「智彰、お風呂空いたよー」
「うん。って、また髪が……葵さんここに座って」
 風呂から出てきた俺の髪から、ポタポタと雫が垂れているのを見た智彰が、タオルを広げて俺に声をかけてくる。
「風邪ひくでしょう? 本当に子供みたいですね」
「智彰、ありがとう」
 柔軟剤のいい香りのするタオルで優しく髪を拭いてもらうと、気持ちがよくて……思わず目を細めた。それから、ドライヤーの温かい風が髪を揺らしてく。
「あったかくて気持ちいい」
 俺は思わず大きな溜息をついた。


 そんな風呂上がりの俺を見て、智彰が何かをポツリと呟く。
 俺にはその言葉が聞き取れなくて、思わず智彰を見上げた。
「葵さんは、きっと兄貴に抱かれてるときは本当に可愛くて、エロいんだろうなぁ。簡単に想像がつく」
 でも、そんな智彰の声はドライヤーの音に掻き消されて、俺の耳には届くはずなんてない。
 むしろ、ドライヤーの温かい風と、自分の髪を優しく撫でていく智彰の指の心地よさに、ポーッと夢心地になっていった。どんどん心地よくなっていって、思わずウトウトしてしまう。


「なんで葵さんは、こんなに鈍感なんですかね」
「んー?」
「よく今まで他の男に襲われずに生きてこられたなって不思議に思います」
「へ? なんだよ、それ」
 ポヤーッとした俺の耳元で、突然智彰の甘い声が響いた。
「めちゃくちゃシャンプーのいい匂い。すげぇムラムラする」
「や、ヤダ。くすぐったいよ」
 智彰は乾いた俺の髪に顔を埋めて、クンクンと匂いを嗅いでいる。それがくすぐったくて、俺は思わず声を出して笑ってしまった。


「俺のが、兄貴より葵さんを先に好きになったのに……」
「ん? どうした?」
 俺の首筋に顔を埋めたまま、子供みたいに鼻を鳴らしている智彰の方を振り返る。そこには、耳をタランと下げて、しょげている大型犬がいた。
「智彰?」
 俺は手を伸ばして、そんな智彰の髪を優しく撫でてやる。しっかりしているように見えても、智彰はやっぱり年下だ。つい、子供扱いをしてやりたくなる。


「葵さん……」
 智彰は甘えた声を出しながら、俺の腰に腕を回してギュッと抱き付いてくる。
「可愛い、智彰」
 そんな智彰のことを、俺は素直にそう思った。
「千歳さんも、このくらい素直ならいいのに……」
 俺は自分のお腹の前でギュッと組まれた智彰の手に、そっと自分の手を重ねた。


 昔は、この異常過ぎる智彰の距離の近さに、いちいちドキドキしていたけど。一緒に暮らすようになってからは、俺の感覚もどうやらバグってしまったようで……この過剰とも言えるスキンシップにも、慣れてきてしまった。
「俺は、兄貴が羨ましい。俺だって葵さんを抱きたい」
「ん?」
「なんでそんなに鈍感なんですか……普通、付き合ってないのに、この距離感っておかしいでしょ?」
 俺の背中に顔を押し当てて、何かをブツブツ言い続けている智彰。今日の智彰は、明らかに何かがおかしくて……俺は少しだけ不安になった。
 言いたいことがあるなら、はっきり言ってくれていいのに……。


「俺、この前、柏木さんに兄貴と葵さんがエッチしてた時の様子を聞いたんだ」
「……え? 嘘だろう?」
 俺は智彰の言葉に、思わず目を見開いたまま言葉を失ってしまった。
 智彰は、一体何を柏木から聞いたんだ……俺の心臓が一気に高鳴り出して、口から飛び出してきそうだ。
「柏木さん、兄貴に抱かれていた葵さんを見て、本当にエロくて可愛かったって言ってた」
「あ、そ、そうなんだ……」
「それに、葵さんと兄貴が本当に愛し合っているのが伝わってきて、二人共凄く幸せそうだったって」
「…………」
「そんなこと、聞かなきゃよかったって後悔してる。でも、凄く知りたかった。知ることが怖くて仕方なかったのに……でも、知らずにはいられなかった」
 智彰が今にも泣きそうな顔で俺を見つめる。その表情に、俺の胸は締め付けられた。


『智彰。葵に成宮先生の所に戻るよう説得してくれないか?』


 智彰は、柏木に言われた言葉を思い出していたのだろう。悲痛に顔を歪めている。
「ねぇ、葵さん。こっち向いて」
 智彰にそう促された俺は、恐る恐る体の向きを変えて、正面から智彰と向き合う。
 成宮先生に良く似ているのに、智彰の方が幼くて、無邪気で……とても可愛い。
智彰は俺に凄く懐いている、大きな犬みたいだった。


「ここにずっといたいなら、兄貴と本当に別れて俺と付き合おう?」
「……智彰……?」
 智彰の言葉が俺はよく理解できなくて、ただ茫然と智彰を見つめた。
「でも、やっぱり兄貴がいいなら……兄貴の所に帰りな? 葵さんの居場所はここじゃないし、あんたを待ってる奴がいるんだから」
「でもさ……智彰……」
「大丈夫。俺が兄貴にちゃんと電話しといてやるから。それとも、俺を選んでくれる?」
 悪戯っぽく笑いかけられれば、素直に智彰と一緒にいたいと思ってしまう自分もいた。だって、智彰と過ごしたこの数日間は本当に楽しかったし、俺にしてみたら、救われた時間でもあった。


「俺、智彰とずっといる」
「兄貴と別れて?」
「うん。俺……智彰とずっと一緒にいたい」
「そっか。わかった。じゃあずっと一緒にいよ?」