「自分だけ気持ち良くして貰って寝ちまうなんて、最低だろ……」
「す、すみません」
 翌朝目が覚めた時には、俺はベッドに寝かされていて、隣に成宮先生の姿はなかった。俺より先に起きて、朝食を作ってくれていたらしい。


「あの後、俺がどうしたとか気になんないの?」
 昨日のあの優しい笑顔は、やっぱり気のせいだったのだろうか。朝食を食べながら、早速いつもの嫌味タイムが始まった。
 そりゃあ、一人だけ気持ち良くしてもらって寝ちゃったのは本当に申し訳なく思っているけど……仕方ないじゃん。疲れてたんだもん。
 口に出すことなんてできない俺は、心の中で反論する。
「じゃあ、あの後、千歳さんはどうされたんですか?」
「仕方ないから、葵の寝顔見ながら一人寂しく……」
「え!? 本当ですか!?」
「嘘に決まってんだろ? 変態じゃあるまいし」
「うっ……」
 お前は馬鹿なのか……そう言わんばかりの冷たい視線に、思わず言葉を詰まらせてしまった。そんな俺を、ニヤニヤと意地の悪い顔をしながら、実に楽しそうに眺めている。
 なんでこの人は、こんなに性格が悪いんだろう。


「ほら早く飯食っちゃえよ。遅刻するぞ?」
「あ、はい!」
 出された目玉焼きを慌てて口に運ぶ俺を見て、やっぱり意地悪く笑っている。
「それからさ……」
 成宮先生が立ち上がって、俺の首筋を指でツンツンと軽くつついた。
「ここ気を付けてね」
「え?」
「キスマークがあるから」
「はぁ!?」
 俺は咄嗟に首筋に手を当てる。今の俺は、きっと顔を真っ赤にして、さぞや間抜け面をしていることだろう。
「全然気付かなかった……」
「本当にお前は隙だらけなんだよ。いつか俺以外の男に食われちまうんじゃないのか?」
「……そ、それは困ります」
「俺だって困るよ。葵は俺だけのものなんだからな」
「……はい」
 結局は成宮先生にからかわれて、いい玩具にされてしまう。悔しいけど、彼の望んでいる反応をしてしまう自分が、情けなかった。


「可愛い看護師と、イチャイチャしてたお仕置だよ」
 冷たくそう言い放つと、食器をシンクへと運んで行ってしまう。
「ほら、食器洗うからさっさと持ってこい」
「は、はい」
「あ、お前……また食べこぼして。ガキかよ」
「あ、すみません」
「ほら、シミになるから脱げ。マジで手がかかる奴だなぁ」
「は、はい」
 急いで俺のシャツを脱がせて、洗面所へ消えていく成宮先生。どうやら汚れたシャツを揉み洗いしてくれているようだ。洗面所のほうから、水の流れる音が聞こえてくる。
「あーあ、俺はなんて駄目なんだろう」
 また朝から怒られてしまった俺は、大きな溜息をついた。


 どうしてこんなにも、成宮先生は厳しくて怖いのだろうか。しかも、俺限定で。
 大事にされていることは十分わかっているのだけれど、それ以上に怒られていることのほうが多いから、どうしても委縮してしまう。
 他の人の前では、いつも笑顔で、物腰も柔らかくて、あんなに優しい表情をするくせに……。そもそも、人前で語気を荒げたり、嫌味を言っているところなんて見たことがない。
 それなのに、俺の前では、意地悪く笑うか仏頂面しか見せてくれない。みんなが大好きな、成宮先生が俺の前では影を潜めてしまうのだ。
 俺にしてみたら成宮先生は(恐らく)恋人だ。だから、優しくされたいし、大切にされたい。
 だって、俺は成宮先生の特別な存在だっていう実感が欲しいから。

◇◆◇◆

「おい、水瀬。まだ外来終わらないのか? 遅いぞ?」
「あ、すみません。あと三人で終わりますから」
「外来の診察は丁寧にやればいいってもんじゃないからな? 昼飯は?」
「ま、まだです」
「アホが。午後の外来がすぐ始まっちまうぞ?」
「すみません。急ぎますから」
「飯くらい食わないとぶっ倒れるぞ」
「はい。すみません」
 また叱られてしまった……俺は大きく息を吐く。
 つい、受診について来るお母さんの話をじっくり聞いてしまうから、診察が定時に終わらないんだ。隣の診察室の成宮先生なんて、とっくに午前中の外来診察が終わってしまっているのに。


「何で俺はこんなに駄目なんだろう」
 机に突っ伏して頭を掻きむしった。
 やっぱり自分は出来損ないなんだって自己嫌悪に陥ってしまう。


 そんな俺は気付いてなどいなかった。
 机の片隅に、缶コーヒーと、俺の大好きな焼きそばパンとメロンパンがそっと置かれていたことに。