翌朝目を覚ますと、隣に寝ている智彰はもう起きていて……楽しそうに俺の髪を自分の指に巻き付けて遊んでいた。
「葵さん、おはよう」
「あ、うん……おはよう」
 ニッコリと笑いながら、優しい手つきで俺の髪を梳いてくれる智彰に、俺は意味もなくドキドキしてしまった。
 やっぱり智彰は成宮先生に良く似ている。似ているけど、智彰の手の方が大きくて、筋張っている。俺を抱き締める腕も、成宮先生よりも逞しい。
 綺麗って言葉がピッタリな成宮先生に比べて、智彰はかっこいいっていうイメージだ。


 サラッと前髪を搔き上げられて、そのまま頬にそっと触れられればピクンと体が跳ねる。
 その優し過ぎる指使いに、俺の体が沸々と反応し始めた。まるで、弱火でゆっくりゆっくり沸騰させられているかのように。
 体が熱くて、心がざわざわする。優しい智彰の瞳に吸い込まれそうになって、自分自身を見失いそうになってしまった。


 ……俺は、イケメンなら誰でもいいのかよ。
 結局俺は、優しくしてくれる相手に簡単に流されてしまう、意志の弱い男なんだって、自分自身が情けなくなってしまう。


「葵さん……」
「ん?」
「ずっとずっと一緒にいてくださいね。兄貴の所になんて、帰らないでよ」
「智彰……」
「俺が、大切にしますから」


 智彰の苦しそうな表情に、胸がキュッと締め付けられる。それと同時に、心が波立つのを感じた。
 なんで、智彰はこんな顔をするんだろうか……俺にはその理由がわからない。本当に、俺は馬鹿で鈍感だから。
 ごめんね、智彰。


「葵さん。こっち向いて」
「え?」
 智彰が耳元で囁いた後、顎を捕らえられて少しだけ強引に上を向かされる。
 なんだ、と思う暇さえなかった。
「葵さん」
 優しく名前を呼ばれて、智彰の優しい眼差しと視線が絡み合う。
「……え……?」


 チュッ。
 次の瞬間、フワリと唇に温かくて柔らかい物が触れて……一瞬で離れて行った。


「もう起きようか? 今日は俺も休みだから、どっかに出掛けたりする?」
「あ、うん。そうだね」
「それより腹減ったぁ!」
「い、今、朝ご飯作るね」
「俺、目玉焼きが食べたい! ベーコンが乗ってるやつ」
「……そっか、わかった。目玉焼きだね」
 俺の横で、智彰がニコニコ笑いながら「んー!」と大きな伸びをしている。


 い、今のって、キス……だよな。俺、今智彰にキスされたよな……。


 戸惑いから視線を泳がせている俺を見て、智彰が顔を覗き込んでくる。
「葵さん、ベーコンが乗ってる目玉焼きだよ」
「あ、うん。わかってる」
 何事もなかったように微笑む智彰。
 まるで、何事もなかったみたいだ。


「そっか。さっきのは気のせいか……」
 俺は、そう自分に言い聞かせながらベッドから起き出して、朝食を作るためにキッチンへと向かったのだった。


◇◆◇◆


 智彰との同居生活にもすっかり慣れて、俺は悠々自適な生活を送っていた。
 智彰は、誰かさんと血を分け合った兄弟の割には、性格だって温厚だし、いちいち気を遣う必要だってない。俺を見下すことなんて絶対にないし、いつも対等な立場で接してくれる。
 年下なのに、凄く頼れるし。
 俺は、そんな当たり前のことに強い感動を覚えていた。 


 時々、電源が切られたままのスマホの事が気にはなったけど、敢えてそれからは目を背け続けている。もし電源を入れて、成宮先生から何かしらの連絡がきていたら……俺はどうしていかがわからなかった。だから、俺はスマホの電源を入れられずにいた。
 そうやって、俺は現実と成宮先生から逃げ続けている。


「おかえり、智彰」
「ただいまぁ。疲れたよぉ」
 大きな犬みたいに甘えた声を出す智彰を玄関まで迎えに行って、俺が作った夕食を一緒に食べる。それから交代で風呂に入って、一つの布団に包まって眠ることが、俺達の当たり前になっていた。
 智彰の話はいつも面白くて、飽きることなんてなかったし。二人で過ごす時間は快適だった。


 時々智彰のマンションのベランダから外を眺めれば、世間は慌ただしく動いている。そんな社会に、俺だけ取り残されてしまった気がして……少しだけ焦りを感じた。
 それに……少しだけ成宮先生のことが恋しく感じることもある。あの優しくて温かい腕に抱き締められたい……あの感覚を思い出すだけで、体が甘く疼き出す。
 俺だってこんな女の子みたいな見た目をしていたって、男だ。性欲だってあるし、ずっと出さなければ溜まりだってする。そんな時には、ふと成宮先生の温もりが恋しくなるのだ。


「千歳さん……」
 俺は小さく呟いてから、そんな思いを振り払うかのようにフルフルと頭を振る。
「もうあの人の事は忘れるんだ」
 そう自分に言い聞かせる。
 だって、俺は成宮先生と別れたんだから。
 だから俺は、あの人を思い出にする努力をしなければならない。