それ以降、俺はどんどん追い詰められていく。


 いつも頭の中は仕事のことだらけで、帰宅してからも捌ききれなかった記録や書類関係に追われた。
 無理に眠ろうと目を閉じても、夢の中でまで藤堂先生に叱られて……ぐっすりなんて眠ることなんかできない。
 いつ鳴るかわからない仕事用のスマホに怯える毎日。
テレビの中や、職場と全く関係のないところで電子音が鳴ると、仕事用のスマホが鳴ったのだと勘違いして、心臓が止まりそうになる。
 一度心臓がドキドキしだすと、呼吸もどんどん浅くなって苦しくて仕方がない。


 他人の腕を見れば無意識に血管を探してしまうし、近くに子供が居れば「この子はきちんと成長しているだろうか」といちいち観察してしまう。
 極めつけは、道を歩いているときに、ずっと遠くで鳴っている救急車のサイレンに反応して、その場から動けなくなってしまった。
 そんな毎日を送っていれば、食事は喉を通らなくなるし、眠りもどんどん浅くなる。


 そんな俺を見た、成宮先生が大きく息を吐いた。
「明日一日有給をやるから、少し休め」
「で、でも……これ以上迷惑をかけられません……」
「いいから休めって」
「……はい、申し訳ありません」
 成宮先生は、プライベートでは彼氏でも、職場では上司だ。素直に従うしかない。
 それに、こんな注意散漫な状態で仕事をして、大きなミスをしたら取り返しのつかないことになる。


「てか、ちょっと来い」
 俺は、成宮先生に人気のない処置室に連れ込まれて、診察台に押し倒される。
「ちょっと、成宮先生……今はそんなことする余裕なんか……」
「違うわ、アホが。いいから黙って少し待ってろ」
 ポンポンと頭を撫でられた俺は、処置室から出ていく成宮先生をボーッ見つめる。
 次に目を覚ました時には、俺の左腕には点滴の針が刺さっていた。
「あ、これ成宮先生が……」
 そんな恋人の気遣いに、俺は泣きたくなってしまった。



 そんな俺に、成宮先生が下した判決が、一日の有給取得だった。


 ボロボロの状態で働いていた俺にしてみたら、たった一日の休暇だとしても、本当にありがたかった。
 朝早くから出掛けた成宮先生を見送ってから、俺は再びベッドに潜り込む。
「今日は一日寝るぞー」
 そう呟いて布団を頭から被った瞬間……。


 プルルルル、プルルルル。


 枕元に放っておいた、仕事用のスマホが鳴り響く。その音を聞いただけで、全身に力が入り緊張してしまう。心臓がうるさいくらい鳴り響いた。
「もしもし」
「あ、水瀬先生。お休み中申し訳ありません。急変した患者さんの指示をいただきたいのですが……」
「そうですか。どうされましたか?」
 それは小児科病棟の看護師さんからだった。
 申し訳ないと思うなら、電話してこないで……と思いながらも、何とか電話で指示を出して対応していく。
 そんな着信が、午前中だけで四件もかかってきた。


「疲れたぁ……。あ、まだ明日のカンファレンスの資料作ってない」
 正午過ぎに、俺はベッドから起き出して、フラフラとリビングに向かう。ソファーに倒れ込むように座ってから、パソコンを開いた。
「こんなんじゃ、全然休んだ気がしないじゃん」
 ポツリ呟けば、鼻の奥がツンとなる。


 重たい体に鞭打って書類作成に取り掛かろうとしたとき、スマホがメールの着信を知らせた。
「今度はメールかよ……」
メッセージを開いてみると、今まさに作ろうとしていた書類の催促だった。メッセージを送ってきた相手は「書類の締切は昨日だぞ」、と相当お怒りらしい。
「こんな書類作ってる暇なんか、業務時間中になかったんだよ」
 どんなに頑張ったって誰もわかってくれないし、認めてもくれない。
 逆にこうやって怒られてしまう。


「あ、でも、千歳さんはわかってくれてるはずだ」
 無愛想で偉そうだし。俺にだけは風当たりが強い。意地悪だし、傲慢だし……。
でも、誰よりも優しくて、頼りになる成宮先生。
彼の顔が涙で滲んだ気がした。
「早く帰ってきて。一人だと不安で押し潰されそう」
 こんな事を言ったら、「情けない奴だな」って呆れられてしまうだろうか。
 それでも、俺は成宮先生に会いたかった。
「会いたい……」
 俺は、自分の弱さと脆さを思い知った。