可愛くない猫は、恋人が当直の日に家でウジウジいじけていた。


 いつもは、日勤が終わってからも病棟に残っている成宮先生をわざわざ探して、「帰ります」って声をかけるのが当たり前だった。
 たった一晩離れるだけなのに……それでも寂しくて。別れを惜しむかのように頭を撫でてもらっていた。
「また明日な」
 そう寂しそうに笑う成宮先生の切なそう顔が、凄くかっこよくて。俺は愛されてるなって思えたんだ。


 でも今日は、成宮先生に黙って帰ってきてしまった。
 上司に挨拶もなく帰るなんて非常識だと思ったし、成宮先生が心配するかもしれないと、心が痛んだけれど……。
 また、成宮先生が橘先生と一緒にいたら……と考えると、怖くなってしまった。
 二人が一緒にいる所なんて、俺は見たくなかったから。


 そんな俺の変化に気付いた成宮先生が、珍しく『どうした?』ってメールを送ってくれたのに、俺はそれさえ も無視した。
 成宮先生と橘先生が一緒にいるのを思い出すだけで、胸がギュッと締め付けられる。
 涙が溢れ出しそうになったから、慌てて手の甲で拭う。
「ちくしょう……」


 俺は鼻をすすりながら、真夜中のゲームセンターに駆け込む。
「よーし、今日はとるぞ……!」
 そして、溢れ出す昂りをクレーンゲームにぶつけて、大量の景品をGETしたのだった。


◇◆◇◆


「あぁ、眠い……」
 結局閉店近くまでゲームセンターで時間を潰した俺は、帰ってから景品のぬいぐるみに埋もれて寝ていた。
 リビングで寝てしまったせいか体中が痛くて。慌てて朝シャワーを浴びたから、髪はビショビショのままで出勤することとなった。
 加えて、無意識にだけれど、やたら目付きの悪い成宮先生に似たぬいぐるみばかりを取っていた自分に、嫌気がさした。
 重たい体を引きずって、なんとか病棟に辿り着く。
「ゾンビになったらこんな感じなのかな……」
 頭の片隅で思う。


「あ……」


 遠くで成宮先生と橘先生が楽しそうに笑ってる。
 最近、本当に仲いいよなって思う。気が付けばいつも一緒にいるんだもん。
 正直、俺は成宮先生と橘先生が仲良くしてるのが面白くない。
 だって橘先生になんか逆立ちしても、恐らく地球が滅亡したって勝てる要素なんか一つもないから。
「なんで朝からあんなに爽やかなんだよ」
 二人はコーヒーを片手に談笑をしているんだけど、それが悔しいくらい様になっていた。


 眩しい朝日がスポットライトのように二人を照らし、その存在をキラキラとより一層輝かせている。
 草原を駆け抜けるような爽やかな風が吹いてきて、神々しい薔薇の香りが辺りを包み込む。
 それは、絵に書いたような美青年たちだった。
 なのに……自分は墓から這い出てきたゾンビ。全部が腐ってドロドロだ。

 
 そんな橘先生と一緒にいる成宮先生を見ているうちに、段々感じるようになった危機感。その思いは日に日に強くなり、不安は募っていく一方だ。
 成宮先生の心変わりが怖くて仕方ない。


 いつか、俺なんか捨てられちゃうんじゃないかって。
 心は目に見えないから、形に表せないから。
 だから、怖くて不安で仕方ない……。


 鏡を見て溜息をつく。
「もう……ひでぇ顔だ……」
 俺は橘先生とは全く反対のタイプだ。
 背は高くないし、手足は短い。しかもThe 普通系男子。取り柄もなにもない。
 向こうがフランス人形なら、俺はこけし。
 よくもまぁ成宮先生は、こんな俺なんかと付き合ってるなって思う。
「完敗だ……」
 俺はそのままグズグズと床に座り込んだ。
 目を閉じると、楽しそうに笑う二人の様子が思い出される。


 一時期は期待の新人として、この小児科病棟を引っ張っていたであろう二人。
 そんな橘先生を、成宮先生は信頼していることが良くわかる。何かと橘先生を頼り、重要な仕事を安心して任せているから。
 俺が赤ちゃんの点滴に四苦八苦しているうちに、あちらは難しいとされている手術をサラりとこなしていまう。


 そう考えると、
「月とスッポンなんだよな…」
 俺がこの病棟から居なくなったとしても、絶対に誰も困らない。
 きっと成宮先生の元を去ったとしても、彼は絶対に悲しまないはずだ。逆に、邪魔者が居なくなったってせいせいするかもしれない。


 それにおかしいじゃないか。いくら昔いた病棟が忙しいと言っても、自分の職場を放り出して駆け付けるなんて……。
「絶対に橘先生には何か裏がある」
 そう思えてならなかった。


 窓の外を空はいつの間にか厚い雲に覆われている。
 洗濯物は乾かないし、急に寒くなってきた。
 そんな曇り空を見て、俺は更に憂鬱になったのだった。