吾輩は輩猫である。
飼い主は成宮千歳。彼と付き合い始めてから、吾が輩は猫になった。
吾が輩の飼い主は、いつも非常に忙しい。職場では、休む暇さえないくらいに歩き回り、家に帰ってからは常にパソコンと睨めっこをしているのだ。
賢い飼い猫としては、そんな忙しい飼い主を困らせていけないし、むしろ癒しを提供しなければならない。
ワガママを言ってはいけないし、困らせてはいけない。
飼い主に愛される為には、いい子でいなければならない。
吾が輩は猫である。
飼い主が好きで好きでたまらない猫である。
吾が輩は猫である。
でも、本当は寂しい猫である。
◇◆◇◆
今晩も成宮先生はパソコンの前で、必死に資料を作っている。
こういったデスクワークは、忙しい医師の勤務時間内にやる暇などなく……どうしてもお持ち帰りになってしまうのだ。
目が疲れるのか、ブルーライトをカットできる眼鏡をかけて、真剣な顔をしている成宮先生。
「眼鏡男子、かっこいいなぁ……」
俺は、それをボンヤリ遠くから眺めていた。
俺は、医師になる為に勉強しかしてこなかったら、恋愛経験なんて同じ年頃の奴等に比べたらお粗末なものだ。そもそも、恋愛というものにさほど興味がなかった。
でも、自分でも意外だな……って思ったんだけど『好き』とか『愛しい』って気持ちは、人並みにはあるらしい。
正確に言えば元々持っていた、って言うより成宮先生に教えてもらったって言うほうが正しいのかもしれない。
誰かを愛する喜びとか、誰かに愛される幸せさえ良くわからず、成宮先生と付き合い始めた俺。
ぶっちゃけ俺は鈍感だから、成宮先生からの愛情なんか良くわからなかった。ただ、体の相性が凄く良かったし、成宮先生があまりにも強引だったから、ダラダラと付き合い続けていた。
でも、いつからだろう。
繋ぐ手の温もりが嬉しかったり、重ねた唇の甘さにときめいたり、抱き締められたときの力強さを愛しく感じたり。
いつの間にか、男だったはずの俺の体は、抱かれることに悦びを感じるように躾られて……気付いた時には、狂おしい程に、情けないくらいに、成宮先生にハマっていた。
俺達の関係を知っている人達からから見れば、成宮先生が俺のことを大好きで、いつもワガママを言って好き放題やってる。
そんな彼を、俺が我慢しながら、甘やかしているように見えるらしい。
でも、本当は違う。
猫の俺を、成宮が大事に大事に愛してくれているんだ。
多分、自分のほうが成宮先生のことを好きなんだと思う。数学で言うとこの、俺<成宮先生。
多分、みんなからは逆に映っているだろうけれど。
俺は、成宮先生が大好きなんだ。ぐうの音も出ない程に。
こんなに誰かを好きになったことなんてないし、こんなに誰かと長く付き合ったこともない。
その相手が、同性で、同じ職場の上司だって言うんだから、本当に笑ってしまう。
でも仕方ないよね。
こんなにも、惚れ切ってしまっているんだから。
「わぁ、今日めちゃくちゃ空が青いじゃん!」
ベランダの手摺に背中を預けて、逆さまに空を眺めた。春が訪れたばかりの東京は、風が強く吹く日が多い。
雲が物凄いスピードで流れて行く。
最近短く切ったばかりの髪が、サラサラと揺れた
「んぁー! 目が痒いー!」
この時期、花粉なんて飛んでいないように感じるけど、実はスギ花粉が飛んでいたりする。
そんな少し気の早いスギ花粉を一気に吸いこんだせいか、 目が痒くなってしまい両手で目を擦った。
「痒い、痒いー!」
「こら、駄目じゃん。擦ったりしたら」
突然腕を捕まれて、室内に戻される。
「最近お前鼻がグズグズしているくせに、なんでベランダに出たんだよ? 葵は花粉症なんだから気を付けろよな」
タオルを水で濡らしてから、それを俺の目にそっと当ててくれた。
「成宮先生が忙しそうだったから、邪魔したら悪いと思って」
「あっ、そうか。悪ぃ悪ぃ、暇だった? 休日なのに仕事ばっかで……放置すんなよ、って感じだよな」
ケラケラと声を出して笑っている。
それから、自分の座っていたソファの隣に俺を座らせてから、髪をそっと撫でてくれる。
「ごめんな。お前がいつも傍にいないと寂しくて仕方ないんだ。もうすぐ仕事が終わるから待ってろ」
「あ、はい。急がなくて大丈夫ですから」
「ありがとう。お前は本当にいい子だな」
そっと、唇と唇が重なる。
リップクリームが苦手成宮先生の唇は、カサカサしていて少しだけ痛かった。
あぁ、やっぱり好きだなぁって思う。
どうやっても、例え逆立ちしても、この気持ちは誤魔化あうことができない。
息が苦しくて、心が爆発してしまうくらい、成宮先生のことが好きだ。
「手くらい、繋ごうか?」
「え?」
「ほら、手」
パソコンを扱うのは片手じゃ大変だろうに、成宮先生はずっと手を繋いでくれていた。
そういうちょっとした優しさって、本当に迷惑なんだよ。
だって、嬉しくて仕方ないじゃん。
「眠ければ寝てていよ?」
温かい室内に隣には大好きな恋人。気落ちがよくてウトウトしてしまう。
そんな俺の耳に、成宮先生の優しい声が聞こえてきた。
「よし、終わった!」
成宮先生の嬉しそうな声で目を覚ます。
「あっ、ごめんなさい。いつの間にか寝てました」
俺は、いつの間にか成宮先生の膝を枕にして寝てしまっていたようだ。ご丁寧にブランケットまで掛けてくれてある。
本当に、俺は大事にされているんだ。
「フフッ。大丈夫だよ。葵も疲れてたんだろ?」
優しく頭を撫でられれば、俺が本物の猫だったら、きっとゴロゴロ喉を鳴らしてる。
俺は、成宮先生に甘やかされるのが大好きだ。
「なぁ、葵……」
やけに色気を含んだ顔をした成宮先生が、そっと俺に覆い被さってくる。
この、成宮先生が妖艶さを纏う瞬間が……獣の目に変わる瞬間が俺は好きだ。
だって、こんな男の俺を、欲情する対象としてくれることが本当に嬉しいから。欲を孕んだ視線に、俺の心は掻き乱される。
そんな欲を含んだ瞳に見つめられるだけで、ゾクッと快感が背中を駆け抜けていった。
「抱きたい」
この言葉で、俺は成宮先生の虜になる。彼に夢中になってしまうんだ。
「来て……ねぇ、来てよ。俺もしたい……」
「可愛い」
いつも成宮先生のペースだけど、仕方ないって諦めてる。
だって、こんなにも俺はあなたのことが好きだから。
「ん、あ、あぁ……ん、あん……」
「どうした? 今日はすごく感じてるな?」
いちいちうるさいな、と一瞬眉を潜めるけど……目を開けばそこには嬉しそうな顔をした成宮先生がいた。
「気持ちいい?」
「うん。千歳さん……気持ちいい、気持ちいい……」
「良かった」
満足そうに微笑む成宮先生に、強く強く抱き締められた。



