って、胸がいっぱいになる。
『大丈夫でした。ありがとうございます』
『結局は、お前は俺がいなきゃ駄目なんだな?』
 スマホを見ながら、いつもみたいにニヤニヤしてるのかな……なんて簡単に想像がついたけど、ぶっちゃけその通りだ。俺は、成宮先生が居なければ、何もできないのかもしれない。
『千歳さんがいてくれて、本当に良かったです。それに千歳さん、すごくかっこよかった』
 思わず出た本音。でも、でも俺は……本当に先生のことが……。
『突然なんだよ。気持ち悪ぃ。寝れる時に寝とけ。お疲れ』
 それを最後に、成宮先生からのメールは途絶えてしまう。
 

 これは怒ったからじゃなくて照れくさかったからだろう。
 照れて顔を真っ赤にする成宮先生の顔が頭に浮かび、幸せな気持ちになってしまう。本当に素直じゃないんだから。
 でも俺はそんなところも、大好きなんだ。


 時計の針は、朝の九時を指している。
 窓からは真っ白な朝日が差し込み、眩しいくらいだ。日勤の看護師さん達の、「おはようございます、水瀬先生。当直お疲れ様でした」という爽やかな挨拶が、心に染み渡る。
「あー、朝が来たぁ……」
 あの後は、救急外来に患者さんはポツリポツリと来たものの、とても平和に当直は終わりを迎えた。
 昨日、救急搬送されてきた男の子も、何とか容態が落ち着いたみたいだ。
「良かった……」
 小さく呟いた瞬間、背中から誰かに抱き締められる。咄嗟の出来事にびっくりしたものの、シャンプーの香りですぐに誰だかわかってしまった。


「成宮先生、昨日はありがとうございました」
 自分のお臍の前でギュッと組まれた成宮先生の手を、優しく擦る。
「先生、本当にかっこよかったですよ」
 それでも、先生は顔を上げようとせず、自分よりも背の小さい俺の肩に顔を埋めている。まるで、拗ねた子供みたいだ。
「葵が当直だと、いつ電話くるかわかんねぇから、心が休まらねぇ」
「あ、す、すみません」
 成宮先生に迷惑をかけてしまったと、今更ながらに反省し、俺は慌ててしまった。
「それに、飯作っても美味そうに食ってくれる奴はいねぇし、ベッドに入ってもシーツが冷たいし、洗濯物も一人分しかねぇから洗濯機回そうか悩むし……」 
 クスンと鼻を鳴らすその仕草なんて、いつも涼しい顔をして仕事を淡々とこなす、小児科の若きエースからは想像がつかないものだった。
 あんなにかっこよかった成宮先生が、今は子供みたいだ……。
「葵がいない家は、静か過ぎてつまんねぇ」
 ポツリ呟きながら俺にしがみついてくる。そんな成宮先生が、ひどく可愛らしく見えた。


「今日は一緒に帰るぞ」
 拗ねたように自分から離れない成宮先生の首に腕を回して、そっと口付ける。
「はい。今日は一緒に帰りましょうね」
 俺達は、みんなに見つからないようにこっそりと、一晩離れ離れになっていた分のキスを交わしたのだった。