仕事で、いっぱいいっぱいになってしまった。


 研修医として全ての科の研修が終わると、いくら新人と言えど、医師として一人前になったと周りからは判断されてしまう。
 大概の業務は一人でこなさなければならないし、誰か助けてくれる人を頼ってばかりはいられない。
 ……本当は心細くて、不安で仕方ないのに、医師として背負う責任はどんどん大きくなっていってしまう。
 受け持ちの患者さんが増えたり、検査や手術に立ち会うことも増えたし、慣れてくればそういった医療行為を次からは一人で任されるようになる。
 俺の不安や恐怖とは裏腹に、業務はどんどん過酷になっていった。
同期の仲間の中にも、退職した……なんて話もチラホラ耳にする。


「俺も辞めたい。てか、逃げたい」


 あんなに医師になることを夢を見て、必死に努力をして小児科医になれたのに……。
 しかも、憧れだった成宮先生と一緒に働くことだってできている。
 俺は、夢を叶えたはずなのに……。
俺は、そんな小児科医を辞めたくて仕方がない。
 この辛い現実から、目を逸らしたかった。

◇◆◇◆

「水瀬! またミスしたのか?あんだけ注意しただろうが!?」
「は、はい。すみません」
「すいませんじゃねぇよ。本当、しっかりしてくれよな」
 俺の前でギャーギャー喚き散らしているのは、産婦人科医の藤堂《とうどう》先生だ。
 この人は、まるで猪みたいに猪突猛進な性格で、思ったことを鉄砲玉のように口に出してしまう。その言葉で他人が傷付くとか、一切考えることなんてない。
 とにかく、今の俺はこの藤堂先生に頭を悩まされていた。


「以後、気をつけます」
「この前もそう言ってたろうが?」
「はい、すみません」
「はぁぁぁ……」
 藤堂先生の不自然過ぎる大きな溜息に、俺は吹き飛ばされそうになる。
 できる事なら関わりたくない。それでも、小児科と産婦人科は切っても切れない関係だから、一緒に仕事をしないわけには行かないのだ。


 そして、不思議なことに、ミスはミスを呼ぶのだ。
 俺の頭の中は藤堂先生の事で頭がいっぱいで、他の事に集中などできるはずなんてない。
 もはや、恋人の成宮先生より、藤堂先生のことを考える時間の方が増えて行いった。



「水瀬……お前またミスしたのか?」
「はい。ごめんなさい」
「お前、いい加減にしろよな」
 今度は成宮先生が俺の前で溜息をつく。そんな先生に向かって、俺はアクシデントレポートを書く手を止めて頭を下げる。
「お前、そのアクシデントレポート、今週だけで何枚書いた?」
「ご、五枚です」
「五枚!? 普通そんなに書かないだろう」
「……はい。すみません」


 もうこのレポートも書き慣れてしまい、まるで日記を書くかのようにスラスラとペンが進む。
 でも……こんなこと有り得ない。いつか重大な医療ミスを犯すのではないかと、自分で自分が怖くなった。
 そんな自分を真っ直ぐに見つめる成宮先生の視線が痛くて、思わず俺は俯いてしまう。
 もう、消えてなくなりたかった。


「しかも、産婦人科と関わる仕事のミスばっかじゃん? 藤堂先生がそんなに苦手なの?」
「はい……もう一生会いたくないです」
「へぇ? そんなになんだ。あんな狸じじぃ、無視すりゃいいじゃん?」
「そ、そんなこと、できません!」
 俺はギュッと膝の上で拳を握り締める。
 だって、俺は成宮先生みたいに強くもないし、仕事ができるわけじゃない。


「まぁ、これで元気出せよ」
「え? あ、あ、あむぅ……」
 俺は、突然テーブルに手をついて体を乗り出してきた成宮先生に唇を奪われてしまう。
 そのまま、チュッチュッと啄むようなキスを交わせば、それだけで「はぁ、はぁ……」と息が上がる。
 少しずつ舌を絡め合う深いキスへと変わっていき、最後に、お互いの舌先をチロチロッと擦り合わせて……後ろ髪を引かれるように唇を離した。


「最近、ろくにキスもしてなかったから」
「あぁ、そうでしたね……」
 俺はボーッとする頭で、成宮先生を見上げた。
「藤堂先生には俺からも謝っておくから、気にするな。わかったな?」
「は、はい……」
「よし。じゃあ、午後の外来に行くぞ」
 そんな成宮先生の笑顔に救われた。
「やっぱり俺の彼氏はかっこいい」
 俺はポツリと呟く。
 胸がドキドキして、目頭が熱くなった。