「水瀬、遅れてごめん!」
「……え……?」
「…………はぁ!? あっ、あーー!! ご、ごめん!!」


 突然頭側のドアが開き、柏木が顔を出した瞬間……。その場にいた三人の時間が止まった。


 成宮先生は俺を組み敷いたまま、柏木を見上げ。俺は成宮先生に覆い被されたまま、柏木を見た。
 あ、柏木が逆さまに見える……俺はボンヤリとそう思う。


 多分こういう場合、目撃者は成宮先生ではなく、成宮先生に抱かれている人物に興味を持つだろう。
 それに、抱いている成宮先生より、抱かれている俺のほうが、誰かに目撃された……っていう羞恥心と心のダメージはデカイんではないだろか。
 案外、冷静に分析までしてしまった。


「………!?」
 俺が体を強ばらせた瞬間、強く締め付けられた成宮先生が、「クッ!」と短い悲鳴を上げて、こんな時にも関わらず、呆気なく果ててしまう。


「見るな!」
 成宮先生は咄嗟に俺を抱き締め、柏木から俺を隠してくれる。
 なぜなら、俺はほぼ全裸だ。
 それに、俺は親友の柏木に、女の子みたいに股を開いてる姿なんて……死んでも見られたくなかった。


 ――ゼンブガ、オワッタ。

 
 俺の中で、何かがグラグラと音をたてて崩れていくのを感じた。


「ご、ごめん! まさかやってたなんて!?」
 柏木がパニックになっている。
「ごめん! ごめんなさい! 水瀬、成宮先生!」
 柏木が目の前で手を合わせて、深々と頭を下げている。
 違う、柏木が悪いんじゃない。こんな光景を目撃してしまった彼だって、立派な被害者だ。
 全部、この年中発情期イケメン猿と、意志が弱すぎる下半身ユルユル猿が悪いんだ。


「どけよ、アホが!?」
「あ、葵……?」


 低い声で唸った俺は、成宮先生を思い切り突き飛ばした。
 空手をやっていた男に突き飛ばされた成宮先生は、床に吹っ飛ばされている。
「あ、葵……」


「もーー最低だ!? 俺は、俺はなんてことを……わぁーー!」


 静かな医局に響き渡る、悲痛な断末魔。


「帰る! どけよ!?」
「はぁ、待てよ!?」
「うるせぇよ! どけって言ってんだろ!?」
 いつも小動物みたいにフワフワした俺の、汚い言葉遣いと、鬼のような形相に成宮先生と柏木が呆気にとられているのがわかる。
 俺は、悔しくて、情けなくて、恥ずかしくて、みっともなくて……涙が溢れそうになるのを、唇を噛み締めて必死に堪えた。


 脱ぎ散らかした洋服を手早く着て、荷物を掴むと柏木を突き飛ばすようにドアに向かう。
 そんな俺の腕を、成宮先生が掴んだ。


「待て! 待てよ、葵!」
「うっせぇな、黙れ! それから離せ!」
 俺は成宮先生の腕を、力任せに振り払った。


「もう、お仕舞いだ」
「は?」
「もう終わりにしたい…… 」
 噛み締めた唇が、カタカタと小刻みに震えている。
 大きな瞳からは、堪えきれなかった涙が溢れた。


「葵……」
「別れてください。それから俺、当分仕事も休みますから……」
「別れるって、なんでだよ!?」
「俺は、柏木に女みたいに抱かれてるとこなんか……死んでも見られたくなかった」
 洋服の袖でいくら拭っても、涙は次から次へと溢れ出す。


「もう貴方と付き合ってらんねぇ! 成宮先生、別れましょう。もうこれで終わり。それから、当分、有給を使わせてください」
 俺は必死に涙を堪えて、最後に成宮先生を見つめた。
 成宮先生のあまりにも傷ついたような表情に、一瞬だけ心が揺らぐ。
 でも、俺はきっと、自分と貴方を許すことはできないだろう。


「さよなら」


 そのまま俺は勢い良く走り出し、誰にも会わないように階段を駆け下りた。
 心の中はグチャグチャで、どうしたらいいのかなんて分からない。ただ、涙は止まってくれなくて、俺は夢中で現実から逃げ出すことしかできなかった。



「成宮先生、本当にごめんなさい。変なタイミングに来ちゃって……」
 柏木が成宮先生に泣き出しそうな顔をしながら、深々と頭を下げた。
「いや、柏木君のせいでも、ましてや葵のせいでもないよ。全部、俺が悪い……」
「成宮先生……葵は、許してくれるでしょうか?」
 顔を引き攣らせながら、柏木が成宮先生を見つめる。
「許すも何も、葵は怒ってるんじゃないよ」
「え?」
「葵はあんなところを見られて、どうしようもなく傷ついちまったんだ」
 成宮先生が寂しそうに笑う。


「ごめんな、葵」


 俺は、彼に出会って初めて謝罪なんてものをされたのに、それを聞くことはできなかった。