恋人の過去は絶対に気になる。


 昔付き合ってた人はどんな人なんだろうか、とか……何人くらいの人と付き合ってたのか……とか。それで、勝手に色々想像してヤキモチを妬いて……。
 でも、そんな事を言われたって恋人は困ってしまうだろう。
 だって過去はどうやっても変えられない。どんなに今の恋人を愛していても、過去を塗り替えることは絶対に不可能だから。


「そんなんわかってる」
 どんなに自分に言い聞かせても、納得しろと言い聞かせても、ヤキモチは止まらない。
 むしろ、どんどん餅は焦げていってチリチリの灰になってしまいそうだ。
 もう苦しくて切なくて……一層の事別れてしまおうかとさえ考える。そんな勇気なんて、あるはずもないのに。


 橘先生が、リネン庫がしけこむにはいいって言っていた。成宮先生が興奮するからって……。
そんなことは気にしなければいいのに……。つい、怖い物見たさで、リネン庫の中を覗いてしまった。


 ここで、成宮先生と橘先生が……。


 でも考えてみれば、俺も時々ここに連れて来られたっけ。
 今思えば、昔橘先生とイチャイチャしていた場所に連れ込まれていたとは、夢にも思っていなかった。


「あぁ……もう。俺、最悪……」
 頭を抱えて薄暗いリネン庫の中に蹲る。
 泣いたら楽になれるのかな……なんて思うけど、涙すら出てこない。頭の中を成宮先生と橘先生が楽しそうに話している姿が思い浮かぶ。


 最近は、橘先生が成宮先生の肩に寄りかかってみたり、甘えた声を出してみたり。
また少し二人の距離が近くなった気がする。
 そんな橘先生を拒絶するわけでもなく放っておいてるあたり、成宮先生からしてもそんな距離感が、二人の中で当たり前なのかもしれない。


 大体、同じ病棟に今彼と元カレがいるなんて……こういうのを『修羅場』って言うんだと思う。
「そもそも、成宮先生と橘先生って付き合ってたんかな……」
 それさえも疑問だ。
 一体誰に聞いたらいいんだろうか。
 直接聞くのは怖いし、橘先生に聞くのなんて恐ろし過ぎて考えたくもない。
 それとも、成宮先生と昔から仲のいい佐久間先生や西田先生に聞いてみようか……。
 色々考えてもみたけど、結局いいアイディアも出ずに、また一日が終わって行った。


◇◆◇◆


「水瀬先生、恋をしてるの?」
「え?」
「だって、年頃の男の子が溜息ばかりついているときは恋をしてる時だって、ママが言ってたもん」
「あはは、はぁ……。凄いね、星羅《せいら》ちゃん。色んなこと知ってるんだね」
「まぁね。星羅にも彼氏がいるから何でも聞いて?」
「え、あ、ありがとう」


 今俺がご指導いただいているのは、小学二年生の武内星羅《たけうちせいら》ちゃんだ。
 星羅ちゃんはてんかん発作が度々起きてしまうため、検査目的で入院している。俺の受け持ち患者なんだけど、まぁませている。
 今時の子はこんなにも進んでいるのか……と毎回驚かされているほどだ。


「星羅ちゃんは小学校に彼氏がいるんでしょ?」
「いるわよ。でも、健太《けんた》君にこの前告白したらOKしてもらえたから、健太君とも付き合ってるわよ」
「健太君って606号室の健太君?」
「えぇ、そうよ」
 涼しそうな顔でサラリと言ってのける星羅ちゃんを、呆然と見つめる。開いた口が塞がらないというのは、こういうことを言うのだろう。


「ねぇ星羅ちゃん。二人とお付き合いするなんて良くないよ? 小学校にいる彼氏か健太君、どちらか一人と付き合うべきだと先生は思うな」
「はぁ? 先生何言ってんの? 小学校にいる彼氏が本命で、健太君はキスしたりデートをするだけの関係よ!」
「キ、キス!?」
 うっかり採血していた注射器を落としそうになってしまった。
 キス……小学生が、キス……。
 目をパチパチしていると、今度は星羅ちゃんが目を見開きながら俺の顔を覗き込んでくる。


「もしかして……水瀬先生、キスしたことないの?」
「え、え、あ、えっと……」
「そう、ないのね……」
 気の毒……と言いたそうに星羅ちゃんが眉を顰めた。
「先生も、好きな人がいるならちゃんと好きって言わなきゃ駄目よ?」
「あ、はい」
「黙ってても、相手には伝わらないんだから。わかった?」
「はい。すみません」
「わかったならいいわ。採血はもう終わり?」
「は、はい。ありがとうございました」


 もうどちらが年上かなんてわかりゃしない。
 俺は、小学二年生の女の子に恋愛のご指導を受けてしまった。


 溜息をつきながら星羅ちゃんの病室から廊下に出れば、橘先生がクスクス笑っている。
 今までの俺と星羅ちゃんの遣り取りを聞いていたのもしれない。


「小学生に恋のレクチャーを受けるなんて、水瀬君って本当に可愛いな」
「べ、別に可愛くなんか……」
 あまりにも恥ずかしくなってしまい、俺は耳まで顔を真っ赤にしながら俯いた。
「成宮も、君みたいな子がいいなんて……本当に趣味が変わったよね」
「……え?」
 多分、俺は今泣きそうな顔をしているはずだ。


『橘先生は、昔成宮先生とどんな関係だったんですか?』


 ずっとずっと聞きたいと思っていたのに、その思いは言葉にはなってはくれない。
 凄く知りたいのに……。
 でも、知ってどうするんだろう。
 二人の過去を知って、傷ついて……。それでも、成宮先生の事が好きだとしたら、自分は一体何がしたいのだろうか。
 二人の過去を知ったところで、きっと何も変わらない。
 でも、なんでこんなにも成宮先生の過去が気になるんだろう。


「気になる? 俺の成宮の過去が?」
「……え……?」
 俺は弾かれたように顔を上げた。
 知りたいけど怖い。
 ふたつの反比例する感情が、心の中でぶつあり合って……痛くて苦しい。


「教えてあげようか? 俺達の過去?」
 目の前で、橘先生が妖艶に微笑んだ。
「こっちにおいで」
 人気のないほうへ向かっていく橘先生を、俺は必死に追いかけた。